過去の残滓 四
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陽が傾いた頃に森の先に現れたのは、それはもう『立派な』と形容詞が付くような廃村だった。
元々村は小さかったのか、見える範囲には四、五軒の廃屋しか見えない。もっと奥へ行けば、更に建屋はあるのかも知れないが。
それでも、見える範囲にある建屋の屋根が全て落ちてしまっている様を見ると、陸王は盛大に溜息を吐き出さずにはいられなかった。
ここは人がいなくなって既に十年や二十年は経っている。村人が何故この村を捨てたのかは知らないが、陸王の中では「結局はこんなものか」と言う気持ちがあった。
同じ廃墟でも、何かの神殿跡でもあればまだましだったが、ただの廃村では僅かに盛り上がっていた好奇心も興味もあったものではない。
それでもここまで来るのに大分時間がかかった。今夜はここで野営することに決めて、陸王は辺りを彷徨いている雷韋に声をかけた。
「雷韋、今夜はこの村で野宿だ」
その声に雷韋は屈んで何かを見ていた体勢から一気に起き上がる。
「そりゃいいけどさ、まだ陽もあるんだからもっと探検しようぜ~!」
「探検ってな、どこへだ」
「もっと村の奥~」
そう答えて、雷韋は手招きをしてから軽い身のこなしで、廃村の奥目掛けて駆けていってしまった。
それを見て陸王は眉根を寄せたが、行ってしまったものは仕方がない。あとを追う事にした。
廃屋は畑を挟むようにしてばらばらに点在している。その畑とて、今は雑草だらけだが。人が住んでいた頃は、麦や豆、様々な野菜も育てていたのだろう。
斜めに差し込む夕陽の光を受けて、一件の大きな建物が建っていた。おそらくは酒場だ。往年には、村の男達が毎夜集まっていたに違いない。それだけではなく、行商も定期的に来ていたはずだ。時には旅芸人も。だからここは、宿も兼ねていたのだろうと思う。造りが大きいのはその為だ。
それを横目に進み、気が付いた時には背後を山麓に根を下ろしている教会の前に出た。全体的に造りはそれほど大きなものではない。ただ、村の家屋の壁は板壁だけだったり、中には漆喰を塗ってあったりもしたが、ここは完全に石造りだ。一部崩れかけてはいるものの、ほかの建屋に比べてしっかりと形を留めている。些か低いが、鐘楼らしき塔もあった。生憎、鐘はないようだが。
ここまで来る間、陸王は雷韋の姿を見なかったが、この中だろうかと思う。
教会の扉は両開きになっていたが、戸は外れて倒れてしまっていた。
入口から中を覗いてみると、奥に雷韋の立ち姿があった。崩れてしまっている天井の一角を、ぼんやりと眺めているようだ。
「雷韋、何してる」
「ん?」
陸王の呼びかけに振り返り、年相応の子供っぽい笑顔を見せる。
「今夜はここで寝られっかなぁ、と思ってさ。天井もあんまし崩れてねぇし、石造りでしっかりしてるし」
それを耳にして、陸王は嘆息をついた。
「まぁ、そうだな」
そう声を返すと、残されたままの会衆席に積もった土埃を払って、陸王はどっかりと腰を下ろした。
堂内には天慧を象った印がなかった。
天慧とはこの世界に光をもたらし、天上に天使族を、地上に人間族を生み出した光の神だ。
教会はその天慧を崇めている。
そして光の神がいるという事は、闇の神も当然いる。
天慧の弟神の羅睺だ。
原初、この世界は混沌だった。混沌には全てがあり、全てがない胡乱な世界だ。そこに一つの力が生まれた。
原初神である、獣神・光竜だ。
光竜は混沌から天と地を分け、のちに『アルカレディア』と呼ばれる空間を作り出した。
今現在、陸王と雷韋のいるこの大陸は『アルカレディア大陸』と呼ばれているが、それは『アルカレディア』空間の中心にある最も大きな陸地だからそう呼ばれる。大陸の周りには島々もあるが、それぞれ固有の名前が付いている。
雷韋が生まれ育ったのもその島々のうちの一つ、セネイ島だ。海を隔てて大陸の南にある。
アルカレディア大陸も島々も海に浮かんでいるが、その海の果てには混沌が広がっているのだ。
つまり、『アルカレディア』空間は混沌の中に浮かんでいる状態だった。
だが、世界の果てを見た者はいない。それは神々と古い種族だけが知っている。
光竜がこの世界を作り出し、植物や獣、己の眷属である『獣の眷属』と呼ばれる様々な人族を産みだしていた頃は、混沌の胡乱な光が世界を満たしていた。世界は昼でもなく夜でもなく、昼であり夜でもあった。
その時だ、光の神・天慧と闇の神・羅睺がアルカレディアにやって来たのは。二柱の兄弟神は、光と闇を司って世界を照らそうと申し出た。光竜はそれを歓迎した。その時から世界には光と闇、昼と夜が出来たのだ。
そして、神と人族は同時に存在することになった。
それを神代という。あるいは神世。
今は神々が地上から去って人の世になっているので、人代だ。人世とも呼ぶ。
本来、天使族と人間族を創ったのは、人間達に崇められている天慧だけではない。光と闇の兄弟神が協力して創ったのだ。
しかし今では、光の神である天慧だけが創造主として人間族に崇められている。その宗教を『天主神神義教』という。
羅睺を祀る宗教はない。
それでも羅睺は忘れられた存在ではなかった。人間族は、月を羅睺の化身として無意識に自覚していた。羅睺が天慧と共に空にいるのだと。
兄弟神は表裏一体なのだ。
その天慧の印も像も教会の中には見当たらない。おそらくは持ち去ったのだろう。なんらかの形で村を捨てる時に。
人間族にとって天慧は絶対だからだ。
原初神である光竜が世界を作り出したのは事実だが、天主神神義教が生み出されてからは、人間にとって天慧が絶対唯一の存在になった。
更に天主神神義教にはこんな教えがある。
──主は唯一であり、神の生み出しし子は人間族だけである。他の人族は混沌から生まれ出でた種であり、交わる事を禁じる──
それが人間族に根付く教えであり、ほかの人族を『異種族』と呼んで差別する。
異種族は『獣の眷属』と呼ばれるのが本来は正しい。獣神である光竜の系譜だからだ。その中で妖精族や獣人族、有翼族などと様々に別れている。
だから雷韋も鬼族という獣の眷属だ。
それでも今は、天下を支配しているのは人間族だった。寿命が短く、最も脆弱なのが人間族であり、その為に繁殖力も強い。
だからと言って人間族と獣の眷属は反目しあっているわけではない。差別的な扱いは互いに大なり小なりあるものの、種族によっては人間族と交わる獣の眷属もいるのだ。
だから雷韋も人間族に拾われて、人間族の中で育った。魔術の師匠は光の妖精族だが。