4類「堀田家」①
華族類別録4類を解説をしたいと思います。
第4類、皇別「紀宿禰」(きのすくね)
「孝元天皇皇子彦太忍信命四代大臣武内裔」
(こうげんてんのうのみこ ひこふつおしのまことのみこと よんだいおおおみたけのうち えい)
従五位「堀田正頌」(ほったまさつぐ) 下野 佐野藩「譜代帝鑑間」(ふだいていかんのま)一万六千石
従五位「堀田正養」(ほったまさやす) 近江 宮川藩「譜代帝鑑間」(ふだいていかんのま)一万三千石
従五位「堀田正倫」(ほったまさとも) 下総 佐倉藩「譜代帝鑑間」(ふだいていかんのま)十一万
※「帝鑑間」(ていかんのま)は、
幕府成立以前から徳川氏に臣従していた大名が詰める席のことで、
七つある伺候席の一つ。
「伺候席」(しこうせき)は、江戸時代に大名や旗本が将軍に拝謁するため江戸城に登城した際、
その順番を待っていた控席のこと。
殿席、詰所とも言う。
「伺候席」(しこうせき)は拝謁者の家格、官位、役職等により分けられており、
大名家にとってその家格を表すものとして重視されていた。
「紀宿禰」(きのすくね)は、
「紀角」(きのつの)(生没年未詳)とも表記される記紀等に伝わる古代日本の人物である。
『日本書紀』では「紀角宿禰」(きのつののすくね)、
『古事記』では「木角宿禰」(きのつののすくね)、
『新撰姓氏録』では「紀都奴」(きのつぬ)「都野宿禰命」(つぬのすくねのみこと)、
『先代旧事本紀』「都怒足尼」(つぬのすくね)
と表記される。
系譜に関して『日本書紀』に記載はない。
『古事記』孝元天皇段では、
「建内宿禰」「武内宿禰」(たけのうちのすくね)の子7男2女のうちの第5子として記載される。
『新撰姓氏録』(しんせんしょうじろく)では、
「左京皇別」(さきょうこうべつ) 紀朝臣条等において
「武内宿禰」(たけのうちのすくね)の子と記される。
「華族類別録」では、
3類「大彦命」(おおひこのみこと)4類「彦太忍信命」(ひこふつおしまことのみこと)は、
どちらも孝元天皇の「直系」で、他計6人の子女がいた。
①「稚日本根子彦大日日尊」(わかやまとねこひこおおひひのみこと)(後の開化天皇)
②「大彦命」(おおひこのみこと)
③「少彦男心命」(すくなひこおこころのみこと)
④「倭迹迹姫命」(やまとととひめのみこと)
⑤「彦太忍信命」(ひこふつおしのまことのみこと)
⑥「武埴安彦命」(たけはにやすひこのみこと)となっている。
『古事記』では「彦太忍信命」は「比古布都押之信命」(ひこふつおしのまことのみこと)と表記され、
孝元天皇と「伊迦賀色許売命」(いかがしこめのみこと)との間の子とされている。
「味師内宿禰」(うましうちのすくね)
「建内宿禰」(たけしうちのすくね)の父親となっている。
『日本書紀』では「彦太忍信命」(ひこふつおしのまことのみこと)は生没年不詳であり、
母親「伊迦賀色許売命」(いかがしこめのみこと)は、
次の第9代開化天皇の皇后にもなっている。
孝元天皇7年2月2日条において「武内宿禰」(たけしうちのすくね)の「祖父」と記述されている。
『古事記』では父と表記、
『日本書紀』では祖父。
どっちが正解かは不明である。
『日本書紀』では「伊香色謎命」(いかがしこめのみこと)は「大綜麻杵命」(おおへそき)の娘。
『古事記』では「内色許男命」(うつしこおのみこと)の娘とある。
「大綜麻杵命」(おおへそきのみこと)は「物部氏」(もののべし)の遠祖「饒速日命」(にぎはやひのみこと)の5世孫であるとされている。
「大綜麻杵命」(おおへそきのみこと)は生没年不詳。
『先代旧事本紀』では「大綜杵命」(おおへそきのみこと)、
『新撰姓氏録』では「大閉蘇杵命」(おおへそきのみこと)、
と表記されている。
「内色許男命」(うつしこおのみこと)=「大綜麻杵」(オオヘソキ)であり、
「内色許男命」(うつしこおのみこと)は、古代日本の豪族「穂積臣」(ほずみうじ)の祖である。
『古事記』『日本書紀』では「欝色雄命」(うつしこおのみこと)と表記されている。
『古事記』の孝元天皇記において后の「内色許売命」(うつしこめのみこと)の兄として
「欝色雄命」(うつしこおのみこと)は登場し、
娘の「伊迦賀色許売命」(いかがしこめのみこと)も孝元天皇の妃となったとある。
『古事記』では「内色許男命」(うつしこおのみこと)は「穂積臣」(ほずみおみ)の先祖とあり、
「穂積」と「物部」はどちらもニギハヤヒの子孫とある。
つまり「大綜麻杵命」(おおへそきのみこと)は、「饒速日命」(にぎはやひのみこと)の5世孫であり、
「内色許男命」(うつしこおのみこと)と兄弟となる。
「物部氏」(もののべうじ)は「姓」(かばね)は最初は「連」(むらじ)後に「朝臣」(あそん)大和国山辺郡(現在の奈良市の一部)・河内国渋川郡(現在の大阪市生野区の一部)あたりを本拠地とした有力な豪族で、神武天皇よりも前にヤマト入りをした「饒速日命」(にぎはやひのみこと)が祖先と伝わる「天神系」の「神別氏族」である。
日本神話における神々を分類すると、
「天津神」(あまつかみ)と「国津神」(くにつかみ)にぶんるいできる。
「天津神」(あまつかみ)は高天原にいる神々、または高天原から天降った神々の総称であり、
「国津神」(くにつかみ)は地(葦原中国)に現れた神々の総称とされている。
「葦原中国」とは、日本神話において、高天原と黄泉の国の間にあるとされる世界。
「葦原の中つ国」とも表記される。
また「新撰姓氏録」では「天照大神」の子孫を「神別」の「天孫」としている。
「天孫系」とは「天照大神」の子孫とみなされる神々とその子孫のことである。
【天津神】(あまつかみ)
▪《別天津神》(ことあまつかみ)
「天之御中主神」(あめのみなかぬしのかみ)
「高皇産霊神」(たかみむすびのかみ)
「神産巣日神」(かみむすびのかみ)
「宇摩志阿斯訶備比古遅神」(うましあしかひこじのかみ)
「天之常立神」(あめのとこたちのかみ)
▪《神世七代》(かみよななよ)
「国之常立神」(くにのとこたちのみこと)
「豊雲野神」(とよくものかみ)
「宇比地邇神」(うひぢにのかみ)
「須比智邇神」(すひぢにのかみ)
「角杙神」(つぬぐい)
「活杙神」(いくぐい)
「意富斗能地神」(おおとのぢのかみ)
「大斗乃弁神」(おおとのべのかみ)
「淤母陀琉神」(おもだるのかみ)
「阿夜訶志古泥神」(あやかしこねのかみ)
「伊邪那岐神」(いざなぎ)
「伊邪那美神」(いざなみ)
▪《主宰神》
「天照大御神」(あまてらすおおみかみ)
▪《その他》
「少名毘古那神」(すくなびこなのかみ)
「天忍穂耳命」(あめのおしほみみのみこと)
「邇邇芸命」(ににぎのみこと)
「思金神」(おもいかねのかみ)
「建御雷神」(たけみかづちのかみ)
「天手力男神」(あめのたぢからおのかみ)
「天児屋命」(あめのこやねのみこと)
「天宇受売命」(あめのうづめ)
「玉屋命」(たまのおやのみこと)
「布刀玉命」(ふとだま)
「天若日子」(あめのわかひこ)
「天之菩卑能命」(あめのほひ)
・・・など
【国津神】(くにつかみ)
▪《主宰神》
「大国主神」(おおくにぬしのかみ)
▪《大国主の御子神》
「阿遅鉏高日子根神」(あじすくたかひこねのかみ)
「下照比売」(したてるひめのみこと)
「事代主」(ことしろぬし)
「建御名方神」(たけみなかたのかみ)
「木俣神」(きまたのかみ)
「鳥鳴海神」(とりなるみのかみ)
▪《大国主の配偶神》
「須勢理毘売命」(すせりびめのみこと)
「八上比売」(やがみひめ)
「沼河比売」(ぬなかわひめ)
「多紀理毘売命」(たぎりひめのみこと)
「神屋楯比売命」(かむやたてひめのみこと)
「鳥取神」(とっとりのかみ)
▪《その他》
「椎根津彦」(しいねつひこ)
「須佐之男命」(すさのおのみこと)
「櫛名田比売」(くしなだひめ)
「大物主神」(おおものぬしのかみ)
「久延毘古」(くえびこ)
「多邇具久」(たにぐく)
「大綿津見神」(おおわたつみのかみ)
「大山津見神」(おおやまつみのかみ)
「宇迦之御魂」(うかのみたま)
「大年神」(おおとしのかみ)
「木花之佐久夜毘売」(このはなのさくやびめ)
「玉依比売」(たまやりびめ)
「豊玉毘売」(とよたまひめ)
「八束水臣津野命」(やつかみずおみつのみこと)
「多紀理毘売命」(たぎりびめのみこと)
「市寸島比売命」(いちきしまひめのみこと)
「多岐都比売命」(たぎつひめのみこと)
「伊勢津彦」(いせつひこ)
「洩矢神」(もりやのかみ)
「千鹿頭神」(ちかとのかみ)
・・・など
日本神話では「国津神」(くにつがみ)が、
瓊瓊杵尊を筆頭とする「天津神」(あまつがみ)に対して、
国土(葦原中国)の移譲を受け入れたとして描かれている・・・(出雲国譲り)。
これはヤマト王権によって平定された地域の人々(蝦夷、隼人など)が、
信仰していた神が「国津神」(くにつがみ)、
ヤマト王権の皇族や有力な氏族が信仰していた神が「天津神」(あまつがみ)になったものと考えられる。
「国津神」(くにつがみ)については、
記紀に取り入れられる際に変容し、
本来の伝承が残っていないものも多い。
日本書紀ではある文(『日本書紀』の大半の巻に「一書曰」「或本云」など)
として伝承等を引用しているが、
その元の記録文書は後世では失われた。
「天津神」(あまつがみ)を「天神」(てんじん)、
「国津神」(くにつかみ)を「地祇」(ちぎ)とも言い、
併せて「天神地祇」(てんじんちぎ)、
略して「神祇」(じんぎ)とも言う。
平安時代初期に書かれた『新撰姓氏録』(しんせんしょうじろく)には
「皇別」(こうべつ)「諸蕃」(しょばん)と並んで、
「天津神」(あまつがみ)「国津神」(くにつがみ)の子孫を
「神別」として記している。
「神別」(しんべつ)とは、古代日本の氏族の分類の1つ。
さらに「神別」は「天孫」「天神」「地祇」に分類され
「天孫109」「天神265」「地祇30」を数える。
なお、こうした区分は古くからあったらしく、
これは律令制以前の「姓」(かばね)のうち
「臣」(おみ)が「皇別氏族」に
「連」が「神別氏族」に集中していることから推測されている。
※諸蕃とは古代日本における用語で、
「三韓」と呼ばれた朝鮮半島の国々及び、
高句麗、
百済、
新羅など朝鮮諸国と中国に対する呼び名。
和訓は「となりのくに」。
「もろもろのえびす」。
また、三韓に出自を持つ渡来人系氏族を指す言葉としても用いられた。




