GHQの謎②
GHQは皇族を貧しくしようとは思っていなかった。
逆に本来なら与えられないはずの、皇籍離脱一時金を受け取れるようにアドバイスまでしている。
皇籍離脱するのは、新憲法が成立した後にするよう、
法制局と協議したほうがいいとアドバイスしたのは、GS(民政局)であった。
GSは皇室に大変好意的であり、
GHQは旧宮家に皇籍離脱を促さなかった。
皇室離脱を決めたのは旧宮家自身であった。
新憲法発布の2ヶ月前1947年3月6日付け、
旧宮家が皇籍離脱を願い出た情願書というものがある。
伏見宮朝子、博明、光子、
賀陽宮恒憲、
久邇宮朝融、俔子、静子、
梨本宮守正、
朝香宮鳩彦、
東久邇宮稔彦、北白川宮房子、祥子、
竹田宮恒徳、閑院宮春仁、東伏見宮周子の15人分である。
1人を除くと、印刷された宮内省起案の書面の最後に署名が書かれる。
「最近の国情に鑑み今後わ(ママ)皇族の身分を離れ、宗室の外に在って皇運を輔け世務に尽したいと思います。茲に謹みてこの情願を容れ給わむことを冀います 昭和二十二年三月六日」
2カ月後の5月3日、新憲法が施行される。
ここに
有識者会議事務局が作成した報告書がある。
旧11宮家の「皇位継承順位表」の非歴史性に対する強い批判が展開されている 。
事務局は、2021年のヒアリングにあたり、旧皇族26名の「仮の継承順位」を示す表を作成し、
あたかも山階宮武彦(第7位)を筆頭とする整然とした継承順が存在していたかのような説明を行った 。
しかし、戦前の旧皇室典範下において極めて厳格に適用されていた
「嫡庶の区別(正妻の子を優先し、側室の子を排斥・後回しにする)」
という歴史的ルールに照らせば、
貞愛親王の直系嫡流である伏見宮博明(当時、有識者会議が31位と位置づけた人物)こそが、
本来の「第7位(旧皇族最優先)」になるべきであった 。
戦後の新皇室典範が庶系の継承権を認めなくなった際、
他の宮家からの大反発が起きなかったのは、
彼らがどのみち直ちに皇籍を離脱することが前提(既定路線)であったためであり、
政府も一時的に附則に「みなし皇族」という便宜的特例(嫡系嫡出とみなす)を置いて処理したに過ぎない 。このように、戦後の法解釈と戦前の伝統的ルールを都合よく繋ぎ合わせ、
歴史的整合性を無視した「順位表」をでっち上げることで、
保守派の要望に沿った「旧宮家養子案」へ誘導しようとする政府側の議論構築プロセスには、
学術的な不誠実さが残る
情願書には、日付が5月1日になっているものもあったが、事情は後述する。
GHQ(連合国軍総司令部)は、離脱する11宮家に多額の一時金が支出され、
それが新しい国会の審議を経ないことを問題視した。
明治憲法下での離脱にストップをかけ、
5月3日以降、国会で審議してから離脱一時金を決めることを求めた。
それでは、なぜ、旧宮家は皇室に残ろうと思えば残れたのに皇籍離脱を選んだのでしょうか。
「東久邇宮」や「賀陽宮」のように、戦争責任を感じてのことなのか。
残念ながら、そうではない。
旧宮家は戦争責任を回避するために、皇籍離脱したのだろう。
天皇陛下のご意向が、旧宮家の皇籍離脱だったのをいいことに、
家屋敷付きで、一般人に転身し、戦後も生きようと思ったのだろう。
旧宮家の皇族は皆こぞって「戦争責任」から逃げ出した、というのが実情だろう。
当時、旧宮家は今上陛下とあまりにも男系血縁が遠かった。
ゆえに、この敗戦を機に、皇室を離れてはという意見は前々からあった。
伏見宮系は皇籍離脱をしてはどうか、
という話は宮内省内に敗戦のずーと前からあったという事です。
当時の皇室会議の様子を緊急法制調査会幹事宮内省出仕「上尾亮一」がこのように述べている。
「当時、皇族籍を離脱する線というのははっきりしておりました。当時、皇籍離脱なさいました方は、現在の天皇陛下から見て、三十数代の親等を隔てておりまして、非常に遠い。ところが、その他の方は極めて近い親等でございます。一線をどこかで引かなくてはならないとすると、この線以外の方法が見つからないという事情にあったわけでございます」
このように皇室内部で、どの家を皇籍離脱させるかという事は、当時何度も話し合われていた。
「GHQより強制された」とか
「特権を剥奪され、高額の税をかけられた」とか、
「現金がなく、物納せざるをえなかった」とか、
「財産税を払えず困窮をきわめた」とか、
そのような話はなかったということです。
昭和21年5月23日、
確かにGHQは『皇族の財産上の特権剥奪に関する五・二一付覚書」を発表した。
俗に言うscapin1278とscapin1360のGHQ命令書の事だ。
しかしながら、後世、このGHQ命令書が、旧宮家に対するGHQの具体的な皇籍離脱圧力の証拠だとの主張があるが、残念ながら、ネットではどこを探しても原文が見つからない。
さらに不思議なことに具体的に内容をようやくしてる解説なども皆無である。
ゆえに、私の勘ですが、この命令書がGHQによる皇籍離脱圧力だとの主張は間違いであると思う。
なぜなら、本当にそうなら、多くの保守学者がこぞって原文を発表してるはずだからである。
これらの命令書は、皇族の財産調査が行なわれ財産税が課せられるという、いわゆる皇族財産に対する規制命令であって、皇族身分に関する干渉ではないのだろう。
さて、14宮家のうち「秩父宮」「高松宮」「三笠宮」の直宮家を除く11宮家51人が、
22年10月13日をもって皇籍離脱した。
しかし、そこで軍籍のあった11人を除いた40人の皇族に対して、
上記総額4,747万円の一時金が支給された事はあまり表には出てこない。
多くの男系男子論者はこの離脱一時金の事にほとんど触れません。
確かに元皇族は免税特権を失い、翌年以降莫大な固定資産税を徴収されるようになりました。
しかし、住んでるお屋敷が都内の一等地ならば当然です。
払えなければ身分相応のところに引っ越せばいいのです。
事実、多くの宮家は西武グループに土地を売ったり、国に貸したりして、莫大な資金を得ています。
旧宮家の皇室復帰を訴える人たちは、
これら旧宮家が皇籍離脱したときに、保有していた土地財産について、
どう考えているのでしょうか、返却させる気はあるのでしょうか。
まさか保有したまま皇籍離脱したのだから売って当然だとでも考えてるのか。
当時、日本全土は焼け野原で、空襲で家を失った国民は多数いたのに、
そんな国民には、1銭の補償もなされなかった。
今、旧宮家の皇籍復帰が叫ばれている。
しかし、戦後、11宮家の皇籍離脱が決まったとき
「貞明皇后」(大正天皇の皇后)が以下のように仰った。
『これでいいのです。明治維新この方、政策的に宮さまは少し良すぎました』
もし旧宮家の子孫が皇族に復帰するとしたら、
彼等が譲り受けた家屋敷は皇室に返却せねばならない。
竹田恒泰さんにはぜひ聞いてみたい。
旧宮家は、戦後、資産売却した金で、どんな資産運用をしてたのだろうか。
そこも彼等が皇籍復帰するなら、全て明かにせねばならないだろう。
それぞれ旧宮家の戦後の杜撰な資産運用については様々なメディアで取りざたされている。
旧宮家をGHQに身ぐるみ剥がされた気の毒な一族だと思っている国民は多いが、
実態は全然違うのではないだろうか。




