浴衣でお出かけ
【ハルミンは、歩きスマホしないからねぇ】
家に帰って、スマホのスリープモードを解除すると、プレビューにユナユナからのメッセージが現れた。
メッセージアプリを開くと、トークルームでは私からの返信がないことが、話題になっている。
やり取りを辿ると、きっかけは春くんの【ハルちゃん居る? 既読件数が少ないけど?】ってメッセージらしい。
なんで、ピンポイントで私? って思いながら、『ただいま』のペンギンスタンプと一緒に【家に到着ー】のメッセージを送る。
直後に春くんから
【ハルちゃん、まだ帰ってなかったの!?】
とマンツーマンのメッセージが送られてきて。
なんだか微妙に……叱られた感がする。
【さっきまでは、バス停に居たから……】
言い訳っぽく見えるかな? って思いながら、送信。
【怒ってない?】
【怒るって、春くんに?】
それはやっぱり。
“ヤボ用、云々”に対してでしょうか?
【さっきの『カノジョにならない?』って話の直後から、ハルちゃんの既読が着いてなかったような気がするから】
うん?
見逃していた、マンツーマンのメッセージも遡る。
『調子にのった』って、言った後。平謝りしてるクマのスタンプが五個。
さらに、【ごめんなさい。怒ってる?】ってメッセージも送られていた。
これ全部、未読でスルーしたことになってたわけだ。
【あー、私も、ごめん。着信には気づいてたんだけど……】
【歩きスマホしないって?】
【だって、危ないじゃない?】
実際に危ない場面を、見たこともあるし。
スマホを見ながら歩いてた若い男性と、元気いっぱいに走っている保育園児くらいの男の子が、正面衝突しそうになって。
『ナントカちゃん、前を見て!』って叫んだお母さんの声で足を止めた男性が、不意を突かれたような表情で画面から顔を上げた。その足元で、男の子も竦んだように立ち止まる。
一瞬、息を殺すような間が空いた後、お互いにそろりと歩き始めて。
何事もなかったかのように、すれ違っていった。
あれは、中学校への通学路での出来事だったか。
家でその話をした時。
『危険のタネは人生のどこに落ちてるか、判らないからなぁ』と言いながら自分の左頬を撫でていた父は、若い頃に仕事で大きなヤケドをしたらしい。左頬には、その時の傷痕が今でも残っている。
そんな父の『どんなに注意をしていても、一瞬先は闇だよ』って言葉は、質量を伴って心に届いた。
だから私は、『これくらい、いいじゃない?』なんて、いい加減なことは、なるべくしたくないと思っている。
それはともかく。
【軽弾んじゃったって、反省してるから。許して?】
もう一つ、“ゴメンね”のクマスタンプがやってきた。
それに“軽弾んだ”なんて、まったく。春くんってば。
彼がまた作ったのだろう言葉に、テニスボールのように弾む、その姿を想像して。
頬が緩んでしまう。
結局、浴衣は実家の母と買いに行った。
母も学生時代を楠姫城市で過ごしていて、“東のターミナル”と呼ばれる駅前の、市役所近辺は手頃な遊び場所だったらしい。
そういえば、春くんが卒業した高校もこの辺りと聞いたような?
母や店員さんと相談しながら、黒地にアサガオの咲いた浴衣と、それに合わせた小物類も一式買って。着付けのDVDもオマケしてもらう。
『本番までに、練習しておくのよ?』って、念を押す母とはお昼ご飯のあとで西と東に別れる。
あ、しまった。
ヘアアレンジの相談にものってもらおうと、思ってたのに。
仕方ない。あとでネット検索かな。
初めてにしては、様になったかな? って出来栄えの浴衣姿を鏡越しに写して。宛先を慎重にチェックして、撮った写真を母に送信する。
【左前じゃない?】
母からの返信に、慌ててスマホで検索した画像と自分の姿を見比べる。
うん? 大丈夫……よね?
【撮ったの、鏡越しだよ?】
母の勘違いじゃないかな? って思うけど。自信がなくって。
ハテナマークを飛ばすシロクマのスタンプ付きで送ったメッセージに、【OK!】と躍る絵文字が送られてきた。
【気をつけてね】ってメッセージに見送られるようにして、下駄へ足を滑り込ませる。
日の入りには時間がある。
外はまだ、暑かった。
「おー、浴衣っ。カワイイなぁ」
いつものように遅れてきたドラくんが驚くのを見て、女子同士で突き合って笑うのは、ちょっとした照れ隠し。
「尚太くんが、雨を降らさなくって良かったね」
「夏祭りやから。神様の方が勝つに決まっとうやん」
珠世とそんなことを言ってる横で
「春?」
「何?」
「お前、知ってたんじゃねぇ?」
「は?」
「女の子たちが、浴衣で来るって」
『驚いてなかったのが。怪しい』と、春くんが尚太くんに追求されていた。
「知らなかったけどさ。来る途中に浴衣の女の子たちが電車に居たから、ハルちゃんたちももしかして? とは思ったかな?」
「ああ。そっか」
って納得している尚太くんの隣で、チラッとこちらに視線を寄越した春くんは、微かな笑みを浮かべる。
それは、秘密を共有した仲間の顔に見えて。
帯を締めた浴衣の胸元で一つ。
鼓動が跳ねたのを感じた。
この日は、尚太くんが通う大学の近所。厄除け八幡宮の夏祭りだった。
母が大学生だった頃には通称だった”学園町”が、十年ほと前に正式な駅名になったとかいう最寄り駅から、人の流れに乗るように神社へと向かう。
固まって歩いていたのに、いつの間にか土地勘のある尚太くんと珠世が並ぶように先頭を歩いてる。
そしてユナユナとドラくんの後ろ、最後尾をハルハルコンビでついていく。
「浴衣、有ったんだ?」
そっと尋ねる声に、隣を見上げる。
声に見合った柔らかい視線が、こちらを見下ろしている。
「まあ、ね」
「お母さんのを貸すより、絶対にこっちの方が似合ってる」
春くんの家に有る浴衣の柄なんて、知らないけど。
似合うって言ってもらうと、頑張って着付けをした甲斐がある。
「そうやって、まとめてある髪も可愛いし」
母にアドバイスしてもらったヘアアレンジも、正解だったみたい。
っていうか、ネット検索ではよくわからなくって。
母に助けを求めて、予定外に実家へと帰ったのは先週の日曜日だったんだけど。
何度見ても理解できなかった動画を、一通り眺めただけで、ちょいちょいっと仕上げて、解説までしてくれた母のスキルが、凄すぎる。
「ありがとう。そう言ってくれると、なんか嬉しい」
「リップサーブじゃないから。マジで思っているし」
ん?
「リップサーブ?」
「あー、サービス?」
「また、作った? 春くん語?」
「作るつもりは無いんだけどさ」
困った顔で空を見上げた春くんが、妙に幼く見える。
「サーブのことをサービスって言うこと、あるだろ?」
投げ上げるような仕草をした彼の左手に、見えないボールが生まれる。
そのままサーブの体勢……には、さすがにならない。
「あれは、サーブの複数形って説があるみたい」
「へぇ」
「他には動詞と名詞のちがいだとか」
気になって、調べたことがあるのよね。実は。
私としては、品詞の違いの方に納得したけど。
「さすが、英文科」
小さく拍手されて、恥ずかしくなる。
「こんなことくらいで……」
「いや、両親の友だちに外大卒って人がいてさ。その人が、すっごい言葉マニアだから。やっぱり文系って、そうなのかな? って」
この近所にある外大と聞いて、胃の上がズンと重くなる。
私、そこ。落ちたんだよね。
高校で私が通っていた英語コースには、この大学への推薦があったのだけど。クラスに二人って枠は、はっきり言って狭すぎた。
一般入試を受けたものの、残念な結果に終わってしまって。
滑り止めで受かった今の大学へと、進学していた。
心の整理は付けたつもりだけど。
やっぱり……悔しいなぁ。
お祭りは、思っていたよりも人に溢れていた。
「はぐれてしまいそう」
「スマホで連絡を取り合えば、いいんじゃねぇの?」
心細い声を出した珠世に、尚太くんが安心させるように言う。
「でも、誰かさん。歩いとったらスマホが鳴っても、反応してくれへんし……」
いや、そんな。
恨みがましく見ないで。
「尚太の言う通りだけどさ。一応、待ち合わせ場所を決めておけば?」
春くんの提案にも、珠世の困り顔は晴れない。
小柄な彼女は、人混みに埋もれると中々見つけてもらえないって言ってたっけ。
だったら……
「尚太くん、一緒に居てあげてよ」
この中で一番背の高い尚太くんに、目印になってもらったら、どうだろう?
「はいはーい。にゃんこペアの俺が一緒にいまーす」
尚太くんが返事をする前に、ドラくんまでが目印に立候補してきて。
「珠世。どっちにする?」
選択を迫るユナユナは、絶対に面白がってる。
「えー。うーん。尚太くん、かなぁ?」
あっさりと決まった目印役は、
「OK。じゃ、タマちゃん行こうか」
珠世を促して、鳥居をくぐった。
珠世の危惧は、あながち外れでも無かった。
手水舎を過ぎる頃には、隣の春くん以外は知らない人だらけになっていた。
「ハルちゃん。なんで珠世ちゃんと一緒に尚太を?」
本殿へのお参りを済ませたところで、さっきのやり取りを尋ねられる。
「珠世って、背が低いじゃない?」
「女子の中で一番小さい,かな?」
「そうなの。だから、背の高い尚太くんと一緒に居れば、お互いに見つけやすいかなって」
「あー。なるほど。そっかぁ」
納得したような相槌をうちながらも、唸るような声を出した春くん。
「春くんが一緒でも良かったのかな?」
「え? 俺?」
思いも寄らないって、吊り目が見開かれた。
「だって。ドラくんより春くんの方が、高いよね?」
「高いっていえば、高いけどさ。なんとなく、俺自身はハルハルコンビで……って思ってたんだけど?」
『ハルちゃんは、違った?』って尋ねられて。
無意識に珠世の隣から、春くんを遠ざけた自分に気付く。
「なんとなく、私も思ってた……かも?」
「やっぱり、気が合うんだ。俺たち」
そう言って笑った春くんにつられて、私も笑ってしまった。
『綿アメとリンゴ飴なら、どっちが好きか?』なんて話しながら屋台を見ていると、すれ違いかけた浴衣の子に
「陽望先輩?」
と声をかけられて。この呼ばれ方は、高校時代の……と思いながら、顔を向ける。
そこに居たのはやっぱり。テニス部の後輩だった、優花里ちゃん。と、その隣には彼氏らしき人物も……?
「え? 今ちゃん先輩?」
どこから見てもデートの雰囲気で、手なんか繋いでる。
「あれ? 春たちも来てたんだ?」
照れるでもなく今ちゃん先輩は、繋いでない方の手を振ってくる。
「航はデート?」
「まあな。春とニワハルもだろ?」
当たり前のように訊かれて。『いや、尚太くんたちも居るから』って答える前に、春くんが私の手を握る。
痛い、痛い。痛いってば。
ちょっと弛めてもらおうと、指をモゾモゾさせていると、
「浴衣の女の子ってさ、三割増でかわいいと思わない?」
さっきよりは少し力が弱まったものの、まだかなりの強さで私の手を握ったまま、春くんが話を逸らす。
「やっぱり、春も思う?」
「思う。思う」
「非日常の雰囲気だからかな? って思ってたけど」
「それだけでも無いんじゃないかな?」
そんなことを言いながら、こちらを見た春くんの表情が、妙に甘く見えて。
顔が火照る。
鼓動が急ぐ。
『夏休みの間に、一度くらい飲みに行こう』って、どこまで本気か判らないような約束をかわして、今ちゃん先輩たちが去っていく。
ペコリと頭を下げた優花里ちゃんに、高校時代の駅前でしてたように手を振る。
「航の彼女って……知り合いだった?」
「高校の後輩。一学年下のテニス部だった子」
「へぇ」
軽い相槌とともにこちらを見下ろしてきた春くんの吊り目に、気遣いの色を見た気がして。
「今ちゃん先輩に彼女が居るとは聞いていたけど。こんな身近な相手と……って。いやぁ、意外だったわぁ」
笑って見せた私に、彼はホッと息をついた。
あ、これは。
なんとなく……バレてたっぽい?
先輩たちとの遭遇に感じたのが、驚きだけだったのは、ごまかしでも強がりでもなくって。
失恋の内にも入らないようなものなのに気を遣わせたことが、逆に恥ずかしくなる。
「で、春くん?」
無理矢理、自分の意識を余所へと切り替える。
「ん? 何?」
「いつまで、この手は繋いでおくのかな?」
先輩達と別れて、力は普通の強さにはなったけど。いつの間にか、指が絡んでいるし。
「いつ……にしよう?」
「えーっと?」
「このまま、繋いでたらダメかな?」
「ダメっていうか……」
そもそも、なんで繋いでいたっけ?
「今日のハルちゃん、五割増でカワイイからさ」
「割り増してない?」
今ちゃん先輩と、『三割増し』とか言ってなかった?
「割り引くより、良くない?」
「……それも、そうか」
「俺としては、珠世ちゃんの迷子よりも、ハルちゃんとはぐれることの方が……気掛かり」
そう言って、覗き込んできた彼の目に囚われる。
「ハルちゃん」
辺りを憚るような声なのに。
「軽はずみな気持ちじゃ、ないからさ」
不思議なほど、耳に染みる。
「俺の彼女になってほしい」
彼にそう言われることを
この日の私は
どこかで予想していた
気がする。