北白川宮
(25)【北白川宮】
(智成親王)(さとなりしんのう)(1856~1872)・伏見宮邦家親王・第13王子、
聖護院宮の創設は、1868年(慶応4年・明治元年)、伏見宮邦家親王の第二王子である嘉言親王が還俗し、名乗ったのに端を発する。由来は、親王が出家した聖護院。親王が薨去したのちは、弟の智成親王が宮号を継承したのち、北白川宮に改称。薨去後は兄の能久親王の直系に継承される。
1947年(昭和22年)10月14日、5代・道久王の代で皇籍離脱。道久王に男子がいなかったことから、2018年(平成30年)10月20日、その逝去をもって断絶。
北白川宮智成親王(きたしらかわのみや さとなりしんのう、安政3年6月21日(1856年7月22日)- 明治5年1月2日(1872年2月10日))は、江戸時代末期、明治時代初期の日本の皇族。北白川宮初代当主。伏見宮邦家親王第13王子。幼称は泰宮。
万延元年(1860年)孝明天皇の猶子となり、聖護院門主雄仁法親王(後の聖護院宮嘉言親王)の附弟となる。慶応2年(1866年)2月に親王宣下を蒙り智成親王と命名される。同月聖護院に入り、得度して信仁入道親王の法名を名乗る。慶応4年(1868年)明治維新に際して還俗し智成親王に戻る。はじめ、照高院宮を号し、後に聖護院宮を継承。明治2年(1869年)三品に叙品。明治3年(1870年)宮号が聖護院門主と紛らわしいとの理由から北白川宮に改称する。明治5年(1872年)正月没、享年17。遺言で異母兄の能久親王が北白川宮を相続した。




