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行基菩薩過去世の因縁を断つ

作者: 讃嘆若人

 行基菩薩は厳しい人間であった。

 彼は15歳の頃に得度してより、仏教の様々な経典を呼んだ。その中でも彼が重視したのが『梵網経』と言うお経であった。


「これは素晴らしいお経である!多くの人は仏教を僧侶だけが戒律を守って修行する教えだと勘違いしているが、仏教はそんな小さい教えではない。出家も在家も共に菩薩行を実践して救われるのが仏教なのだ!私はこの『梵網経』に記されている梵網戒を実践するぞ!」


 そう思うなり彼は路上に出て布教活動を始めた。


「皆様、私と一緒に菩薩行を始めましょう!」


 人々は首を傾げながら聞く。


「菩薩とはなんだ?」

「簡単に言うと衆生、つまり、人間は勿論、動物や神々も含めたあらゆる存在を救うために実践する人のことです!僧侶になれない人も在家のままで菩薩となることが出来ます。」


 最初は耳を傾けなかった人たちだが、やがて行基の行動を見て本気さが伝わってきた。

 行基は病人を見つけるとお経を読誦した。


「何をしているのですか?」

「『梵網経』には病人を見たら仏さまに対するのと同じように供養せよ、とある。それを実践しているのだ。」

「とは言え、貴方は医者では無いでしょ?」

「いや、実は医術も少しは学んでおる。だから断言できる、この方の病気は必ず治るのだ!」


 行基は渡来人の血統であり、行基自身も海外の先端技術を学んでいた。その過程で医学や土木工事に関する知識も蓄えていたのである。

 行基は土木工事の知識を活かして公共事業にも協力した。公共事業や治病によって多くの人を救った行基には信者も次第に増えてきた。

 しかし、行基は菩薩戒をあくまで厳格に守った。


「行基様、これが行基様への供養の布施です。」

「それは受け取れぬ。特定の比丘を名指しして供養するのは『梵網経』が禁じておる。」

「行基様、鶏肉の供養であります。いえ、これは行基様の為に鳥を殺したわけではありませんから、三種の浄肉に該当するので食べてください。」

「それも受け取れぬ。梵網戒では仮に三種の浄肉であっても肉食を一切してはならぬことになっておる。」


 弟子入りして共に菩薩行を実践しようとする者にも、戒律を厳格に守るように指導した。


「梵網戒を授戒するにはまず、自分の身体の一部を焼いて覚悟を見せねばならぬ。」

「ええ!」

「その次は自分の腕の皮膚の一部を剝がしてそこに経文を書くのじゃ!」


 だが、行基の実践を見ると本当に行基の言うとおりに梵網戒を厳格に守ろうとする者も出てきた。

 それを見て困ったのが政府である。


「小僧行基とその弟子らは指を焼いたり腕の皮を剥いだりしている!そのようなカルト集団は弾圧するべきである。」


 政府の命令もあるので流石に体の一部を焼くような過激な活動は中断された。

 しかし、行基が人々を救ってきたことは紛れもない事実であるので、刑罰が与えられることは無かった。

 むしろ過激な活動をしなくなった分、却って行基の信者が増えた。行基の僧籍は維持されていたので、大きな寺で説法をする機会も増えた。

 ある日、行基が大安寺で説法をしていると参加者の中に猪の油を髪の毛のトリートメント代わりに用いている女性がいた。

 すると行基はその女性に向かって言った。


「梵網戒では動物への慈悲も説いておる。頭に動物の地を被っている女性はどこか遠くへ行くように。」


 女性は恥ずかしくなって逃げるように去っていった。

 行基は今でいうエシカル・ヸ-ガン(ヴィーガン)であった。梵網戒は完全菜食を特だけでなく、捉えられている動物がいればそれを解き放つように教えるなど、徹底したアニマルライツの考えが含まれていた。


「一切の修行を仏のいのちの表れとして礼拝するのが菩薩行です。相手が動物であっても殺してはなりませんし、その死骸を食べることなどあってはなりません。」

「行基様、儒教では先ず親孝行をしなさい、家族を大切にしなさい、と説きますが、仏教では家族など関係なく動物や他人を助けるように説くのですか?」

「それは違います。実は他人と見える存在であっても、神々や動物、さらには地獄の衆生すらも、本当の一つのいのちであって、家族のようなものなのです。無論、仏教でも親孝行を説きます。もしも貴方の親が無くなっているならば命日にお経をあげて供養するように、と『梵網経』にはあります。しかしながら、親だけを大切にするようではいけません。仮に親が殺されても怒ってはいけない、という風に『梵網経』には書いてあります。」

「え!親が殺されると怒るのは当たり前ですよね?親の敵を討つことこそ孝行では無いのですか?」

「その気持ちは判ります。しかし、怒りに任せて敵討ちをして誰が救われますか?『法華経』にはお釈迦様を殺そうとした男でも成仏できることが記されています。」

「そんな!お釈迦様を殺そうとするような悪い男でも成仏できるって、理不尽です!悪人は地獄に行くのではないですか?」

「地獄に行くような人でも救うのが仏教なのです。悪いことをすると地獄に行くのが当然と言うその貴方は、これまで全く悪いことをしたことが無いのですか?」

「それは・・・少しは悪いことをしたことはあるかもしれませんが。」

「そうでしょ?ならば『お前は悪いことをしたのだからその分、苦しめ』というのがお釈迦様の教えだと思いますか?そのような教えでは人は救われません。仮に悪いことをする現象が現れていても、全ての衆生を仏のいのちの表れとして拝むことが大切なのです。」


 ある時、行基は難波の堀江と言う運河に船溜まりを作った。これも行基の社会貢献活動の一つである。

 堀江に行基の信者が集まった。行基の有難い話を聞きに来たのである。

 すると東大阪の川俣から堀江まで、十代の男の子を抱っこして通ってくる女性がいた。

 その子供は自分で歩かずに母親に抱きついて、常に「お腹が空いた!」と言っては泣きわめていたのである。女性と周囲の人々は子供の泣き声で法話が耳に入らなかった。

 すると行基はその女性にこういった。


「やぁ、そこのお嬢さん、その子を堀江の淵に投げ捨ててきなさい。」


 すると聴衆は眉をひそめながらひそひそと語った。


「おいおい、いつも慈悲を説いている行基さんらしくないぞ?」

「子供を捨てて来いって、頭おかしいんとちゃうか。」

「いや、何かの因縁があるんだよ、きっと。」

「何言っとる、どんな悪い奴でも救えるって言ってるのが行基さんやないか。それが況してや子供を捨てろって、オカシイやろ。」


 女性は言った。


「私の子供がこんなことになっているのは、きっと、私が今世か前世で何か悪業を背負っていて、その報いでこうなっているのです。だから子供を捨てる訳にはいきません。」


 行基は女性の反応を無視して法話を続けた。

 翌日も女性は子供を抱きながら法話を聞いたが、その子供があまりにも激しく哭くので聴衆は全員、行基の話が耳に入らなかった。

 すると行基が女性を一喝した。


「早くその子を淵に投げよ!」


 行基の気迫に押されて女性は子供を深い淵に投げた。

 すると子供は水の上に置き、地団駄を踏んで手を擦りながら母親を睨み、こう言った。


「悔しい!あと三年はたかろうと思っていたのに。」


 女性はゾッとしながら元の場所に戻った。すると行基が言った。


「子供は捨てて来たか?」

「はい。それについて、子供が変なことを言っていたんです。」


 そう言って先ほどの話をすると行基は言った。


「お察しの通り、お前は子供と過去世で因縁があったんじゃ。お前は過去世で借金をしていたが、借金を返さずに逃げていた。それで金を貸していた人がお前の子供に生まれ変わって、借金の分を取り返そうとしていたのじゃ。だがな、そのような過去世の因縁を理由に今のお前が不幸になるのはおかしな話だ。どんな過去があっても幸せになるのが仏様の教えじゃ。過去世の悪因縁を断ち切るためには、一度、息子を捨ててもらわねばならんかったのだ。」


 この話を『日本霊異記』はこう評価する。


「他の債を償わずして、寧ぞ死ぬべきや。後の世に必ず彼の報有らまくのみ。」


 だが、過去世の因縁の報いを受けるように、というのはヒンドゥー教の考えであって仏教の考えではない。

 行基が言いたかったことは、仮に過去世の因縁か何かで不幸な現象が現れてこようとも、その因縁を断ち切って幸せになるように行動するべきである、という事であったのだ。この女性の場合は、息子への愛情が執着となり身体障碍がある訳でもない子供が泣き叫んで要求することへの言いなりになっていたので、一度子供を捨てさせると言う荒療治が必要であったのである。


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