過去の残滓 六
残照に照らされて、辺りにはまだ土埃がふわふわ、きらきらと輝いて浮いていたが、もう構わなかった。それぞれ、好きなように薪代わりになる木材を選んで手に取っていく。雷韋など、鼻歌交じりだ。
暫くそこで木材を漁っていた雷韋が、
「陸王、俺もう両手一杯だ~」
言うと、陸王からも「おう」と声が返る。
「そろそろ戻るか」
そう言う陸王も、両脇に抱えきれないほどの木材を持っていた。
二人で持てる限りの木材を持って、再び教会へと足を向ける。帰り道でも、雷韋は陸王の後ろを歩きながら鼻歌を唄っていた。
それも調子っぱずれの鼻歌を。
けれど陸王は別段それに気を止める事はなかった。いつもの事だからだ。だからと言って、雷韋が音痴なのではない。
雷韋が歌っているのは精霊達の唄う歌だ。
精霊は常に唄っている。それは正確には彼女らのひそひそと話す言葉なのだが、人族には歌のように聞こえるのだ。
元来が言葉なので、言葉一つ一つに発音が違う。それが音階のように響くのだ。
雷韋は精霊使い故に、それを鼻歌にして唄う事が出来た。
そもそも獣の眷属は、生まれながらにして精霊使い、と言われるほど精霊と近しく生きている。生まれた瞬間から精霊の声を聞く事が出来るのだ。
精霊魔法は様々な精霊と契約して行使する魔術だが、精霊使いになろうと思わない獣の眷属は『守護精霊』としか契約しない。
『守護精霊』とは、各種族それぞれに従う精霊達の事だ。獣の眷属は精霊使いにならずとも、守護精霊とだけは必ず契約する。
精霊は世界中に満ちていて、聞こえる者には言葉を届ける。
だがそれが、逆に害になる事もあるのだ。
精霊は人に取り憑く事がある。
感応力の高い獣の眷属は特にその怖れがあった。それを防ぐ為に、守護精霊と契約を交わして、『精霊障壁』を張り巡らせて貰うのだ。これは一種の結界のようなものだ。守護精霊と契約をすると、その系統の攻撃は受けなくなる。また精霊使いならば、守護精霊の属性が精霊魔法の主軸にもなる。
例えば雷韋だが、鬼族の守護精霊は『火』だ。だから雷韋の精霊魔法は火の精霊魔法が主軸になるが、火属性の攻撃からも護られる。例え火の中に手を突っ込んでも火傷を負う事はない。熱は感じても、燃えないのだ。それは火の精霊が、主である雷韋を護っているからだ。同時に、ほかの精霊が取り憑くのを防いでもくれる。
これが『守護精霊』と『精霊障壁』の役割だ。
だから雷韋は安全に、辺りで交わされている様々な精霊達の声を聞き、彼女らの歌を唄う事が出来るのだ。
そして人間族だが、風の精霊が守護精霊だ。世界に数多いる精霊の中で、人間族は風の精霊の声しか聞く事は出来ない。
それはほかの精霊が『獣の眷属』ではない人間族を拒んでいるからだ。
世界でただ一つ、風の精霊だけがその好奇心のままに声を届ける。とは言え、人間族は獣の眷属のように感応力が高いわけではない。寧ろ、低い。そのせいで、常に聞こえるというわけではなかった。精霊の声を聞こうと思えば、それなりの修練が必要だ。その為、人間族の精霊使いを『風使い』と呼ぶ。
そして、修練をしていない人間族には精霊の声が聞こえない。それが当然の事であり、聞こえない事で彼らも不自由はない。常に精霊の声が聞こえるわけではないから、精霊に取り憑かれることもほとんどないのだ。
創造神が違えば、色々変わってくる事もある。
天慧と羅睺が創造した天使族も風の精霊が守護精霊として従っているが、そもそも天使族には精霊の声を『聴く』能力がない。堕天した天使族の成れの果てである魔族にも風の精霊が従っているが、彼らも同様だ。
兄弟神が創造した中で、人間族だけが辛うじて風の精霊魔法を使えるだけなのだ。
だからこその理。
定め。
それを曲げる事は不可能だった。
そうして雷韋が精霊の調子っぱずれの歌を唄っている間に教会に辿り着き、薪は祭壇が置かれていただろう場所に置かれる事になった。
二人で運んできたのだ。量は充分にある。一晩たっぷり保つだろう。
「は~、汗かいた」
雷韋は放り出すように木材を置くと、外套の端で額に浮いた汗を拭った。
陸王も袖で同じように汗を拭っている。
手一杯の物量を運んだのだ。汗をかくのも当然だった。陽が落ちてきて、春と言えども気温が下がってくる時間であるにも拘わらず、それなりの運動量にはなったと言う事だ。
廃屋が倒壊した時、残照が照っていたが、山麓の教会には一足早く夜がやって来ていた。もう空が暗い。
「雷韋、薪に火をつけろ」
陸王が命令口調で言う。
だが雷韋もこんな事には慣れてしまっている。暗い堂内の中で薪を簡単に組んで、それに火の精霊を移すと、途端に辺りに暖色の明かりが満ちた。
陸王が雷韋に命じたのは、何も偉ぶっていたわけではない。雷韋が猫目だからだ。
雷韋の目は猫と同じ作りになっている為、僅かな明かりで闇の中でもものが正確に見える。
今、明かりと言えば炎の明かりか、崩れた天井から覗く星明かりだけだ。
月影はまだない。
陸王も雷韋も、言霊で操る根源魔法で光の玉を作る事は出来る。だがそんなものを作り出すより、雷韋が薪に火をつけた方が無駄がない。どうせすぐに汗は引き、気温の低さの中で肌寒さを感じるようになるのだから、火を熾した方が手っ取り早かった。
火を囲んで、陸王と雷韋はそれぞれに腰を下ろした。
雷韋は腰を下ろしたと同時に、今更のように呟く。
「そう言えば俺、喉が渇いてたんだ」
言いながら、腰に括り付けている荷物袋の中から水袋を取り出して軽く呷る。
それを目にして陸王が、
「少しずつにしておけよ。ここでは水の補給が出来んのだからな」
注意を促すと、雷韋は当然という顔をして頷いた。
「わーってる。水なくなって困るのは俺だかんなぁ」
「そうだ」
陸王の、何もかもお見通しという風な口振りに雷韋は「ちぇっ」と舌を鳴らし、今度は干し肉を取り出してそれにしゃぶりついた。そして言うのだ。
「なぁ、明日はどうする?」
「街道に戻るしかあるまい。ほかに何をするってんだ」
「そりゃ……、そうなんだけどさ……」
雷韋は焚火の炎に目を遣りながら、溜息交じりに返した。そこには何か含みがあるように陸王には聞こえる。
「なんだ。ほかに何かしたい事でもあるってのか」
「……うん」
雷韋は歯切れ悪く肯定した。そして続ける。
「俺、ここ、気に入っちゃったんだよなぁ。だって、精霊の声は穏やかで、なのに賑やかで。こんなの、人が多く集まる場所じゃ感じらんないからさ」
「だからと言って、こんな場所にいつまでもいるわけにいかんだろう」
陸王は眉根を寄せて雷韋を見遣る。
確かにここには精霊が満ち満ちて、精霊使いの雷韋には居心地がいいのは当然だ。しかし二人とも、水も食料もぎりぎりしか持ってきていない。
雷韋がどう感じようが思おうが、長居をする事は出来ない相談だ。
雷韋は陸王を見ないまま、小さく頷いた。頷いた拍子に、ぱきっと干し肉が小さな音を立てて欠ける。歪に割れた欠片を、雷韋はそのままもぐもぐと口の中へ引き込んで咀嚼を始めた。
そんな雷韋を眺めて陸王は言う。
「明日は夜が明けたらすぐにここを発つぞ。街道までかなり距離もある。街道に出たところで、陽があるうちに街か村につける保証もねぇ。また野宿する事になるかも知れねぇんだ。それは覚悟しておけよ」
「……分かった」
干し肉を噛んでいるせいで不明瞭な発音になったが、頷きで了承の意を示す。
それを見て取って、陸王もそこでやっと背に負った小さな荷を解くと、中から水袋と干し肉を取り出した。