実家訪問 九月
今年の九月は、二回の三連休がある。
春くんと両親の都合を合わせた結果、敬老の日の連休を使って、私の実家へ行くことになった。
駅前で早めの昼食を摂った後、実家へと向かう。
さすがは連休初日。快速電車の車内は、そこそこの混み具合で。いつになく言葉少ない春くんと、吊革を握って電車に揺られる。
脱いだスーツのジャケットを腕に掛けて窓の外を見ている春くんの、横顔に緊張が滲んでいる気がして。 私も胃のあたりが重くなる。
父に会った時に、彼がどんな反応をするかと思うと……ため息が出そう。
でもなぁ。私がため息をつく立場でも、ないのよね。客観的に言えば。
重苦しい空気を乗せていても、電車は目的地に着いてしまう。言葉少なに歩いていても、やがてはたどり着いてしまう。
マンションの三階、"丹羽"と表札の出た玄関口で、春くんがジャケットを着て身だしなみを整える間に、私もこっそりと深呼吸。ちらりと目をやった先で春くんが頷くのを確認して、インターフォンを押した。
「こんにちは。遠いところを、ようこそ」
ドアを開けて私たちを迎えたのは、いきなりの父で。
春くんが小さく息を飲んだのが、隣で分かってしまった。
父の頬には、目立つ傷がある。
両親が結婚する直前、仕事中の事故で左半身に濃塩酸をかぶったらしい。
私も妹も、生まれた時から見ている父の顔なので、慣れていたけど。保育園や小学校の同級生の中には、『怪物みたい』って怖がる子や、嫌悪感を露わにする子もいた。
春くんは、こんな父を受け入れてくれるだろうか。
「初めまして。陽望さんとお付き合いさせていただいてます。中尾春斗と申します」
春くんは、何もなかったかのように。
"緊張だけ"を含んだ声で、名乗ってくれた。
私たちを招き入れた父の背後で、脱いだ靴を揃えた春くんは立ち上がると
「ハルちゃん、本当にお父さんに似てる。ビックリした」
私の耳元で囁いて。ニヤって感じで笑うと、右手の親指を立てて見せた。
その顔になぜか、付き合い始めた頃だったかに彼が言っていた言葉を思い出す。
『父親に似てる女の子は、幸せになれるって』と。
父の傷痕をスルーしてくれた彼となら、きっと幸せになれる。
私達にコーヒーの支度してくれていた母もリビングに来て、春くんが改めて自己紹介をして。
春くんが手土産に持ってきたミルクレープに、母が
「あ、懐かしい。この店、私が学生の頃に雑誌に載って、すごい行列だったのよ」
って、嬉しそうに顔を綻ばせる。
「じゃぁ、せっかくだから今、食べようか」
『お皿、お皿』と、呟きながらキッチンへと向かう母の背中に、
「お母さん、お砂糖も」
って、リクエスト。
自分がブラックでコーヒーを飲むからって、コーヒーにお砂糖を出すって発想が、どうも母からは抜けるらしい。
父は体質的にコーヒーが飲めないし、私もブラック派だから、いつもは問題ないのだけど。
春くんは、基本的にブラックでは飲まない。
「で、二人は……そろそろ、結婚を考えてる?」
コーヒーの代わりに多分、ほうじ茶だろう湯飲みに口をつけた父から、今日の訪問の目的を問われた。
ミルクレープをお皿に取り分けている母の視線が、私と交わる。
「まだ、プロポーズなどはしておりませんが、いずれ……」
「その前に、まあ。こんな人と付き合ってるよって、報告?」
硬い口調の春くんをフォローしながら、母の差し出すお皿を受け取って、春くんの前へ。
ミルクレープを食べつつ、春くん自身について、両親から質問があって。
誠実な口調で答える彼はきっと、こんな風に仕事をしているのだろうと思いを馳せる。
その仕事が、やっぱり父の仕事と関連があったようで、私や母には分からない専門用語が飛び交い始めた。
父と春くんの楽しそうな会話をお供に、ミルクレープもほぼ食べ終えたころ。
母が空になったカップを片手に、席を立つ。
「春斗くん、お代わりは?」
「いえ」
春くんが短く断ったのを母は遠慮と受けとったらしく、重ねて勧めるから、ちょっと春くんが困り気味。
「お母さん、春くんはそんなにコーヒーを立て続けには飲まないから」
「そう?」
「お母さんが飲むなら、私にもお代わりをちょうだい」
差し出したカップを受け取った母が、キッチンへと向かう。
「ハルちゃんの親子、本当にコーヒー好きだね」
「でしょ? 私がお代わりを飲まなかったら、コーヒーサーバーに残った分もお母さんが飲むんだよ。きっと」
「俺、もらった方が良かった?」
「春くんが無理することじゃないから」
現に父なんて、知らん顔でほうじ茶だし。
その父が、
「二人、互いに『はる』って呼んでるんだ?」
って、おかしそうに笑う。
「周りの友達とか、困ってない?」
「友達は、まあ。それぞれに呼び方が違うので……」
「春くんの友達は呼び捨てだし、私の友達は愛称だし」
今までに、『どっちを呼んでるの?』って、経験はないな。二人まとめてだったら”ハルハル”だし。
「結婚するとなったら、一文字違いか」
父が左手で頬を撫でながら呟く。
それを聞いた春くんが、手のひらに文字を書いてみて。
「あ、本当だ」
「でも、読みが一緒なだけで、”はる”の漢字は違うから、別に問題なくない?」
「クレジットカードとかは、面倒だよ。家族カードは一緒に届くし」
大丈夫といった私の言葉を軽く否定した父が、少し考えて。
「お母さんもちょっと……結婚するときにあってさ。名前で、悩んだことが」
「そうなの?」
初めて聞いた。そんな話。
「ほら、苗字が”ニワ”で、名前が”トミ”だろ?」
だね。お母さんの名前。
「ニワトリ……」
隣で呟く春くんの声。
「え?」
「あ、ごめんなさい。失礼なことを」
聞き返した私じゃなく、父に向って頭を下げる春くん。
「ニワトリ?」
「……に、聞こえてしまうんだよ。お母さんの名前が」
苦笑交じりに父が答える。春くんに『気にするな』って感じで手を振りながら。
父が言うには、そんな経緯があったから、ちょっと私たちの名前に興味を持ってしまったらしい。
お代わりのコーヒーもしっかりと飲んで。
「またおいで、二人そろって」
って父の言葉に送られて、家をでる。
来る時とは違って、足取りも軽く駅へと向かう。
「両方の親に公認、ってことになったね」
良かった、良かった、と笑いかけた私に春くんは
「もう、いっそのこと婚約者になっちゃう?」
なんて言い出して。
「また、軽はずんだね?」
「いや、ずっと考えては、いたから」
「本当に?」
「本当。尚太から別れ話を聞いた、去年の夏から実は」
ん?
「珠世と別れたのって、今年の春じゃない?」
「『年度末に別れた』って、去年の夏に俺は聞いてた」
「珠世、私には今年って」
言っていたのに?
「尚太がタマちゃんに、口止めしてたらしい。『ハルちゃんに、俺の親の話はするな』って」
「えー、なんで?」
「なんでか……ハルちゃん、わからない?」
なんでだろう??
「俺の親に会ったとき、ハルちゃん訊いたよね? 『じゃあ、尚太の父親は?』って」
「あぁ、うん」
「同じこと、逆に訊かない? 尚太の親のことを知ったら、俺の親の正体に薄々気づくでしょ?」
「それは……そうかも?」
「尚太は、それを気遣ったんだよ。ハルちゃんがタマちゃんと同じ選択をしないようにって」
「別れるかもってこと?」
「まあね。そこに俺の……覚悟とかは、入りようがないじゃない?」
尚太くんは尚太くんなりに、珠世との将来を考えて打ち明けて。珠世はそれを受け入れなかった。受け入れることができなかった。
「そっか。そういうことか」
「で、ハルちゃん……どうする?」
「それは、実質的にプロポーズってこと?」
「あー、そうなるか。だったら、もっと気合を入れた方が良かった?」
しまった。失敗。とか言っている春くんと、ちょうど赤になった信号で立ち止まる。
黙って、通り過ぎていく車を眺める。西から東へ向かう車を、五台数えたところで春くんに声をかける。
「うん?」
「春くん、前に『父親似の女の子は幸せになる』って、言ってくれたじゃない?」
「あぁ。言った、かも?」
「私は、そんな春くんと幸せになりたいなって」
さっき、家で思ったんだよ。
信号が青になって、横断歩道を渡る。
「ハルちゃん」
渡りきったところで、私を呼んだ春くんの声は、少しかすれていて。
「それってさ……」
と言って、軽く咳払いをした彼の言葉を
「実質的なお返事、かな?」
こちらから補っておく。
「両親も春くんのこと、気に入ってくれたと思うのよね」
結婚したら、名前が……なんて話題になるあたり、きっと両親も意識している。
「じゃあまた、近いうちに。今度はちゃんと挨拶のためにハルちゃんの家に来ないと」
「挨拶?」
「『お嬢さんをください』って、アレ」
ああ、アレか。
「近いうちにって言っても、近すぎるのも……ねぇ?」
三連休は来月、再来月にもあるし、来週にも続いてあるけど。
「なんで、今日言わなかったの? って言われそう」
「今から、戻る?」
「それは、もっと変」
プロポーズの前に両親に会ってもらったのは、『父の傷痕を春くんが受け入れられなかったら……』って、勝手な私の危惧だったから。
両親、とくに父に知られるわけにはいかない。
「春くんのご両親にも、改めてご挨拶に行かないとね」
「あっちのスケジュールを合わせる方が、面倒なんだよなぁ」
考える顔になった春くんに、『駅は、こっち』と、郵便局の角で曲がるよう伝える。
「お父さんの仕事が、秋から詰まっているような話だったし」
「へぇ」
「そもそも、お母さんが交替勤務だし」
「師長さんなのに?」
「定年間近の師長でも、頭数らしいよ」
患者数に対して必要な看護師の数が、決まっているらしい。
年明けを目処に、改めて……の挨拶かな? って、話がまとまる。
それまでに、二人で新生活について折に触れて語り合う。
住むのは、どこがいい? 子どもは? 仕事はどうする? って。
そして、迎えた十二月。
私の誕生日に春くんは、改めてプロポーズしてくれた。
「ハルちゃん、指環は要らないって言ったから」
「だって。もったいないじゃない? 会社に着けていけるわけじゃないし」
「うん。だからこれ」
一粒ダイヤのプチネックレス。
「え、なんで?」
「前に、お母さんがお父さんにもらったって話、してたから」
「あー、そういえば。したかな?」
「たぶん、この前、行ったときにお母さん着けてたアレかな? って思ってさ」
すごい。そんなの見てたんだ。
「で。挨拶の日、相談した?」
その夜、誕生日のお祝いとプロポーズ記念として行ったレストランで、訊かれて。
「それなんだけどね」
グラスワインを一口。
「うちの両親は、来なくていいって」
「いいの?」
「次はもう、"春くんのご両親との顔合わせ"で良いみたい」
春くんのひととなりは、この前しっかり見せてもらったって。
「実はさ、俺の両親も、似たようなことを言ってて」
鱈のムニエルにナイフを入れた春くんが、
「会社勤めの俺たちと、仕事の都合を合わせて……ってするなら、いっそのことハルちゃんのご両親とも合わせてしまえば? って」
「たしかに、私たちとは働き方が違うもんね。春くんの家は」
お母さんは三交代だし、お父さんは……多分、もっと複雑なのだろうと予測して。
「じゃあ、お正月に帰った時にでも、相談しようか」
「そうだね。この年末年始は、俺のお母さんも日勤だって話だったから……夜なら、相談しながら電話できると思うし」
「お正月にも、お仕事なんだ? 春くんのお母さん」
「まあね。怪我人・病人は年中無休だし」
それも、そうか。
大変だなぁ。看護師さんて。




