春くん
「春くんって、普段どんな音楽を聴いてるの?」
結局、“ハルハルコンビ”で、ドラくんを待つことになったから。
暇つぶしがてらに、訊ねてみる。
「わりと……雑食?」
「へえ?」
「あ、いいな。って思ったのとかを、検索して、そこから広げていく感じ?」
「検索? どうやって?」
聴いたことのある曲なのに、『あ、この歌。何だっけ?』って時の不快感を思い出して、思わず食いついてしまった。
検索の手がかりすらなくって、モヤモヤするのよね。
で、解決しないまま、忘れてしまうし。
「曲を聴かせて探すようなアプリがあってさ」
そう言って取り出したスマホを口元に近づけた春くんが、鼻唄で曲を聴かせる。
あ-、これって。ほら、あの……。
「で、こんな風に」
見せてくれた画面には、
「織音籠かぁ。言われてみれば、そうよねぇ」
タイトルは初めて聞いたけど。アーティスト名は、このあたりを拠点に活動しているロックバンドだ。
実は母のお気に入りで、実家にはCDも何枚かあったりするし、私が卒業した高校の大先輩だったりもする。
私自身は、あまり意識して聴いたことのないバンドだけど。
「CMだったっけ? ええっと、保険会社よね?」
そうそう。欠かさずに見ていた金曜夜のドラマの合間に流れてたやつ。
「通販タイプの自動車保険。ハルちゃん、CMを飛ばさない人?」
スマホをポケットに戻した春くんが、面白そうな顔で訊く。
「基本、私は録画しないから」
リアルタイムで見ていると、CMスキップは不可能だ。
「バイトの時とか、遊びに行ってる時とかは?」
「そんな時だけは、録画してるけど。CMは、流しっぱなしが普通だから、録画でも気にせずにそのまま見てる」
まあ、『ちょっと、その間におトイレ』なんてこともしているわけだけど。
その後、私が普段聴いているアーティストの事とかを話しているうちに、ドラくんが到着。
先に行った三人に連絡を入れてから、店へと向かった。
店員さんに案内をしてもらった個室では、食事をしながらウォーミングアップ的に歌っていたらしい。テーブルの上には、食べかけのパスタとピザが載っていて、尚太くんがマイクを握っていた。
「おー、ハルハルコンビ。お疲れー」
曲を無視した尚太くんが、マイクを通して労いの言葉を投げてくる。
「俺は? 俺は?」
ドラくんが、存在をアピールして。
「遅刻犯は、駆けつけ……三曲」
ユナユナに罰を言い渡される。
「あ、良いの? 俺、歌っちゃうよ? 三曲、歌っちゃうよ?」
嬉しそうな声で言ってるあたり、罰じゃなくってご褒美になってしまったらしい。
いそいそとリモコンを手に、曲を選び始めた。
「ハルハルコンビは、飯食ったって言ってたよな?」
次の曲が始まるまでの間に、マイクを珠世に渡した尚太くんが私たちに向けて、ドリンクメニューを差し出す。
「あ、俺まだ。俺の分で焼きそば、よろしく」
それを聞いたドラくんが、リモコン画面を見ながら注文を寄越す。
「大盛り?」
「うーん」
「わかった。大盛りな」
生返事に思えたのは、私だけだったらしい。春くんとの間で、やり取りが成立してる。
「ハルちゃんは? 何飲む?」
「ホットコーヒーか、な?」
待ち合わせの時、尚太くんに完全防備とは言われたけど。やっぱり体が冷えている気がする。温かいモノが飲みたい。
食べかけだったパスタを手繰りながら尚太くんが、『ついでに……』って頼んだフライドポテトも一緒にまとめて、春くんが注文している間に、珠世の歌が終わっていた。
「信じられない。まさか初っ端から、アニソン三連続とか」
ご機嫌で“駆けつけ三曲”を歌いきったドラくんに、ユナユナからブーイングが起きる。
「いや、俺も信じられないって。何? この焼きそばの量?」
「『大盛りだな?』って、確認したぞ?」
マイクを片手にイントロを聴いてた春くんが、反論するけど。
「えー? 確認されたっけ?」
おかしいなぁ。って言いながら、ドラくんが箸を割る。
なんだ、あの生返事。本当に、生返事だったんだ。
「信じられないっていえば、ハルちゃん?」
私も一曲終えて。次の曲……ってリモコン画面に入力していると、隣に座る春くんがポテト片手に話しかけてくる。
「んー? なにー?」
「昼ご飯もコーヒー飲んでなかった?」
「え?」
あー、うん。
「飲んでたねー」
そう言う春くん自身は、ジンジャーエールを注文したらしい。その向こうに座る珠世は、いつものようにオレンジジュースを手にしてる。
「何が、信じられないの?」
リクエストは、オッケー。リモコンをテーブルに戻す。
「短時間に続けて飲めるんだ?」
「あ、そこ?」
「飽きない?」
「うん。コーヒーは二杯くらいなら、飽きないねぇ。たぶん、母に似たのだと思うけど」
「お母さんも、コーヒー好きなんだ?」
「うん。お茶代わりにコーヒーを飲むような人」
その代わりみたいに、体質的に受け付けないとかで、父はコーヒーを飲まない。飲めない。
私たちの話が聞こえたらしい。『聞いてるだけで、胃が悪くなりそう』って、珠世が笑う。
その珠世に、ムーって口を尖らせて見せて。
春くんとの会話に戻る。
「今ちゃん先輩の実家が、喫茶店でね」
「航の? それは初耳」
「二杯目だと、安くなるのよ」
父方の祖父母とご近所さん、は、言い過ぎか。最寄り駅は一緒なんだけどね。
祖父母の家に遊びに行った帰り道。
両親が連れて行ってくれてた小さなお店が、先輩の家だと知ったのは、私が成人式を迎えた頃だった。
あ、久しぶりにマスターのコーヒーが飲みたいな。スフレも食べたい。
夏休みには一度くらい、祖父母の家に顔を出すついでに寄ってよう。
マイクが一巡して、春くんの番。
最初の一曲目は知らない歌だったけど。コレは知ってる。
中学校に入ったかどうかって頃に、三線を爪弾く浦島太郎が歌ってた。
「春くんって、歌、うま」
間奏で呟いたのが、聞こえたらしい。
「音を拾うのだけは、得意」
って、返事が返ってくる。
よっ、と小さな声をかけて。リモコンに手を伸ばした春くんが、一時停止ボタンを押したらしい。曲が止まる。
「春斗、隠し芸。行きまーす」
妙な宣言をして、春くんが立ち上がる。尚太くんが、ゲラゲラ笑って。
マイクを握り直した春くんが、深く息を吸い込んだ。
ピーポー、ピーポー、ピーポー
防音の室内に遠くから、サイレンが聞こえてきた。
音は少しずつ近づいて。
ピーポー、パーポー
あ、今。
通り過ぎた。
パーポー、パーポー、パーポー
そして、だんだんと遠ざかっていく。
「救急車のモノマネ!?」
ユナユナが大ウケしている。私も笑いすぎて、お腹が痛い。
一礼して、姿勢を正す春くん。
お次は、さっきの待ち合わせの間にさんざん聴いた、ターミナル駅の発車メロディー。
更に一呼吸おいて。パソコンの起動メロディーがスピーカーから流れる。
「春くん、あれは? できる?」
珠世が手を叩きながら、リクエストをする。
「あれって?」
促す春くんに珠世が出したのは、配管工が主役のゲーム音楽だったけど。
「ドラ、どんなやつだったっけ?」
さすがに、とっさには出てこなかったらしい。“ゲーム部 部長”に、助けを求めてる。
『ちょっと待って』って、スマホを取り出したドラくんは、動画サイトから、懐かしい音楽を呼び出した。
しばらく聴いてからスマホを返した春くんは、反芻するような間をあけたあと、軽く頷いて。
寸分違わず、再生してみせた。
「すっごーい」
驚きと感嘆で。それしか言葉にならない。
「お粗末でした」
みんなからの拍手に会釈を返して春くんが、座り直す。隣の私にマイクが差しだされる。
「え? まだ曲が途中なのに?」
戸惑う私に
「いや、マイクを独り占めするのもさ……」
春くんが照れを含んだ顔で笑う。
ほらほらって、促されるけど。
「いや、あんな技の後って……歌いにくいなぁ」
せめて最後まで歌いきって欲しいと思った言葉は
「じゃあ、ハルちゃんのリクエストに応えたら、次歌う?」
微妙にずれた受け取られ方をされたらしい。
春くんから、リクエストを要求されてしまった。
「何でも、いいの?」
「あー、まあ。知ってる曲なら」
ちょっと困らせてみたいかなぁ、なんて。意地悪な気持ちが、なかったとは言わないけど。
上げようとしたハードルは、寸前で阻止される。
「うーん。じゃあ……さっきの」
待ち合わせの時に、検索して見せてくれた織音籠の歌って、どうかな?
そう考えて、タイトルを告げたとたん
「うぉー。春。ピーンチ」
尚太くんから意外な反応がきた。
「え? ダメだった?」
ノロノロとリモコンに手を伸ばす春くんに、恐る恐る訊いてみる。
「いや。ダメじゃないけど。音域が……」
「そんなに広い曲なの?」
フルバージョンでは、聴いたことがない、か。私は。
春の海を思わせる、穏やかなイントロが流れ出す。春くんが、深く息を吸い込む。
へぇ。この歌って、こんな始まり方なんだ。
心地よいメロディーに意識を漂わせているうちに、CMで耳に馴染んだサビへとさしかかる。
低いハスキーボイスを売りにしている織音籠のボーカルっぽく、春くんの声が擦れる。
って。あれ?
音が……ずれた?
「あー。やっぱ、ムリぃー」
歌が止まって、春くんが叫ぶ。
「声が下がりきらないんだよなぁ」
「出だし、低すぎ」
尚太くんのダメ出しが、伴奏と重なる。
「いくら耳コピが得意でも、出ねぇ音は出ねぇだろ」
「……でもさ。やっぱり、オリジナルの音域で勝負したいじゃないか」
「何の勝負だよ」
「……」
尚太くんからのツッコミに、ブーっと息で唇を震わせながら、春くんが曲を削除する。
そのまま、私にマイクが回ってきた。