いちばんの救い
いい予感が当たることなど一つもない。
当たるのは、いつだって悪い予感だ。
白炎の様子がおかしいことに気が付いた僕は、彼に駆け寄った。
すると、右胸――ちょうど心臓の辺りが陥没し、血が溢れだしているのを跡を見つける。
そんな血だまりの中心に輝くのは――銀の十字架。
白炎は自らの胸を殴り、無理矢理心臓に銀の十字架を押し込んだのだ。
「どうして――」
どうしてあの時、僕は律儀に十字架を元あった場所に戻したのか。こうなる可能性だってあった以上、それは考慮しておくべきではなかったのか。
完全に――思い上がっていた。説得に成功したのだと。
勘違いも甚だしい。
結局、僕の説得は白炎に届いていなかった。
考えてみれば説得ですらない。ただ希望的観測を並べただけの、戯言。
彼の絶望と喪失感を拭い去るには、程遠かった。
彼は自らの救いを見いだすことが出来なかった。
結局誰も――吸血鬼の呪縛に、打ち勝つことはできないのか。
「勘違いするな人間」
白炎は、肩で息をしながら言った。
「言っただろう、お前を信用すると。娘を頼むと。……お前の言いたいことは分かる。吸血鬼の呪縛を断ち切るには、俺が生き延び、燈火が体を取り戻し、そして二人で自殺せずに生きていく――お前はその可能性に救いを見いだしたのだろう。だがな、俺はもう吸血鬼そんなの呪縛ものなんぞに娘を関わらせたくないんだ。死んでも死ねない苦しみから解放されたのに、またそんな運命と立ち向かわせる――そんな残酷な事があってはならない。だったら娘が、体を取り返した時――自由に生きれるようにしてやりたい。吸血鬼の呪縛なんて悩むことなく、自由に生きてほしいんだ」
我が子の幸福が、親にとっての一番の救いだろ、と。
白炎は笑いながら言った。
燈火は相変わらず、毅然とした表情で父を眺めていた。
その瞳は真っ直ぐで、決意に満ち溢れている。
「いいか、燈火」
白炎もまた、真っ直ぐな視線で燈火の方を向いた。
「吸血鬼であったことなど忘れろ。もしお前が体を取り戻せたら、好きなことを見つけて、やりたいものを探して――自分のために、自由に生きろ。死ぬ瞬間、ハッピーエンドだったと胸を張れるような、そんな生き方をしてほしい」
燈火は、ゆっくりとしゃがんで、父に視線を合わせた。
「……ありがとう、お父さん」
そんな燈火の囁きが聞こえたのだろうか。
事切れる寸前、白炎は静かな微笑みを浮かべていた。
柔らかい風が、僕の背後から吹き抜ける。
それは瓦礫の間を通り過ぎ、小さな灰を運びながらどこかへ消えていった。
暗雲はもう、どこか遠くへ去っていた。