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伏見宮と天皇家  作者: やまのしか
97/105

5類「牧野家」

5類皇別「田口朝臣」(たぐちのあそん)

「孝元天皇皇子彦太忍信命十一代蝙蝠裔」

(ごうげんてんのうのみこ ひこふつおしのまことのみこと じゅういちだい かわぼりのえい)

従五位「牧野康民」(まきのやすたみ) 信濃 小諸藩  譜代雁間  一万五千石

従五位「牧野忠泰」(まきのただやす) 越後 三根山藩 譜代菊間  一万一千石

従五位「牧野弼成」(まきのすけしげ) 丹後 舞鶴藩  譜代雁間  三万五千石

従五位「牧野貞寧」(まきのさだやす) 常陸 笠間藩  譜代溜間次 八万石

   「牧野忠篤」(まきのただあつ) 越後 長岡藩  譜代溜間格 七万七千石


※「蝙蝠」(こうもり)と書いて(かわぼり)「川堀」と読みます。


8代孝元(こうげん)天皇を祖とする宗族は3系統ある。


一つが3類、孝元(こうげん)天皇の皇子である「大彦命」(おおひこのみこと)から六代目

「雉子」(きじ)の系統の「安倍朝臣」(あべのあそん)の「流」。


二つ目が4類、同じく孝元(こうげん)天皇の皇子「彦太忍信命」(ひこふつおしまことのみこと)の四代目

「大臣」(だいじん)「武内」(たけのうち)の系統の「紀宿禰」(きのすくね)の「流」。


そして三つ目が5類、同じく孝元(こうげん)天皇の皇子「彦太忍信命」(ひこふつおしまことのみこと)

十一代目「蝙蝠」(かわぼり)の系統の「田口朝臣」(たぐちのあそん)の「流」である。

ここには信濃小諸藩・越後三根山藩・丹後舞鶴藩・常陸笠間藩・越後長岡藩の「牧野家」、計5家が宗族を形成している。


『新撰姓氏録』によると、

「田口氏」は「蘇我田口川堀」(そがの たぐちの かわほり)と表記されており、

「姓」(かばね)は「臣」(おみ)で「名」は「蝙蝠」(かわほり)とも表記されることもある

飛鳥時代の貴族である。

は33代推古(すいこ)天皇の代の人物とのことで「蘇我馬子」(そがのうまこ)と同世代である。


『乙巳の変』(645年7月10日)3ヶ月後に起きた

「古人大兄皇子」(ふるひとのおおえのみこ)の変(暗殺)(645年10月7日)では、

謀議を謀った中心人物とされている。

「古人皇子の変」とは、

孝徳(こうとく)朝の大化元年9月3日(645年9月3日)、

34代舒明(じょめい)天皇の第一皇子「古人大兄皇子」(ふるひとのおおえのみこ)が、

「蘇我田口川掘」(そがのたぐちのかわほり)を中心とし、

「物部朴井椎子」(もののべのえいのしいのみ)、

「吉備笠垂」(きびのかさのしだる)、

「倭漢文麻呂」(やまとのあやのふみのまろ)、

「朴市秦田来津」(えちのはたのたくつ)、

と共に、「乙巳の変」へのカウンターを企てた。

しかし、9日後に吉備笠垂(きびのかさのしだる)が「中大兄皇子」(なかのおおえのおうじ)に、

この企てを密告。

あるいは「阿倍内麻呂」(あべのうちまろ)と「蘇我倉山田石川麻呂」(そがのくらやまだのいしかわのまろ)の前で自首し、

「中大兄皇子」(なかのおおえのおうじ)は「兵若干」(いくさそこばく)を派遣して

「古人皇子」(ふるひとのみこ)らを討ち取ってしまった(10月7日)

あるいは11月30日に兵40人によって息子ともども斬殺され、妃や側室は自殺してしまった。


「古人大兄皇子」(ふるひとのおおえのみこ)の与同者とされたもののうち、

「蘇我田口川堀」(しがのたぐちのかわほり)を除く全員が、

その後も官人として活動していることから、

この事件は「古人大兄皇子」(ふるひとのおおえのみこ)と「蘇我田口川堀」(そがし)を、

排斥することを目的としていたことがわかる。

「蘇我田口川堀」(そがのたぐちのかわほり)が「謀反」に参画したのは、

蘇我氏系の長老として

「蘇我倉山田石川麻呂」(そがのくらやまだのいしかわのまろ)(蘇我倉氏)が、

非蘇我氏系王族である「中大兄皇子」(なかのおおえのおうじ)と組んで、

氏上の地位を継いだことに対する反発であったと思われる。

蘇我系王族の「古人大兄皇子」(ふるひとのおおえのみこ)に期待するところがあったと考えられる。


「蝙蝠臣」(かわぼりのおみ)は大化元年(645年)に「古人皇子の変」

で連座した「蘇我田口臣堀川」(そがのたぐちのおみほりかわ)と同一人物。

七世紀中期までは「蘇我田口臣」と「蘇我」を冠する複姓であった。

「姓」(かばね)は「臣」(おみ)であったが、

後に「朝臣」(あそん)となった。

朝臣(あそん)以降には、中級官人を多数輩出した。


なお、大化2年3月(646年)天皇は東国の国司に詔して朝集使を集め地方の政治の査定をし、

【「羽田臣」(はたのおみ)「田口臣」(たぐちのおみ)、二人並に過無し】と述べた。

この「田口臣」は「蘇我田口筑紫」すなわち「蘇我田口川堀」の子と推定される。


また、大化5年(649年)に「蘇我倉山田石川麻呂」(そがのくらやまだのいしかわのまろ)が

「蘇我日向」の讒言により謀叛の疑いで自殺させられているが、

この時「蘇我田口筑紫」が捕らえられ、処刑されている。


『新撰姓氏録』左京皇別によれば「田口氏」(たぐちし)は「蘇我氏」(そがし)と同祖で、

33代推古(すいこ)天皇の時代に「川堀臣・蝙蝠臣」(かわぼりのおみ)が、

大和国高市郡田口村(現在の奈良県橿原市田中町・和田町付近)に住して、

「蘇我田口臣」(そがたぐちのおみ)を称したのに始まるとされている。

「蘇我田口川堀」は「武内宿禰」(たけのうちのすくね)の後裔氏族である田口氏(たぐちうじ)

「田口筑紫」または「田口豊嶋」の子とする説がある。


「武内宿禰」(たけのうちのすくね)の後裔氏族のうち

「蘇我石川宿禰」(そがのいしかわのすくね)は、

『新撰姓氏録』(しんせんしょうじろく)では

「石川朝臣」(いしかわのあそん)と同祖で「武内宿禰大臣」(たけのうちのすくねだいじん)の後裔、

「蝙蝠臣」(かわぼりおみ)が推古天皇の御世に、

大和国高市郡田口村に居住したので、

「田口臣」(たぐちのおみ)と号したと記されている。

他に、

蘇我臣(そがのおみ)

石川(いしかわ)

岸田(きしだ)

桜井(さくらい)

箭口(やぐち)

小治田(おはりだ)

高向(たこう)

田中(たなか)

久米(くめ)

河辺(かわべ)

御炊(みかしき)の各朝臣と同系である。


「古人大兄皇子」(ふるひとのおおえのみこ)は34代舒明(じょめい)天皇の第一皇子で、

母は「蘇我馬子」(そがのうまこ)の娘「蘇我法提郎女」(そがのほほてのいらつめ)で、

大臣「蘇我蝦夷」(そがのえみし)の妹に当たる。

娘は「倭姫王」(やまとひめのおおきみ)(天智天皇の皇后)。

「古人皇子」(ふるひとのみこ)

「古人大市皇子」(ふるひとのおおいちのみこ)

「吉野太子」(よしのたいし)

とも呼称される。


大臣「蘇我蝦夷」(そがのえみし)の子「蘇我入鹿」(そがのいるか)は、

「古人大兄皇子」(ふるひとのおおえのみこ)を、

35代皇極(こうぎょく)天皇の次期天皇に擁立しようと望んだ。

そのため、有力な皇位継承資格者・山背大兄王(やましろのおおえのおお)

(『上宮聖徳法王帝説』では厩戸皇子(聖徳太子)の子であるとされるが、『日本書紀』にはそのような記述はない)の存在が邪魔になり、

643年11月、「蘇我入鹿」(そがのいるか)は「斑鳩宮」(いかるがのみや)を襲い、

「山背大兄王」(やましろのおおえのおお)とその一族を滅ぼした。


645年6月、三韓から進貢の使者が来日し、宮中で儀式が行なわれた。

古人大兄皇子は皇極天皇の側に侍していたが、

その儀式の最中、異母弟・中大兄皇子(天智天皇)、中臣鎌子(藤原鎌足)らが、

蘇我入鹿を暗殺する事件が起きた。

古人大兄皇子は私宮(大市宮)へ逃げ帰り「韓人が入鹿を殺した。私は心が痛い」(「韓人殺鞍作臣 吾心痛矣」)と言った。

入鹿の父の蘇我蝦夷も自邸を焼いて自殺して蘇我本家は滅び、

古人大兄皇子は後ろ盾を失った(乙巳の変)。


事件後、皇極天皇退位を受けて皇位に即く事を勧められたがそれを断り出家して吉野へ隠退した。

しかし、同年9月12日 吉備笠垂きびのかさのしだるから

「古人大兄皇子が謀反を企てている」との密告を受けた中大兄皇子が攻め殺させたとされる。


ただし、実際に謀反を企てていたかどうかについて今日では諸説ある。

古人大兄皇子と共に謀反を企てたとされる

「物部朴井椎子」(もののべのえいのしいのみ)

「倭漢文直麻呂」(やまとのあやのふみのまろ)

「朴市秦田来津」(えちのはたのたくつ)

「吉備笠垂」(きびのかさのしだる)は中大兄皇子の体制下で役職を与えられ活躍している。


さらに「中大兄皇子」(なかのおおえのおうじ)は天智7年(668年)正月に即位し、

2月に逆賊であるはずの「古人大兄皇子」(ふるひとのおおえのみこ)の娘「倭姫」(やまとひめ)を娶り大后(皇后)としている。

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