エピローグ:[種蒔き]
短いです
:エピローグ:[種蒔き]
黄昏の空に、無数の流れ星が落ちていく。
それらはかつて、この惑星上で繁栄し、その手を星々の世界へと届かせようとしていた文明の痕跡だった。発達の途上にあったその文明は滅び去り、遺跡となり果てた。それらはやがて風化して、消え去る運命にある。
それでも、わずかに生き残った人々は、灰燼に帰した世界の中で、懸命に生きている。瓦礫の中に街を築き、土を耕し、作物を育て、そこで生き抜こうとしている。
暗がりに紛れて、か弱い灯達が、ゆらゆらと揺らめいている。
それらは、人間達が自身の手元を照らすために使っている小さな明かりだった。手製の蝋燭の弱い光で照らしながら、茶色の土が向き出しにされた畑に横一列に並び、人間達は耕した土に種を植えていく。種は気温がこれから上昇するのに従って芽吹き、成長して、やがて実りをつけ、人々の糧となるはずだった。
やがて、自身の列に種蒔きを終えると、農作業をする人間達の内の一人、少女が立ち上がり、額に滲んだ汗をぬぐって一息ついた。その頃には太陽の明かりはどこにも見えず、降り注ぐ流星の向こうに星々が瞬いているのがよく見える。
その少女は、ユイだった。彼女は、農作業の邪魔にならないよう、長く伸ばした髪を後ろで一つに束ねて作業着の襟から中に入れ、何度か補修された跡のある長靴をはき、その場で働く他の人々と同じ様に土で汚れている。ただ、彼女には目立つ変化があった。服の左手の袖には中身が無く、ユイが動く度にプラプラとしている。その上、顔の左側には、額から頬にかけて負った裂傷の痕ができていた。
ユイは、まず洗い場で手を洗って汚れを落とす。夜はまだ肌寒い季節だったが、作業で火照った身体に冷たい水が心地よかった。それから耕作地の隅にある大昔の銅像の台座の足元まで向かうと、その台座を背に、若草の上に腰を下ろした。
畑の種蒔きは夕暮れから始まり、既に数時間は経っている。長時間屈みながらの作業だったため、ユイは伸びをして筋肉をほぐした。一区切りついたため、人々は休憩に入ったが、数千人が暮らしていくために必要な収穫を得るにはまだまだ種を植える必要がある。作業はこれから深夜過ぎまで続き、明日以降も続けられる。
「ユイ、お疲れ様。お夜食、持って来たよ!」
どこか遠くを眺める様に、ぼうっと夜空を眺めていたユイに、ユウキがいつもの明るい調子で声をかけた。
ユウキはラフなジャージ姿で、長い髪をユイと同じ様に襟から服の中へしまって邪魔にならない様にしている。手には、お握りがいくつも乗った木製のお皿と、野菜や根菜を煮込んだ味噌汁の入った器を持っている。
ユウキはユイが何かを言うのよりも早くその隣に腰かけると、まず自分でお握りを一つ手に取り、美味しそうにかぶりついた。
「うん、おいしい。さすがは私が握っただけの事はある。」
「何よ、ただのお握りじゃない。これくらい、私だって・・・、いや、無理か。」
無くなってしまった左腕があった場所を見て、憮然とした表情を作ったユイは、自身もお握りを手に取ってかじりついた。塩加減も握り加減も絶妙で、肉体労働のせいで空腹なのも手伝い、炊いたコメを握っただけにも関わらず、素晴らしい御馳走に思えた。
「はい、お味噌汁も。飲むでしょ?」
ユウキはニコニコしながら味噌汁の入った器を差し出し、ユイは一口目のお握りを飲み込むと仕方なく口を開けた。食べさせてもらうのは気恥ずかしかったが、片腕しかないので他に方法も無い。素朴な味噌汁だったが、ほっとする様な味がした。
「どう?初めての種蒔きは?」
ユイが一つ目のお握りを食べ終える頃を見計らって、ユウキはそう尋ねる。
「腰が痛い。あと、お腹がペコペコ。」
ユイは正直に答え、二つ目のお握りに手を伸ばした。
「あはは。だよねー。・・・ごめんね、私の代わりにやってもらっちゃって。」
すまなそうにするユウキに、ユイは首を左右に振って見せた。
「ううん、気にしないで。おかげでごはんがいつもより美味しい気がするし。・・・それで、ユウキの方は、どうだった?」
「ん。・・・三か月だって。」
ユウキはそう答えると、少し頬を赤くした。
「そうなんだ。・・・えっと、おめでとうございます。」
「ありがとう。・・・もう、責任重大って感じだなー。」
自身の下腹部の辺りを撫でるユウキの姿を、ユイは複雑そうに眺めた。
「・・・うん?どうしたの?お味噌汁飲みたい?」
「いや、そうじゃなくって・・・、何て言うのか、変な感じだなーって。」
ユイはそう言うと、再び、遠くを見る様に夜空を見上げた。
「無くなったものがあれば、新しく生まれるものもある。・・・生きるって、私にはよく分からないの。」
「・・・・・・。あの子達がいなくなって、もう、半年なんだよね。」
ユウキもまた、ユイと同じ様に夜空を見上げた。
「ユウキ・・・。私、やっぱり、何をすればいいのか、どうすればいいのか、分からないよ。何て言うのか・・・、右にも、左にも、前にも、後ろにも・・・、どこにも行けない。そんな感じがするの。」
ユイは独り言の様にそう言い、ユウキはじっと、ユイの言葉に耳を傾けている。
「あの子達は・・・、帰って来られなかった。あたしも、左手を失ったし、片目の視力が半分くらいになったけれど・・・、でも、こうして、生きている。息をして、おしゃべりをして、美味しいご飯を食べている。・・・本当ならね、逆だったんじゃないかって、思うの。あの子達は、帰って来られないと分かっていた。それでも、人間を救うために行ってくれた。バッドエンドだって分かっている物語を、最後までやり抜いたの。・・・私には、そんな事、できない。私はずっと、逃げ続けている。最初は、自分が生み出された理由から。・・・今は、生き残った事から。あの子達は、私なんかよりずっと、ずっと、何万倍も立派で、今も生きていれば、きっと、もっともっと、いろいろな事ができたはずよ。・・・私は、違う。私は、何をすればいいのか分からないし・・・、どうしたいのかも、分からない。」
「でも、ユイ。・・・貴女は、あの子達と一緒に行ったじゃない。一緒に、私達のために戦ったじゃない。・・・私はね、ユイ。貴女は、貴女にできるだけは、十分過ぎるくらい、頑張ったと思うよ。」
「・・・・・・。そうかな?」
「そうだよ。・・・あの子達だって、きっと、貴女だけでも生きて帰って来れた事を、喜んでいるはずだよ。」
ユイは、視線を落とすと、何かを思い出す様に双眸を閉じた。
「[新人]はね、最後に言ったの。私に、生きろって。・・・でもね、いくら考えても、何度も何度も考えても、私には生きるっていう事が分からないの。」
「ねぇ、ユイ。ユイは、[おじいさんとおばあさん]の事を毎日お参りをしていたおばあちゃん、知ってる?」
「え?う、うん、知ってるよ。あのお社に毎日、お参りをしていた人でしょう?・・・何か月か前に、亡くなった人。」
藪から棒なユウキの言葉に、ユイは戸惑ったように答えた。
「うん、そのおばあちゃん。・・・そのおばあちゃんがね、よく言っていたの。」
「どんな事を?」
「ただ、一生懸命にやりなさいって。」
「一生懸命に?」
「そう。・・・この世界には、どうしようもない事、分からない事が、たくさんあるの。だから、私たちにできる事は、一生懸命にやる事だってね。でも、こうも言っていたわ。例え全力を出し尽くしても、どうにもできない事もこの世界にはあるんだって。そんな時はね。」
「そんな時は?」
「立ち止まっても、逃げ出してしまっても、構わないって言っていたよ。・・・もちろん、ただ、目の前の出来事から目を背けたり、それを無かった事にしたりしろって意味じゃないよ?けれど、どんなに頑張ってもどうにもできない事、どうしようもできなかった事にこだわり続けて、そこからどこにも行けず、そのまま押しつぶされてしまうのは一番ダメだって。もしも全力でやってみて、それでもだめで、どうしようもなかったら・・・、その時は、全部やめにしてしまってもいいんじゃないかって。その代り、きっと、もう一度、何かに一生懸命になるの。例え失敗しても、望む通りにならなくても、もう一度立ち上がって、もう一度頑張るの。それが、おばあちゃん流なんだって。」
「でも・・・、私は、何を頑張ればいいのか、分からないのよ。」
「うん。分かってる。・・・おばあちゃんはこうも言っていたわ。もう一度何を頑張りたいのかは、自分で考えるしかないんだって。・・・こうやって生きていれば、その、何かを考える事ができる。だから、自分が何かを全力でやってみてダメだったら、そこで一旦立ち止まって、もう一度、自分が頑張れる事を探せばいいって。無理やり、自分をすり減らさなくてもいいんじゃないかって、あのおばあちゃんは、そう言っていたよ。ユイは、今は、ただ、じっくり考えればいいんだよ。今は、そうするべき時間なんだと思うよ?」
「そうかもしれないけど・・・。でも、あの子達は?・・・あの子達は、きっと、その、頑張る何かを見つけて、そのために死力を尽くして・・・、誰も、帰って来なかった。あの子達は、間違っていたの?」
「・・・・・・。どうだろうね。今、私達がこうやって生きていられるのは、あの子達が犠牲になってくれたおかげ。でも、あの子達は、私達に、こんな風に悩むための、考えるための時間をくれたんだと思う。・・・私達は、あの子達に命をもらった。だから、ユイ、残った私達は、これから何度失敗して挫折しても、悩んで、考え抜いて、何度でも立ち向かっていくべきだと思うの。」
「・・・・・・。そうかも、しれないね。」
ユイは頷くと、もう一度夜空を見上げた。
未だ、ユイの心には、重いしこりの様なものが残っている。それでも、ユイは、自分が何をするべきか、どうするべきかをきっと、見つけようと誓った。
少なくとも、今の自分にとっては、それが、生きるという事なのだと思った。
もしここまで読んでいただけたなら、それだけでも嬉しいです
ありがとうございました