夏のデート
夏祭りの翌週、東のターミナル駅に近い映画館へ行ったのが初デートだった。
意外なことに春くんが、アクション映画を好きらしいと知る。
「絶対に真似のできないヒーローって、かっこいいし」
『子どもの頃は特撮ヒーローも、よく見たなぁ』とか言いながら懐かしそうな顔で春くんは、上映待ちのロビーに貼られていた、子ども向け映画のポスターを指先で撫でる
「保育園で、ヒーローごっことかした?」
私が通ってた保育園では、毎日のように男の子達が戦ってたなぁ、って思い出す。
「俺が通ってたのは、企業内保育所っていうのかな? 親の勤め先に付属してた小さい保育所でさ。同い年の男子って、三人くらいしか居なかった気がする」
「尚太くんも、そこに行ってたの? お父さん同士が一緒の職場なんだよね?」
「いや。お母さんの勤め先の方だったから……」
春くんのお母さん、看護師さんらしい。夜勤もある仕事だから、それに対応するための保育所だったんじゃないかな? って、彼は言っている。
そうか。看護師さんの子どもって、夜に保育所へ行ってることもあるんだ。
「ハルちゃんこそ、アクション映画見るなんて、意外」
「そう?」
「ファンタジーとかSFを見てそう」
ほら、HALってコンピュータの出てくる奴とかって言われて。そういえば、そんな話を前にしたなぁって、思い出す。
「うちは、両親が映画好きなのよね」
「へぇ。じゃあ、子どもの頃とか、一緒に行った?」
「夏休みには、毎年」
さすがに男の子向けな特撮映画は見なかったけど。モンスターを捕まえながら旅をする話とか、日本を代表すると言われるアニメ会社のシリーズとか。アニメ映画もそれなりに見たなぁ。
映画館に行くだけじゃなく、テレビ放映で見たのもあれば、レンタルショップのお世話になった作品もあった。
なかでも、
「魔法学校のシリーズは、はまり込みすぎてね」
十二月の誕生日とクリスマスのプレゼントとして、足かけ四年をかけてDVDを買い揃えてもらった。
「ああ、あれ?」
春くんが、テーマソングを口ずさむ。
さすが。
一作目なんて、私たちの生まれる前の映画なのに。完璧。
「中学生の時には、大阪にあるテーマパークまで連れて行って貰ってね」
「……すっごく混むって、あそこ?」
「そうそう」
あの時はなにをとち狂ったか。
魔法の杖とか、お土産に買ってしまったって話すと春くんは声を立てて笑う。
笑いすぎて、目尻に浮かんだ涙を指先で拭う。
その仕草になぜか。
ドキドキして、目を逸らす。
「そういえば、初めて原書を読みたいって思った話だったなあ」
ドキドキを誤魔化して。無難な思い出話へと方向転換。
「もしかして、それがきっかけで英文科?」
「まあね」
「そうかぁ」
うーん。すごいなぁ。って、春くんが呟いた。その声にかぶせるようにして、上映時刻の十分前になったとアナウンスがながれる。
「すごい?」
「うん。すごい」
改札に向かう人たちの後ろに並びながら、何気ない感じで手を繋いだ春くんは、
「俺は、今までそんなにはっきりしたきっかけとか、なかったから……」
ちょっと恥ずかしそうな声を出す。
「なんとなく社会科には、興味がないな……って、理系」
「数学が苦手だったって理由もあるから、そんなにすごいきっかけでもないと思う」
「お父さん、化学系じゃなかったっけ?」
「ええっと。確か、生物系だったと……」
そんな話、よく覚えてるなぁ、って……未来の同業者だもんね。
「お母さんは、完全に文系だよ」
生物系の大学へ通っている妹と父の会話は、チンプンカンプンだって言ってた。私も、よく分からないけど。
そんな風に互いのことや、家族のことばかり話してたわけじゃなくって。
映画の後は、クレープを囓りながらさっきの映画の感想で盛り上がる。
『あそこのカーチェイス、凄かったよなぁ』『最初に出てきた敵のヘリが……』なんて話をしてる春くんは、いつもより口数が多くって。
そのはしゃいだような声を聞いていることが、なんだか映画そのものよりも楽しくなってきてしまう。
良かった。
春くんと、一緒に来て。
そして、世間はお盆休み。
父方の祖父母の家に家族で出かけたついでに、今ちゃん先輩の実家の喫茶店にもお邪魔して、コーヒーを楽しむ。
妹は『ここは、チーズスフレが最高』って言うし、コーヒーの飲めない父はいつものようにオレンジジュースを飲んでたりするけど。
ここのコーヒーは、
どこの店よりも絶対においしい。
だからいつか。
春くんも、連れてきてあげたいな。
『もう一泊くらいしたら?』って引き止める母に、“友達”との約束をちらつかせて、自宅へと帰る。
実家に泊まっても明日の花火デートには、間に合うと思うけど。浴衣を着るつもりだから、なるべく余裕をもって支度がしたい。
花火の前に、軽く食事もしようって話になってるし。
二度目の浴衣は、少し慣れたからかスムーズに着れた。髪も良い感じでまとめられて。
気分よく下駄を鳴らして、ターミナル駅へと向かう。
尚太くんには悪いけど。
良いお天気になって、良かった。
早めの夕食は、駅前のファストフード店で軽く済ませて、花火会場になる楠姫川を目指して、そぞろ歩く。
「珠世たちと、どこかで会うかな?」
花火の会場へと向かうらしき人たちの流れに、来ているはずの友人たちの姿を探してしまう。
「どうだろう? けっこうな人出だから、気づかないんじゃないかな?」
「気づいたら、ドラくんがわーって声を掛けてきそうね」
『確かに……』って、苦笑した春くんが
「邪魔はしないでほしいな。正直言って」
って、繋いだ手にキュッと力を込めたから。
“邪魔”って言葉に妙な実感が伴って……顔が熱くなる。
赤くなってるだろう顔を誤魔化そうと、春くんの逆側。コンビニの駐車場の方を見る。
あれ? 尚太くん……だよね
尚太くんらしき人物は、涼しげなワンピース姿の女の子二人に、レジ袋を広げて見せている。袋からそれぞれが、アイスを取り出したのが駐車場のこっちからでも見えた。
ほー。尚太くんってば。
『俺が行くと雨が……』とか言ってたくせに。
こっそりと、楽しんでるじゃない。
春くんは、気付いたかな? って見上げたら、思いっきり目が合う。
驚いて飲み込んだ息が、しゃっくりになって飛び出す。
「ハルちゃん?」
「ごめ。だい。じょ……ぶ」
背中をとんとんと、叩いてもらったけど。
「は、るく、ん。それ、なん、か違っ」
咽せたときの、対応だよ。それは。
なんて考えた私のこめかみに、温かいものが触れた。
え?
ええ!?
えええっ!
「ちょっと、春くんっ?」
「驚いた?」
キス、だったよね? 今の。
軽く屈むようにして唇で私に触れた彼は、作戦成功って顔をしている。
「しゃっくり、止まった?」
確かに、驚いたけど。
驚きすぎて……また、しゃっくり。
「ダメかぁ」
「う、でも、もう止、まるか、も」
ゆっくりと深呼吸を繰り返す。
また、出た。
うん? ちょっと、間隔が……あ、また。
しゃっくりと深呼吸を交互にしているうちに、だんだんとしゃっくりの間隔が広くなっていく。
その間ずっと、春くんは背中を擦ってくれていた。
会場になる河川敷は、既にかなりの人が集まっていて。
特に食べ物を売っている屋台が連なる遊歩道は、ラッシュ時の駅を思わせる混雑ぶりだった。
「お茶、買っておいてよかったねぇ」
「うん。アドバイスのお蔭様」
柏手を打った春くんが、宙を拝む。
春くんのお母さんが、『ちゃんと水分補給をしなさいよ』って、言ってくれてなかったら、私達は途中の自販機でお茶を買ったりしなかった。と、思う。
そしてたぶん。
この人ごみに気圧されて、お茶のためだけに屋台には並ばない。
屋台が並んだ辺りから、少し川の下流へ進む。遊歩道から河川敷へと降りる石段を降りようとして。
一段だけ先に降りた春くんが、指を絡めるように繋いでた手をずらした。
裾が乱れないように注意しながら、一歩。段を降りる。
慣れない下駄と砂利混じりの地面で、足元がぐらつく。
彼の方へと傾く重心が、繋いだ手に体重をかける。
「あ、ゴメン」
「ん。大丈夫だから。ゆっくり降りて」
下から支えるような手が、頼もしくって。もしかしたら、私をフォローするために繋ぎ方を変えてくれたのかな? なんて、思ってしまう。
幸せな誤解、かもしれないけどね。
河川敷には、三々五々と場所取りをしているグループがあって。
彼らの広げているレジャーシートに、ちょっと後悔。
なんとなく、立って見るつもりだったけど。座った方が楽だよね?
「ここら辺にしようか?」
春くんが立ち止まったのは、隣り合う三つのグループがなんとなく距離を置いて場所取りをしたがために空いたような空間だった。
川原石がゴロゴロしているのを蹴るようにして、軽く均した春くんがボディバッグからレジャーシートを取り出した。
「うそっ、持ってきてたの?」
「え? ああ、うん」
「すごーい」
思いつかなかったよ、私は。って、拍手をしている間に手早くシートが広げられて。
ありがたく、座らせて貰った。
「ハルちゃんは、すごいって言ってくれたけど。実は、航の入れ知恵」
って、種明かしをしながら春くんは、私が持ってきた虫除けスプレーを腕に吹きかける。
「今ちゃん先輩?」
「叔父さんが、家族連れでこの花火に来たことがあるらしくって。レジャーシートは必須ってさ」
「へぇ」
「でも、虫除けスプレーは盲点だった」
「虫刺されはね……特に私は、痕が残りやすくって」
「ああ、それは。女の子にとっては、嫌だよな」
父に似てしまったことで、一番嫌な所なのよね。
そんな話をしている間に、夕焼け空も褪めてきて。
最初の一発が打ち上がる。
初めて間近で見た打ち上げ花火の音と迫力に、魂を奪われる。
打ち上げの合間、静寂を肌で感じる。
夢のように過ぎた一時間。
いつの間にか、春くんに肩を抱かれていて。
終了を告げるアナウンスに、彼の体温を意識した。
「凄かったなぁ」
ため息のような声を漏らして、春くんの手がさりげなく離れていく。
「理屈は炎色反応だって、わかるんだけど。やっぱり、凄いなぁ」
「炎色反応?」
「ナトリウムイオンを燃やすと、黄色になる……」
「あー。なんか 高校の化学で習った?」
へえ。こんなところに、繋がるんだ。
春くんや父が学んできたことって凄いなぁ、なんて考えながら立ち上がる。少し残っていたペットボトルのお茶を飲み干す。
その間に春くんは、レジャーシートを片付けた。
周りの人たちの流れにのって、来た道を戻る。
遊歩道への石段を上がっていて、最後の一段。
あっと思った時には遅くって。
下前の裾を踏んでしまった。