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迷いの日々

 両家の顔合わせ以来。結婚の話は完全にストップしてしまった。


 『どうする?』って相談しようとしては、互いに『どうしたい?』になってしまうから。自分の心が決まらないうちは、相手に訊けないような気がしてきて。 

 休みの日を一緒に過ごすのは、今まで通りなんだけど、将来の話は注意深く避けるようになってしまった。



 そうして、迎えた翌年のお正月。

 帰省した実家の両親も、腫れ物に触るかのように、春くんの話題には触れようとしなかった。

 前もって言い含められていたのか、妹も当たり障りのない話題に終始していて……いたたまれない。


 翌日には自宅に戻るっていう、三が日最後の夕食で、家族とみぞれ鍋を囲みながら一人、物思いにふける。


 諸手を上げての賛成をしてもらえないから別れる。なんて選択をしたくないくらいには、好きなんだよね。春くんのこと。

 いっそのこと、両親のどちらか。いや、春くんのご両親を含めた"誰か"が、頭ごなしに『ダメ! 反対!』って言ったなら、反発心から結婚へとダッシュできたかもしれないけど。

 春くんのお母さんとしては、『陽望さんはいい子だし、お父さんの丹羽さんも先輩として尊敬してる。ただ"あの"お母さんと親戚になるのは、ちょっと……』っていうのが、本音らしいし。

 私の母の方も、『陽望には春斗くんと幸せになってほしいけど。今更、あのお母さんと仲良く……は、なれないわ』って感じで。


 草食系を通り過ぎた"草"の春くんと、肉食系なわけじゃない私だから、こんな風に中途半端な反対に会うと、どうにも動けなくなってしまう。

 いい加減、決心をつけないと……とは、思うものの、思考はぐるぐるとループを繰り返す。



 一月が行き、二月も逃げて。結論が出せないまま、年度が変わる。


 今年のゴールデンウィークは、父方の祖父母の法事があって、今ちゃん先輩の実家の辺りに家族で出かけた。

 菩提寺での法要のあと、久しぶりに『ネコの喫茶店』へ行こうかと考えて。駐車場へと向かう両親と別れようとしたら、

「お母さんも、行こうかしら」

 とか言われて。

 結局、断れないままに父や妹も一緒に、喫茶店へ向かうことになった。


 この日行った喫茶店は連休のせいか、ほぼ満席で。

 空いていたのが、奥から二番目のテーブルと、カウンター席が、一人分。

 当然の結果として、家族でテーブル席に案内された。


 ちょっと……残念。一人なら、カウンター席にチャレンジできたかもしれなかったのに。

 そして、カウンター席にチャレンジできたなら……。学生の頃に見た、"マスターに恋愛相談"をしてみたかったんだけどなぁ。



 マスターに恋愛相談を。

 そんなことを考えた時点で、私はなにがしかの突破口を欲していたのかもしれない。

 そして、それが思わぬ邪魔で叶わなかった愚痴を、翌日、春くん相手にこぼしたのも、きっと……。


「マスターって……航のお父さんに?」

「うん。ほら、一緒に行った時にカウンターで相談ごとをしていた人が、居たじゃない?」

「……居た?」

 覚えてないらしい。

 ちょっと残念に思いながら、首を捻っている春くんの手元から、ボックスティッシュを一枚。


 春から梅雨に入る手前。

 私にとっての"風邪の季節"が、今年もやってこようとしている。珍しく、鼻詰まりが前触れになっているのは……花粉症のせいではないと、思いたい。


「俺はあの時、奥の席にいた人が、航のお母さんじゃないかな? って思った事の方が印象に残ってるかな?」

「え? 先輩のお母さんが居たの?」

「なんとなくだけど……たぶん? 確認のしようがないけどさ」

 ええっと、奥の席?

 なんて、覚えているわけがないじゃない。十年も前の話だ。



 ティッシュをゴミ箱に捨てて、座り直した私に春くんが

「それは、いいとして」

 テーブルの上で両手の指を組んだり解いたりしながら

「マスターじゃなくって、航に相談してみるって方法もあるな」

 って、話を引き戻したけど。

「でも、先輩になんて、会わないし」

「いや。まあ、すぐにってわけじゃないけどさ」

 そう言って、スマホを手に取る。

「七月の連休に克己が結婚するから、式に出席するために航も帰ってくるかも?」

「へえ?」

 今ちゃん先輩にとって高校時代の友人だった克己さんは、春くんにとっては大学時代の友人で。その繋がりから、春くんと出会ったんだよねって、昔を懐かしく思い出す。

「とりあえず、克己に確認してみるよ」

 そう言って春くんは、メッセージアプリを立ち上げた。



 克己さんの結婚式には、やっぱり先輩も帰ってくるらしくって。

 日曜日の式に備えて、土曜日に帰ってくるから、その晩にでもご飯に行こうってことになった。『ニワハルの話も聞きたいし』とか先輩が言ってくれたらしくって、私も入れた三人分で、楠姫城市にある半個室の居酒屋に予約をいれる。



 当日、西のターミナルと呼ばれる駅の改札で、春くんと二人で先輩が来るのを待つ。

 そういえば。最初に待ち合わせたのも、この駅だった。先輩から誘われての合コンで、違う場所で待ち合わせてたらしい春くんたち男の子が、少し遅れて来たっけ。

「ごめん、遅れた」

 とか……言ったか? いや。違う。


 耳に聞こえたのは、思い出が語るセリフじゃなくて、現実の声。

「久しぶり、ニワハル」

「お久しぶりです」

 いつ以来だろう? 先輩の顔を見るのは。

 春くんと付き合うようになった頃から、遊びのお誘いが途絶えていたのか。思い返してみれば。

 かれこれ……十年ぶりの再会になる先輩の服装は、完全な休日スタイルなのに、そこはかとなく"仕事ができる人"の雰囲気で。

 すっかり遠くなったと、しみじみと感慨にふける。


「航。その荷物、コインロッカーに入れてくる?」

 春くんの声に改めて見た先輩は、小ぶりのキャリーケースを足元に置いていた。

「邪魔だな。確かに」

「先輩、実家には寄らなかったんですか?」

「だって、二度手間だろ?」

 実家に帰るのが、二度手間って。

「明日の克己の式、そこのホテルだよ?」

 出された名前は、全国規模で名前の通ったホテル。


「式が午前中でさ。航の実家からだったら、朝が大変じゃない?」

「あー、そうか。大学まで通えなかったんだもんね」

「そう。それで今夜は、俺の部屋に泊まるか? ってことになってさ」

 駅構内のコインロッカーへと向かう先輩の、後ろをついて行きながら、春くんに説明してもらって、納得する。

「明日終わってから、実家には顔を出すんだろ?」

「そりゃぁ、ここまで来ておいて、素通りはできないって」

 『父さんのコーヒーくらいは、飲んで帰らないと』って、肩を竦めてみせた先輩は、運良く空いていた大型ロッカーに荷物を突っ込んだ。



 居酒屋に着いて、とりあえずビールで再会を祝って。

 お通しで出されたコンニャクの土佐煮をつまみながら、互いの近況なんかを話して。


「で? 春たちは、何があったって?」

 適当な感じで頼んだ、焼き鳥の盛り合わせに手を伸ばした先輩が、並んで座ってる私たちの顔を交互に見ながら訊ねる。

「克己より、たぶん早かったはずなんだけどさ」

 春くん、克己さんは関係ないと思うけど?  

 内心で突っ込んでおいて、先輩の空いたグラスにビールを注ぐ。


「なんていうか……その」

「ニワハル? バトンタッチ」

「あ、はい」

 差し出された先輩の手に、ビール瓶を渡す。

「春が言いにくいなら、ニワハルが教えて」

 そっちの、バトンタッチですか。てっきり私は、ビール瓶のことかと……。

 受け取ったビールを春くんのグラスに注ぎきった先輩に、目で話を促されて。私は事情を説明するために、口を開いた。


 春くんのお父さんのことは、先輩が知っているのかわからなかったから、曖昧に誤魔化して。

 この二年間の、おおよその出来事を説明する。

 その間に運ばれてきた、エビのフリッターとか、カレー風味のスペアリブなんかの料理も、それなりに食べる。

 全てを話し終えたころには、途中で頼んだカシスオレンジも半分くらいまで減っていて。

 春くんから、ドリンクメニューを渡された。


「それは、結婚してしまえば?」

 三人がそれぞれに飲み物のお代わりを頼んで、店員さんが背中を向けたと同時くらいに、すっかり冷めた鶏皮の串に手を出した先輩があっさりと言う。

「そんなに、簡単に決めれたら、わざわざ航を呼び出してないよ」

「やっぱり? 無理?」

 拗ねたような春くんの言葉に、

「無理だとは、思ったけどさ」

 と言って、笑った先輩が、急に、真面目な顔になる。

「でも、どこかで何らかの決断は、しなきゃ」


 その口調に、試合前の私たちを励ましてくれた高校生の頃の先輩の面影が重なる。

 『ニワハル。まずは一本、先取な』って。


「決断。決断なんだよなぁ」

 取り皿の縁を指先でなぞりながら、春くんが自分に言い聞かせるように呟く。

「それだけ、だと思うけどな。俺は」

 そう言って先輩は、『怖れずチャレンジ』みたいな歌を口ずさむ。

 ええっと。これ、何の曲だったっけ?


 真面目な人生に関わる話の最中、気にすることじゃないけど。

 中途半端にタイトルが、わかりそうでわからない感じに脳内が必死で検索を始めようとする。

 ダメだ。曲の尻尾が逃げていく。


「春くん、さっきの先輩の歌。何が分かる?」

 控えめに訊ねると、ため息が返ってきた。

「航の歌って、微妙だから。真面目な話の最中には、歌うなって言ってるのに」

「俺なんて、音痴の範囲にははいらないから。本気の音痴をしらないだろ? 春は」

「本気の音痴って……」

 呆れ半分の笑い声をあげて、春くんがスマホを操作して。

 それを眺めていると、先輩から

「うちの父さんが、本気の音痴。本人が自覚してるレベル」

「えー? すごくいい声してるのに?」

「あの声は、完全に持ち腐れ。俺の従弟が子供の頃に、ねだって無理矢理に歌わせたけどさ。途中で"ごめんなさい"したくらい。」

 ネコの喫茶店のマスターがいかに音痴かって、暴露話。



 そして、スマホに鼻歌を聞かせる春くんの歌声に、少し曲の輪郭がはっきりした気がする。たしかに先輩の歌って、微妙。

 鼻歌で検索してくれるアプリも、以前に比べてバージョンアップしてるけど、歌が上手い方がやっぱり精度が高いみたいで。


「ほら、ハルちゃん」

 難なく出てきた検索結果を、手渡される。

 さすが。凄いなぁ、春くんってば。

「ああ。この曲、織音籠なんだ」

 中学生くらいの頃に出たミニアルバムの曲ね。

 画面に表示された楽曲情報を読んで、納得。


「春、そこまできっちり歌えるなら、タイトルくらい知ってるだろ?」

 おや? そう言われてみれは、そうか。

 そもそもが、お父さんの曲なんだし……いや、逆に、先輩に対するカムフラージュだったりするのかな?

 私が返したスマホをテーブルの端に伏せて、春くんは

「だって、ハルちゃんが喜ぶから。こうやって検索するのを」

「え、私?」

「うん。ハルちゃんが『すごーい、春くん』って言ってくれるのが、俺は嬉しいの」

 吊り気味の目を、本当に嬉しそうな笑みに緩めた。


 無料のアプリは、私のスマホにも入れてあるけど。

 耳コピの得意な春くんに検索してもらった方が、効率的だし……って、そばに春くんがいるときには、頼んでいるのも事実で。

「ニワハルも、そんなに嬉しい? 大絶賛ものみたいだけど」 

「『あー、ほら……』って、言ってる間に通り過ぎたみたいなテレビのBGMでも、ちゃんと聞いてくれてるし」

 本当に、凄いんですって。


「へえ? テレビ、一緒に見てるんだ?」

 先輩が感心したように言って、ビールのグラスに口をつける。気になったのは、そこ、らしい。

「テレビくらい、見るだろ? 一緒の部屋にいたら」

「お互いに興味のない番組とか、ないわけ?」

「有る?」

 春くんに改めて訊かれて。

「えー? 無い、よね?」

 答えた私に、先輩が目を丸くした。


「春たち、それ、本気の本気で言ってる?」

「だってさ、十年付き合ってきたら、いい加減相手の好きそうな番組って、分かるし」

 うん、確かに。

「私一人じゃ見なかっただろうな、って番組も、春くんといたら、自然と見るようになったよね?」

 春くんの好きな科学系の番組なんて、実家にいる頃には見てなかった。父や妹が見ている横で、スマホを触っていたり、読みたい本を読んでいたりしてた。

 それが今では、春くんに解説してもらいながら、真面目に見ている。

「『そっかぁ、ハルちゃんって、こういうのが好きなんだ』って、新鮮味が興味の引き金にもなるし」

 そうだよね? って、二人で頷きあっていると、先輩が唸り声をあげる。


 そして、肩こりをほぐすような伸びをしたかと思うと、

「だからもう。お前ら、結婚してしまえよ」

 そう言って先輩は、グラスのビールを飲み干した。

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