3話
着いたレストランは、海の上に浮かぶ大きな船のようだった。オレンジ色のランプが煌々と輝いて、海にゆらゆら映りこんでいる。
フォルのあとにつづいて、なかに入ると、広いホールにお客さんがたくさんいた。若い男女から、屈強な男同士、客とビジネスマンまで、いろいろな客層でいっぱいだ。
「旦那様はもうお席にいるそうです……あ、いました!」
フォルが行く方へ、どきどきしながら歩いていく。
ああ、緊張する。どんな方かしら。気に入っていただかないと。
「……てめえがチュリア家の長女か。」
フォルの足がぴたりと止まり、「旦那様、遅れてすみません。お連れしました」と頭を下げた、その先に座っていたのは。
真っ黒な夜色の長髪で、顔を半分を隠した美しい男性だった。
隠されていない半顔には、額から目にかけて大きな傷がある。海色の瞳はギラギラと不適(不敵)に輝いており、凄みがある。
なるほど、逃げ出す令嬢もいるわけだ。一目で射殺されそうな、ものすごい圧。
加えて、声は色気こそ帯びているが、ドスの効いた、とても王族とは思えないものだった。
「おい」
「あ、す、すみません。ご挨拶が遅れました。ルーン・チュリアと申します。この度は、我が家の都合で婚約者を変更させていただき、申し訳ございませんでした。どうぞ、よろしくお願い致します」
緊張で声が震えている。頭を下げたけれど、いつ上げればいいのかわからなくなってしまった。
沈黙のあと、「ぐう」と変な音がした。
私のお腹だった。
「腹減ってんのお前」
「申し訳ございません。海鮮が楽しみでつい」
「とりあえず座れや」
口の端でにやっと笑って、座るように促された。粗相がないよう、慎重に座る。
フォルをちらりと見ると、こっそり耳元で
「お嬢様、逃げ出さなかった上に、座るように言われるなんてナイスですよ! もうあとちょっとがんばれば大丈夫です、ファイト!」
フォルはにこりと笑って「では、私は失礼します。お帰りの際は?」
「勝手に馬で帰る。お前らももう休んでいいぞ」
「ありがとうございます。お言葉に甘えて、失礼します」
そのまま、使用人の方たちをみんな帰してしまった。
さっき、休んでいいぞと声をかけていた。それに見ると、使用人の方々からは慕われているように見える。
そんなに悪い方じゃないみたい。
考え事をしていると、また「おい」と声をかけられた。
「とりあえず俺のおすすめのものでいいか? 食えねえもんとかあるか」
「お気遣い、ありがとうございます。なんでも食べられます。ラウド公爵様のおすすめ、とてもたのしみです!」
ラウド様は、
「……そーか、ならいい」
と言って、「おい、注文頼む」と、店員のお姉さんを呼んだ。
「あらま、旦那様。そちらのお嬢さんは」
「一応婚約者だ。まだ逃げ出してねえ」
「ふふふ、なるほど」
お姉さんはにやっと笑い、注文を受けていた。
ラウド様は、この町では人気な方なのだろう。今のやり取りでも、十分に伝わった。
率直に伝えてみよう。
「ラウド公爵様。失礼ながらとても恐ろしい方だとお聞きしていました。私、馬車に揺られながらどんな鬼のような方が出てくるのかと思ってたんです」
ラウド公爵様は瓶のワインをグラスにドバドバ注ぎながら、「名前で呼んで構わねえよ」と言ってくださった。
「では、ラウド様……この町の方々からは慕われてるんですね。どんな領地経営をしているんですか?」
「ふっ」
ワインを注ぎ、飲み干したあと笑いながら、
「なんもしてねえよ、んなこと」
あっけらかんと言われた。
「……ご謙遜……でいいのでしょうか」
「んなことどうでもいいだろ。ほら料理が来たぜ、たーんと食え!」
どう返せばいいか頭が混乱しているうちに、次々とお料理が運ばれてきた。見たこともないほど大きな貝が入ったスープや、魚介のからあげ、そして何より驚いたのが、大きな魚が切られた状態だけの、つまり生のままできれいに飾られて運ばれてきたことだった。
「ルーン、生魚は初めて食うだろう」
「は、はい。本でそんな料理があることは読んで存じておりましたが……! この国にもあったんですね」
「俺が、他の国から取り入れたんだ。この町は新鮮な魚がゴロゴロ手に入る。火を通すなんてもったいねえぜ」
おそるおそる、一切れ口に入れる。味わったこともないような、海の薫りと、とろける甘い旨味が口のなかに広がった。
「……! お、おいしすぎます! なんですか!?」
ラウド様は豪快に笑った。
「よかったぜ気に入ってもらえて。前に来た令嬢は生魚なんてとんでもねえって暴れて逃げ出したからな。やーっとまともな女が来やがった!」
この料理は、サシミというらしい。サシミを気に入るかどうかが、ラウド様にはそこそこ大事なポイントだったのだろう。
美味しい料理と、少しのお酒をいただき、とても心地よい時間だった。
気がつくと、他のお客さんもまばらで、さっきのお姉さんがラストオーダーを聞きにきていた。ラウド様は
「もうそろそろ帰ることにする」と満足そうに言い、席をたった。私も慌てて席を立つ。
「ルーンは……そうか俺の屋敷に戻るのか」
「旦那様酔ってます? 婚約者の方なんですよ? 大丈夫ですか?」
お姉さんが心配してくれている。
「大丈夫だ。ルーン、馬には乗れるか?」
「馬ですか。お恥ずかしながら一人では乗れないのですが……」
「なら乗せてやる。帰ろうぜ」
青い瞳が柔らかく微笑んだ。傷だらけの顔だけれど、それも美しく見えた。
「は、はい」
胸がときめいたのは、気のせい?
こういうときに、勇気を出すのよ、ルーン。
思いきって、手をとろうとした。
けれど、手は宙をつかみ、なにも残らなかった。
ラウド様はそんなこと気にも止めずにさっさと行ってしまった。
「……」
「ルーンお嬢様だっけ」
むなしく真顔になった私に、お姉さんが声をかけた。
「あ、えっと」
「エリーでいいよ。それにしても……。大丈夫かな……? やっていけそう?」
心配してくださったのだろう。いい人……。
エリーさんは言いにくそうに、教えてくれた。
「あの……わかったと思うけど……旦那様は悪い人じゃないんだけど、女性をエスコートする気概はない。むしろデリカシー皆無といっていいレベルで……」
「えっ? は、はい」
「今まで顔とか第一印象で女に逃げられてるから、まともに接したことがないのよ。だからその……がんばってとしか」
えっ、なに、その話は。
呆気にとられていると、
「おい! 置いていくぞ!」
と、確かにエスコートする気は全く無さそうな怒鳴り声が聞こえた。
「あの、また、きます」
エリーさんにお礼をして、ラウド様のもとへ走った。
楽しかったけれど、不安は大いに残る食事会になった。