1-7 「雪代という魔術師」
「かつて、リューイ……人の作った組織には緑を湛えた魔術師の名を冠する雪代という青年がいた。奏くん、当時シンと呼ばれていた男と契りを交わし、互いに存在を分かち合っていた実力者。魔術師という名は偽りではなく、彼の青年は術式を用いた魔術と忘却という能力を有していた」
ぽつぽつと、詠うような流暢さで言葉を紡ぐ知らない人。何でも奏さんと任務に出てたけど奏さんがこっちに来たから、後始末とか済ませて帰ってきたらしい。そしたら事務所内無茶苦茶荒れててびっくりしてた。名前をひいらぎさんと名乗ったこの人は、奏さんと樹を仮眠室に押し込んで陽翠さんとシエルさんを医務室に連れて行ってから俺に説明を始めてくれた。任務明けなのにお疲れ様です……。
「シンさんとゆっきー……雪代の間には情があった。妖怪が人であるために誰かに心を預けるという性質以上に、あの二人は互いに全てを委ねていた。……けれど、雪代はある日唐突に記録すら残さず姿を消した。”存在しない”とされた雪代、半身を失い荒れ狂うシンさん、その後紆余曲折あってはぐれものの組織として結成されたのがここ、ヘレティックで奏と改名したシンさんが以後契ることなく生きてきた理由だね」
ある日突然大切な人が”いないもの”として扱われる。……それは確かに、発狂してもおかしくはないなと思う。紆余曲折のあれこれそれは非常に気になるし、どうしてゆっきー……樹が姿を消したのかも謎。なんか忘れてたとか言ってたし。
「ゆっきーの忘却を使えば記録は消えるし、……人為的なものだと仮定した場合、雪代、樹自身の記憶が存在しなかったのも忘却によるものだと断じることが出来る。”高い怪異耐性”は忘却による存在抹消、”怪異から狙われる”のは魔力適正の高さと見れば、説明はついちゃうね」
「奏が気付かなかった理由は?」
「それこそ忘却による隠蔽と見るべきかな」
あんな執着でドロドロな奏さんでさえ気付かないくらい完璧な隠蔽を敢行した樹はある意味凄い。まあ樹的には不本意っぽいけど。……っていうか今シレっと来たな陽翠さん。なんかちゃっかりソファーに座ってら。
「奏さんの発狂に触発されたのかなぁ」
「あれ、多分奏の能力による一時的な上書きだと思うぞ」
「え、発狂状態とはいえ、ゆっきーの能力上書きしたの?」
樹……ゆっきーって相当強かったんだな……俺は奏さんの能力がなんか影っぽいってことしか知らないけど、ひいらぎさんがこんな驚いてるってことはゆっきーの能力って相当強いんだろ、多分。
「……恭也くんちょっといい?君奏さんとゆっきー……じゃないや、樹くんの知り合いだよね?ちょっと関係性詳しく」
「うぇ!?うっす」
ひいらぎさんに呼ばれて、勢いで頷いたけど俺も奏さんと樹について全然知らなかったんだ、って思い知らされてる側だ。奏さん、基本的に自分のことは一切喋んないからな……。そういや樹もあんま喋ってねーや。お揃いかよくそったれ。
「あんま参考にはならないと思いますけど……」
「僕らよりは詳しいし、何より樹くんに関しては僕らは完全に初対面だからね」
「ああ成程。奏さんと樹は大学の友人で…」
俺が知っている限りの奏さんと樹の関係性を伝える。奏さんが樹の感情に対する解像度が低いこととか、樹の奏さんガチ勢なところとか、近頃のすれ違い勘違いの連鎖とか。話してる内にひいらぎさんが頭抱えるくらいにはひどい、知ってた。
「へー」
「拗らせ具合が深刻ぅ……」
陽翠さんは顔色ひとつ変えずに俺の話を聞いて、感想がこれとかやっぱり奏さんと同じものを感じる。ひいらぎさんの反応が正しいと思う。
「何らかの理由でゆっきー自身が記憶を封じた……とみるのは難しいよね。能力に紐付けされた自我、っていうのは中途半端に目覚めたゆっきーだろうし」
「奏、気付いてなかったぞ?」
「又聞きだけどゆっきーなら怪異殴って帰ってくるじゃん。同一人物と認識するのベリーハードじゃない?あと奏さん人物認識ガバだからさぁ」
そんなに?俺はそのゆっきーなる人物を知らないけど……いやどうだろ、さっきみたゆっきー、奏さん相手に年上ムーブしてたし確かに全然似てないな、うん。
「……でも、そうなると不可解な点が……」
「不可解な点?」
「いつ……雪代、記憶の忘却が任意で行われたかのような言動をしてました」
「あの執念故に狂気と評された雪代が?」
「執念故に狂気……」
何やったんだよゆっきー。何やらかしたらそんなカッコイイ二つ名つくんだよ。確かに樹はやり込み系好きだし意外と粘り強い……諦めが悪いともいうけど。そういうところは全然一緒だぁ。
「謎が多いな……ちょっと調べてみる?」
「うん。お願い。ゆっきーが本気で忘却を使用していたなら情報はないだろうけど。だからこそ分かる部分もあるだろうし」
「どういう……?」
「情報の齟齬を浚って、そこにある修正箇所を暴くってことだよ」
なるほどわからん。陽翠さんが納得してるから気にしないことにしとくけど、ひいらぎさん実は説明得意じゃなかったりする?
「雪代は……元に戻るかな?」
「……」
陽翠さんのぽつりと零した疑問にひいらぎさんは沈黙を返す。少しだけ目を細めて、仮眠室の方に目を向けて、そうしてから陽翠さんの頭を二度撫でて親が子に言い聞かせるような柔らかさで言葉を紡ぐ。
「事情と、互いの執着の強さによるよね。シンさんが本気で魔術を喰らえば雪代は表に出ざるを得なくなるし、雪代が本気で魔術を使えばきっとシンさんの記憶から完全に消えることだって出来るから」
「でも、そうじゃない、そうしなかった」
「うん。互いに考えがあるんだろうし……僕らは、僕らが出来ることをして、彼らを見守るしか出来ないよ」