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雨男 降臨

 飲み会で約束したテニスの日。


 起きると外は、大雨だった。



【誰? 雨女か雨男は】

 とりあえずの朝ごはん中、ユナユナからメッセージが送られてきた。

 仲間うちに雨女は、居なかったよねぇって考えながら、コーヒーのマグに口を付ける。


【尚太だろうな】

 軽い着信音とともに、春くんからの返事がスマホに現れる。

【犯人は尚太くんかぁ】

 笑ってる三毛猫のスタンプが添えられたユナユナの言葉に、

【残念。今ちゃん先輩も誘えば、晴れ男が勝ったかもしれないのに……】 

 私も便乗。

【航には、勝てそうだけどな】

 ガッツポーズのスタンプとともに、話題の尚太くんも会話に混ざる。


【尚太のお母さん、懇談とか入学式とか。高校に行く用事のある日は、ことごとく雨だったって】

 春くんがそんなことを暴露して

【それどころか。小学校の運動会は、三勝二敗の引き分けが一回】

 言葉を重ねる尚太くん。

【引き分けって、なに? どういうこと?】

【朝のうちはそこそこ良い天気だったけど、午後から土砂降り。ついでに大雨警報つき】

 ぶっ。

 途中参加の珠世と尚太くんのやり取りに、ヨーグルトを吹いてしまった。


 そのまま、今日の予定をどうするか話し合っているうちに、ドラくんからも遅ればせながら、『おはよー。降ってるねー』ってメッセージが届いた。


 じゃあ、昼からカラオケに……って、話がまとまった頃。

 窓の外は、少しだけ小降りになっていた。 



 待ち合わせに向かおうと玄関を出た途端、雨交じりの風がマンションの外廊下を吹き抜ける。

 あ、駄目だこれ。絶対に風邪をひく。

 慌てて部屋に戻って、少し厚めのカーデガンを羽織る。


 物心ついたころから、ほぼ毎年。

 ゴールデンウィークと梅雨入りの間の、街路樹に茶色い毒毛虫が発生する頃に、前触れもなくドカーンと熱がでる。

 中高生にとって学年最初の定期テストにぶち当たるこの時期の、有難くも無い風物詩だった。


 製薬会社に勤めている父に言わせると、『新学年で気疲れもしてるだろうし、寒暖の差も激しい季節だから仕方ない。実際に、風邪薬の注文も増える』らしい。


 そうはいっても、看病をしてくれる人もいない学生の独り暮らし。気を付けなきゃね。

 


 お昼ごはんは、軽く食べてからかな? って思える午後一時の待ち合わせに間に合うように、西のターミナル駅に隣接したショッピングモールの一階。コーヒーショップに入る。

 頼んだクロックムッシュとブレンドコーヒーのトレイを片手に、大きなガラス窓に面したカウンター席へと向かう。


 バスターミナルへと続く遊歩道を歩いている人の視線も、この雨では傘で遮られていて。

 アジサイを濡らす雨を眺めてのお昼ご飯は、ちょっと良い感じに思えた。



「ハルちゃん?」

 自信なさげな声に振り向くと、首を傾げるようにした春くんがいた。目の隅で、座ろうと思っていた席に、買い物途中って雰囲気のおばさんが荷物を降ろしたのが見えた。


 心に過ぎった残念な思いを、胃の底に押し込める。


 そんな日もあるよね。

 仕方ないって。



 この後、一緒に遊びに行く相手に、こんなことで不機嫌になっても、楽しくないし。

 そう考えて、視線と意識を春くんへと向ける。

「春くんも、ご飯?」

「うん。カラオケで食べたら、高くない?」

「そうなのよね。高いよねぇ」

 その上、高校生の頃に行った店が、呆れるほどまずかった記憶もあって……。なんて話をしながら、春くんに導かれるまま、二人掛けのテーブル席へと、方向転換。



「ハルちゃんのそれ、何?」

 まだ注文を済ませてなかったらしい春くんが、トレイを指さす。

「何って……クロックムッシュ」

「チーズ?」

「えーっと、チーズとタマゴかな?」

 ホワイトソースも入っていたっけ? 

「タマゴかぁ……」

 『そうか、タマゴか』と、繰り返しながら春くんは、尻ポケットから取り出した財布を片手に、注文カウンターへと向かって行った。


 何が、タマゴなんだろう?



 戻ってきた彼の手には、アイスオレとカスクートの載ったトレイがあった。


「ゴメン。お待たせ」 

「クロックムッシュは止めたんだ?」

 タマゴ、嫌いなのかな? って思いながら訊ねると

「朝が、タマゴだったし」

 なんて、思いも寄らない答えが返ってきた。

「朝に食べたら、昼はダメなの?」

「ダメってことは、ないだろうけど」

 そう言って彼は、ストローの封を切る。


「手軽なだけに、気をつけないと“ばっかり食べ”になるって、うちの母親が」

「あー。なるほど」

 確かに、パック買いしたタマゴの賞味期限が気になるって理由もあるけど。朝に目玉焼きを食べたのに、夜にはオムライスなんてことも、“気をつけないと”、やっちゃうよねぇ。


「春くんって、独り暮らし?」

 手に取ったクロックムッシュの、食べやすそうな向きを探して軽く左右に傾けて。ここだって角に齧り付く。

「いや、自宅生」

 自宅生の男子が普通、そんなこと気にするかなぁ? って一瞬だけ考えてしまったけど。

 そんな“ちょっと変な感じ”は、クロックムッシュと一緒に飲み込む。


 

「ハルちゃんは? 自宅生?」

「ううん。独り暮らし」

「東隣の蔵塚市、だよな? 航の後輩なんだし」

「今ちゃん先輩だって、独り暮らしじゃない? 実家からじゃ、ちょっと交通の便が悪いのよね」

 電車の路線と、バスの兼ね合いがね……。


「蔵塚って言っても、広いか。うちの親の実家あたりなら、通えなくもないらしいけど」 

 ご両親そろって、私と同じ蔵塚市が出身らしい。

 楠姫城市に住む春くん自身の家は、蔵塚市との境目近くにあるとか。

 つまり。大学のある鵜宮市まで丸々一つの市を横断して通学していることになる。


「春くんは、通学が大変じゃないの?」

 カスクートを噛み砕いていた彼は、しばらく考えるような顔で咀嚼を繰り返すと、ストローに口を付けて。

 少し無理めにアイスオレで流し込んだのが、分かってしまった。

 ゴメン、訊ねたタイミングが悪かったよね?


 ささやかな反省を胸に、マグカップに口をつける。

「独り暮らしの方が、費用的に大変だし」

 でも、答えてくれた春くんは、さして気にした風でもない声で。

 ほっと、肩の力を抜く。


「うちって、姉が自由人過ぎて」

 芸術家肌って、言うのかな? って言いながら、手に付いたマヨネーズを舐めている。

「自由人?」

「今は……ベトナム? だったかな?」

「はぁ」

 大学では家政学部だった四歳年上のお姉さんは、被服学科から興味が横滑りしたとかで。染め物や織り物の研究と称して学生の頃から、アルバイトで資金を作っては世界各地を飛び回っているらしい。

「母親もフルで働いてはいるけど、俺自身が、理系で学費も掛かってるからさ。独り暮らしと通学の費用を比べたら、親の負担が……」

「春くんってば、親孝行っ」

 冗談めかした言葉に、拍手もおまけでつけておく。

 半分に切ってあったクロックムッシュの一切れを食べ終えたところで、手は空いていたし。


「うちも共働きだけど、そんなこと考えたこともなかっなぁ。文系とはいっても、私立だし」

「普通、考えないって。ドラにも笑われた」

 どうやら春くんは、仲間うちでは“ちょっと変わっている子”って、扱いらしい。

「とは言っても、就職したら独り暮らしかなぁ?」

 続いた春くんの言葉に、そう言えば彼は就活の学年だと、思い至る。少し冷めたコーヒーに口をつける。



 待ち合わせの時間までを、緩やかな世間話で過ごして。

 コーヒーショップを後にする。

 ショッピングモールの通路を並んで歩いて、ふと見上げた彼の顔の高さに、実家の父を思い出す。

「春くんって、身長どのくらい? 高いよね」

「百八十にちょっと足りないくらい」

 だよねぇ? 

 父と並んで歩く時の感じに、似てるし。


「って。なんで、そんな微妙な言い方?」

「いや、うちの父親が百八十超えでさ。微妙な……なんだろう?」

 思春期の男子のような、“勝ちたいけど、負けて欲しくない”って、父親に対する微妙な心持ちらしい。


「尚太のお父さんには、並んだけど」

 指先に引っかけるようにぶら下げた傘をユラユラさせながら、春くんが顔を顰める。

「尚太くん自身には?」

「あいつが高二の秋に、抜かされた。今じゃ、うちの父くらいあると思う」

「へぇ」

 そうか、尚太くんも大きかったんだ。この前の飲み会の様子を思い出そうとして……諦める。

 男の子たちの身長までは、覚えてないや。


 そんなことを話して居るうちに、駅への連絡通路にたどり着く。

 チラッと見上げた大きな壁時計が、『待ち合わせまであと十分』と言っていた。 



「あれ? ハルハルコンビ。一緒に来たんだ?」

 待ち合わせは西口改札の少し向こう。この前の飲み会の時と同じく、銅版レリーフの前で。

 私たちが着いた時にはすでに、尚太くんとユナユナが居た。

 あ、本当に尚太くん。こうして見ると背が高い。


「ちょうど、昼ご飯に入った店が一緒でさ」

 『別に、しめしあわせた訳じゃ……』って感じで、春くんが説明する。

「へぇ? 昼メシ。ちなみに、何食べた?」

「フランスパン? のサンドイッチ」

 カスクートって語彙は、さすがに無いか。男子学生。


 微かな着信音が、鞄の中から聞こえた。

「ドラから、“悪い、遅れる”って」

 コレはメッセージ着信があったな、って鞄を探っているうちに、カーゴパンツのポケットからスマホを取り出した春くんが、画面を読み上げる。

 やっぱり遅刻の常習犯だな。


 ドラくんからのメッセージを、私自身もトークルームで確認していると

【ゲーム? 二度寝?】

 春くんのメッセージが、画面に現れる。

【バスが遅れた】

【折り込めよ。それくらい】

【いやぁ、予想外。雨で誰かが事故ったらしくってさ。道路が混み混み】

 後始末とかで、車線規制が掛かっていたらしい。 

 春くんとドラくんのやり取りを眺めていると、スマホを片手に珠世がやってきた。


【ドラ。こっちは全員揃ったから、先に行くぞ?】

 さっきまで、春くんのスマホを覗き込んでいたはずの尚太くんからのメッセージが送られてきた。

【ええー。そんな。ヒドイ!】

【寒いんだって。ここ】

 震えている雪ん子のスタンプにメッセージをくっつけた尚太くんは、本当に寒いらしくって、さっきから腕を摩っている。上着を着てないその姿は、見るからに寒そうで。

【ハルちゃんは、完全防備だけどさ。優那ちゃんも寒そうだし】

【寒い! 凍っちゃう!】

 って、ユナユナが送ったメッセージと怒りに爆発しているテルテル坊主に既読がつく。

 ドラくんからは、ちょっと考えるようなタイムラグの後、

【あー、じゃぁ先に行ってて。俺は、完全防備なハルちゃんに待ってて貰おうかな?】

 かわいいお願いネコのスタンプつきで、お願いされてしまった。


【ハルハルコンビで待っててやるよ】

 私が返事を打ち込む間に、春くんからのメッセージが表示される。

【一人で待たせたら、ハルちゃんがかわいそうだろ?】

【それもそうか……】

 続けざまに送られた、春くんの言葉に反応したらしいドラくんの、悩んでいるような気配がメッセージに漂う。

 確かにこんな天気の日に、一人で待っているのは気が滅入る。

 ドラくん、どのくらい遅れてくるかわからないし。



 そう思いながら隣に立っている春くんを見上げると、

 私の視線に気付いた彼は。

 吊り気味の目を、

 おどけたように開いて見せた。 

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