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秋の桜子の物語集

令嬢マリー・フィオーネの為に鐘の音が鳴り響き、挽歌が流れた時。 〜 それは物語のきっかけ。

作者: 秋の桜子

 刻々ときざむ時が重なり日々となる、大地を割り緑芽吹き、花咲き巡る季節、それが合わさると幾年月。幸せならばあっという間に過ぎる。苦しみと哀しみに取り憑かれていると……、永遠に感じてしまう人の心。


 国土は涙で満たされている。来る日も来る日も老若男女、枯れることなく誰かが涙を流している。透き通った哀しみに薄らと墨を流したかのような恨みの色が混じる。満たされた水底に澱み溜まり続ける、どろりとした恨み辛み、クルシクコワイモノ。 



 悲しい、哀しい、カナシイ、かなしい、痛みを伴う寂しさと……。



 力ずくで引き裂かれた別れほど辛いものはない。それは凍える様に冷たくキリキリとした痛みを伴う。心に大きくえぐる様に決して消えぬ傷跡を残す。


 (まつりごと)に飽いた王が、王妃と王太后が仕切る堅苦しい後宮とは別に、好みの物言う華を集めて享楽に耽る為の庭を創り上げる事に全ての時間と力を注ぎ込み始めた。湯水の如く使われる国庫。諌める忠臣達の言葉は浮き足立つ王には届かない。


 それどころか逆臣とし、箴言をした家臣は嫡子と共に命を奪われ家名断絶、財産は没収。


 見目麗しい女、少女は王の庭に連れ去り、王の好みにあわぬ容貌が落ちる者達や年寄り、男達は国外追放。


 遺された使用人者達は、着の身着のまま、無一文で貧民街に投げ込む。あまりの非道に怒りを抱いた腕に覚えのある者達は、密かに国に潜り込み、仲間集め反乱を起こしたのだが、後ろ盾の無い彼等は力ずくで抑え込められ、主犯格は奴隷商人に売り飛ばされた。


 時々に繰り返され……、その度に不浄門に並ぶ首。やがて、心が折れた人々、遊興に耽り花や蝶と暮らす王に意見する者は王妃と王太后、それとこの国の次代を担うべく育つ王太子のみ。


 家族の諌める言葉など、どこ吹く風と知らぬ顔をし、日々の多くの時間を庭奥深くに籠もり暮らす王。流石に血の繋がりし者達に、手をかける事だけは避けている様子。


 それだけは……、とでも考えていたのだろうか、それとも心の奥底に家族への情が、薄らとでも残っていたからだろうか。罪の意識に苛まれるのを避けていたのだろうか。


 王の子らになる国の民の幸せは、私利私欲により容易く引き裂くのだが……、


 ゆるゆると国の終が近づいてきている。数を減らす陪臣、中には保身の為に病と称して領地に引き籠もる者達も出てきた。


 この先どうなるのか、どうしたらいいのか、誰も見えぬ国の未来。不安定なこの先を嘆く、年老いた重鎮の独りが立ち上がる。引退をし静かに余生を送っていた彼は全て賭け表舞台に返り咲き、現王にどうかご退位をと、申し出た。当然ながら……


 翌日には、一族郎党姿を消したのは言うまでもない。


 もう出来る事は……、王の寿命が早く終わる様、朝に夕に祭日の礼拝堂で、身分高き者達、街に暮らす者達、村や森に住み地を耕し、家畜を追い、木を伐り暮らす者達も……、神に祈りを捧げる事だけ。


 悲しい、哀しい、カナシイ、かなしい……。痛みを伴う寂しさと……、力ずくで引き裂かれた別れほど、辛いものはない。



 そんなある日……、王の命により、大聖堂にて弔いの鐘がつかれた。さる神に仕えし令嬢の生の時が終えたことを報せる音色。それが殊更大きく鳴り響いた。礼拝堂では、若くして死んだ彼女の為に聖歌隊が挽歌を唄わされた。


 それも王の命によるもの。死を(おおやけ)に認めさせる為の(はかりごと)




 そしてそれは、物語のきっかけ。




 天鵞絨を広げた空には剃刀の様な三日月がひとうつ。一等星が光る、光る光る。



 華やかな城下から離れ、森奥深い離宮にて静養をしていた王太子。露台にて、最早消えそうな名残の香と、まだ尚濃く残る錆色の3つの染みを宿したハンカチを、その整った唇に微かに当て星の数を数え、髪をさらと揺らし吹く風の音に耳を傾けていた。


 あれからどれほどの薔薇の芽が息吹き、蕾膨らませ花開かせ散った事だろう。国の安寧は崩れかけている。国王は山野に咲く花々も手折り始めたのだ。男ばかりの集落があちらこちらに増えていた。歯向かう者はその場で斬り殺される。


 挽歌に混ざる怨嗟が、奥深く暮らす王太子の元に迄届く。風に香るは赤錆色。戦乱の世でもあるまいに、領土は疲弊しやせ細る。


 愛しい人の別れ際の言葉が、耳奥深く残っている。何時もなら森の獣達の息吹が手に取る様に解る静けさに満ちているのだが、ここ数日の夜の空気は、密やかなる危うい熱とざわめきを宿している。


「殿下、只今城下から使いが……、既に動き出したと。こちらも出立の準備は整っております」


 彼の義父となる筈だった、辺境伯が報せを運んだ。


「わかった」


 カチャリ……、甲冑の銀の音が空に響く。かつてひと針ひと針、愛しい人が礼装にと、彼の事を想い刺した銀糸の模様が浮かび上がる、深い緑の織り布のマントを翻えす。  


 胸元奥深くしまい込む愛しい人が遺したハンカチ。スッと背を伸ばし花咲くアイリスの様な姿と凛とした声が蘇り、彼の心を震わせる様に耳奥深くに響く。


「ご武運を……、古い(まじ)で御座います。かつて戦地に赴く時に妻が夫にかけるとお聴きしております。心の臓近くにお収めください」



 噴水がある石畳みの庭に集まる者達。手にパチパチと爆ぜる松明を持っている。王太子の姿を見、パッと人垣が割れ頭を下げる。そうして出来た道を通り前に出た。


 御言葉を……、彼の右腕となり動いている伯の声に頷く王太子。企み事を隠すため、気鬱の病のフリをし続けてきた。城から離れた離宮に独り、これまで隠遁生活を送っていた。


 そう装いながら、弔いの鐘の音がつかれる日迄の僅かな間、水面下で虎視眈々と策略を練り、諸外国の高貴なる人々と密書のやり取りし、この日の為に準備を整えていた。


 うつけを演じなければ、決して王に悟られてはならない。息を潜めて王太子が過ごした日々。しかし自ら創り上げた華園で享楽に耽る父親にその動きは見えてはいなかった。


 城に残る母である王妃と祖母に当たる王太后が動き、僅かながらだが、その(はかりごと)がつつがなく進む為に力を貸していた。  


 賽は投げられた。撤退は許されない。前に進むしか彼に道はない。心うちで物想う事を表に出さぬ様、教えられている王太子。頭を下げる者達を見、己の両肩にかかる沢山の命の重みを感じた。


 ずっしりとした存在。その事による身体に張り付く緊張から口の中が乾いたが、それを巧みに隠す。唇に笑みを創り威風堂々と振る舞う。


 カッ!石畳を鳴らし噴水の縁石に上がる。振り返る王太子。束の間、瞬く一等星に目を向ける。星の光は愛しい人の眼差しの様。呼吸と心を落ち着けた。


 集まりし者達は、じっと言葉を待っている。


「よくぞ集まってくれた。皆には感謝をしている。先に謝りたき事がある。父上を諌め止める事が出来なかったのは、息子である我の責任だ。すまない」


 頭を下げる彼。場は水を打った様に静まっている。


「皆の知っている通り、我が父、この国の王は欲しい華はその立場を利用し、力ずくで手に入れてきた。後宮とは別に『華の庭』と呼ぶ離宮を湯銭の如く使い創り上げ、そこに女性達を閉じ込た。飽きたら王の赦しが無ければ出れない墓場と呼ばれる『北の修道院』へと送っている」


 語る彼。大国パリューヤから借りた兵士達が、集まる者達を取り囲み微動だにせず立っている。


「王命がなければ、彼女達は出ることが出来ぬ。中で死んだ者も多い。自ら進んで神の家に向かった者達ならばそれもいい。だが多くの者達は、家族の名を呼びつつ、果て地で時を終えると漏れ聞く。我もまたあの日、妻となるべき者を奪われた。正直に言う。一度は保身の為に目を閉じようと思った。しかし……、我は神の御声を聞いたのだ。非道な王の道を糾せと!各国が背を押した、法王様がお力をお貸し下された。天命が下りたのだ!故に我は立つことにした。父から玉座を奪う!新たなる世を創り上げるのだ!」


 松明の朱色に照らされる顔を、ひとつひとつ目をやりながら彼は想いの丈をそのまま飾らすに伝える。これから行う事は非道とされる事。


 王太子に従う彼等はこの国の王に、王太子である彼は実の父に、彼の味方となり城に残る王妃と王太后は、それぞれ夫と息子に反旗を上げようとしていた。


「殿下、兜を……」


 用意されたそれを要らぬと断る王太子。スラリと腰元のそれを抜くと天に掲げる。研がれたそれは三日月の光を宿した如く光を放つ。懐の守りが彼に熱い力を与える。


「我は人の道に反する事をこれから行う!怖気づく者はこの場に残れ!その者を咎める事はしてはならない。そしてこの道が天命だとすれば、我は刃を向ける事になる実の父親から顔を隠す為の兜は被らぬ。さあ!皆の者行こう!時が来た!城下に置いて、母である王妃と祖母である王太后の手の者達が動き出したと報せが届いた!行こう!勝利は我らの手にある!」


 集まりし男達の血潮が、轟々と燃え盛る石炭の如く熱を持つ。決起の声が地を這い響き、うねりとなり空へ昇る。期待に目を輝かせ王太子に忠誠を誓う人々。


 現王嫌う周辺の村々は既に王太子の一派に加わっている。近道の手引きする者達もいる。軍に加りたいという者達も。兵糧を用意し、馬を集めた者達も居た。


 これより一気に城下迄で駆け抜け、深く寝静まる城にて眠る王に奇襲をかける彼等たち。 





 天鵞絨を広げた空には剃刀の様な三日月がひとうつ。一等星が光る、光る光る。





 ――、好色と名高い王の無慈悲な言葉が、婚約者と睦まじく過ごす、思慮深く物静かな王太子に密やかに伝えられた。それは……、


 楡の木が木漏れ日をエメラルドを透かした様な光で地面に模様を描き、赤い薔薇の柔らかな蕾が、無骨な手で触れれば、ホロリとしどけなくほころぶ様に膨らみ、空にキューピト、キューピトと燕尾服を着込んだ鳥が恋の唄を冴えずり舞い飛ぶ季節。


 王の誕生日を祝う場で、辺境伯を父に持ち、嫡子である王太子の婚約者である令嬢が、神から与えられしその美声を披露した。この事が国の運命を大きく変えることになる。



 ……、「小鳥は金の籠の中、歌うたいと暮らす森の中」


 木苺の白い花が茂みに咲く。下草の緑は春に比べ緑の色が濃い。木漏れ日がチロチロと、その下を馬で行く王太子と辺境伯、二人の顔の上で踊る。


 チチチ、ピピ、チュピチュピ、ピピィ!ガザ!パタタタ……、人の気配に驚いた小鳥達が、枝を揺らし空へと上がった。


「黄金の角持つ鹿に出逢いし歌うたい」


 彼は装う。美しい森の中に感銘を受け、心を奪われたかの様に。呟く様に詩を唄う。


 分からぬよう同意を送る辺境伯。ちらほら周囲を飛び回る、毒持つ羽虫は手の者達を使い排除してあるとはいえ、重々気をつけねばならない。


「鹿は小鳥の歌に酔う……」


 ふう……、手綱を引き歩みを止め、うっとりとサファイアの色を溶かして広げた空を見上げる王太子。その様子を見た辺境伯。お疲れになられたご様子、ならば我が館のひとつが近くにあります故、御休みになられますか?と……、ごく自然な流れで話を持ち掛けた。


 小さな館に向かう。従者は警戒を怠らず付かず離れず同行している。やがて……、柔らかな葉を茂らせている柳の木に囲まれた、敷地に入った二人。召使いが独り、箒を手に掃除をしていた。


 馬番が深々とお辞儀をし出迎える。召使いの彼女もそれに習う。


「殿下に冷たい飲み物を」


 馬上の主の命に、はい。と言葉短に応じた召使い。支度をしてまいります。館へと姿を消す。馬丁に手綱を預けた二人は後を追う。


 ゆうらゆらと揺れる柳の枝葉、間近にある厩舎で、飼葉と水を与えられ寛ぐ馬。その栗毛に丁重にブラシをかける使用人の姿。重い扉を従者が開けると、用意万端整えていた家令が出迎える。貴人を用意を整えていた、小部屋に案内した。




 ――「やれ、腑抜けでも城を抜け出すのは、ひと苦労だな」


 王太子は柔らかな安楽椅子の上にドサリと座る。


「腑抜け等と……」


 苦笑をしつつ、テーブルの上に置かれている飲み物を自らの手で、磨き抜かれたそれぞれのグラスに注ぐ伯。


「城下では腑抜けと呼ばれているぞ、保身の為に父親に嫁を寝取られる男とな……、クククッ、母上とお祖母様がヒスを起こした。端女ならばまだしも、息子の婚約者に手を出すとは。とな」


「今回ばかりは致し方ございません。それに僭越ながら私めも、欲に駆られて娘を売っ払う極悪非道の父親と評されてますが」


 コクリ……、伯は娘の顔が浮かび上がり、奥深くに隠す憐憫の情が、風に煽られた熾火がチリと燃え立つ様に、刺さる痛みを伴い膨れ上がる。ざわめく心を落ち着ける為に言葉を切り、グラスの中身をひと口、先に飲む。


 飲み物を差し出した伯。それを受け取る王太子。


「ああ……、父上は新しい花を手折ることを考え惚けておられる。とんでもない茶番を考えつかれたものだ。そう、お祖母様も母上も我の味方になった。母上は表向きは慈悲深い妻を装ってはいるが、心中は燃え盛かり弾けた火の粉をそこいらに散らす焔の様に、苛立っておられる」


「城内での後ろ盾を得られましたか、こちらは教会の神父様が貧民街の者達を少しずつ集めておられます。あと国外追放された者達が、噂を聞きつけ出来る事なら加わりたいと、国境近くの我が領地である、境界の森近くに潜んでおります」


「今の所は、な、手の内に留まる様、なんとかせねばならぬが。神父様や潜む達には分からぬよう様、それとなく力を貸そう。事が終わったらその者達と話をしてみたい。そう……、教会から知らせが届いた。父上の非道は各国に知れ渡っている。法王様が我が立つならば、後ろ盾になろうと申し出て下さった」


 西の国から届けられたグラスを傾けつつ、王太子は企み事を進めていく。


「法王様が治められておられる皇国は、精鋭部隊と名高い軍を持つパリューヤと、非公式では御座いますが密接なご関係であります」


「ああ、兵卒を借りられる様、お口添えをして下さる」


「では!」


 伯の心深く隠す娘を想う気持ちが、少しばかり外に漏れでた。期待を込め問いかける。思案にふけり口をつぐむ王太子。一度会話が途切れた。


 かたく閉められた硝子窓の先には柳の枝葉がゆうらゆら。頬寄せ耳打ちをする恋人達のように柔な緑が触れ合い、時に強く風吹けばしどけなく絡まり空を舞い、仲良く過ごす。 


 地面に映る影は国の抱える陰に通じているのか、妖しくおどろにちろろ、ちらちろと動く。ひと息、二息……、王太子は知らずしらずの内に、己が天から課せられた責務の為に動いている事を、ひしひしと感じていた。


 ……、天命……、が下りたのだろうか。命を賭してやるべき事が我が身に来たと言う事か……。


「……、その呆れ果てた茶番に乗ろうとしている我もまた、惚けておる。教会の施療院とは話はついていたか?」


「はい、滞りなく」


「そうか、では気鬱の病に伏す事にしよう。離宮に引き籠り鬱々と過ごそうではないか。全ては水底で……、フォリーは知っておるのか」


「はい。陛下の密書を手渡しました」


「フ、それにしても、花を手に入れる為なら奇策を良く思いつかれる。フォリーと我は産まれた時から、教会に正式に認められた婚約者。彼女は国母となるべく育てられた令嬢であり、我が愛する唯一無二の存在」


「有難きお言葉で御座います」


「その彼女を息子たる我から奪おうとする父上。陪臣達の諌める声も聞かず、あろう事か、そなたが華美な衣服を身に纏う、国庫をくすねておろう等と、言いがかりも甚だしい罪咎で蟄居を命じ、その娘なら当然、浪費癖があるに違いない、財政を脅かす存在として、国母には相応しく無いと、フォリーの王太子妃としての道を断つ事を考えついた」


 父親から密かに伝えられたその夜、その言葉を思い出し、ピリリと痛みが頭に走る。肘掛けにつき、人差し指をこめかみに当てる王太子。


「はい、表向きはその様にとの書面で御座いました、流石に息子の婚約者をそのまま手に入れる事は出来ない故……、諌めた者達の多くは、既にこの世から姿を消しております」


「……、何かある度にその様な事をされておられたら、(まつりごと)が立ち行かなくなる。幼い頃から先を見据えて厳しく育てられた彼女だ。非の打ち所はない。だから父上は密かに手の者を使い、城下に虫も殺さぬ顔をして実は性悪、華美で派手好みの令嬢と噂を流した。もう少し早ければ手を打てたのに……。流れ動く水は止められん」


「はい、我が娘は国を喰い尽くす、稀代の悪女と評されております」


 溜息を堪え冷静に話をしながら、辺境伯は胸を痛める。


「父上の高笑いが聴こえる様だ。大広間にて陛下自ら運命を告げられた後、フォリーはその性根を叩き直す為に、多くの女が送られている、北の修道院(墓場)へと向かわせる。ここに入った者を還俗させる事ができるのは、国王のみだ。頃合いを見、彼女が死んだとでっち上げるだろう。喪明けの後、名を変え手元に呼び寄せる、下らん」


 とつとつと話す内に、王太子の身の内にキリキリと痛みが走る。それは激流となり決して外には出さぬ、躾けられた、個人的な怒り、恨み辛みの感情を呼び出す。抑える為、グッとグラスを持つ手に力を込める。薄い涙色をしたような玻璃が、クッと悲鳴を上げそうな程に力を込めた。


「……、お心をお鎮め下さいまし。温かいお飲み物を運ばせましょう」


 伯はテーブルの上に置かれている銀のベルを取ると鳴らした。扉がノックされ、家令が訪れる。指示を出す伯に、かしこまりました。深く礼をし立ち去る彼。やがて……。


「失礼致します」


 庭を掃除していた彼女が、その身分にふさわしい装いをまとい、金茶の髪を結い上げ、茶器を盆の上に載せ運ぶ家令を従え入って来る。早咲きの薄紅色の薔薇が飾られているそこに盆を置き、次なる命を待つ家令。


「殿下、些かお疲れのご様子です。少しばかりご休憩を。私めは外を歩いて来ましょう……、」


 部屋に残るは王太子と彼女と家令。婚礼前の男女が、二人きりになる事は無い。


 グラスを家令に差し出す。手が空になると安楽椅子から立ち上がる王太子。テーブルに近づき花瓶から、薔薇を一輪抜き取る。側に立つ彼女に膝つき手を取り、薄紅色を差し出した彼。


「愛しのマリー・フィオーネ。囚われし小鳥をきっと私は迎えに行く」


 花を差し出された彼女は、まだ、王太子の婚約者である令嬢。この数日後に、約束をされた道を閉ざされる宣告を受ける身。城下にある館に留まり、他人に逢わず外に出ぬ様、国王から命じられていた。


「ここに来たのは小鳥が別かれの歌を唄うため」


 王が遣わした警護の者達に、金銀を握らせ口を塞いだ彼女。侍女を身代わりとし、父親に付きそう召使いの中に紛れこの場に来ている。


「愛しのマリー・フィオーネ。小鳥は何を厭う」


「小鳥は血を流すのを厭うと唄う」


「愛しのマリー・フィオーネ。小鳥に教えるがいい。膿を出す為には少しばかり血を流さねばならぬと」


「小鳥は雪降る氷の館に向かいます、そこで永久に暮らすでしょう」


「愛しのマリー・フィオーネ。小鳥に教えるがいい。その館に籠もり出て来ぬのは、逃げの生き方だと」


「小鳥は迷う。光をうばわれし子らの事を考えると、青空の元、星空の下、愛の歌を唄って良いのかと」


「愛しのマリー・フィオーネ。小鳥に教えるがいい。新しき世には新しき歌が必要だと」


 彼女は紅い唇を噛みしめる。愛しい人を目の前にし、胸に膨れ上がる想いが言葉を奪う。熱い胸、熱い瞳。浮かぶ涙。


「愛しのマリー・フィオーネ。何れそなたの名の為に鐘が鳴らされる。小鳥に待つよう教えるがいい、その時、神の手を借り氷を溶かす春の風を吹かそう」


 王太子は胸に秘めた野望を彼女に教える。神とは法王。氷とは北の修道院。春の風は大国パリューヤの方角。手を貸す、それは兵卒。


 お妃教育で学んでいた彼女は、取り巻く世界が既に動き出している事を知る。そのうねりはもう、止めることはままならないと言う事も。


 目を閉じ彷徨い、そして心を決めたマリー・フィオーネ。将来の王妃として学んでいた彼女は、時には熟慮などせずに、場を読み先を読み、即決する事も必要と教えられていた。


 だがその決心は、純で優しくたおやかな彼女の心が悲鳴を上げた。零すまいとする涙の堰を切る。ポロポロと水晶の粒が滴り落ちる。口をつぐんでいると何も答えられなくなると、膨れる想いも何もかも振り切り、彼女は言葉を返す。


「小鳥はそのお言葉を信じて待ちましょう、明けの菫色した空、ナイチンゲール、透き通る青空の下、雲雀の囀り、夕暮れの薔薇色の雲の空、巣に帰るヒワの夫婦、夜空の星達が喋るように瞬くその中で、子らの幸せと国の安寧と、貴方様のご無事を願う為、聖歌を風に乗せましょう」


 差し出された薔薇の花を受け取る。花には鋭い棘がある。本来ならば庭師が丁重に取り去っているのだが、今日は彼女の命でそのままにしてある。


 ……、予感が棘を残せと教えたから。こうなる事は父上からお聞きして分かってました。でも……、危ない運命には立ち入って貰いたく無かった……、わたくしの身に替えてもと思っておりましたのに。


 事を仕損じでもすれば、彼の命は消え去る。しかし何もせずとも、永遠の別れは来る。だから……。神よ、お力をと願う彼女。


 もしも裏切りが現れ、唆し手の内の者が国王に寝返れば……、不安が大きく大きく膨れ上がる。いけない、不吉を考えてはなりませぬと、ふらつく自身に叱咤する。手にした一輪、美しい薄紅色をした綻びかけた薔薇。人差し指の先を鋭い棘に押し付ける。


 プッ。血玉が丸く顔を出す。走る痛みで不安を消す。柔らかな指の腹を親指でクッと強く押す。赤の玉が大きく膨れた。何時も手にしている白絹のハンカチに3箇所、赤の色を落とす彼女。


 頬に筋を引きつつ流れるものはそのままに、自身を見上げる王太子が、愛して止まない頬笑みを、息を吸い込み創り上げ浮かべる。血の証を印したそれを差し出す令嬢。


「ご武運を……、古い(まじ)で御座います。かつて戦地に赴く時に、妻が夫にかけるとお聴きしております。心の臓近くにお収めください」


 真紅の小さな花びらが3枚散ったハンカチを差し出す。胸の中もエメラルドの瞳も、湧き出てくる熱い涙で溢れている。突けば弾け、抑え込めている言葉と気持ちを、全てさらけ出す力を持ち満ちている


「ありがとう、フォリー。愛している」


 彼も……、溢れるモノに流されぬ様、言葉少なに留める。これ以上は話せない。動くこともままならない。精一杯、気を張り涙を流しつつも、晴れやかに笑む姿を目の当たりにしていると……


 立ち上がり抱き締めたくなる。抱え上げそのまま外に出て、地位も背負うモノも何もかも捨て去り、馬に乗せて出奔を考えてしまう。


 旅する吟遊詩人の様に、二人で青空に流れる雲の如く気ままに生きる事を夢見てしまう。しかしそれは出来ぬ事。


 涙も何もかも飲み込み耐えるしかない王太子。熱含む潤む蒼い瞳を愛しい人に向け、(まじ)がかけられた白いハンカチを受け取り、胸に強く押し当てる。そして、


 彼女の長く引くドレスの裾を手に取る王太子。万感の想いを込め、おのが唇に当てた。焚き染められている花の香りが鼻孔に届く。大きくそれを吸い込み胸の中に閉じ込めた。


 外では柳の葉がゆうらゆら、気まぐれに強い風が吹き上げる。柔らかにしなだれ絡まる枝葉は、仲良く踊っている。


「愛しいマリー・フィオーネ。待ってておくれ」


 頷く彼女は精一杯の微笑みを浮かべた。




 数日後、令嬢は王から直々に王太子妃としての道を閉ざされ、伯は蟄居を命じられる。彼女は王が考えた筋書き通りに、北の修道院へと送られた。それから間もなく。


 王太子が病に伏せる。そして城を出た。これもまた……、彼が考えた筋書き通りである。






 天鵞絨を広げた空には剃刀の様な三日月がひとうつ。一等星が光る、光る光る。




 王太子は皆と馬を駆る、風を斬り進む。運命の輪がギ……、ギシギシと軋みつつ回り始めた。そしてその回転は彼等が街道を行くにつれ滑らかになって行く。


 耳元を夜の水滴を含む冷たい風がヒュウと音立て過ぎる。心を澄ませば彼女の歌が聴こえてくる王太子。あの日以来、肌身離さず懐奥深く入れている血の守りと花の香り、記憶に宿る言葉。




 ――、「小鳥はそのお言葉を信じて待ちましょう、明けの菫色した空、ナイチンゲール、透き通る青空の下、雲雀の囀り、夕暮れの薔薇色の雲の空、巣に帰るヒワの夫婦、夜空の星達が喋るように瞬くその中で、子らの幸せと国の安寧と、貴方様のご無事を願う為、聖歌を風に乗せましょう」




 明けの空の色迄はまだ遠い。一行は、寝静まる風を装う村を次々に通り過ぎた。城や城下では闇を選び紛れ、王の持つ兵卒に比べ、圧倒的に数は少ないが、この日の為に選び抜かれた王妃と王太后の手の者達の姿が蠢く。




 天鵞絨を広げた空には剃刀の様な三日月がひとうつ。一等星が光る、光る光る。



 菫色した明けの空、名残の星がひとつふたつ。薄荷の空気が立ち込める森でナイチンゲールが鳴く時。それは、享楽に溺れた現王の命と治世が終わる時。


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― 新着の感想 ―
[良い点] 何度も「愛しのマリー・フィオーネ。」と呼ぶところがきますね! 重厚な物語、深く暗いところに浸り読ませていただきましたっ\(^o^)/ [一言] 面白かったです! ジャスト一万文字お見事です…
[良い点] クラシックな童話のような美しさがあるお話ですね。 ここから……といった物語の締め方に壮大さを感じました。 愛する人の為、悲しみを終わらせる為に立ち上がった王太子。格好良いです。
[一言] 秋の桜子さんの小説はいつも、言葉選びが美しく繊細ですよね。 ポーッとしているうちに読み終わりました。酔いしれました。ありがとうございます。
感想一覧
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