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伏見宮と天皇家  作者: やまのしか
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カペー朝と伏見宮の謎①

皇位継承問題をどう解決するか?

巷では暴論愚論が飛び交ってるが、その中でも特に声が大きいのが「旧宮家男子の養子案」である。

戦後、皇籍離脱した旧11宮家を対象としたこの案だが、残念ながら致命的な欠陥が幾つかある。

まず一つ目は側室制度がない現代において、旧宮家から数人の男系男子を皇室へ養子で入れたとして、果たして、それであと何世代、男系を伸ばす事ができるのかという問題だ。

旧11宮家のうち「山階家」「梨本家」「北白川家」「閑院家」「東伏見家」の5家は、もう既に男系が絶えている。

「伏見家」は1932年生まれの「伏見博明」当主しか残っていない。

ゆえに今でも実質的に男系が男子で継がれているのは、

「朝香家」「竹田家」「賀陽家」「東久邇家」「久邇家」の5家だけである。

戦後70年で11家中6家の男系が絶えているという現実を見ると、残りの5旧宮家も遠からず男系が途絶えてしまうだろうと想像してしまうことは普通である。

2022年のデイリー新潮の記事に「現在、旧宮家の男系の血を引く子孫には、少なくとも10人の独身男子がいるとされます。内訳は、久邇家と竹田家に一人ずつ、賀陽家に二人、そして東久邇家の系統に6人というものです」(先の宮内庁関係者)というものがあった。

仮に彼ら全員を現宮家の養子に入れる事が出来たとしても、それであと何代男系が続くというのだろうか。

一夫一婦制の確立した現代では結局、旧宮家男子の養子案は焼け石に水なのではないだろうか。

私には旧宮家からの養子を現宮家に何人入れようが、結局、男系を続けるには無駄な努力のように思えてならない。

しかし、こう言うと必ず「フランスでは一夫一婦制で、800年もカペー朝が続いたじゃないか」と反論する人達が出てくる。

確かにフランスではカペー朝が庶系継承なしで西暦987年から1789年のフランス革命まで続いた。

更に男系血統という括りで言えば現在のスペイン王家やオルレアン家もカペーの男系なので、なんとユーグ・カペーを祖とするカペー家男系の血統は現代まで1000年以上も続いている事になる。

しかし、ちょっと待った。

カペー家と天皇家の皇位継承方法は中世において同じだったと言えるのだろうか?

カペー家では、ヴァロア家、ブルボン家という分家に王位を移譲するというやり方で男系継承を繋げてきたわけだが、ヴァロア家、ブルボン家は日本でいうカペー家の「世襲親王家」ではなかった。

ヴァロアとは地名で、フランス・ベルギー国境に位置する「オー=ド=フランス地域圏」の南部の小さな郡の名称である。

1214年、カペー朝・第7代フィリップ2世がヴァロワを王領に加え、

1284年、カペー朝・第10代フィリップ3世がヴァロワ伯の称号と領地を末息子のシャルル王子に与えた。

1328年、カペー朝男系が断絶した時、ヴァロワ伯シャルルの子フィリップ6世が、諸侯の推挙により王位を継承、これがヴァロワ朝の始まりである。

中世における天皇とフランス王の継承の大きな違いはカペー家の後を継いだ「ヴァロア家」はヴァロア領主で「独立した家」であったという事です。

つまりヴァロア家は天皇家におけるスペアである「○○宮家」のような存在ではなかったということです。

敢えて日本流に例えれば「ヴァロア家」は平安時代における「平将門家」のようなものであったといえるでしょう。

カペー朝第15代シャルル4世からヴァロワ家フィリップ6世への王位移譲は、

朱雀天皇から平将門への皇位移譲のようなものと例えることができるわけです。


※ヴァロワ伯シャルルはフィリップ4世の実弟です。


フィリップ3世→フィリップ4世→シャルル4世

フィリップ3世→ヴァロワ伯シャルル→フィリップ6世


これを見ると、シャルル4世からフィリップ6世への継承(カペーからヴァロアへの継承)は4親等継承。

いわゆる従兄弟継承です。

一方、仮に朱雀天皇から平将門への継承があったとすれば、11親等継承となります。

※平将門は桓武天皇5世孫であり、朱雀天皇は桓武天皇の六世孫です。


桓武天皇→嵯峨天皇→仁明天皇→光孝天皇→宇多天皇→醍醐天皇→朱雀天皇

桓武天皇→葛原親王→高見王→平高望→平良将→平将門


ちょっと遠すぎる継承のように思えますが、第26代継体天皇の継承は第25代武烈天皇からの10親等継承ですから、11親等継承は許容範囲ではないかと思えます。


応神天皇→仁徳天皇→履中天皇→磐坂市辺押磐皇子→仁賢天皇→武烈天皇

応神天皇→稚野毛二派皇子→意富富杼王→乎非王→彦主人王→継体天皇


ところで、歴代フランス王位の継承では21親等継承という前例もあります。

ヴァロワ朝からブルボン朝への王位継承です。

ブルボンは地名でブルボネと発音し、現在のアリエ県の事で、フランス中央部の小地域です。

1272年、ブルボネの女領主「ベアトリス・ド・ブルゴーニュ」が、カペー朝第10代王フィリップ3世の実弟「クレルモン伯ロベール」と結婚し、2人の間に生まれたブルボン公ルイ1世が、現在のブルボン家系の祖となります。

つまり王家カペー家から地方領主ブルボン家へ入婿したわけです。

これを敢えて日本の前例に例えますと、東山天皇の孫が鷹司家へ養子で入ったパターンに似てると言えるのではないでしょうか。

ブルボン家アンリ4世のフランス王位継承の場合、ヴァロワ家アンリ3世と血統が21親等も離ています。


「カペー朝第9代王ルイ9世」→「フィリップ3世」→「ヴァロワ伯シャルル」

→「ヴァロワ朝フィリップ6世」→「ジャン2世」→「シャルル5世」

→「オルレアン公ルイ」→「アングレーム伯ジャン」→「アングレーム伯シャルル」

→「フランソワ1世」→「アンリ2世」→「アンリ3世」


「カペー朝第9代王ルイ9世」→「クレルモン伯ロベール」→「ブルボン公ルイ1世」

→「ラ・マルシュ伯ジャック1世」→「ヴァンドーム伯ジャン7世」→「ヴァンドーム伯ルイ1世」

→「ヴァンドーム伯ジャン8世」→「ヴァンドーム伯フランソワ」→「ヴァンドーム伯シャルル」

→「ヴァンドーム伯アントワーヌ」→「アンリ4世」


1589年、ヴァロワ朝・第13代王「アンリ3世」が暗殺され、ヴァロワ家男系は絶えました。

するとカペー朝第9代王「ルイ9世」まで男系をさかのぼり「ルイ9世」の息子でカペー朝第10代王「フィリップ3世」の弟「クレルモン伯ロベール」へと繋ぎ、ロベールの子孫の系統を10世代下って、21親等離れた「アンリ4世」に王位継承が行われました。

「クレルモン伯ロベール」はブルボネの女領主ベアトリスと結婚し、王家からの婿養子を迎えたブルボン家は、カペー朝の王位請求権者を輩出できる家になったのです。

フランスには世襲親王家などはありませんが、ブルボン家はフランス王の男系の血を引くブルボネ領主とななり、代々王位継承資格者となったわけです。

日本でも平安以前は賜姓降下で地方に下った元皇族が多くの皇別氏族となり各々独立し豪族となりました。

その中、清和源氏などは一派の河内源氏4代目清和天皇7世「源義国」を輩出し、河内源氏・義国流・足利氏・本宗家8代目棟梁・足利尊氏を輩出しました。

足利尊氏は清和天皇15世孫です。

新田義貞も「河内源氏義国流新田氏総本家8代目棟梁」で清和天皇15世です。

どちらもフランスであれは王位継承資格者になります。

このように天皇家もフランス王家も中世までは似たような形態で栄えていました。

フランスと日本の継承方法が大きく違ってきたのは、中世以降、天皇家が賜姓降下を止めた時からです。

カペー家は王家の男子に領地と爵位を与え続けましたが、天皇家は鎌倉時代以降、分け与える領地がなくなってしまったため、世襲宮家という制度を作って、当主以外の皇子を門跡年出家させる方針をとりました。

この違いが天皇家とカペー家の男系子孫数の違いとなっていったのです。


室町時代、天皇家には皇位継承者の確保を目的として宮家という制度を確立していった。

そして、それは、時代と共に世襲親王家として進化した。

当主以外の男は出家させ男子の数を調整した。

その結果、天皇の男系は細り、世襲親王家の男系血統は代々薄れていった。

ゆえに、天皇家は世襲親王家の男を親王宣下という儀式を使って、代々、実子とみなした。

しかし世襲親王家は新たに皇室から皇子を養子に入れ、皇統の正当性保つという方法もあったはずである。

しかし世襲親王家はその家の実子による実系継承を望んだ。

ここに701年以来大宝律令による四世孫以内に保つという皇位継承の原則は形骸化した。

そして現世代の伏見宮系は祟光天皇20世まで遡らねば天皇の男系の血は繋がっていない状態となった。

現代の天皇家の皇位継承者不足の原因はここにあるわけです。

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― 新着の感想 ―
思想ありきで語り始めてるから、前段で自分がした話がまるっきりそのまま返ってくるようなハチャメチャな文になってしまっている。
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