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伏見宮と天皇家  作者: やまのしか
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「華族制度」の功罪

『華族』について、少し考察したいと思います。

華族とは、1869年から1947年まで78年間存在した近代日本の貴族階級の事です。

公家の堂上家に由来する華族を・・・・・「堂上華族」

江戸時代の大名家に由来する華族を・・・「大名華族」

国家への勲功により華族に加えられたものを「新華族」

臣籍降下(賜姓降下)した元皇族を・・・・「皇親華族」

1869年、公卿142家、諸侯285家、計427家、華族2891人です。

1869年岩倉具視の政策による、

版籍奉還と同日の太政官達54号「公卿諸侯ノ称ヲ廃シ華族ト改ム」により、

従来の身分制度の公卿・諸侯の称を廃し、

これらの家は華族となることが定められた。

公家137家・諸侯270家、明治維新後に公家となった家5家、維新後に諸侯となった家15家、

合計427家は新しい身分層である「華族」に組み入れられた。


当初は華族に等級はなかったが、

本人一代限りの「終身華族」と、

子孫も華族となる「永世華族」があった。

またこの後「奈良華族」26家が加えられた。


大久保利通の功により大久保家が、

木戸孝允の功により木戸家が、

広沢真臣の功により広沢家が、

それぞれ明治天皇の特旨によって華族になったが、

華族令以前に華族に列した元勲の家系はこの3家のみである。

さらに歴史上天皇に対して忠節を尽くした者の子孫も天皇の特旨によりこの時代に華族となっている。


華族という名称が採用された経緯ははっきりとしない。

華族制度の策定にあたった伊藤博文は「公卿」、

広沢真臣・大久保利通・副島種臣は「貴族」、

岩倉具視は「勲家」・「名族」・「公族」・「卿家」などの案を持っていた。


討議の結果「貴族」と「名族」が候補に残ったが、決定したのは「華族」だった。


明治以前までは『華族』といえば公家の家格を表す名称で、

摂家に次ぐ第2位の家格である清華家の別称だった。


1876年、全華族の融和と団結を目的とした宗族制度が発足し、

華族は武家と公家の区別なく、系図上の血縁ごとに76の「類」として分類された。


同じ類の華族は宗族会を作り、先祖の祭祀などで交流を持つようになった。

1878年にはこれをまとめた『華族類別録』が刊行された。


1884年、華族令が制定された。

これにより華族となった家の当主は、

「公爵」・「侯爵」・「伯爵」・「子爵」・「男爵」、

の五階の爵位に叙された。


華族令発布と同時期に、

維新前に公家や諸侯でなかった者、

特に伊藤博文ら維新の元勲であった者の家29家が華族に列せられ、

当主は爵位を受けた。


叙爵は7月中に3度行われ、

従来の華族と合計して509人の有爵者が生まれた。

これらの華族は「新華族」や「勲功華族」と呼ばれている。


また「終身華族」はすべて「永世華族」に列せられ、

終身華族が新たに生まれることもなかったため、

全ての華族は「永世華族」となった。

これ以降も勲功による授爵、

皇族の臣籍降下によって華族は増加した。


陞爵しょうしゃく(爵位の昇進)によって爵位が変化した家もあるが、

爵位の格下げは一例も無い。


爵位の上下により、

叙位や宮中席次などでは差別待遇が設けられた。

たとえば功績を加算しない場合公爵は64歳で従一位になるが、

男爵が従一位になるのは96歳である。

公爵は宮中席次第16位であるが、

男爵は第36位である。

また、公爵・侯爵は貴族院議員に無条件で就任できたが、

伯爵以下は同じ爵位を持つ者の互選で選出された。


公爵・侯爵・伯爵・子爵・男爵は、

それぞれ英国のprince、marquess、earl、viscount、baronに相当するものとされた。


しかし英国におけるprinceは王族に与えられる爵位であるため、

近衛文麿公爵が英米の文献において皇族と勘違いされる例もあった。

英国の爵位で公爵と日本語訳されるのは、通常はdukeである。


『叙爵基準による最初の叙爵』


①『公爵』


公家からは五摂家、武家からは徳川家宗家が公爵相当となった。

「国家に偉功ある者」として公家からは、

三条家(清華家・三条実美の功)、

岩倉家(羽林家・岩倉具視の功)、

武家からは島津家宗家(薩摩藩主島津忠義の功)、

玉里島津家(薩摩国父島津久光の功)、

毛利家(長州藩主毛利敬親の功)が公爵に叙せられた。


②『侯爵』


公家からは清華家、武家からは徳川御三家と現米15万石以上の大名家が侯爵相当となった。

琉球国王だった尚氏も侯爵となっている。

「国家に勲功ある者」として、

木戸家(木戸孝允の功)、

大久保家(大久保利通の功)が侯爵となった。

また公家の中山家(羽林家)は「勲功により特に」侯爵が授けられたが、中山忠能が明治天皇の外祖父だったことが考慮されたものとみられる。


③『伯爵』


公家からは大臣家、大納言の宣任が多い堂上家。

武家からは徳川御三卿と現米5万石以上の大名家が伯爵相当となった。

公家の東久世家は参議を極官とする羽林家で大納言宣任の例も皆無だったが、

維新における東久世通禧の功が特に考慮されて伯爵となった。

また武家の対馬藩は数千石余で、

肥前国内の飛地1万石を併せても表高の2万石を下回っていたが、

藩主宗家は朝鮮外交の実務担当者として、

10万石の格式が江戸時代を通じて認められていたことが考慮されて伯爵となった。

平戸藩主松浦家は本来は算入されないはずの、

分家の所領まで計算に繰り入れた上で伯爵となったが、

これは中山忠能正室が松浦家の出身であることから、

明治天皇の外戚に当たることが考慮されたものとみられる。

西本願寺・東本願寺の世襲門跡家だった両大谷家も伯爵となった。

「国家に勲功ある者」として、伊藤博文・黒田清隆・井上馨・西郷従道・山縣有朋・大山巌などの維新の元勲も伯爵に叙された。


④『子爵』


公家からは伯爵の要件を満たさない堂上家。

武家からは維新前に諸侯だった大名家が子爵相当となった。

分家した家は、本家が高い爵位を持っている場合は特例として子爵に叙せられた。

近衛秀麿家(公爵近衛家の分家)、

徳川武定家(侯爵水戸徳川家の分家)、

松平慶民家(侯爵福井松平家の分家)の3家。

「国家に勲功ある者」として、

明治維新前後に活躍した者のうち伯爵相当とみなされなかった者の家が子爵に叙せられた。


⑤『男爵』


「一新後新たに家を興したる者」が多く含まれる。

明治維新後に堂上公家に組み入れられた奈良華族は男爵相当となった。

明治維新後に石直しなどの申告により1万石を越えると申請し、

諸侯大名に取り立てられた元・交代寄合(旗本)のいわば新規の諸大名は、

元来大名であった者が与えられた子爵ではなく、男爵とされた。

同じく独立した大名とされた旧徳川御三家の御附家老諸家なども、

諸侯ではあるが一段落ちる男爵とされた。

5万石という並の大名家を上回る知行を有していた加賀藩家老家などの、

大藩の家老家からものち男爵に叙せられる家が出た。

地下家で最も家格が高い局務家の押小路家と官務家の壬生家の2家は、

堂上家に準じて男爵を与えられた。

出納家の平田家以下他の地下家はすべて士族として扱われた。

大社の由緒の長い世襲神職家14家、浄土真宗系の世襲門跡家4家も男爵となった。

琉球王家の尚氏の分家だった伊江家と今帰仁家の2家も男爵となった。

「国家に勲功ある者」として、明治維新前後に活躍した者のうち伯爵・子爵相当とみなされなかった者の家が男爵に叙せられた。

「先祖が南朝の功臣である」として男爵となった家もある。柳川藩士であった名和氏は名和神社の宮司となり、男爵位を授けられた。

内大臣・久我建通の四男の通城は南朝忠臣であった北畠家を家名復興して相続し男爵となった。

肥後国の米良氏は無高だが交代寄合という特殊な家であったが、南朝の忠臣であった菊池氏の子孫であるとして菊池に改姓、菊池武臣が男爵となった。


華族になれるとされた基準は曖昧であり、様々な問題が発生した。

華族となれなかった人物やその旧臣などの人物は華族への取り立てを求めて運動を起こしたが、

多くは成功しなかった。

松田敬之は900名に及ぶ華族請願者をまとめているが、

和歌山県の平民北畠清徳のように旧南朝功臣の子孫を称して爵位を請願したが、

系譜が明らかではないとされ拒絶された例も多い。

また家格がふさわしいと評価されても相応の家産を持っていることが必要とされた。


1889年の大日本帝国憲法により、

華族は貴族院議員となる義務を負った。

30歳以上の公侯爵議員は終身、

伯子男爵議員は互選で任期7年と定められ「皇室の藩屏」としての役割を果たすものとされた。

同年定められた旧皇室典範と皇族通婚令により、

皇族との結婚資格を有する者は皇族または華族の出である者に限定された。


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