1-6 「ヘレティック来訪」
「奏!いるかー!?」
何だか凄い大声が聞こえた。能力的に推奨されたから、過去発生した怪異の書類とにらめっこしていた顔をあげる。俺の質問に都度応えてくれていたシエルさんも、声のした方へと視線を向けた。
「奏くんなら今日は不在ですよ」
明らかに活発!みたいな恰好のひとが来た。なんというか年齢不詳感がすごい。シエルさんみたいな大人びた見た目なんだけど表情があどけないというか、行動がちょっと子供っぽいというか。シエルさん見つけて明らかに顔が輝いてたし。
「シエルー!元気にしてたか?」
「ええはい。陽翠さん、どうしたんです?」
「堅苦しいのはなし!実はな、奏に会いたいって奴と入り口でばったり会ったんだよ」
奏さんに会いたがってる人。誰だろう、俺も知ってる人かな。いやでも奏さんが此処に在籍してるって知ってる相手って殆どいないとか言ってなかったっけ。
「奏くんに会いたがってる……?恭也くん、確認のためについてきてくれる?」
「お、うっす」
陽翠さんなる人に軽い自己紹介をした後、三人揃ってビルの外に出ると、見慣れた後ろ姿が見え……って樹じゃん。陽翠さんに声をかけられて振り返った先に俺がいてきょとんとしてるし。
「恭也……?」
「樹?何でここに」
「樹……例の?」
「あっはい。え、何で?」
シエルさんの問いに答えつつも頭の中ははてなでいっぱいだ。奏さんは意地でも樹にこの場所を教えたくないみたいだったし、そもそも樹が奏さんを探してここに辿り着いた理由も分かんない。シエルさんが手早く奏さんに連絡を飛ばして、外じゃなんだからという理由でオフィスへと戻る。
来客用のソファに座った樹は何でかサングラスを外そうとしない。帽子も目深に被ってて全然表情が読み取れないし、本人も警戒してるのか体が強ばってた。
「五分もすれば来るみたい。……改めて、僕はシエル」
「オレは陽翠!」
「……樹です」
自己紹介、完!流石に今なんか話を弾ませられるコミュニケーション能力は持ち合わせてなかった。シエルさんはじっと樹を見続けてるし陽翠さんは気にしてなさそうだし。つまりどういうことかというと、話が全く盛り上がらない。
「シエル、これどういうこと」
「奏さん!!」
殆ど沈黙が続いていた重苦しい雰囲気をぶち破ったのは、五分どころか二分で到着した奏さん。入ってくるなり樹を見つけて、スタスタと近寄ってくる。
「樹、……目?」
奏さんの手がサングラスに伸びる。あからさまに怯えた樹に気が付くと、一旦手を戻して樹と視線の高さを合わせた。
「樹。大丈夫」
「奏さん……」
「大丈夫だよ」
言い聞かせるように呟けば、樹も少しずつ落ち着いてくる。先に帽子を落として、もう一度サングラスに手が伸ばされても特段反応はなく、奏さんの手がサングラスを外せば、綺麗な緑が目に映った。
「色彩が……」
「……暴走か?」
シエルさんと陽翠さんがそれぞれ確かめるように目を細める。ゆらゆら揺れる緑を真っ直ぐ見据えて、奏さんもゆっくりと瞬きする。緑に水色が混ざって、樹の表情が穏やかになった。
「大丈夫」
「か……さん」
「うん」
「だいじょうぶ」
「そう、大丈夫」
樹の体から力が抜けて、倒れ込んだ樹を奏さんがしっかりと支える。もう奏さんの目は黒に戻っていた。
「夢オチに出来ないかなぁ」
「いい加減諦めて説明してあげなよ」
うわまだ足掻いてるぞこの人……。それで誤魔化せると思ってるのちょっと樹を赤ちゃんか何かだと思ってないか?
「兎に角説明。彼に誤魔化すにせよ話すにせよ、僕達には説明して」
「えー……」
樹を仮眠室に寝かせた後、奏さんに詰め寄るシエルさん。少しの間もごもごとぐずるような反応を見せていたけど、何故か俺と陽翠さんを見て腹をくくったように口を開いた。
「どこから?」
「そうだね……まず、さっきのは何?」
「暴走……に近いかな。厳密には覚醒なんだろうけど」
「暴走?覚醒?」
さっきも陽翠さんが暴走っていってたけど、何が暴走してるんだろう。首を傾げる俺に気付いた陽翠さんが小声で能力のことだって教えてくれた。能力って暴走するんだ……。
「覚醒って……樹は覚醒済みでしょう?そもそも、暴走という割には能力が落ち着いていたように見えたのだけど」
「そうだよ。樹はね」
意味深な言葉にシエルさんが目を細める。樹が落ち着いてるなら何が暴走なり覚醒してるんだろう。能力が暴走してるとか、そういう言葉遊びじゃなさそうだし。
「……どういうこと」
「能力自体が、能力に紐付けされているのであろう自我が、ああして目覚めては不可解な言動をするんだ」
不可解……不可解、ね。まぁ確かに、樹自身が知らない筈の奏さんの居場所を言い当てたりしてるっぽいし不可解っちゃ不可解か。ただ、何でさっきまで樹の自我だったのかは分からないけど。
「つまり、あれは本人の意思ではない、と?」
「多分ね。さっき目を合わせるまでは樹の自我だったけど、樹も良く分からないまま此処に来た可能性が高いかな」
「能力に紐付けされた自我、ね……稀有な事例だと思うのだけど」
「人か否か、能力に自覚的かどうかもあるんじゃない?」
以前言っていた”今は”人間だという言葉の意味が、何となく見えてくる。人じゃない部分、能力に紐付けされた妖怪としての自我がある以上、確かに普段の樹は”人間”だ。
「いつ……を聞くのは野暮かな。その自我は別人格?」
「ううん。同じ。ただ、能力を使えるか、知っているかどうかだけが違う。普段は怪異に巻き込まれたときしか出てこない筈なのに……」
あ、じゃあ人形の怪異のとき起きた樹は妖怪の方だったんだ。何となく、奏さんに激甘な方が妖怪の方かな。でも人格が一緒ってことは、樹も基本的に奏さんに激甘っていうことになるんだけど。激甘だったわ。
「ってあれ?玲士が巻き込まれたときは?」
「あれは微妙に樹かな。必死だったし気付いてなかったみたいだけど」
あの時点で説明しておけばこんなことにはならなかったのでは……?と、思いはしたけど黙っておいた。後悔は先に立たないし、多分奏さんは意地でもしない。基本的に奏さんは樹がこっちに来るのを嫌がる傾向にある。ただの過保護かな。樹にはその優しさ伝わってないけど。寧ろ仇になってんだけど。
「妖怪の方の自我が君を探していたんでしょ?理由に心当たりは」
「ないかな」
即答かぁ……。コンマ一秒の返答にシエルさんも沈黙を返すしかない。
「なぁ奏」
ひたすら説明したくない奏さんがシエルさんと平行線な話し合いをしているところに、陽翠さんが口を挟む。
「奏にとって樹はどういう存在?」
真っ直ぐとした視線に奏さんが珍しく目を逸らす。さっきも思ったけど陽翠さんが苦手なのかな、何となくだけど陽翠さんには弱いよね。いや藍沢先生にも弱かった気がするな……年上に弱いの?
「……大切な人だよ」
「説明を嫌がるのは、巻き込まないためか?」
「そう……だし、そうじゃない。樹は緑だから、刷り込みみたいに懐いてるだけ」
絶対違うと思うけど、取り敢えず黙っておいた。緑が刷り込みで懐くっていう意味も良く分かんないし、それが説明しない理由のひとつっていうのも全然繋がんない。陽翠さんは視線を逸らさずに問いを重ねていく。
「刷り込みなんだとしたら、寧ろ説明しないと駄目だろ。ずるずる引き延ばしたって開いた蓋は塞がらないぞ」
「分かってる……けど。………………俺は、樹がいないと生きていけないのに、樹が別の人を選んだとき、正気でいられる自信がない」
本心、心からの本音だと直感的に察した。独占欲と嫉妬と愛情を煮詰めて固めたような、複雑な心境なんだろう。絶対樹は奏さんのことを選ぶだろうって俺は思ってるけど、奏さんは樹が別の人を選ぶんだという謎の自信を持っている。
「樹が奏以外を、ね……。さっき会ったオレが言うのも何だけど、奏、相当執着されてるぞ?」
「だから刷り込みだって。説明しなければ樹は俺を頼ってくれる、夢だと思ってくれている限り俺は樹に愛の言葉を囁ける。歪んでるって知ってるけど、……これしかもう方法なんて」
「奏……」
予想以上に複雑で、且つ樹への愛が重い奏さんに言葉が出ない。言葉が足りない裏でこんなぐるぐるとした激情を抱えてるとは思わなかったし、奏さんの自身に対する評価ですら拗れに拗れまくってるとか誰が想像出来るだろう。
「……まだ、引きずってるの」
「……」
シエルさんの言葉に奏さんは目を逸らすだけで応えようとしない。伏せられた瞳が眼鏡越しだけどうっすらと色を湛えて揺れている。
「雪代はもういない。今も昔も、存在しない」
「……煩いよ」
「初めからいなかった。そう断じた」
「……煩いってば」
「そうしなきゃ誰も報われない。だから」
「うるさいっ!!!」
奏さんの大声と一緒に影みたいのが膨れ上がった。咄嗟に陽翠さんが覆い被さってきて直接影みたいのに触れることは避けれたけど、見れば陽翠さんの服は抉れたように消え失せ、肌まで赤くなってる。あれもしかしなくてもマフラーだな!?暴風みたいに影もどきが飛び交って、触れたものすべて抉り取っていく。
シエルさんと陽翠さん、勿論俺も焦ったように名前を呼ぶけど、発狂した奏さんなんて止めようがない。焦るばっかりでどんなイメージすれば奏さんが止まるのかも分かんないし、陽翠さんに守られてなきゃ多分俺陽翠さんの服とおんなじ末路辿りそう。
痛いくらい服を握りしめて、制御を手放したのであろう影に囲まれながら、奏さんはただただ踞る。どうにかしたいけどどうにもならない、気が急くばっかで碌な考えも浮かばねぇ!
「っ樹来るな!!」
コツ、という靴音が聞こえて、仮眠室の扉が開く。シエルさんの警告虚しく樹が室内へと足を踏み入れれば、制御の二文字がない影達は樹へも襲い掛かっていく。絶対後で奏さんが後悔するやつ!なんか壁!秒で消し飛んだ!
「だいじょうぶ、……大丈夫」
緑が影を嗜める。薄いヴェールでも脱ぐように、気配がガラッと変わって白い指が空中に何かを描く。気配が、声音が、似ているようでなんか違う。黒がどんどん白になっていって、樹は何一つ邪魔されることなく奏さんの目の前に辿り着いた。蹲る奏さんの前にしゃがみ込む樹が、ふわりと穏やかな笑みを浮かべる。
「シンさん」
「……ゆ、っきー?」
「うん。雪代だよ」
さっきも聞いた名前。もういないって、存在しないって言われていた。今の樹は樹じゃないみたいで、ていうかゆっきーなる人物らしくて、益々訳が分からない。
「どうして……」
「本当は忘れた筈なんだけど、思い出しちゃって」
儚い笑みとか樹じゃねえ!奏さんに年上ムーブできる樹とか解釈違いなんだけど!?奏さんの頬に手を添えた樹もといゆっきーは、愛おしいものを見るように瞳を細めて言葉を紡ぐ。
「俺はずっと、シンさんと一緒。記憶がなくても、シンさんだけだよ」
「ゆっきー……」
奏さんをきつく抱き締めて、そのまま力を抜けば気配が戻って樹になる。ぎゅう、と樹を抱き締め直した奏さんも、困惑しながら泣いて……泣いてる!?
「勝手なこと言わないでよ、ゆっきー……」
……これ、予想以上に拗れまくってない?