三 天でも無く、人でも無く
「ふう……寒くも無く暑くも無く……なんかアレだ」
創作上の理由で季節を伏せているので、台詞が不自然になりましたがご了承ください。
「とにかくアレだが、こんな夜には酒だな」
揺れる籠の中でチェキラ藩のそこそこ偉い人ーー倍無粋揚技は晩酌に思いを馳せた。酒に季節は関係無い。
主君が刃傷沙汰に遭ってずいぶん自粛していたが、そろそろ良いだろう。
揚技は数ヶ月でへこんだ腹のせいで緩んだ帯を、籠の中で座ったまま器用に直した。
江戸屋敷でも若い衆は娯楽に飢えている。派手にはしゃぐとお叱りを受けるだろうが、たまには楽しいことが無ければな。
籠が止まる。江戸屋敷に着いたには早い。
「何奴ッッッッッ!」
籠の外で伴の者の誰何。剣が鳴る。
揚技は飛び出す。伴の一人から刀を受け取り曲者どもに向けた。
「卑怯者め名を……」
辛い風。
「貴様、スコヴィル藩の……」
赤い刀身が揚技の額を突いた。
■
その二月後。真昼。
線香の煙が漂う倍無粋家の墓の前で、涙を堪える壮年の侍が静かに手を合わせた。
「揚技よぉ……儂より若いのに、先に逝くとはのう……」
チェキラ藩のかなり偉い人、鼻揖保井日畏怖は涙を拭いてから、両手を前に出して手の甲を天に向ける。
「お主に送る歌じゃ……」
ーーチェキラ、チェキラ、チェキラッチョ!
ーーチェキラ、チェキラ、チェキラッチョ!
ーー俺ら、忠臣!藩の中心!
ーー政に熱心!民は感心!
ーー人に優しい政治が本心!それが俺ら、武士の精神!
「ヒーホー」
辛い風にヒップホップを嘲笑う声が乗った。
背後からの一撃に、日畏怖は振り向くどころか反応さえできなかった。
■
「探せ!スコヴィル藩の……いや、元スコヴィル藩の人間を探せッッッッッ!」
最初に揚技が討たれて、すでに一年。チェキラ藩の偉い人はピンからキリまですでに20人も闇討ちされている。
「おい、そこのおっさん!お前だッッッッッ!」
若い侍が夜道を歩く酔っぱらいを拘束する。
「お前ッッッッッ!スコヴィル臭いぞッッッッッ!」
「お、お侍様……意味がわかりませんッッッッッ!」
この侍もチェキラ藩の偉い人だ。偉いと言っても、下の方だが。名を手井持栄と言う。
「うるせえ!お前、スコヴィル藩の人間だな!その包みを見せてみろッッッッッ!」
酔っぱらいの包みの中は……
「小判ッッッッッ!……なんだ小判か~済まねえな。てっきりハバネロとかマスタードだと思ったぜ。もう行って良いぞ」
この金は盗んだ物だが……それはまた別の話で。
酔いの覚めた酔っぱらいは全力ダッシュで逃げ出した。
「出て来いスコヴィル野郎ッッッッッ!出て来いよッッッッッ!」
持栄は怒鳴った。部下も怒鳴る。
くそう、とそこいらの家の壁を蹴った。
すると血の臭いが流れて来る。
臭う方向へ走り出そうとした持栄だが、いったん深呼吸。部下も深呼吸。また何かの間違いかも知れない。
江戸を騒がすのはスコヴィル藩士だけでは無い。どこからか集めて来た小判を、真っ昼間から民衆にばらまく『ばらまき小僧』と呼ばれる輩もいる。
「あっ、さっきの酔っぱらいッッッッッ!」
まさかあいつが……ばらまき小僧?
チェキラ藩は大事だが、目の前の悪を放ってはおけない。
「者共ッッッッッ!行くぞおおおおおおおッッッッッ!チェキラッッッッッ!」
「「「「「チェキラッッッッッ!チェキラッッッッッ!チェキラッッッッッ!チェキラッチョッッッッッ!」」」」」
チェキラチェキラとはた迷惑な集団は、血の臭いを追いかけ路地裏を進む。
「チェキラッッッッッ!チェキラッッッッッ!チェキラッッッッッ!ん?」
持栄は気付いた。チェキラチェキラわめいているのは自分だけだと。
「なんたる貧弱、ヒップホップの魂を忘れ……」
叱咤しようと振り向くと、そこは死屍累々。
「なんだ……と?」
死神が登場する有名な漫画にこんな逸話がある。登場人物が黒い服を着る者ばかりだから、漫画のタイトルを逆に白にした。
だが持栄が見た者は白ではなかった。
深紅。着ている服も、抜いた刀も、きっと褌も。ひょっとしたら夕食は赤飯かも。
辛い風が吹く。
「何奴……」
誰何に答えぬ赤き者が、一歩迫る。
「天が誅するは天誅。人が誅するは人誅……」
さらに一歩。
「天でも無く……」
また一歩。
「人でも無く……」
持栄は額に衝撃を受けた。視界の中央が狭い。
「辛さが誅するは、辛さ誅……」
持栄は視界が窮屈になったのは額に刀が刺さったせいだと、最後まで気付かなかった。
チェキラ弁についての解説
本来チェキラは『check it out』のカタカナ表記。
『見ろ』とかそんな感じの意味だが、
チェキラ藩では『故郷』とか『家族』とか『仲間』とか『未来』とか、
そう言う感じの意味で使われる。