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伏見宮と天皇家  作者: やまのしか
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4類「堀田家」②

話をもとに戻そう。

「物部氏」(もののべし)は「穂積氏」(ほずみし)や「采女氏」(うぬめし)と同じ「神別氏族」(しんべつしぞく)である。

「神別」は「天神」(てんじん)「天孫」(てんそん)「地祇」(ちぎ)に分けられた神々の子孫と伝えられている氏族をいう。


『日本書紀私記』の「弘仁(こうにん)私記序」には『神別記』という書名があげられているので、

「神別」という氏族の出自を表す類別のための語の使用は、奈良末期にさかのぼるものと考えられる。


「邇芸速日命」「饒速日命」(にぎはやひのみこと)は日本神話に登場する神である。

『古事記』では、神武(じんむ)天皇の神武(じんむ)東征において、

大和地方の豪族である「那賀須泥毘古」(ながすねひこ)が奉じる神として登場する。


「那賀須泥毘古」(ながすねひこ)の妹「登美夜毘売」(とみやびめ)

『日本書紀』では「三炊屋媛」(みかしきやひめ)を妻とし、

「宇摩志麻遅命」(うましまぢのみこと)をもうけた。

「宇摩志麻遅命」(うましまぢのみこと)は

「物部連」(もののべのむらじ)、

「穂積臣」(ほずみのおみ)、

「采女臣」(うねめのおみ)の祖となっている。


「神倭伊波礼毘古」(かむやまといわれびこのみこと)(後の神武天皇)が東征し、

それに抵抗した「那賀須泥毘古」(ながすねひこ)が敗れた後、

「神倭伊波礼毘古」(かむやまといわれびこのみこと)が、

「天照大神」(あまてらすおおみかみ)の子孫であることを知り、

「神倭伊波礼毘古」(かむやまといわれびこのみこと)のもとに下った。


『日本書紀』などの記述によれば、

「饒速日命」(にぎはやひのみこと)は、神武(じんむ)東征に先立ち、

「天照大神」(あまてらすおおみかみ)から十種(とくさ)神宝(かんだから)を授かり、

天磐船あまのいわふねに乗って、河内国(大阪府交野市)の、

河上哮ケいかるがみねの地(現在の磐船神社周辺の一帯地と考えられている)に降臨し、

その後大和国(奈良県)に移ったとされている。


これらは「瓊瓊杵尊」(ニニギノミコト)の天孫降臨説話とは別系統の説話と考えられる。

また有力な氏族(特に祭祀を司どる物部氏の祖神)とされていること。

神武(じんむ)天皇より先に大和に鎮座していることが神話に明記されていることなど、

「饒速日命」(にぎはやひのみこと)の存在には多くの重要な問題が含まれている。


大和地方に神武(じんむ)天皇の前に出雲系の王権が存在したことを示すとする説や、

大和地方に存在した何らかの勢力と物部氏に結びつきがあったとする説などがある。


『先代旧事本紀』では、

「天火明命」(あめのほあかりのみこと)と、

「饒速日命」(にぎはやひのみこと)は同一神とされている。


『新撰姓氏録』(しんせんしょうじろく)においては、

「饒速日命」(にぎはやひのみこと)は天神(高天原出身、皇統ではない)で、

「天火明命」(あめのほあかりのみこと)は天孫(天照大神の孫)とし、両者を区別している。


饒速日命にぎはやひのみことは『記紀神話』の「神武東征」に登場する神であり、

神日本磐余彦尊(かんやまといわれびこおみこと)(後の神武天皇)が、

大和へ東遷する前に大和地方を治めていたとされています。

そして、その子孫は物部氏もののべしとなって天皇に仕え、

朝廷で軍事と祭祀を司ったとされます。


しかし『記紀』はあくまでも天皇側の史観に基づく内容になっているため、

「饒速日尊」(にぎはやひのみこと)については詳しく記されません。

一方、物部氏側の史観に基づいて記された『先代旧事本紀(旧事紀)』(せんだいくじほんき)では、

「饒速日尊」(にぎはやひのみこと)および物部氏にまつわる神々について詳しく記されてます。


「天火明命」(あめのほあかりのみこと)は日本神話に登場する神で、

『新撰姓氏録』(しんせんしょうじろく)では「神別」の「天孫」である。

「天火明命」(あめのほあかりのみこと)には以下に示すような沢山の名前がある。

①「天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊」(あまてるくにてるひこあめのほあかりくしたまにぎはやひのみこと)『先代旧事本紀』(せんだいくじほんき)

②「天照国照彦天火明櫛玉饒速日命」(あまてるくにてるひこあめのほあかりくしたまにぎはやひのみこと)『真清田神社由緒記』(ますみだじんじゃ)

③「天照国照彦天火明尊」(あまてるくにてるひこあめのほあかりのみこと)

④「天照国照彦火明命」(あまてるくにてるひこほあかりのみこと)、『日本書紀』『真清田神社由緒記』

⑤「天火明命」(あめのほあかりのみこと)、『古事記』『真清田神社由緒記』

⑥「彦火明命火明命」(ほあかりのみこと)『日本書紀』

⑦「膽杵磯丹杵穂命」(いきしにほのみこと)

⑧「天照御魂神」(あまてるみたまのかみ)『神社志料』


《系譜》

『古事記』及び『日本書紀』の一書によれば

「天火明命」(あめのほあかりのみこと)は

「天忍穂耳命」(あめのおしほみみのみこと)と

「高木神」(たかみむすび)の娘の「万幡豊秋津師比売」(よろずはたとよあきつしひめのみこと)との

間に生まれた子であり、

「邇邇芸命」(ににぎのみこと)と父母が同じであり、

「天火明命」(あめのほあかりのみこと)が兄で

「邇邇芸命」(ににぎのみこと)は弟とされる。


一方『日本書紀』の別の一書では

「天火明命」(あめのほあかりのみこと)は

「邇邇芸命」(ににぎのみこと)の父と記述されている。


『先代旧事本紀』(せんだいくじほんき)では

「天火明命」(あめのほあかりのみこと)は

「饒速日命」(にぎはやひのみこと)の別名であり

「饒速日命」(にぎはやひのみこと)と同一神と記されている。


一方『播磨国風土記』(はりまのくにふうどき)では

「大汝命」(おおなむちのみこと)と「弩都比売」(のつひめ)との子とする。

「大汝命」(おおなむちのみこと)は「大国主命」(おおくにぬしのみこと)の別名である。


《後裔氏族》

『新撰姓氏録』(しんせんしょうじろく)では

「天津彦根命」(あまつひこねのみこと)

「天穂日命」(あめのほひのみこと)

「天道根命」(あまのみちねのみこと)などの子孫と合わせて、

「天火明命」(あめのほあかりのみこと)の子孫を「天孫」と称している。


天孫系は高天原から尾張国や丹波国にも移り

「尾張氏」(おわりうじ)

「津守氏」(つもりうじ)

「海部氏」(あまべうじ)

「丹波氏」(たんばうじ)など多くの氏族の祖神とされ

『海部氏系図』(あまべしけいず)にも始祖としてその名が記されている。

「穂積氏」(ほずみうじ)「物部氏」(もののべうじ)の祖である「饒速日命」(にぎはやひのみこと)と

同一ともいわれる。

但し「饒速日命」(にぎはやひのみこと)と

「天火明命」(あめのほあかりのみこと)の同一を否定し、

また「饒速日命」(にぎはやひのみこと)を

「邇邇芸命」(ににぎのみこと)の兄とするのは

両者を連結するための創作・強弁であるとする研究もある。


また『姓氏録』(しょうじろく)では

「天火明命」(あめのほあかりのみこと)の子孫は「天孫」とする一方、

「饒速日命」(にぎはやひのみこと)の子孫は「天神」と区別している。


『日本書紀』景行(けいこう)天皇3年2月1日条において

「武内宿禰」(たけのうちのすくね)の父が、

「屋主忍男武雄心命・武猪心命」(やぬしおしおたけいごころのみこと)である旨が見えることから、

「屋主忍男武雄心命」(やぬしおしおたけいごころのみこと)は

「彦太忍信命」(ひこふつおしのまことのみこと)の子にあたる。


一方『古事記』では

「彦太忍信命」(ひこふつおしのまことのみこと)は

「木国造」(きのくにのみやつこ)の

「宇豆比古」(うずひこ)の妹の「山下影日売」(やましたかげひめ)を娶って

「建内宿禰・武内宿禰」(たけのうちのすくね)を生むとしている。


また『古事記』では

「意富那毘」(おおなび)(倭得玉彦命、尾張連等の祖)の

妹の「葛城高千那毘売命」(かつらきのたかちなびめのみこと)との間に

「甘美内宿禰」(うましうちのすくね)を儲けたとも記されている。


また『住吉大社神代記』によると

「和加倭根子意保比比乃命」(わかやまとねこひこおおびびのみこと)(開化天皇)の子として

「彦太忍信命」(ひこふつおしのまことのみこと)の名が挙げられ、

「葛木志志見興利木田忍海部刀自」(かつらぎのしじみのよりきたのしのぶあまべのとじ)という娘がおり「牟賀足尼命」(むがのすくねのみこと)と

「嶋東乃片加加奈比女」(しまひがしのかたかかなひめ)の子である

「田乃古乃連」(たのこのむらじ)と結婚し

「古利比女」(こりひめ)「久比古」(くひこ)「野乃古連」(ののこのむらじ)を生んだという。


『新撰姓氏録』では、次の氏族が「彦太忍信命」(ひこふつおしまことのみこと)後裔とされている。


左京皇別  石川朝臣 - 孝元天皇皇子の彦太忍信命の後。

山城国皇別 的臣 - 石川朝臣同祖。彦太忍信命三世孫の葛城襲津彦命の後。

山城国皇別 与等連 - 塩屋連同祖。彦太忍信命の後。

山城国皇別 出庭臣 - 孝元天皇皇子の彦太忍信命の後。

大和国皇別 内臣 - 孝元天皇皇子の彦太忍信命の後。

大和国皇別 阿祇奈君 - 玉手朝臣同祖。彦太忍信命孫の武内宿禰の後。

摂津国皇別 坂本臣 - 紀朝臣同祖。彦太忍信命孫の武内宿禰命の後。

河内国皇別 蘇何 - 彦太忍信命の後。


『先代旧事本紀』「国造本紀」では、次の国造が「彦太忍信命」後裔として記載されている。


三国国造 - 志賀高穴穂朝(成務天皇)の御世に宗我臣祖の彦太忍信命四世孫の若長足尼を国造に定める。

のちの越前国坂井郡周辺にあたる。


「彦太忍信命」の子か孫である「武内宿禰」(たけのうちのすくね)は、

8代孝元天皇の孫にあたり景行天皇から成務、仲哀、応神、仁徳と

12代から16代の五代にわたる天皇に仕えたとされる古代朝廷の伝説的な重臣です。

その在職期間を単純計算すると200年以上となり360歳以上の長寿を保ったと伝えられています。

子孫も繁栄し、蘇我氏、平群氏、紀氏、巨勢氏、葛城氏など、

武内宿禰を共通の祖と仰いだ氏族は実に28を数えます。

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