誘う先輩
バイトを終えたファミレスの更衣室で、手にしたスマホがタイムリーに着信を告げる。
画面では、送られてきたメッセージのプレビューがアプリを開けと促していた。
【飲み会をしまーす。四、五人くらいの友達を誘える?】なんて、合コンのお誘いっぽいメッセージは、好きな相手には送らないよなぁ。普通。
既に付き合ってるなら、アリバイ的にありかもしれないけど。
わずか二十数文字のメッセージに、自分が彼にとって、ただの後輩にすぎないことを思い知らされる。
未読でスルーしてやろうかと、一瞬だけ考えて。
クロヤギさんに届いた“お手紙”とは違って、食べてしまえないメッセージはなかったことにはならないから。
『仕方がない』と口ずさみながらアプリを開く。
【人数、どっちかはっきりさせてください! 四ですか? 五ですか?】
こちらから送ったメッセージに、即答って感じで
【どっちでも。ニワハルに都合のいいほうで。六とか七でもOK】
って、返事はきたけど。
だーかーらー。何人誘えばいいわけ?
「まったく、もう。返事になってないじゃないの」
腹が立ってきたので、とりあえず既読だけつけて、スマホをリュックのポケットへと戻す。
「カレシから?」
隣のロッカーで着替えていた佐奈美さんが、笑いを含んだ声で話し掛けてきた。
メッセージの送り主、“今ちゃん 先輩”のことを、
「高校時代の先輩なんですけどね」
って。軽く説明しながら、制服の襟元を飾る大ぶりなボタンを外す。ロッカーから、ハンガーをとりだす。
今ちゃん先輩と知り合ったのは、五年前の春。こんな遊びのお誘いは、思い出したようにあるのだけど。
彼のことを『カレシです』って言える日は、いつか来るのかなぁ。
手早く着替えを済ませて、化粧の崩れだけをざっとチェックする。
「お先で-す」
「お疲れ-」
真剣に口紅を直していた佐奈美さんと挨拶を交わして、更衣室を後にする。
最寄りのバス停まであと一ブロック。明日の朝食用のパンを買いに立ち寄ったミニスーパーの入り口ドアの脇で、今ちゃん先輩に電話をかける。
[ニワハル?]
風邪ひきっぽい声が、応える。
世間は、桜の季節。彼がこの時期に喉を傷めやすいと聞いたのは、出逢った次の年。
今年も、例によって……らしい。
[今、大丈夫ですか?]
あれだけすぐに返信が着くなら、きっと暇だろうとは思うけど。
[ああ、うん。さっきの、どう?]
[どうもこうもないですってば。合コンなら合コンで、人数。きちっと決めて下さいよ]
話しながら、買ったばかりのペットボトルのキャップを緩める。
お。危ない。
肩と耳で挟むようにしていたスマホを落としかけて。
お茶のキャップを掴んだ左手で、慌てて押さえる。
[合コンってほど、大げさなモンじゃなくってさ]
今ちゃん先輩はそう言って、一つ咳払いをした。
私の喉もいがらっぽくなってきた気がして、お茶を含む。
[克己から友達の何人かと飲もうって話がきてて、じゃあ、ニワハルの友達も呼んだらどうかなって]
“丹羽さん”でもなく、“陽望ちゃん”でもない。“ニワハル”と私を呼ぶのは、今ちゃん先輩だけで。
その呼び方を聞きたいだけに、わざわざ電話を耳に当てている自分がいる。
[克己さんがらみ、ってことはサッカー部メインですか?]
サッカー部のキャプテンをしていた克己さんは、今ちゃん先輩と高校の同級生。彼の友達ってことは……って、考えていると
[んーと、大学の友達。一人は、ニワハルと同い年だったかな]
[だったかな? って。今ちゃん先輩も知らない人ですか?]
[いや? 俺の方の大学の後輩]
[は? 克己さんじゃなくって?]
なんか、会話がグルグルしてきた。
改めて説明してもらったことによると、克己さんのサークル仲間の幼馴染みが今ちゃん先輩の大学にいて。その幼馴染みくんが、私と同い年らしい。
[どうやったら、そんなメンツで飲みに行く話になるんです?]
[克己繋がり?]
また。わからなくなったぞ?
[先月かな? その尚太って後輩が失恋したらしくってさ]
初恋のおねえさんが婚約したとかで、落ち込んでいるって話を克己さんが耳にして。
[『景気づけに飲もうぜ』って話になって]
[その流れで私に『友達を連れて来い』ってことは、やっぱり合コンじゃないですか]
[単純に、人数が多い方が楽しいよな? って克己が]
あー。うん。納得。
[克己さんらしい……]
こうやって、知らず知らずのうちに知り合いが増えるパターンだって、今ちゃん先輩も言っていた。
多分その……尚太くんとも、そうやって繋がったに違いない。
[ってことで、女の子に限らなくっていいから。誘うのは]
[あー、でも基本女子ですよ? 友達って]
[だから。カレシと一緒に来る子もウエルカムってさ]
『それならカレシ持ちの子も誘いやすくなるだろう』って言葉に、克己さんのニヤリと笑った顔が目に浮かぶ。
そんな会話をしながら、頭の中で誘うメンバーを算段する。
香寿実と優那。それから珠世と……瑞希は、辞めておこうか。
先輩はあんなことを言ってはいるけど。
カレシ持ちを誘って、変なトラブルを呼びたくはないし。
『とりあえず、友達に声は掛けてみる』と約束して、通話を切った。
バスがそろそろ来ることを示している画面の時刻を見て、慌てて横断歩道へと向かう。
今ちゃん先輩と出逢ったのは、高校一年の春。ソフトテニス部の先輩としてだった。
中学でもソフトテニスをしていた私だけど、実は高校生になってまで続けるつもりなんてなかった。
なのに、入学式から三日目の放課後。何気なく近づいた教室の窓から、ボールの跳ねる音が聞こえてきた。
小気味よい、ストローク。
空気を裂く、スマッシュ。
あぁ。打ちたい。ラケットにボールが当たる、あの感触。
ああ。振りたい。手に馴染んだ、あの白いラケットを。
自分がこんなにテニスを好きだったなんて、思いもしなかった。
その足で、コートに向かって。
四人の先輩たちから、
「うわぁ、新入部員。キター!」
「本当に? 本当に入ってくれるの?」
って、熱烈な歓迎を受けた。
当時、女子のソフトテニス部には、三年生しか部員が居なくって。
その先輩たちが引退するまでに、三人の新入部員が入らなければ廃部という瀬戸際だった。
あと二人……と、先輩たちと祈っていたら、奇跡的に早希ちゃんって子が入部して。さらに、その早希ちゃんが、同じ塾に通ってた友達だという徳ちゃんを引っ張ってきた。
なんとか部活としての体裁は保てたものの、徳ちゃんが丸っきり初心者で。先輩たちの引退後に部長をすることになってしまった私は、何をどうすればいいのかさっぱり判らなかった。
そんな風に困っていた私をフォローしてくれたのが、男子部の部長をしていた今ちゃん先輩だった。
今ちゃん先輩は、『男子の初心者に教えるついでだから』と、徳ちゃんにも指導をしてくれた。大会前には、私と早希ちゃんのダブルスの相手もしてくれたし。
それだけでなく、練習メニューの相談にも乗ってもらったし、一年生部長には連絡が回ってこない部長会のお知らせなんかでもお世話になって。
今ちゃん先輩のおかげで部活動を継続できた女子ソフトテニス部は、翌年には部員も六人に増えた。
「俺も、これで安心して引退できる」
って、今ちゃん先輩が苦笑していたのは、市のインターハイ予選に負けた帰り道だった。
「本当に、お世話になりました」
「次は、ニワハルがうちの部長の世話をしてやって。な?」
「加藤くんを、ですか?」
「うん。ニワハルの方が部長歴、長いんだからさ」
よぉ、二年目。なんて、茶化された。
その広い背中を、軽く打って。
掌に伝わる筋肉の堅さに、胸がドキドキする。
私、先輩のこと。
好きだ。
って、思ったのよねぇ。その時に。
昔のことを思い出して、長い片想いを抱きしめる。
合コン紛いの飲み会でも、彼に逢えるなら……って、弾んでしまった心をなだめつつ、やって来たバスのステップを上がる。
リュックから取り出したICカードを読み取り機にかざして。
一つ、ため息が漏れる。
午後九時前のバスは、苦しくは無い程度に混んでいて。
立ち仕事のバイトで疲れた身で、仕方なくつり革に掴まるけれど。
座りたいと訴えている浮腫んだ足を裏切るように、唇が笑いそうになっているのが、座席に座るお姉さんの頭越し。
暗い窓ガラスに映っていた。