二 スコヴィル藩 2024/11/16 いただいたハバネロ郎のイラストを後書きに掲載しました。ありがとうございます。
歴史は記録の積み重ねによって生まれる。だから実際に起こった出来事が記録者の解釈や資料の紛失とそれを補う推測などで、全く異なる内容で伝わったりする。結局今となっては想像力でも補えないこともある。
わかりやすい実例を挙げるなら、邪馬台国だろう。いまだに正確な場所がわからない。
邪馬台国の位置ほどの知名度は無いが、スコヴィル藩の位置も謎だ。京に隣接しているとされているが、記録が食い違う。
延暦寺のあたりがスコヴィル藩と言う書物があり、若狭湾が近いが琵琶湖は遠いとも、かつて松永弾正が焼いた東大寺の修復で農民が駆り出されたとも、なんと領内に富士山と恐山と阿蘇山があると言う記録もある。
なぜそんな矛盾が起きるのか、それはこの物語がフィクションだからだ。深く考える必要は無い。
重要なのは、近いがゆえに文化面で京の影響を強く受けているのと、藩の名前の由来通り辛い物が名物であること。最も有名な食べ物はデスソースぶぶ漬け……なのは蛇足か。
スコヴィルとは辛さの単位で、正確にはスコヴィル値と言う。
前述した通り、スコヴィル藩は辛い物が名物。
ペッパー、マスタード、唐辛子、そしてハバネロ。持ち込んだのはザビエルともフロイスとも。
広めたのは是前伝馬家初代、過類。21世紀半ばからの逆行転生者を名乗る人物だ。証拠は無い。そもそもこの物語はフィクションである。
過類はチートスキルなる物で様々な辛い物を生み出し売却して大金を得て、元康だった頃の家康に取り入り松平家ーー後の徳川家に入り込んだ。
是前伝馬家も、悪猪肌偉大家と同様に普代の家であった。
互いに名字がアレなのは(作者のセンスの問題は指摘するまでも無いだろう)同じなのに評価が分かれたのは、幕府を開いてからの最初の領地経営でだ。
是前伝馬家の領地、スコヴィル藩の全ての金鉱が、まるで『ざまぁ』と言わんばかりに一斉に尽きたのだ。
是前伝馬家とその藩士は黙って見ていたわけではない。そのマイナスを辛い物の販売で、特にハバネロで取り戻した。
だがむしろ諸侯からの評価は下がった。
金儲けなど武士のやる事にあらず、是前伝馬家とスコヴィルの民は卑しい守銭奴。そのように日本中に悪評を広められた。評価には嫉妬のフィルターがかけられていた。
家X家とソーダ之助が出合う、X年前。
スコヴィル藩の夏は暑い。太陽だけじゃない。城下町ののぼりのが原因として深刻だ。
『激辛ラーメン完食すれば十両』
『十個の饅頭の中に超激辛が九個、一回で当たりを引けば五両』
『激辛新作アイデア募集』
『辛さ我慢大会予選会場はこちらです』
総じて暑く、熱く、辛い。
痔に苦しむ者にとって地獄の風景である。痔とは無縁であっても、甘党のあの男には苦痛であった。
『喧嘩上等天上天下銀河系ブラックホール無双にして夢想』
その男の黒い着流しの背には、そのような痛々しい刺繍があった。態度も悪い。大きく仰け反って手足を広げて歩く。すれ違う者と目が合えば。
「なんだ?小豆の固さを知りてぇのか?ァアン?」
と絡む始末。救いがあるとしたら、スコヴィル藩の人々は小豆の……甘さならともかく、固さには興味が無いことと、言動から駆け出しの芸人だと思われ……つまらなさすぎて無視されていることだろう。
「ハン!どいつもこいつもレディー●ーデンには興味が無いってかッッッッッ!」
この頃の彼にはまだ、アイスを、パンちゃんを幻視させる力は無い。
若き日のクリーム山ソーダ之助である。己の家の宿業を受け入れられずに江戸を飛び出し、自分探しと言う名の武者修行の真っ最中である。
「あ~あ、どこもかしこもハバネロ臭ぇ!辛くて辛くて目に染みらぁッッッッッ!」
スコヴィル藩を訪れる誰もが思い浮かべ言葉にする感想を、めっちゃ絡んでやるぜと言う風に叫ぶソーダ之助は悪い意味で滑稽だった。
失礼を承知で例に挙げさせてもらう。もう中●生みたいな感じだ。
この頃のソーダ之助は、パンちゃん流の技をそれなりには身に付けていたが、真髄に届くまでには至らなかった。相対してもあ●きバーどころかホーム●ンバーすら視えない。
病人のように白い顔は生まれつきのものだ。道行く人はイキるソーダ之助を見て『誰かにイジメで芸人の真似ごとをさせられてるんだな。それか程度の低いスベり芸だな』と判断し、無視するかぶぶ漬けを勧めるだけだ。デスソースは入っていない。
本日数十杯目の茶漬けをすすり、そろそろ別の地方に行こうか考え始めたソーダ之助は、城下町の外れに剣術の道場を見つけた。
道場から肌を刺すような辛さと、それを忘れさせる殺気を感じた。
きっと素敵なサムシングがあるに違いない。迷うことなく道場の看板をひっぺがし、扉を蹴破る。
「頼もうッッッッッ!」
入ってすぐさま看板を偉そうな感じの奴に投げ付ける。あっさり当たってあっさりKO。
「道場破りじゃああああああああッッッッッ!」
展開が速いのは、今回は10万字越えそうな予感があるからだ。読者も作者も着いて行けまい。
一応最低限の描写はしよう。そこいらの門下生から木刀を奪って簡単に全員を叩きのめした。
「おかしい。あの素敵なサムシング的な殺気が消えない」
人間誰しも背後に目は無い。
だがソーダ之助は背後から送られたイメージをその目で感じた。
ソーダ之助はなぜか茶屋にいて饅頭を振る舞われた。その数は十個。一個だけ白く、残りは赤い。まるで共産主義かと思えるほど赤い。
ソーダ之助は左端の共産主義にがぶりつく。舌に激痛が走った。
「辛いッッッッッ!」
辛い。なのに止まらない。饅頭を止められないソーダ之助の味覚が赤化して行く。レーニンレーニンと叫びたいのをこらえ、ついに最後の一個、真っ白い饅頭。
ああ、これが当たりか、と根拠も無いのにソーダ之助は思い、甘いもので中和しようとがぶりつく。
「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」
当たりだった。辛さ、と言う基準で。
のたうつソーダ之助の前に次々と激辛メニューが並ぶ。ラーメン、蕎麦、うどん、チャーハン、おにぎり、饅頭、明太子、明らかに辛そうな何か、デスソース。
「やめろおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお」
「戦場であれば死んでいたな」
幻を振り切ったソーダ之助は振り向く。
赤い裃、赤い袴、赤い帯、赤い靴下、赤い草鞋。口元には赤い……恐らく辛い何かの食べかすが付いている。胸元から出した扇子も赤い。仰ぐ風は辛い。
恐らく褌や思想も赤、と勝手にソーダ之助は判断した。
「拙者、デスソース島ハバネロ郎と申す」
『ハバネロ郎の前には鬼武蔵。ハバネロ郎の後には草木の一本も残らず』
京の都でそのようにもてはやされる剣豪である。
どうして鬼武蔵が挙がるのか不明だが、ハバネロ郎がすごいとは……伝わ……る。
ハバネロ郎の挨拶にソーダ之助は抜刀で答えた。
「ほほう。命のやり取りで語り合うか」
ハバネロ郎は見せ付けるように赤い鍔を弾き、赤い鞘から赤い刀身を抜いた。
見ているだけで辛くなって、ソーダ之助は目を閉じる。
刹那。
ソーダ之助は、真横に辛さを覚えた。一瞬でハバネロ郎は距離を詰めたのだ。
「いやいや、やはり刀は物騒」
ハバネロ郎は奥に飾られた花瓶まで無造作に歩く。脂汗にまみれたソーダ之助は打ち込むどころか振り向くことさえできない。
「夏の花弁の……」
花瓶から一輪、紫の朝顔を抜いて指に挟んで、右腕を真上に上げ手首を捻り、ソーダ之助に向けた。
「口付けにて」
やっとのことでソーダ之助はハバネロ郎に刀を向けられた。
「お相手いたそう」
朝顔の向こうの両眼は、野良仕事を終え冷たい井戸水を飲んだ後のように穏やか。
「舐めるなよ……」
刀の柄を握り締めるソーダ之助。その心の中には、未だアイスは存在しない。
「舐めてすらいない」
ハバネロ郎の姿が拡大、いや接近し肉薄。朝顔がソーダ之助の額に触れ、汗で貼り付く。
「ずいぶん濃い汗だな、少年。どうだ、ぶぶ漬けでも食べて行くか?」
ソーダ之助は脇目も振らず逃げ出した。