「賀陽 邦寿」(かや くになが)「梨本 徳彦」(なしもと のりひこ)
「皇位継承問題」を考えるとき、
なんで有識者会議が、旧宮家の男系男子ありきで議論するのか、不思議でならならなかった。
そんなとき、この記事を見つけた。
「安倍晋三」元首相はかつて野党時代にはこんな論文を寄せていた。
以下、『文藝春秋』2012年2月号より抜粋する。
〈敗戦という非常事態で皇籍を離脱せざるを得なかった旧宮家の中から、希望する方々の皇籍復帰を検討してみてはどうだろうか〉
〈三笠宮家や高円宮家に、旧宮家から男系男子の養子を受け入れ、宮家を継承していく方法もある。現行の皇室典範では、皇族は養子をとることができないことになっているが、その条文だけを特別措置によって停止させればよい〉
〈敗戦後長きにわたって民間人として過ごされた方々が急に皇族となり、男系男子として皇位継承者となることに違和感を持つ方もおられよう。そうした声が強ければ、皇籍に復帰された初代に関しては皇位継承権を持たず、その次のお子さまの代から継承権が発生するという方法も考えられよう〉
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伝統が大事なのはわかるし、
男系男子にこだわる理由もわかるが、
なぜ「皇位継承問題」で男系男子維持と言えば「旧宮家」へと話が飛ぶのかがわからなかったが、
この案の後ろに「安倍晋三」がいるとわかると、
すべての謎が解けてきた。
つまり「旧宮家の男系男子の養子縁組案」と「安倍晋三」のバックは利害関係が一致するのだ。
戦後、数々の不祥事から、せっかく綺麗になりかけている皇室に、
また、毒を盛るような行為である「旧宮家男子の養子縁組案」、
安倍のような政治家にしかできない発議だろう。
いくら皇統男系を守るため、という大義があっても、
よくもそんな発議ができたものだと、嫌み抜きに感心できる。
よくも悪くも、意識せず、清濁合わせ飲める「安倍晋三」にしか、
「伏見宮」に再び皇統への道の光を捧ぐことは、出来ないだろう。
それが証拠に、あの安倍晋三でさえ、大和西大寺駅のような結末になったではないか。
それだけ「伏見宮を皇統に」という行為は、劇薬だということだ。
旧宮家の男系男子以外にも、男系男子は大勢いる。
ましてや、血統的に大差ないなら、普通は多くの不祥事を抱える「旧宮家」は避けるものだ。
皇籍離脱する眞子さまの婚約でさえ、
お相手の家柄や、人格や、母親の金銭問題まで突っつかれる。
あれほどのバッシングは、恐らく戸籍・国籍の闇にまで踏み込んでしまったからだろうけど、
それにしても日本の愛国者たちの「潔癖性」は異常だ。
今の「秋篠宮バッシング」にしてもそうだ。
事実かどうかわからない「悠仁様」の身体的な問題までも持ち出して叩く、
その結果どうなるか考えもしない「潔癖モンスター」は「皇室」すら破壊しかねない危険性を秘めている。
旧宮家男子の養子縁組案が具体的になったとして、
個別の名前が出てくると、
すんなり国民に受け入れられるとは到底思えない。
旧宮家の不祥事の数々が、今さら出てくるかとは思わないが、
予想もしない角度から、予想もしなかった事象を取り上げたバッシングが発生する可能性は、
かなりの可能性であると思う。
「東久邇家」や「賀陽家」や「梨本家」や「竹田家」の金銭問題や女性問題や薬物問題など、
現代の多くの日本人は知らない。
しかしネット社会にはのこってる、いくら消しても消えない、これら旧宮家の不祥事を、見ていこう。
まずは、2022年の「デイリー新潮」の記事から。
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12年前に84歳で亡くなった旧梨本宮家の「梨本徳彦」(なしもとのりひこ)氏のケースである。
「徳彦氏はもともと久邇宮の血筋で、1943年に臣籍降下した伯爵家の当主でした。66年には梨本家に養子に入り、旧宮家を継ぐことになったのですが、他人を疑わずすぐに信用してしまう性格が災いし、トラブルを招くことになりました」
とは、さる皇室ジャーナリストである。
「自身が名誉総裁に就任していた団体が、元皇族という肩書を利用して寄付集めをし、詐欺の疑いをかけられたのです。徳彦氏も警察の事情聴取を受けるはめになりました。その後、出羽三山の一つ・羽黒山の山伏だった男性が、皇室とは無関係にもかかわらず家に入り込んだ。徳彦氏は彼と養子縁組し、梨本家を継がせてしまったのです」
結果、旧梨本宮家は断絶。
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梨本徳彦氏のウィキペディアには、以下のような記載もある。
・・・晩年には自らのお印に由来する「鳳凰会」の総裁となったが、
金銭管理に関わるトラブルに巻き込まれていた。
また、日本文化振興会という団体の名誉総裁を務めており、
旧宮家の名前を用いたビジネスを行っていた。
そのビジネスとは、ある人物を表彰するにあたって、その対象者から多額の礼金を募るものであった。
礼金は50万円出会ったとの証言が臨済宗妙心寺派興禅寺の住職からなされている。
さらに2004年・2005年には、徳彦が名誉総裁となっていたNPO法人・やまびこ会が、
元本保証と高配当を約束して焼却炉販売事業への出資を募り、
約1000人から10数億円を集めたものの、
配当未払いを理由に詐欺や出資法違反容疑で警視庁に告訴されている。
同NPO法人は他にも「霊芝」などのキノコ栽培により収入を得るというビジネスで、
出資金を集めるなどしていたことから、
結果的に法人の代表理事ら4名が詐欺容疑で逮捕されるという事態にまで発展している。
2006年には、伊勢神宮の灯籠を建て替えると嘘の話を出し、
寄付を募った団体の名誉総裁としても徳彦の名前が見える。
2002年(平成14年)神林隆夫を養子に迎えたように世間知らずで、
名義を貸した団体の詐欺疑惑に巻き込まれることもあった。
2007年(平成19年)2月7日、死去。
84歳没。徳彦の血が途絶えたことで、旧宮家としての梨本家は断絶した。
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(2015,9,24 リテラ)には以下のような記事も出ている。
彼らは皇籍離脱し、自分の食い扶持を自分で稼がなければならなくなったわけだが、
多くの旧宮家はこれまで同様の華美な生活を維持するために、大量の資産を元手に商売を始める。
その過程で怪しげな人物に騙される人が後を絶たなかった。
牧場経営や菊の紋章を入れた“久邇香水”の製造販売、
ダンスホール経営などに手を出し失敗した久邇宮家。
そして、禅宗の僧を名乗る人物にカモにされ、
食料品店、喫茶店、骨董屋を開きすべて潰した東久邇宮家。
東久邇稔彦にいたっては、最終的に、“ひがしくに教”なる新興宗教の教祖に祭り上げられるも、
元皇族が宗教を興すのには問題があるとして宗教法人として認められず解散する騒動まで起こしている。
そんな戦後と皇籍離脱のゴタゴタのなか起きたのが、
東伏見宮家の150万円詐欺事件だ。
「真相」(人民社)1949年8月号には、観光事業に手を出すも放漫経営により資産を食い潰し、
明治時代にジョージ5世の戴冠式で使用した王冠を売りに出すことになった経緯や、
不渡手形を濫発し告訴された事実が記されている。
こうして凋落していった家の多い旧宮家だが、
高度経済成長期には皇族としての名を商売道具に使う者も登場する。
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その例が、賀陽宮家の賀陽邦寿である。
「産経新聞」76年12月20日夕刊には、以下のような記事が載っている。
〈「名誉売る“民間勲位”」「ああ、ありがたやと五千人」
賀陽邦寿が会長を務める「日本経営功労顕彰委員会」という団体が、二万八千円から六万八千円を支払った中小企業経営者に「功五等位」から「功一等位」まで与えていた。厳密に言えば詐欺事件ではないが、総理府賞勲局がこれを問題視し、調査に乗り出した〉
また「賀陽邦寿」はこの後、
彼が会長を務める「時事新聞社社会事業団」という団体が、
全国の中小企業の社長や商店主に菊の紋章入り「経営褒華賞受賞資格推薦書」
というものを送っていたことも公になっている。
こちらも、受賞するためには一律5万円が必要であったという。
このように、旧宮家の人物がトップにいる団体が“賞”を送り、
その代わり金銭が必要になるという商売を行なったのは「賀陽邦寿」(かやくになが)だけではない。
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日本文化振興会なる団体の名誉総裁であった「梨本宮」の「梨本徳彦」(なしもとのりひこ)も、
同じようなビジネスに手を染めていた。
こちらも、表彰にあたって、対象者から多額の礼金を募るシステムは同じ。
「週刊新潮」(新潮社)85年8月15日・22日合併号では、
受賞にあたり50万円ものお礼金を出すよう仕向けられたとの証言が、
臨済宗妙心寺派興禅寺の住職からなされている。
この詐欺まがいの商法は長く続けられているようで、
「週刊新潮」2012年3月15日号に掲載されている、
作曲家・青島広志による連載コラム「ブルー・アイランド氏のクラシック漂流記」には
こんな記述が出てくる。
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ちなみに、01年から、この団体の名誉総裁は、伏見宮家の「伏見博明」になっている。
〈日本文化振興会というところから連絡があって、あなたに賞を差し上げることになりましたと言われたら、喜ぶべきなのだろうか。(中略)箔押しの封筒が届いた。授賞式の知らせかと思って開けると、これが驚いたことに寄付金の要請なのである。
曰く「民間の国際文化交流団体であり、会員や受賞された各先生方のご協賛を頂き運営」しているのだそうで(中略)しかも念の入ったことに「平均的な協賛金は50万円となっておりますが、ご事情もあるかと思いますので、一括でなくとも可能でございます」と書かれており、封筒の中を見ると、何と大手有名銀行銀座中央支店の口座を記した用紙までが入っていた〉
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また、話は「梨本徳彦」に戻るが、
彼は日本文化振興会の名誉総裁を退いた後も詐欺まがいの報道にたびたび登場する。
「FRIDAY」(講談社)04年3月5日号では、
元本保証と高配当を約束して焼却炉販売事業への出資を募り約1000人から10数億円を集めたものの、
配当未払いを理由に詐欺や出資法違反容疑で警視庁に告訴されたNPO法人・やまびこ会の
名誉総裁に梨本宮家「梨本徳彦」の名前があったと報じられた。
このNPO法人をめぐる一件では、
法人の代表理事ら4名が詐欺容疑で逮捕されるという事態にまで発展している。
また、その2年後、「週刊新潮」06年2月23日号では、
伊勢神宮の灯籠を建て替えるとウソの話を出し寄付を募っている団体の名誉総裁に、
またしても「梨本徳彦」の名前があったとの報道がなされた。
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森暢平さんという方がサンデー毎日に掲載してらした「社会学的皇室ウォッチング」
の記事が、旧宮家の社会問題に対して、素晴らしい記事を書いてらっしゃるので、
ちょっと使わせていただきます。
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旧宮家皇族は戦後、
「万が一には、皇位を継ぐべきときが来るという自覚」を持って暮らしていた――。
「旧宮家養子案」を推す人たちはそう主張する。
「東久邇稔彦」(ひがしくになるひこ)
「久邇朝融」(くにあさあきら)の例で見てきたように、
これは歴史の歪曲である。(このお二人の記事は後ほど紹介する)
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今回はもう一人、政治の世界に飛び込もうとした
「賀陽邦寿」(かやくになが)の破天荒ぶりを取り上げる。(一部敬称略)
「邦寿」(くになが)(1922~86年)は陸軍士官学校を卒業後、
ジャワ、スマトラなど南方の戦地体験もある旧軍人だ。
1945年の敗戦時には大尉で23歳。翌年、一念発起して京都帝大経済学部に入学する。
実は邦寿は43年、昭和天皇の三女、和子(孝宮)と結婚の内約をした。
だが、敗戦と変革のなかで、和子に中等教育を受けさせる必要から婚約は白紙に戻された。
邦寿も在学中、京都・祇園の茶屋「万イト」の芸妓(南洋子)と恋仲になった。
そうした相手がいるにもかかわらず、邦寿は48年、旧佐倉藩主の堀田家の娘と婚約した。
だが、邦寿の行状を知った堀田家がこれを解消した。
邦寿は49年春、京大を卒業し、短期間であるが東京銀行、国土開発に勤務した。
しかし、長く続かなかった。
女性関係では、洋子を身請けし、東京に連れてきた。
しかし彼女は52年、結核で亡くなる。
悲しい純愛物語と思いきや、洋子が亡くなる前から別の女性とも付き合った。
都内・深川の料亭の娘、長島まり子である。
さらに、51年には、政治家、津雲国利の二女龍子と結婚する。
津雲は当時、公職追放のため議席はなかったが、有力政治家だ。
つまり、元芸妓、料亭の娘、政治家の娘と3人の女性と同時に関係したのである。
邦寿はのち「南洋子さんとか、長島まり子ちゃんは、まあガールフレンドだね。(略)流れに逆らわず、自然に生きてきた」とお気軽なコメントを残す(『週刊新潮』85年2月14日号)。
邦寿の父・恒憲と津雲が知り合いで、
資産家でもある津雲からの経済支援をあてにした側面はある。
邦寿と龍子は、実質的な夫婦関係もないまま、55年に離婚する。
これも、父への反発だと見ることもできる。
ただ、邦寿は「私を代議士にするということで、その〝政略結婚〟に乗ったんです」(『週刊文春』74年1月7日号)、
「政治をこころざすぼくが、津雲さんに近づいたのだ、とも一面において、いえる」(『女性自身』69年4月21日号、原文では津雲は「S」と表記)とも吐露する。つまり、政治家への野心のために、津雲父娘を利用したと正直に認めるのだ。
邦寿は、兵庫県西宮市を生活の基盤とし、
大阪化成、広瀬製作所、源利製菓など知人の事業で顧問料をとった。
名義貸しビジネスである。
日本習字教育連盟総裁、子どもを交通事故から守る黄色い帽子の会会長など多くの団体のトップとなった。
最も問題になったのは、日本積財会顧問への就任である。
日本積財会は、曹洞宗の信徒らの支援のもとに、不動産、株式に投資し、
寺院建設、社会事業を行うとして、地方の資産家からカネを集めた闇金融だった。
実体はない詐欺行為で、54年に群馬県警が理事長らを逮捕した。
邦寿は、肩書を与えられ、カネ集めに利用された。
事件では、邦寿に対する損害賠償訴訟も起こされた。
直接事業にかかわっていなかったため請求は棄却されたが、
「宮様」の威光を信じて投資した人に道義的な責任は残るだろう。
邦寿が国政に挑戦したのは46歳だった68年の参院選全国区。
旧陸軍元将校らでつくる偕行社、
妙見宗・念法眞教・トゥルース教など新宗教票を頼りに、自民党に公認申請した。
しかし「落選したらどうなるかも考えねばなるまい」「(応援を)集中しなきゃならんだろう」(『週刊文春』68年6月3日号)などの理由で公認を得られなかった。
諦めきれない邦寿は「超党派無所属」を名乗り、立候補する。
邦寿の政見は「靖国神社の国家護持に、国民のみなさんが反対であろうハズはない」(前出『週刊文春』)と言うように、旧軍人らしい国家主義に基づく。
政治評論家、藤原弘達は「宣伝方法いかんでは、大量得点の可能性もある」(同)と当選を示唆した。
当選ラインは約60万票。
だが、蓋を開けると、法定得票をわずかに上回る14万2077票を得たのみで、
67位の惨敗だった(当選は51位まで)。
石原慎太郎、青島幸男、横山ノックら知名度のあるタレント候補が大量得票するなか、
旧皇族の邦寿は古臭く見えた。
邦寿は71年も全国区での出馬の準備をしたが、また自民党から公認を得られなかった。
74年も立候補しようとしたが、自民党にまたも振られ、公明党の門をたたいたがこちらも断られた。
政治への道はこれで断念する。
邦寿はその後も問題を起こす。
76年、邦寿が会長となった日本経営功労者顕彰委員会が、
功一等から功五等の民間勲位を売り出して問題になった。
新聞にたたかれて(『読売新聞』76年12月20日夕刊)、
一度はやめたものの翌年に再び、
邦寿が会長となった「時事新聞社社会事業団」が同じビジネスを行って物議をかもした。
邦寿は結局3回、結婚・離婚を繰り返したが、子はいなかった。
弟が5人おり、銀行マンだった章憲(29~94年)の系統だけに若い男子が2人残る。
未婚のため、愛子さまの結婚相手候補だと根拠のない噂が女性誌に書き散らかされる。
もし邦寿が、賀陽家の系統に皇位がめぐる将来を想定していたら、
行動をもっと慎んだのではないだろうか。
破天荒さを確認するにつけ、自覚はゼロであったと断言せざるを得ない。
邦寿は86年、63歳で亡くなった。
『週刊新潮』(5月1日号)は「(宮内庁は)さぞやホッとしている」と失礼なことを書く。
ただ、トラブルの数々を見れば、それもやむを得なかったかもしれない。(以下次号)
(成城大教授 森暢平)




