第二話:[共同体]
:第二話:[共同体]
ホームにまばらに設置されたバルーンライトの明かりに照らされながら、一両の黄色い車両が鎮座している。
それは、かつて旅客列車として利用されていた電車を改造したもので、列車の編成の先頭車両だけを切り離し、それだけで前後どちらにも動かせるように改造したものだった。元々は片側にしか運転席が無かったが、別の運転席付きの車両から運転席だけを切り取ってくっつけ、前後両方に運転席が来る様にされている。改造の痕は生々しく、運転席を増設した側には溶接の肉盛りがそのまま残され、塗装されずに金属が剥き出しのままだ。改造してくっつけた側の運転席には、元からある方の運転席にある乗務員用の乗降口もついていない。
側面に三つずつ、計六個所の扉があり、ホーム側の三か所が開かれていた。今は、今朝地上の野営地を引き払って先ほど到着したばかりの[小隊]によって、ホームに集積された物資類、主に食料品と医薬品等の積み込み作業が行われている。
[新人]は、段ボール箱に箱詰めにされた食料を車内に運び込みながら、その電車を興味深そうに見まわした。
地上で、[新人]は他にも電車を見た事がある。それは破壊されて朽ちかけたものだったが、屋根の上にパンタグラフという、電力を取り入れるための装置がついていた。だが、この黄色い電車にはそれがない。
「それはね、第三軌条方式っていうんだよ。普通、列車は二本のレールの上を走るでしょ?このタイプは、そこにもう一本、電気を流す線が通っていてね、こいつはそこから電気を取り入れて走っていたのさ。・・・でも、今は電気が止まっているから、中に取り付けた発電機で起こした電気で走るんだけどね。だから、スピードもあんまり出ないの。ち・な・み・に、運転は、ボクがするんだよ!」
同じく荷物の運び込みをしていた[運転士]に尋ねたら、そう、どこか得意げに教えてくれた。確かに、車内には、トンネル内の連絡用に使われているトロッコよりも大型の発電機が備え付けられており、線路側に向けて排気管が取り付けられていた。過去に走行した時についた煤がそのまま残っている。
内装は、座席の多くが取り外されていた。乗車定員は[小隊]が余裕を持って座れる程度で、後は発電機と貨物のスペースに当てられている。天井から吊るされている吊革というものはほとんど残っており、[新人]にはちょっと不思議な光景に見えた。人間はあの吊革をどういう風に使っていたのか、分からなかったからだった。他にも、旅客列車として利用されていた当時の宣伝広告がいくらか残っており、それも[新人]には興味深かった。
外国語を簡単に習得できるとうたった広告や、仕事を転職する仲介をしますとうたった広告、美味しそうに飲み物を飲む人物が写された広告。他にも、いろいろあったのだが、手が止まっているところを[狙撃手]に見つかって叱られたので、[新人]は慌てて作業に戻った。積み込むべき物資はまだ何往復分か残っている。
ホームでは、[中尉]と[長老]、[ドクター]、それに、[大尉]という、[新人]は初めて会う[防人]が、折り畳み式の机の上に地図を広げて、何やら話し合っている。
実は、[新人]には、[小隊]がこれからどこへ向かわされるのか、詳しい話が知らされていない。何でも[共同体]という場所へ、[シェルター]から逃げ出した少女を探しに行くのだという事だったが、[新人]にはその[共同体]というのがどんな場所なのかさっぱり分からなかった。
同時に、[亡霊]と交戦した時に出会った少女を、あのまま引き留められなかった事を後悔した。あの場で引き留められていれば、この様にわざわざ探し出しに行く手間を取らずにすんだ。だが、[新人]のその後悔は、少しだけだった。
あの少女は、思いつめていた。自らの命を[亡霊]に差し出して、自身の全ての幕引きを行おうとするほどに。何故、少女がそこまで思いつめたのか。何故、せっかくの命を投げ出そうとしたのか。やはり、[新人]には理解できなかった。だが、少なくとも、あの場で少女を引き留められなかった事で、あの少女は、自身が望んだ何かを手にする機会を得られたのではないか。そう思った。いや、そう思いたかった。
もちろん、少女が去り際に言った様に、それが少女にとって良い事だったのかは、まだ決まっていない。それは、これから少女を探し出せば、自然と分かる事だ。
[新人]は、もう一度少女に会って、彼女が何を思い、何のために、安全な[シェルター]から出たのか、知りたいと思った。
[共同体]というのは、その少女が向かったかもしれない場所の一つらしかった。それも、かなり有力な候補らしい。
それなら、もっとたくさんの[防人]を送り込めばいいのに。[新人]はそう思ったが、どうやら他の仲間は違う様子だった。皆、全てを心得た様子で、黙々と出発の準備を進めている。
どうやら、[共同体]というのがどういう場所なのか、他の仲間は知っている様だった。だが、[新人]には、秘密にされている。
「行けば分かるさ。」
[狙撃手]に尋ねると、素っ気なく返された。
「それはね、サプライズだよ。」
[運転士]は、そう言って誤魔化した。
[ドクター]なら、何か教えてくれるかもしれないと思ったが、今は打ち合わせの最中で、とても話しかけられる様な雰囲気ではなかった。
「まぁ・・・、行けば、分かるか。」
[新人]は、そう呟いて残念がる他は無かった。
それほど経たずに、物資の積み込み作業は終わった。打ち合わせも終わり、出発する準備は全て整った。
だが、腹が減っては何とやら、で、出発の前に腹ごしらえをする事になった。[小隊]と連絡役として加わった[大尉]は、穴だらけのドラム缶でたかれた焚火を囲む。焚火の周りには元々ホームにあったベンチや、電車から取り外されたらしい座席を用意して座った。それから焚火の上でレーションを温め、全員に食事が行き渡ってから食べ始める。
その日のメニューは、いつもの肉の缶詰と、豆と野菜のコンソメスープ缶詰。それらに加え、例のごとく大きな乾パンとティーパック、飴玉が入ったパックが渡された。
その日の食事は、少し雰囲気が違った。いつもなら自然と始まる会話が無い。皆、無言のまま、黙々と食べ進めて行く。
さっきまで[新人]は気づかなかったのだが、皆、どこか緊張している様子だった。[運転士]などは一見すると普段通りの様でもある。だが、普段なら真っ先に話始めるのに黙っているのだから、やはり緊張しているのに違いなかった。原因は、さっぱり分からない。だが、敢えて予想するなら、[共同体]の事だろうと[新人]は思った。
やはり[共同体]の事を知りたいと[新人]は思ったが、とても話始められる様な雰囲気ではない。他の仲間と同じ様に、黙々と食事を平らげる他は無かった。
それから、食事を終えた[小隊]と[大尉]は、後始末を終えると、全員で黄色い電車に乗り込んだ。
発電機が起動され、車内に明かりが灯る。進行方向側の運転席に[運転士]が座り、車両のライトを点灯させた。照らし出された先で、ホームの端の隔壁が、ホームに残る警備の[防人]達の手で開かれていく。その先には、トンネルの暗がりが、どこまでも続いている様に見えた。隔壁が閉じられていた事からも想像できる通り、そのトンネルはあまり使われていないか、封印されていた様で、どことなく寂しげな空気が漂っている様に思えた。
[運転士]は一度振り返り、全員が座席に腰かけている事を確認した。
「それじゃぁ、出発させまーす。」
それから[運転士]はそう告げると、開いていた車両の扉を閉める操作をし、車両のブレーキを解除。前進させるために、車両のモーターに電力を送り込んだ。
モーターに通電するのと同時に、車内の明かりが一瞬、暗くなる。発電機が唸りを上げ始めると明かりは元に戻り、電車は車輪から軋んだ音を発しながら前進を始める。
速度は[運転士]が言っていた通り、大して出ない。だが、車内の発電機と乗車スペースを隔てているのは薄い防音壁が一枚だけで、発電機の音と振動がはっきりと伝わってくる。
[新人]は、車両の窓に沿う様に配置されているロングシートに腰かけながら、電車が出発したばかりのホームを見た。一端開かれた隔壁が、電車が出るとすぐに閉められていき、再び、しっかりと閉じられるのが見えた。
つまり、その隔壁から先は、[防人]が頻繁に出入りをする様な場所では無いという事だった。その先にある[共同体]という場所について何も知らない[新人]は、不安な気持ちを抑えきれなくなった。
「ぁのぅ・・・、[ドクター]、ちょっと、質問してもいいでしょうか?」
相変わらず[小隊]内の会話は少なく、話しかけづらい雰囲気だった。[ドクター]の隣に席を移した[新人]は、彼女へ何とか話しかける。
「なぁに?[新人]ちゃん。」
車両に積載された物資のリスト、主に医薬品に関連したものの目録に目を通していた[ドクター]は、一見するといつも通りの様子だった。
「そのぅ・・・、[共同体]について、教えて欲しいのですが。どんな場所なんでしょうか?」
問われて、[ドクター]は視線を何故か[中尉]の方へと向けた。[中尉]は強張った無表情で、じっと二人の方を見つめている。
釣られて、[新人]も[中尉]の方へ視線を向けると、[中尉]は程なくして、小さく頷いた。どういう意味があるのか[新人]には分からなかったが、[ドクター]には伝わった様子で、同じ様に小さく頷き返した。
「その事は、[新人]ちゃん。[中尉]に聞いてみなさい。」
[ドクター]にそう言われて、[新人]は困ってしまった。
[小隊]の雰囲気はいつもと違う。そして、いつもと最も違う様に見えるのが[中尉]だった。無表情を保とうとしているが緊張している様子が見て取れ、話しにくかった。
[新人]が迷っていると、[中尉]の方が先に行動した。[中尉]は立ち上がると、[新人]の近くまでやってくると、あたふたとしている[新人]には構わず、短く述べた。
「きちんと話をします。・・・少し、こちらへ来てください。」
有無を言わさぬ口調だった。[新人]はごくりと生唾を飲み込むと、[中尉]に従い、車両の奥へと移動した。
防音壁の手前、貨物スペースに積まれた段ボールの谷間へやってくると、[中尉]は[新人]へと向き直り、口を開いた。
「[新人]。私は以前、貴女に、地上に人間などいない、そう話しましたね?」
「ぇっ・・・?ぁっ、はい、そうでしたね。」
その話と、[共同体]と、どういう関係があるのか[新人]には分からなかった。
戸惑う[新人]には構わず、[中尉]は言葉を続ける。
「あれは、嘘です。」
[新人]は、数回、瞬きを繰り返し、きょとんとした。
「えっと、どういう事でしょうか?」
「地上にも、[シェルター]以外にも、人間はいる。そう言っています。」
[中尉]ははっきりと言ったが、[新人]はすぐには理解できなかった。
「今我々が向かっている[共同体]とは、[シェルター]の外で生き残った人間が作った街の事です。じきに、貴女も自身の目で確認する事になるでしょう。」
[新人]は、ようやく理解できた。
どんな場所かは想像もつかなかったが、少なくとも生きた人間が暮らしている街であるらしい。だが、同時に、納得できない点もある。
何故、そんな場所がある事が秘密にされていたのか。[新人]に刷り込まれた知識の中にも、[小隊]と共に過ごしたこれまでの僅かばかりの日々の中でも、[共同体]という情報の断片すらなかった。そして、それを、何故、[小隊]の他の隊員は、さも当然の事の様に知っているのか。
「何故教えなかったか、ですか?・・・それは・・・・・・、個人的な、理由です。あの場所の事は、話したくありませんでした。いつかは伝えるべき話ではあると思ってはいましたが、それは、まだ先の事だと思っていました。」
[中尉]は、[新人]が質問するより先にそう答えた。[新人]の考えを全て見透かしている様な具合だった。もっとも、[中尉]も[新人]も、根本的には同じ[防人]であり、年長の[中尉]からしてみれば、[新人]の考えを先読みする事は容易なのかもしれなかった。
それから[中尉]は視線を[新人]から一度外し、小さく深呼吸した。恐らくは自分の気持ちを落ち着けるための仕草だ。
「何か、他に聞いておきたい事はありますか?貴女は私の部下であり、仲間です。できるだけ、の範囲になりますが、知る権利があるでしょう。」
地上にも人間の生き残りがいるという事実と、これからそこへ向かうという現状。[小隊]全体に漂う異様な雰囲気は、その[共同体]に起因する事は明らかだった。
[新人]は[中尉]の言う個人的な理由、そしておそらくは[小隊]を暗くしている原因を知りたかったが、直接それを尋ねられる様子では無かった。
「えっと・・・、その・・・、[共同体]には、どれくらいの人がいるのでしょうか?」
「約五千人、と言ったところでしょうか。自前の行政組織と、まとまった規模で重装備も保有する自衛部隊がいます。他にも、同じ様に人間の生き残りが作った、より小規模な集団が幾つかあります。ですが、[防人]がまともに交流した事があるのは、[共同体]だけですし、他の集団についての詳しい情報はありません。」
「その[共同体]、[小隊]の他の人は知っていたみたいですが?」
「[小隊]は、[共同体]と一定期間、行動を共にした事があります。」
[中尉]は、そこで言葉を区切った。そこから先、どこまで[新人]に話して良いかを考えている様だった。
「・・・我々、[小隊]は、元々、[シェルター]の外で生き残った人々と、[シェルター]を防衛するために生み出された[防人]が共存していけるかどうかを確認するために作られたのです。もちろん、[シェルター]防衛のために地上の監視、観測を行うという任務もありましたが、主目的はあくまで[共同体]との共存。・・・[シェルター]以外の人間と行動を共にできるか、その人々に[防人]と言う存在は受け入れてもらえるのかを、確認するという試みでした。」
[新人]は、[中尉]の話についていくだけでも手一杯だった。何せ、[新人]は[防人]として製造されてから半年と少ししか生きておらず、製造の課程で様々な知識を教え込まれてはいたが、それらを元に何かを考えたり、洞察したりする事には全く慣れていない。
「それは・・・、どうなったんですか?」
「一年ほど前に、任務は中断されました。それ以来、我が[小隊]は地上の監視、観測任務だけを続けてきました。・・・私から言えるのは、それだけです。」
[中尉]は、肝心なところを曖昧にした。
さすがの[新人]にも、[小隊]が設立された目的の一つである、[共同体]と[防人]の共存を巡る実験で何かがあったのだろうと察する事ができた。もちろん、その何かがどんな出来事だったのかは見当もつかなかったが、[小隊]にとっては深刻な出来事だったのに違いなかった。
「[新人]。これから[小隊]は、[共同体]の中で、例の少女を捜索します。・・・そう心配する事はありません。[共同体]と、我々[防人]は、友好関係にあります。一年前に我々はあそこを離れましたが、今でもそうであると信じられます。あちらも、我々に協力してくれるでしょう。・・・ただし、絶対に。」
[中尉]は、そこで言葉を区切ると、身体を[新人]へと寄せ、[新人]の肩に手を置き、その手に力を込めた。
「絶対に、単独行動はしないでください。・・・絶対に、私や、仲間の目から離れた場所には行かないでください。部隊長として、・・・私個人として、厳命します。」
[新人]はまだ、[中尉]や[小隊]の仲間の事を詳しく理解してはいなかった。出会ってから一週間と数日経過しているのに過ぎず、何となく仲間達の性格の概要をつかみ始めているぐらいだった。それでも、今の[中尉]の言葉には、強い感情が、祈りや、願いといったものが込められているのを感じた。
「了解です。」
急に明かされた事実に[新人]はまだ戸惑っていたが、[中尉]に向けてはっきりと頷く。
「・・・・・・。[共同体]は、それほど遠いところではありません。さほどせずに到着します。[新人]、貴女は、私が今言った事を決して忘れず、順守してください。貴女はとにかく、私や、他の隊員の指示を聞いてください。自分の判断で動く必要はありません。」
[中尉]は念を押す様にそう言うと、[新人]から手を離し、自らの席へと戻っていった。
[新人]はその背中を見送ると、視線を窓の外へとやった。窓の外にはトンネルの壁面が見えるだけだったが、車内の明かりの関係で、窓に自分の表情が映って見えた。
そこに映っているのは、その車両に乗っている他の[防人]と同じ顔だった。大都市の廃墟の下で、[シェルター]を守っている数千の[防人]と同じ顔だった。
だが、その全てが、少しずつ違っている。[新人]は生み出されて日が浅いが、[小隊]に配属されてから、その事が分かってきた。見た目が同じ、声も同じ、それでも[防人]達は、それぞれ別のものを見て、異なる感情を持ち、様々な思いや考えを抱いている。
先ほど目にした[中尉]の表情を、[新人]はこれまで見た事が無かったし、そんな表情をすると想像した事すらなかった。真剣で、必死で、それでいて、抱えきれない感情を精いっぱい抑え込んでいる様な、張り詰めた表情だった。[新人]には、そんな表情は真似できない。[中尉]にはよほどの強い思いがあるのだろうと、[新人]は車窓に映った自身の顔を眺めながら思った。
ふと、[新人]は、偶然出会った少女、これから探しに行かねばならない少女の言葉を思い出した。彼女は、他人は、結局他人でしかなく、理解できるわけがないと言っていた。
確かに、[新人]には[中尉]が何を考え、何を思っていたのか、正確なところは分からない。だが、[中尉]の思いの強さは、明らかに[新人]にも伝わっている。
少女の言っていた事は決して、間違ってはいないのだろう。だが、正確でもない。[新人]にはそう思えた。
「[新人]、思っていたより冷静なんだな?」
やがて席に戻った[新人]に、意外そうな表情をした[狙撃手]が声をかける。
「冷静、というのは?」
「[共同体]の事、[中尉]が話したんだろ?もっと、驚くと思っていたからさ。」
「ああ・・・、いえ、そんなんじゃないっすよ。」
感心している風でもある[狙撃手]に、[新人]は恥ずかしそうに右手で自身の後頭部をかいた。
「何て言いますか・・・、いろいろあり過ぎて、頭が追い付いていかないんです。」
「なるほど。そりゃ納得だ。」
「それでですね、できれば、[共同体]について、もっと教えて欲しいのですが。」
「そう来るか。・・・ま、[中尉]が話したんだから、少しぐらい平気だろうさ。」
[狙撃手]は同意すると、顎に手を当てて考え込む。
「うーん・・・、[共同体]ってのが、どんな場所かは、もう聞いたんだろう?」
「はい。地上にある、人間の街だと聞きました。[小隊]が元々、その街で人間と[防人]が共存していけるかを実験するために作られた事も聞きました。」
「そっか。私も、地上にある人間の街を初めて見た時はそりゃあ驚いたよ。まぁ、街っていっても、元からあった廃墟に手を入れて住んでいるだけなんだけどね。上の方はほとんどボロボロのまま、人間達は地下街と地下のトンネルに住んでるんだ。昔の[シェルター]と同じさ。少しでも安心して眠れる場所は地上には無い。[亡霊]から隠れる必要があるからね。でも、ずっと地下に篭っているわけじゃない。[共同体]の近くには昔の大きな公園があって、そこの地面を耕して畑を作っているんだ。」
「はたけ?何ですか、それは?」
「食べられる植物を、人間達が世話をして増やしているところさ。[亡霊]は目が悪いから、夜間にこっそり出て行って、こっそり世話をして、できた植物を収穫して、みんなで食べるのさ。」
「へぇ、食べられる植物を、ですか。」
[新人]は、その畑というものを思い描いてみた。しかし、[新人]が見た事がある植物と言えば、廃墟の中にしぶとく根付いた雑草や、雑木、蔦植物などで、これだ、という姿は出て来ない。普段食べているものが、どの様に生えているかなど、[新人]は知らない。
「[共同体]は、そうやって食べ物を自給して運営されているんだ。と言うより、食べ物を自給できるようになったから、[共同体]が出来上がったのさ。他にもいろいろなものを自分達で作っている。地上のどこかから運んできた発電機や、工作機械があって、そこでは武器はもちろん、複雑な機械何かも作れる。電車以外にも、車っていう、道路を走る機械もいくらかあって、まだ動くのもある。」
「車って、あの、瓦礫なんかに潰されて、錆びている奴ですよね?昔、人間が移動するのに使っていたっていう。」
「そう、それ。・・・それから、[共同体]には、大きなマーケットがあるんだ。」
「まーけっと?」
「いろいろな品物を持ち寄って、品物と品物を交換している場所さ。欲しいものを交換するためには、こっちも相手の欲しがってるものを持っている必要があるんだけどね。でも、条件さえ合えば何でも交換できるし、いろいろなものが揃う。とても賑やかな場所だったな。」
「へぇー・・・。」
[新人]は、感嘆の吐息を漏らした。
「任務で行くんだから、こう言うと不謹慎かもしれませんが、[共同体]に行くのが何だか楽しみになってきました。」
「ああ。けど、決して浮かれないでくれよ。私らから離れて単独行動は絶対にしない事。目の届かない場所へ行かない事。[中尉]にも、そう言われただろ?」
表情を明るく輝かせる[新人]に、[狙撃手]は忠告する。
「その・・・、[共同体]っていうのは、やはり、危険な場所なんですか?」
これだけ強調されるのには、理由があるはずだ。[新人]は尋ねずにはいられなかった。
「いや、危険何て無いさ。あそこの人間のほとんどは、[防人]に悪い感情は持っていない。みんな、いい人達だよ。」
[狙撃手]は微笑んで見せたが、その言葉にはどこか影があった。
やはり、[小隊]が[共同体]を去った理由、何かの出来事が、[狙撃手]に影を持たせているのだろう。[新人]はその何かが自身に明かされない事をもどかしく思ったが、尋ねても教えてはもらえない事も分かりきっていた。
訓練課程で、様々な知識を無理やり刷り込まれたので、[新人]はそれなりに物事を知っている。だが、世界がそう単純ではなく、複雑で、簡単にこうだと決められる様なものでは無い事は、既に分かり始めていた。
「そろそろ、おしゃべりはやめにしようか。[共同体]のホームに着くころだからね。」
疑問を解決できずに煮え切らない表情をしていた[新人]に、[狙撃手]が言った。
すぐに、電車の速度が落ちた。[狙撃手]が言う様に、[共同体]に近づいた様だった。
[防人]達を乗せた黄色い電車は、何度か警笛を鳴らしながら、人間が歩くくらいの速度でホームへと近づいていった。
トンネル内に、警笛の音が反響する。ホームはしばらく使われていなかった様で、明かりの類は無く、物はほとんどどこかへ持ち出された後らしく、閑散としていた。
そこは[共同体]の領域のはずだったが、[防人]達が敢えて目立つ様にしてやってきたのにも関わらず、何の反応も無かった。
「[運転士]、消灯を。それから、停車後に発電機を停止。念のため様子を見ます。」
「了解。」
[中尉]から指示が出され、[運転士]が短く返す。
すぐに、辺りは暗闇に覆われ、静寂に包まれた。[防人]達は姿勢を低くし、じっと暗がりに耳を澄ませる。
微かに、聞こえる音がある。トンネルの壁面から染み出した水分が水滴となってしたたり落ちる音。トンネルの遥か先から聞こえてくる風の唸り。息を殺した[防人]達の微かな呼吸の音。自身の心臓の音さえ聞こえる。
今回の任務に当たって、[小隊]に一つだけ支給された暗視装置を使い、[大尉]と、[中尉]が交互にホームを索敵した。だが、動くものは何も見つけられなかった。
やがて、上の方から、規則的な音が聞こえてきた。それは複数の足音で、最初は小さく、徐々に大きくなっていく。足音は[防人]達が履いている様な、靴底に滑り止めの鋲が打ってある靴のものらしかった。
人が、来る。当然、武装しているはずだ。[新人]は傍らの小銃を手に取り、いつでも射撃体勢を取れる心づもりをした。
「[新人]、武器を下ろしなさい。使う事はありません。」
暗がりの中で[新人]の動きをどうやって察知したのか、[中尉]がそう言った。[新人]は、初めて遭遇する人々を前に不安だったが、[中尉]の言葉に従って小銃を元の場所に戻した。
「まだ、様子を見ます。いきなり撃って来る事は無いとは思いますが、念のため、全員、姿勢は低く。分かっているとは思いますが、こちらからは武器を相手に向けない様に。」
[中尉]が、その場にいる全員にだけ聞こえる抑えた声で指示を出す。
やがて、近づいて来ていた足音が一斉に消えた。
ホームにまで降りて来た様子は、まだない。ホームに入る手前で、一旦立ち止まった様だった。
何をしているのだろう。[新人]は不安に耐え切れず、そっと姿勢を上げて、窓から外をのぞき見る。もっとも、そこには暗闇があるだけで、人間より夜目が効く[防人]の目にも、ほとんど何も見えなかった。
だが、突然、光が溢れた。
どうやら、そのホームの照明は、全部ではないが、多くがまだ生きていた様だった。突然ホームに残されていた照明が点灯し、暗闇を駆逐した。
目を凝らしていた[新人]の視界は、その瞬間、真っ白に染まった。
「ぅわっ!!?」
[新人]は、悲鳴と共にのけぞり、尻もちをついてしまった。
「めっ、目がっ!?目がーっ!!?」
「しっ![新人]ちゃん、静かに!」
パニックに陥る[新人]の口を、すかさず[ドクター]が塞ぎ、やみくもに暴れない様に押さえつけた。
ホームに、再びたくさんの人間の足音が響く。同時に、何かを引きずる様な音も混じる。
ホームに飛び込んできたのは、[防人]と同じ様な迷彩柄の野戦服と、[防人]には滅多に支給されない上質な防弾装備を身に着けた兵士がおよそ十人。それと、紺色や青色を基調とした制服と、兵士と同じ様に防弾装備に身を包んだ人間が八人。先頭は自動小銃で武装した重装備の兵士で、その内の三人は銃撃戦になった場合の盾に使うつもりか、長い鋼鉄製の板を引きずりながら運んでいる。制服を着た人間達も武装していて、自動小銃の様な外観をした短機関銃を構えているのが三人、ポンプアクション式の散弾銃を装備した者が二人、自動式の拳銃を装備した者が三人いた。
人間達は、防弾板を正面に据え付け、前列に伏せたり屈んだりしながら小銃を構える兵士が配置に就き、後列に制服姿の人間達が中腰で武器を構えながら配置に就いた。人間達の幾人かはフラッシュライトを銃や肩、頭部に装備しており、[防人]が隠れている車両に光を向けていた。恐らくは目くらましにする意図があるのだろう。
もっとも、そんな事をせずとも、迂闊な[新人]の視力は既に奪われてしまっていたが。
人間達は、戦闘配置を取ったまま動きを止めた。
何か、[防人]側に呼びかけでもあれば対応も取りやすいのだが、人間側が動きを止めてしまったので決めかねた。
「さて・・・、どうする?[中尉]。」
「まだ、少し様子を見ます。全員、顔を出さない様にしてください。」
[大尉]の小声での問いかけに[中尉]はすぐに答え、[小隊]は[新人]を除いて全員が頷いた。
状況は膠着していた。無暗に動く事などできなかった。[中尉]も[小隊]も、自分達を攻撃する必要性は[共同体]に無いと信じていたが、万一という事もある。窓から顔を出した瞬間に撃たれたりしたら、たまったものではない。
お互いに、身動きの取れない、嫌な感じのする時間が続いた。時計の秒針が動くのがいつもより遅く感じられ、緊張で張り詰めた状態が続く。
「あーっ、やっぱり、誰か来たんだっ!」
唐突に、場違いに明るい声が響いた。
それは、若い女性の声だった。それも、良く通る、その声を耳にするだけで気分が明るくなるような気がしてくる声だった。
[新人]はその声を初めて聞いたのだが、[小隊]の他のメンバーは聞き覚えがあったらしい。[防人]達は顔を見合わせると、ほっとした様にほほ笑み合った。
声の主は、勢いよくホームへと駆け込んでくる。だが、そこで、人間の兵士の一人に制止された。
「おい、ユウキ!危ないから下がってろ!」
「えーっ?危なくないでしょ。だって、あの電車、[防人]の子達のでしょ?」
「そうと決まったわけじゃないだろ![亡霊]だったらどうするんだ!?」
「はーっ、マコトさん、分かってないわね?アレが[亡霊]だったら、とっくに私達攻撃されているよ。第一、電車を動かすのなんて、[防人]のあの子達以外にいないでしょ?見覚えのある車両だし。ねぇ、マコトさん?私の方が一個年上で、あっちこっちいろいろ見て回って物知り何だから、たまには大人しく言う事を聞いたらどうなの?」
「っ、うっさい!とにかく、仕事の邪魔だ、引っ込んでろ!」
ユウキという名前らしい女性から、マコトと呼ばれた兵士は、口での説得を諦めたのか、挑発されて頭に血が上ったのか、強引にユウキをホームから追い出そうとつかみかかった。
ホーム中に響き渡る様な、甲高い悲鳴が轟く。
「きゃーっ!!マコトさんのえっちっ!ヘンタイっ!!すけべっ!!」
「ちょっ、ばかっそういうんじゃなくてだなっ!?」
単純な力なら、屈強な兵士であるマコトの方が上回っているのだが、彼は悲鳴に怯んだらしく、ユウキはその隙に彼の腕から逃げ出した。
「へっへーん、捕まえてごらーん。」
「あっ、おい、待てって!」
ユウキは何故か楽しそうに舌を出すと、追いすがるマコトの腕をひらりと身軽にかわした。それから、まるで犬の様なすばしっこさで臨戦態勢の兵士達の隙間をかいくぐり、あっと言う間に、[防人]達が隠れている車両へとたどり着いた。
様子を見守っていた[防人]達の頭上に、にゅっとユウキの顔がのぞく。
ユウキは、兵士の格好も、制服の格好もしていなかった。動きやすそうなジャージの上下で、長く伸ばした黒髪を水色のリボンで束ねてジャージの襟首から服の仲へ納めている。武器になりそうなものは何も身に着けていない。
[防人]達は、自然とユウキに視線を向けた。中でも、[小隊]に元々いたメンバーは、旧友に会う様な笑顔を浮かべていた。
「やっぱり![防人]の子達じゃない!」
ユウキは手を打って喜び、瞳を輝かせた。
先ほどまで張り詰めていた空気は、ユウキが登場した事で一気に弛緩した。
射撃姿勢を取っていた人間達は武器を下ろし、互いに「どうなってんだ?」とでも言いたそうに顔を見合わせ、肩をすくめた。姿勢を低くして身を隠していた[防人]達は立ち上がって姿を見せ、閉じていた電車の扉は開け放たれた。
「わーっ、みんな、久しぶりだね!さっ、下りて来てよ!」
ユウキはそう言いながら、電車から[中尉]をホームへ引っ張ると、勢いよく抱き着いた。
「[中尉]ちゃんだ!元気そう、よかった!」
「おかげさまで。ユウキも、相変わらずの元気さですね・・・・・・。」
次に、[長老]が引っ張り出され、ユウキに抱き着かれた。
「また会えた![長老]さん、少し痩せた?」
「少しの。まぁ、もうしばらくは何とかなるじゃろう。」
その次は、[ドクター]。
「[ドクター]、久しぶり!おかげさまで、私は元気です!」
「あはは。私は、自分のやりたい様にやっただけですよ。」
[運転士]は、自分からユウキに抱き着いた。
「やっほ、ユウキ!ボクだよ!」
「わっ、[運転士]ちゃん!子供達がみんな、寂しがってたんだよ~。」
[狙撃手]とユウキは互いに抱き着いた後、握手を交わした。
「師匠、お久しぶりです。相変わらずで逆にほっとしました。」
「元気が私の取り柄だからね![狙撃手]ちゃん、腕は鈍ってない?」
「もちろん。」
ユウキは[大尉]にも抱き着こうとして、寸前で初めて会う相手だと気づいてやめた。
「どうも、初めまして。[大尉]とお呼びください。[師団本部]から参りました。」
「あっ、その、こちらこそ、初めまして。よろしくお願いします。」
その場の雰囲気を読めない(あるいは、読まない)性格であるらしいユウキだったが、遠慮する事はきちんと理解している様子だった。
最後に、[新人]の番になった。
「えっと、あの、[新人]です。初めまして。」
[新人]はとりあえず自己紹介が必要だろうと思って、簡単に名乗った。だが、ユウキはそれには反応せず、[新人]の顔をまじまじと眺めた。
「あの・・・、何ですか?」
戸惑う[新人]を尚も見つめていたユウキは、やがて、小さな声で呟いた。
「・・・かわいい。」
それから、問答無用で[新人]を抱きしめた。
「ぅへぇぁっ!?何するんですかっ!?」
半分は予測できていた行動だったが、[新人]は誰かに抱きしめられるのは初めてで、何だか気恥ずかしく、何とか逃れようとした。だが、ユウキの力は存外強く、[新人]はユウキによって思う存分ぎゅっとされた。
「ユウキ、[新人]を窒息させないでください。」
「っと、ゴメンごめん!」
呆れた様な[中尉]の言葉で我に返ったユウキは、慌てて[新人]を解放した。
柔らかな感触から解放された[新人]は、急いで自身の肺に空気を取り込んだ。ユウキは[防人]達より少し背が高く、思い切り抱きしめられると口も鼻も塞がってしまう。
「[中尉]ちゃん、この子、誰?新しい子?」
「はい、そうです。本人も自己紹介で言ったと思いますが、皆、[新人]と呼んでいます。[小隊]の欠員を補うため、つい最近、配属になりました。」
「・・・・・・。ふぅん、そうなんだ。」
ユウキは[中尉]の表情を黙って見つめた後、[新人]からそっと離れた。
「じゃあ、私がいろいろと、[共同体]の中を案内してあげるね!」
それから、明るい口調と笑顔でそう言った。
「こら、ユウキ!勝手に話を進めるな!」
天真爛漫に振る舞うユウキを制止したのは、先ほど彼女からマコトと呼ばれていた人間の兵士だった。[防人]が身に着けている鉄帽によく似たヘルメットの下から覗く顔の印象は若く、ユウキと同じく20歳前後に見える。
その場にいる他の人間達は皆、マコトより随分年配に見えた。上の者で50代、下の者でも30代ほど。階級も職責もマコトよりは上のはずだったが、どうやら、同年代の知り合いの方が話をつけやすいだろうという事で、マコトが前に出された様子だった。
「いいじゃない、別に。みんな知り合いだし。一年前まで、一緒に暮らしていたじゃない?」
「そういう事じゃなくてだな、この人達も、何かの任務でここに来ているはずだろ?その目的が分からない内は、中には入れられない。」
怪訝そうなユウキに、マコトは身振り手振りを交えて説明する。
「何よ、マコトさんのケチ。」
ユウキは、不満そうに唇を尖らせる。
「ケチって、お前な・・・。」
「堅物。頑固。いじわる。」
ユウキはマコトを責めつつ、威圧する様に一歩、また一歩と迫っていく。
「いや、あのな?今、分隊長が上にもちゃんと聞いているところだからな?」
マコトはたじたじとなって、ユウキをなだめる様に両方の手の平を向けながらじりじりと後退する。ユウキは、マコトをねめつけながらさらに迫った。
マコトを送り出した人間達が、ひそひそと何やら相談している。
「やっぱ、知り合いだからってユウキちゃんの説得をやらせたのはかわいそうだったんじゃ・・・?」「・・・かもな。ユウキちゃんもあれで意思が固いから・・・。」「いやいや、惚れた弱みってやつでしょう。」「こりゃ、将来は尻に敷かれっぱなしですな。」
何とも呑気な内容だった。
その間に、マコトはとうとうホームの際へと追い詰められていた。もう一歩でも後退すれば線路に落ちてしまう。ユウキは、流石にマコトを線路に突き落とすほど迫りはしなかったが、マコトを睨みつけたまま、彼の顔の至近に自身の顔を寄せて容赦なく圧力を加え続けている。
「たっ、隊長ぉっ!」
追い詰めらたマコトは、とうとう助けを求める様に、悲鳴じみた声を上げた。
「あー、ゴホン。」
人間の中で一番年配の男性兵士が、咳払いをして周囲の注目を集めた。彼がここにいる人間では最も立場が高いらしく、無線機を使ってどこかとずっと連絡を取り合っていたのだが、どうやら結論が出たらしかった。
「上から許可が降りた。[共同体]は[防人]の来訪を受け入れる。ただし、まず、最初に、誰か代表者に、上に我々と一緒について来てもらって、ここへ来た目的を説明して欲しい。それまでは[共同体]内での行動は制限させてもらうし、代表以外の[防人]は一旦、ここで待機して欲しい。」
その提案を受けて、[中尉]は小声で[長老]と[大尉]に何事かを相談する。話はすぐにまとまった様子だった。
「その提案を受け入れます。代表者は私と、こちらの[大尉]の二名。他の人員はこの場で待機させます。」
「了解した。では、こちらは私が先導する。・・・おい、2名、ついてこい。警察部隊は上に帰還せよとの事だが、後の者はこのまま周囲の警戒を維持。ただし、[防人]に武器は向けるな。彼女達は客人だ。」
年配の兵士は頷くと、すぐさま部下達に指示を下した。
最初はどうなる事かと気が気ではなかったが、どうやら上手くまとまりそうだと、[新人]はほっとした心地になった。
[中尉]達が戻ってくるまで、それから、一時間ほどを要した。
待っている間、[防人]達はその場に適当に腰を下ろして待つ事にした。電車内に戻っても構わないのかもしれなかったが、人間達から見えない位置に移動する事で不要な詮索をされたり、疑念を抱かれたりする事を避けるためだった。
地下のトンネルは肌寒く、待っている間の暖を取るため、人間達は焚火を用意してくれた。ホームに放置されていたドラム缶に、ホームの片隅に積み上げてあった薪をくべ、火をつけると、炎は勢い良く燃え上がり、周囲をじわりと暖める。
電力を節約するためにホームの照明は、そのほとんどが落とされた。[防人]も人間も、明かりと暖を求めて、自然と焚火の周りに集まった。
[新人]は、初めて目にする人間達の様子を、興味深く観察する。
まず、[新人]は、人間の一人一人の容貌が、それぞれ大きく違っている事に驚いた。そもそも[新人]は、[防人]の顔、全て同じ顔を見ながら、生まれてからの短い期間、これまでの全ての時間を過ごしてきた。[防人]の顔も見慣れれば何となく見分けがつく様になるのだが、[防人]を見分ける事の方に慣れ切っている[新人]からすれば、人間の一人一人の違いは、驚きでしかなかった。
その上、人間には[防人]に無い特徴が他にもある。それは、年齢の違いが、判別できるほど現れる事だった。肌の質感や皺、髪の状態、それにその物腰。[防人]は生まれてから廃棄されるまでの約二十年間、ずっと容姿は変わらない。戦前、人間の平均寿命は八十年ほどあったのだという。[防人]は人間を元に生み出されていたが、二十年のサイクルで消費されるものとして作られているため、人間の様に[年を取る]という要素を排除されたのだろう。[防人]よりも何倍も長い時間、変化しながら生き続けるというのはどんな心地なのだろうかと、[新人]は興味を持った。
一見して、[防人]と人間は似てはいるものの、大きく違う存在だと分かったが、類似している点もあった。それは表情だった。[防人]にも感情はあり、特に[小隊]に所属する人員は感情表現が豊富だった。だから、人間のそれも、[防人]よりもさらに複雑ではあるにしろ、ほとんど読み取る事ができた。
人間達は、概ね[防人]達の存在に理解を示している様子だった。お互いに任務であるため、同じ焚火の周囲に集まっていても、人間達と[防人]の間で雑談する様な事は無かったが、明確に嫌悪の感情や、強い警戒を示している人間はいない。[中尉]が、[小隊]が一年前までこの[共同体]で人間と一緒に暮らしていたと教えてくれたが、それは特に問題なく、上手く行っていたのだろう。
だが、多少、気味悪げな表情を浮かべる人間はいた。人間からすれば、[防人]は誰もが同じ容姿だ。[防人]が自分達と似ているだけに、その事が余計に気になるのだろう。
もっとも、それはあくまで多少であって、[共同体]の人間と、[防人]は正常にコミュニケーションを成立させる事が可能だと思えた。
特に、ユウキは、[防人]との間に距離が無かった。再会するなり抱き着いてくる様な彼女の事だから、元々そういう性格なのかもしれなかったが、[防人]と人間は問題なく友情を結べるのだと信じさせてくれる。
[共同体]と[小隊]との間に問題が無かったのなら、何故、[小隊]はこの場所を去ったのだろう。[新人]は改めてそう思い、これから[共同体]で行動するうちに何かわかるかもしれないと期待した。
人間達を観察していて、ふと、[新人]は気づいた。ユウキと、マコトの二人は、他の人間が示さない類の表情を浮かべる事があった。
ユウキは、相変わらず思いついたままに行動している様だった。[小隊]の[防人]達と近況を話し合い、笑ったり、驚いたり、ころころと表情を変えている。人間の兵士達の間ではユウキは有名らしく、全員から知られていた。もしかしたら、ユウキは[共同体]の中で顔が広いのかもしれない。ユウキは誰にでも話しかけ、誰からも受け入れられている様子だった。何と言うか、犬がじゃれつく様な感じだった。マコトが、「いつになったら帰るんだ」とユウキを追い払おうとしたが、ユウキは「今日はお休みだもの、私の勝手ですよーだ」と、気に留める風も無かった。
その後も、ユウキは楽しそうにおしゃべりをしていたが、時折、マコトをからかいに行った。マコトはからかわれるたびにうっとおしそうな表情や仕草をするのだが、それはどちらかと言うと照れ隠しの様に見えた。ユウキも、マコトの反応を見ながら、笑うのだが、その笑い方が他の人や[防人]に見せるものと少し違っている様に[新人]には思えた。
[新人]には、その微妙な表情を上手く言い表す言葉が思いつかなかった。ただ、少し違う感情が二人の間にはあるのだろうという事だけが分かった。
それがどんな感情なのか、[新人]は不思議だったが、残念ながら知る術も無かった。本人達に聞けばいいのかもしれなかったが、無遠慮に質問していい様な話では無い様な気がした。
[新人]が好奇心に駆られていると、人間の兵士の一人に無線で連絡が入った。兵士は無線を通して会話をすると、[長老]に電車内を調べさせて欲しいと申し出た。どうやら、[中尉]が人間側に申告した内容が本当かどうか、確認したいという事らしかった。
[長老]はすぐに了承し、脚が不自由で機敏に動けない自分の代わりに、[ドクター]に電車内を案内する様に依頼した。[ドクター]はユウキとの会話を切り上げて立ち上がると、無線を受けた兵士と、その兵士に呼ばれたマコトを案内して、電車内へと入って行った。
特に問題も無かったらしく、確認はすぐに終わる。
上に向かっていた[中尉]達は、程なくして戻って来た。
自然と、[防人]達の視線が[中尉]に集まる。
「話は、まとまりました。少女の捜索に[共同体]も協力してくれるそうです。ひとまずは、警察組織に該当する部署に少女の目撃情報が無いか、問い合わせてくれるとの事でした。」
悪い結果にはならないだろうと予想はしていたが、実際に上手く行った様で、[防人]達は安心した様にお互いの顔を見合った。
「今日は、まず、このホームをお借りして、滞在するためのキャンプを設営します。少女の捜索は、明日、[共同体]からの情報提供を得てから実施します。」
[中尉]は簡単に今後の方針を説明し、[防人]達にそれぞれの役割を割り振る。ひとまず[共同体]に受け入れられた[防人]達は、翌日からの行動開始に備えて、すぐさま作業に入った。
翌日、午後になって、[小隊]のキャンプに人間が一人、訪ねて来た。
ユウキだった。パーカーに、継ぎはぎはあるが動き易そうなズボンとブーツといういでたちで、何度も使いまわされているらしい封筒にいくらかの書類を入れて持って来ていた。
「こんにちは。役場から頼まれて、[防人]さん達へ、[共同体]内での滞在の許可証と、あと、資料を持ってきました。・・・遅くなってごめんなさい。ちょっと、印刷機の調子が悪くって。」
仕事で来たためか、昨日の様に自由な振る舞いは無かった。だが、その表情は自然な笑顔で、もしかすると、自分から志願してここへやって来たのかも知れなかった。
[新人]は、救われた様な心地がした。昨晩はキャンプの設営を行ったが、作業自体はすぐに終わってしまい、今まで退屈を持て余していたからだった。周辺の防衛は人間側が行っており[小隊]の出る幕は無く、やる事と言えば、装備の点検と整備か、トレーニング、それと仲間との雑談ぐらいしかなかった。装備の確認は大事な事だったが、使わなければ劣化する事も無いので、3回ほど繰り返すと飽きてしまったし、トレーニングも何時間も続けてはいられない。
仲間と話すのは楽しかったが、[新人]は、電車内で[狙撃手]にいろいろ教えてもらった事もあり、[共同体]が実際にどういう場所なのか、早く目にしたくて仕方が無かった。[新人]は[シェルター]を守るべく生み出されたのだが、本物の人間というものを、訓練課程でも、任務に就いた後でも見た事が無い。[小隊]が、かつての戦争の犠牲者を埋葬する際にその遺体を目にした事があるぐらいだった。
人間は普段、どんな風に暮らしているのだろうか。自分が守るべき存在とはどのようなものなのか。知識ではなく、その実際の姿を知りたかった。[シェルター]の人間とは当然、違うのだろうが、気になって仕方が無い。[新人]はまだ、人間とはどういう存在なのかを知らなかった。
[共同体]内での行動は、[共同体]を運営している組織からの情報提供を受けた後、開始される事になっている。ユウキが持ってきた書類の中には、少女に関して[共同体]から提供される情報も含まれているはずだった。事前に[小隊]がどういった行動をするべきか、[中尉]が[大尉]や[長老]と打ち合わせて大筋は決まっているはずなので、間もなく行動開始となるはずだ。
しかし、[共同体]から得られた情報は、あまり多くは無い様子だった。キャンプに設営された折り畳み式の机に何枚か書類と、手書きらしいがかなり正確に作られた地図を広げ、ユウキが口頭も交えて説明してくれたが、少女の目撃情報らしきものは無かった。提供された情報は[共同体]の状況と、周辺の近況に関する物だけだったが、[小隊]が行動を起こすための基礎としてどれも必要な情報だった。
「[亡霊]の活動が少なくなったおかげで、みんながここを出てから、[共同体]はまた少し大きくなったの。こっちのホームにも拡張しようかっていう話も出ているくらい。・・・それで、貴女達が探している女の子だけど、残念だけど目撃したっていう情報は無いんだって。[共同体]に外から入れる場所はみんな見張っているけど、警備に就いていた人達は誰も、見ていないそうです。でも、[共同体]を少し広げたせいで、細かいところまで全部把握できているわけじゃないから、百パーセント確実っていうわけでもないそうだけど。」
「なるほど・・・、ご協力に感謝します。」
[中尉]は、目の前に用意された[共同体]とその周辺の状況が書き込まれた地図を確認しながら、ユウキの説明に頷いた。
「どうやら、今、彼女がここにいるという可能性は低そうですね。ただ、これからここに来る、という事は十分あり得ます。それに、もしかしたら周辺には来ているかもしれません。[シェルター]以外で、人間が生きられる場所は数少ないですから。いずれにしろ、[共同体]の中で情報収集は必要だと思います。構いませんか?」
「もちろん。滞在の許可証も人数分、用意してもらっているよ。上の警戒所は話が通っているから、許可証を見せるだけで自由に出入りできるし、中も自由に調べていいって許可ももらっています。ただ、許可証は、[共同体]内で動く時も一応持ち歩いてね。それと、武器は持ち込めないの。規則だから。」
「分かっています。[小隊]内に周知しておきます。」
「後・・・、[亡霊]の方は、気を付けていれば大丈夫なんだけど、ちょっと注意して欲しい事があるの。」
「何です、それは?」
「えっとね、[共同体]に合流したくないっていう人達が近くにいるんだけど、その人達が嫌がらせをしているの。食べ物とか、機材を盗んだり、[共同体]の中で変な宣伝をしたり。何でも、[市民を見捨てて安全な穴倉に引きこもっている政府を弾劾しろ]、とか、[政府は市民の権利を尊重して法を守り最低限の暮らしと安全を保障しろ]、って。それで、[人々よ、今こそ立ち上がれ]、って宣伝のビラを勝手に撒いて行くのよ。政府何て、もう、どこにも無いのにね。・・・さっきも言ったけど、[共同体]を広げたせいで、どこかに見落としができちゃっているみたいなの。大人が出入りできそうな場所は、みんな確認しているはずなんだけど。」
「何故、注意が必要なのですか?」
「その人達ね、[防人]の事も嫌っているの。政府の手先だからって。だから、もしかしたら、貴女達も何か嫌がらせされるかもって。武器の持ち込みを許可できないから、特に気を付けてもらった方がいいかなって思うの。」
「我々も訓練されていますから、不意を突かれでもしなければ、問題ないでしょう。・・・しかし、念のために、二人以上で行動する事を徹底させておきます。」
「ありがとう。そうしてね。」
ユウキの方から、伝えるべき事は伝え終わったらしい。しばし考え込んだ[中尉]は、机の周りに集まっていた[大尉]と[長老]にいくつか確認をした。
事前の打ち合わせである程度行動の指針が決まっていたため、[中尉]はすぐに方針を決めた様子だった。
「少女が今、ここにいる可能性は低い様ですが、今後の活動のためにも[共同体]を直接確かめておいた方がいいでしょう。いくつか、上に運び込まなければならない物資もありますし、その運搬もかねて、これから一度、上に上がりましょう。」
[新人]にとっては、歓迎するべき決定だった。
[小隊]は、準備を整えると、すぐに出発した。
[小隊]の内で何名かは、一箱ずつ段ボール箱を抱えていた。それらは、[防人]側が[共同体]に提供するべく用意した支援物資で、食料と医薬品が詰まっている。[新人]は電車に荷物を積み込んだ時からやけに荷物が多いなと思っていたが、少女の捜索に協力してもらうお礼とするために用意されたものだったらしい。
大した情報が無かったとは言え、[共同体]がやけに協力的だったのも納得だった。
[新人]が抱えている箱には、普段、レーションとしてよく口にしている肉の缶詰がぎっしり詰め込まれているため、それなりに重量があった。そのため、ホームから上に向かう階段を登るのも一苦労だ。
電気はきちんと通電されているらしく、十分な電力が供給されている事も初日の出来事から明らかだった。エレベータやエスカレータも動かせるだけの余裕もあるそうだったが、長い間保守点検がなされていないそれらは動かすのは危険らしく、実際に故障している様だった。
階段を登りきると、かつて改札口として使われていたらしい場所に出た。自動改札として使われていた機械がほぼそのまま残り、薄く埃を被っている。普段は防衛のためシャッターが下ろされている様子だったが、今は[小隊]が出入りできる様に開け放たれている。
改札を出ると、[小隊]はユウキに先導されながら左へと曲がった。[共同体]が位置するのはかつて都市の中心部と郊外とを結ぶターミナル駅として機能していた場所で、複数の地下鉄と相互に乗り換えができる様、歩行者用の地下通路が通されていた。少ない人員で[共同体]を防御しなければならないため、人間達は防衛線をその通路より先に設定している様子だったが、ホームに明かりが点く状態だった様に、通路も破損が少なく、少し手を加えるだけでもすぐに居住空間として使えそうな状態だった。
通路の突き辺りには、動かなくなったエスカレータがあり、[小隊]はそこを登って行った。[新人]は、[共同体]はまだ大分先なのかと想像して、気合を入れるために荷物を持ち直す。どんどん上に登って行かなければならないので、大変だと思った。
だが、[新人]の予想は外れた。エスカレータを登りきった所には人間の防衛線があり、そこは既に[共同体]の一部だった。
エスカレータの出口に設けられた防衛線には、銃火を集中できる様にバリケードが配置されていた。銃座に固定して使うタイプの機関銃が一丁、いつでも射撃できる態勢で用意され、他にも、明かりを確保するためのライトが一基据え付けられており、一応の防御がなされている様子だった。警備のためか、兵士が数名、配置に就いている。
だが、[新人]は、この程度の防御で[亡霊]を阻止できるのかと、不安に思った。つい最近、実際に[亡霊]と遭遇し、必死に逃げ回る羽目になったため、[亡霊]の危険性は骨身に染みている。
警備の兵士に、発行されたばかりの滞在の許可証を見せ、[共同体]内へ入るための手続きがなされている間、[新人]はこっそりと[運転士]に訪ねてみた。
「ん?・・・ああ、確かに、あんまり厳重じゃないよね。でも、こっちは[共同体]にしてみれば裏口に当たるところだし、ホラ、一番厄介な人間型の[亡霊]は、大き過ぎてここまで入って来られないから。それに、この先のトンネルは、外部から誰も入って来られない様に隔壁で完全に封鎖されているし、見張用のセンサーが何重にも設置されているの。しかも、繋がっている先の一つは[シェルター]の、ボクら[防人]の本部何だから、安全そうでしょ?そもそも、[共同体]が出来上がる前は、この辺りまで[防人]の先輩達が守りに就いていたっていう話だし。他の場所は、もっと厳重に警備していたよ?」
[新人]は、なるほどと思った。
警備の兵士達は、ユウキが言っていた通り、許可証を簡単に確認しただけで、すんなりと[小隊]を通してくれた。
「・・・・・・、あれっ?」
バリケードを潜り抜けると、[新人]は驚きに声を漏らした。
ずっと地下のトンネルにいたせいで分からなかったが、そこはどうやら、既に地上である様だった。大きな建物の中ではあるが、遠くに見える隙間からは自然な光が差し込んでいる。
建物はかつて商業施設として用いられていた様子で、建物の中央に設けられた太い通路の両脇にはたくさんの店舗があった様子だった。それらが営業していた時に使われていた物がまだあちこちに残っているが、その大部分は[共同体]の防衛部隊の防衛線として改造され、兵士の休息所や武装の整備工場が作られている。通路の奥には強固な防衛線が敷かれ、頑丈そうなコンクリートブロックと土嚢で堡塁が築かれ、機関銃だけでなく大砲まで配備されている。警備の人数も多く、重装備で、[運転士]が言っていた通り、厳重な警戒が敷かれている。
話には聞いていたが、車両も何台か見る事ができた。軍用に作られた、装甲を持つ大型の自動車が二台と、それぞれ型も色も違う、恐らくは民間用だった自動車が三台。加えて、荷台に銃架を設置された小型のトラックが一台と、白と黒に塗り分けられた、[新人]から見るとおかしな色の車両が一台あった。
その内の、軍用の一台と、民間用の一台は整備中らしく、作業着姿の人間が数名、ボンネットを開いたり、車両の下にもぐったりして、作業をしていた。
視線を右に移すと、そこには地上駅の大きな改札口があった。幅の広い区画に何台もの自動改札機がずらりと並んでいる。[亡霊]が侵入してきた際はそこも防衛線として機能する様に、土嚢を積み上げたりバリケードを作ったりし、機関銃や大砲が据え付けられているが、今は警備の人員が数名いるだけだった。そこにいる人員は兵士の格好ではなく、紺色の制服を身に着けていて、兵士とは役割が少し違う様子だった。
改札口の先は、頭端式のホームとなっていて、駅構内の設備の隙間から、銀色のボディに緑とオレンジの帯を描かれた電車が数編成、停車しているのが見える。それらの車両は居住用に改装されたり、倉庫として利用されている様子で、周囲では人間達が焚火を囲んで談笑したり、荷運びをしたりする姿を見る事ができた。作業場として改造されている車両もあり、車内に運び込まれた工作機械を使って、人間が何かの部品や道具を製作している。ホームには他にも、燃料が積載されているらしいタンク貨車の列車が停車していて、[共同体]で使用する燃料の供給、保管場所となっている様子だった。タンク貨車の近くのホームには、仮設式の発電機が数台並べられており、[共同体]の電力は主にそこから供給されている様子だった。
ユウキに案内をされて、[小隊]は倉庫として使われているらしい車両の一つへと向かった。どうやらそこで荷物を下ろす様子だった。
倉庫の前には、作業着姿の職員がいて、倉庫の中身を確認している様子だった。職員はユウキと[中尉]と短く会話を交わすと、運ばれてきた物資を確認して台帳に書き込み、物資を置く場所の指示を出した。
車内には、かなりの量の物資が、整然と積み上げられていた。物資は種類ごとに区分けされて置かれており、ラミネートされた標識が掲げてあって、どこに何があるのかすぐに分かる様、整理整頓が行き届いていた。
身軽になった[新人]が車両から出ると、[中尉]が[小隊]に集合する様に命じた。
「これから、[共同体]内で情報収集するのに当たって、班分けを行います。」
そう言うと、[中尉]は、予め決めていたらしい班分けを行った。班それぞれには行き先も指示され、どこで情報収集をするのかも決められていた。[共同体]の中で情報収集をするのに当たり、限られた時間を効率的に使うための班分けだった。
班分けは、[中尉]と[長老]、[大尉]と[ドクター]、[狙撃手]と[運転士]の、三班になった。
[新人]の役割が決まっていない。
「あのぅ・・・、あたしは、どうすればいいんでしょう?」
名前の上がらなかった[新人]は、戸惑いながら挙手をして質問をした。
「[新人]、貴女は」
「私が案内してあげるっ!」
説明しようとした[中尉]を遮り、ユウキが勢い良く[新人]に抱き着いた。
「ぅわっ!?どっ、どういう事でありますかっ!?」
さらに戸惑う[新人]に、[中尉]が説明する。
「貴女はここに不慣れですし、人間の生活の様子も、まだ見た事が無かったでしょう。せっかくの機会ですから、[共同体]で、人間が、我々が守るべき存在がどういうものか、少しでも学んでもらおうと思いました。[長老]や[大尉]とも相談して決めた事です。」
「それで、私が案内役!」
事態は理解できた。どうやら、[新人]の教育のために、別行動で[共同体]を見学しろという話らしい。
「あの・・・、いいんでしょうか?」
[共同体]の事を知らされてから、ずっと気になっていた[新人]としては、これ以上ないほどに有難い話だったが、一人だけ遊んでいる様で、申し訳ない気持ちになった。
「大丈夫。へーきさ。」
[狙撃手]が、少しキザな笑みを浮かべた。
「こっちはここに慣れているしね。それに、ここで動くなら、どこに何があるか最初に一通り見た方が、後々動き易いだろうしね。」
「そうそう。せっかくだから、案内してもらいなよ。」
[狙撃手]の言葉に被せて、[運転士]が賛同した。
「そういう事です。それに、ひとまず今日のところは、です。明日以降、さらに情報収集が必要であれば、[新人]、貴女にも動いてもらいます。」
[中尉]は、どうやら本気の様だった。
確かに、[共同体]の事を全く知らない[新人]は、今のままでは単なる足手まといにしかならなかった。[小隊]の他の隊員について行っても、金魚の糞にしかなれないだろう。
それよりも、[共同体]の人間であるユウキにいろいろ案内してもらってからの方が、役に立てるはずだった。それに、[共同体]に詳しいユウキについて行ったら、もしかしたら、少女について何かの情報を得られるかもしれない。そうではないだろうか。
そう考えた[新人]は、[中尉]の決定に有難く従う事にした。
「えっと、了解いたしました。[共同体]の見学任務、遂行いたします!」
[新人]はユウキに抱き着かれたまま、何とか[中尉]に敬礼をした。
「はい。夜には、キャンプに戻って来る様にして下さい。ユウキもそういう予定でお願いします。・・・それと、これを渡しておきます。」
頷いた[中尉]は、それから缶詰肉を数缶取り出して、身動きの取れない[新人]の代わりに彼女のポーチの中にねじ込んだ。
「・・・・・・?これは、どういう事ですか?」
「[共同体]では、食料は取引の際に喜ばれます。例えば、情報の見返りにするとか。」
[新人]は訝しんだが、[中尉]の説明で、すぐに得心した。少女についての情報を提供するのに、何らかの見返りを求められる可能性は十分にあった。
[中尉]は[防人]の各班にも同じ様に缶詰肉を配ると、行動の開始を命じ、[防人]達はそれぞれの受け持ちの場所に向かって散らばって行った。
「さて、[新人]ちゃん。まずはどこから案内してあげよっか?」
[小隊]が各班に分かれて情報収集に移った後、残った[新人]に、相変わらず抱き着きながらユウキが訪ねる。
「あの・・・、ユウキ殿・・・?」
「なにー?ユウキって呼び捨てでいいよー?」
「その・・・、ユウキ?そろそろ離れませんか・・・?」
[新人]は、ユウキにがっちりと抱きしめられて、身動きが取れない状態だった。
「えっ?あっ、ごめんっ。」
[新人]に暗に迷惑だと言われ、我に返ったユウキは、やっと[新人]を解放してくれた。
先ほどまでは仕事モードだったのだが、今ではすっかり、初めて会った時と同じ様に自由気ままになっている。ユウキの中ではもう彼女の仕事は終わっているのだろう。[新人]は、[防人]に対してとても好意的なところは嬉しく思っていたが、過剰気味なスキンシップには少々うんざりしている。
「最初にホームで会った時もびっくりしましたけど、ユウキはいつもそうなんですか?」
「うー、そうなんだ。何て言うか、ついつい引っ付きたくなっちゃうの。[防人]の子達は特に、こう、ちょうど抱きしめやすい大きさだから。」
ユウキは、一応、申し訳なさそうだった。
要するに大きなぬいぐるみに抱き着く様な感覚らしかったが、一度目は窒息させられかけ、二度目は身動きを封じられた[新人]は、次があったら何としても回避しようと心の中で固く決意した。
「それで、案内してもらえるっていう話だったけど。」
この場所でじっとしていても仕方が無いので、[新人]は話を進める事にする。
「うん。どこでも、行きたいところがあったら言って?」
「それなら、マーケットっていうところを見てみたいんだけど。」
「オッケー・・・、って言いたいんだけど、今日、マーケットが開く日じゃないんだよね。」
[新人]の要望に、ユウキは申し訳なさそうに言う。
「マーケットってね、毎日やっているわけじゃないの。日にちを決めて、それで、物を売り買いしたい人達が集まってできるの。いつもやっているお店もあるけど、少ないよ?次のマーケットが開かれるのは、明後日。マーケットを開く場所なら、見てもらえるんだけど。」
「そうなんだ・・・・・・。」
[新人]は、目に見えて落胆した。[狙撃手]に話を聞いて以来、マーケットに立ち寄りたくて仕方が無かったからだった。
「んー、なら、ここから近い所から、順に案内してあげるよ。」
「・・・それでいいです。」
[新人]は、半ば無気力に肯定した。
ユウキは頷くと、[新人]を先導して歩き出す。だが、それほど移動はしなかった。
「まずは、これ!へへー、すごいでしょ?」
そう言ってユウキが指し示した先には、先ほどの位置からは他の電車に隠れて見えなかった一編成の列車が停車していた。他のホームに停まっている電車とは様子が異なり、先頭車両の窓は大きく、開放的で、編成に所属する車両の屋根も側面に並んだ窓も凝った意匠が施され、落ち着いたクリーム色の塗装が施され、優雅な雰囲気を醸し出している。
戦前の車両であり、他の戦前から残っている物と同じ様に傷んでいる箇所はあった。それでも丁寧に維持、管理されているらしく、車両は清潔で、手入れが行き届いている。
「これは、何?」
明らかに他の電車とは雰囲気の違うその車両に、[新人]は興味を引かれた。
「これはね、[ホテル]。外もそうだけど、中もすっごく豪華なんだよ!あ、でも、今は中に入れないから、外から見るだけね。中には泊っている人達がいるから。」
中に入れなくても、外から垣間見える内装だけでも、その列車が特別である事は十分に理解できた。
「昔はね、列車で旅をしたいっていう人達のために走っていた、特別な列車だったんだって。とても綺麗で豪華で、乗務員さんのサービスも丁寧で、あちこちの景色を見ながらゆっくり過ごせたんだって。今は、[共同体]のみんなで順番に、交代でお泊りするのに使っているの。居住区には全員で眠れるだけの広さがあるんだけど、ずっと集団生活だと息が詰まっちゃうから。だから、誰かが独り占めにしたりしないで、全員で公平に使おうって決めたんだ。おかげで、滅多に順番が回って来ないんだけど、みんな納得しているの。・・・私も泊った事あるけど、ベッドがすごくふかふかだったなぁ・・・。」
回想しながら、ユウキはうっとりとした表情を浮かべた。
[新人]は製造されて以来、主に折りたたんで簡単に移動できる簡易ベッドで寝泊まりして来た。その点について不満を抱いた事など無かったが、ユウキの言う[ふかふかのベッド]というものを全く想像できない。ユウキの表情から察するのに、何だか素晴らしいものの様だが、それがどう素晴らしいのか分からないのがとても残念だった。
そこに泊る事ができれば分かるのだろうが、[共同体]の全員で共有している様なものらしいので、無理は言えない。
「それじゃ、次の場所に移動します。」
一通り[ホテル]を見学し終わると、ユウキは[新人]を次の場所へと案内した。
右手に、[共同体]への支援物資を運んだ際に通過した大きな改札口を見ながら進み、かつて売店として使われていたらしい設備の前を通り過ぎる。今は食事の配給所となっているらしく、店舗だった場所にはいくつも炊事道具が置かれていた。何千人もの人間に配給する必要があるためか、たくさんの人間が夕食に備えた料理の下準備を始めていた。配給所の前は頭端式ホームの隅で、ユウキと[新人]は左側に曲がる。かつては駅員が詰めていた駅の窓口、今は[共同体]を運営する行政組織の窓口となっている場所の前を通り過ぎると、そこには乗り換えのための別の改札口があり、二人はそこも通過した。[新人]は滞在許可証を見せる必要があり、他の人間もそこを通過する際には何らかの身分証を提示していたが、ユウキは何故か顔パスだった。
その改札口も防衛線として使用できる様にバリケードや堡塁が築かれ、重装備が配置され警備の人員が多数、配置されていた。[新人]の滞在許可証や人間達の身分証の確認を行うために、紺色の制服姿の人員もいた。[共同体]の内部なのに何故これだけ厳重なのかと[新人]は訝しんだが、その理由はすぐに分かった。
階段を二回降りると、そこは[共同体]の主要な区域になっていた。何路線もある広いホームには何編成もの列車が停車され、居住用や作業用に改造され、たくさんの人間が暮らしていた。
車両は地上の頭端式ホームに置かれていた箱型の物と異なり、空気抵抗をなるべく減らすために流線型で、かつては高速での運行を行っていた電車の様だった。様々な色の車両があり、中には二階建ての車両もあった。
それが、ホームだけではなく、その前後のトンネルにも、何編成も連なる様に停車されていた。それらは全て人間の居住空間として利用されている様子で、車窓から明かりが漏れ、遠目に動き回る人々の姿が見えた。
「はい、ここが[共同体]の居住区になっています。」
興味深そうに辺りを見回している[新人]に、ユウキがニコニコしながら説明する。
「見ての通り、昔の電車を改造して、そこでみんなで暮らしているの。ここにたくさんの電車があるのは、戦争の時、都市部にいた人達を郊外に避難させようとして電車を集めたからなんだって。でも、線路も攻撃を受けて使えなくなったから、たくさんの電車がここに残されたままになって、それを私達が使わせてもらっているの。」
[共同体]がこの場所に出来上がったのは、そこが比較的安全な地下空間につながる大きなターミナル駅だったという他にも、こういった偶然も重なった結果なのだろう。
そこにあるのは、[新人]が初めて目にする、生きた人間達の暮らしだった。男性、女性、老人、若者、子供、様々な人間が、そこにいる。
[亡霊]から隠れ潜みながら、人間達はここに街を作った。かつての様に地上を自由に出歩く事のできない、地下の暗闇の中の不自由な生活だ。
だが、そこには活気と呼べるものがあった。人々は互いに焚火を囲みながら談笑し、古びた機械や楽器で音楽さえ奏でている。
かつては、人間は世界中にいた。世界の中心とさえ言える程の繁栄を見せていた。世界のあらゆる場所に人間は住んでいた。今、それらは全て破壊され、遺体が残されているだけだったが、ここにはまだ人間の世界が残されている。
[新人]は、つい先日まで、人間は[シェルター]の中にいるだけだと思っていた。だが、そうではなかった。今、目の前で生きている人々を眺めながら、[新人]は、[中尉]にされた質問の事を思い出していた。
もし、[シェルター]以外にも、人間の生き残りがいるとしたら。その人々をどうするべきか。
[新人]は、[シェルター]と同じ様に、それが誰であろうと、守るべきだと答えた。[中尉]自身がどのように考えているのかは教えられていなかったが、恐らくは[中尉]も[新人]と同意見のはずだった。そうでなければ、[新人]には[共同体]の存在を隠そうとしていたあの段階で、このような質問をするはずが無い。
だが、実際に、目の前に広がる人間の世界を眺めてみて、[新人]は考え込んだ。
これだけの人々を、[亡霊]の脅威から守るためには、何をすればいいのだろうか。
[共同体]は、それ自身で自らを自衛するための手段を持っている事は、明らかだった。だが、それは、せいぜい数体の[亡霊]に攻撃された場合に対処し得る程度の能力で、繰り返し[亡霊]に攻撃を受けたり、一度に大勢力で集中的に攻撃されたりすれば、地上の他の全てと同様に、簡単にこの場所は破壊されてしまうだろう。
そうかと言って、[防人]が全力で[共同体]を防衛する事にすれば、今度は[シェルター]の防衛が手薄になる事になる。[シェルター]は地下深くにあり、強力な防御隔壁に守られているため[共同体]よりも遥かに安全だったが、[亡霊]の攻撃に反撃する手段として[防人]が存在しなければ、いくら堅固と言ってもいつかは突破されてしまう。
[亡霊]の出現する場所、[黒球]を、どうにかして破壊し、[亡霊]を封じ込める事ができれば話は簡単だった。だが、それができれば、人間がとっくにやっていただろう。何しろ、かつて人間は世界中にいたのだから。
[防人]は、人間を守るために存在する。そうであれば、[共同体]の人々も守るべきだと、[新人]は今でもそう思っている。だが、そのための手段を持ち合わせていないという事に、[新人]は今更ながらに気付いて困惑した。
「・・・[新人]ちゃん、大丈夫?」
気がつくと、心配そうな顔をしたユウキが、[新人]の顔を覗き込んでいた。
「なんだか、すごく難しそうな顔をしていたけど?」
「あっ、ごめんなさい。ちょっと、考え事を・・・。」
[新人]は愛想笑いをつくり、ユウキをなるべく心配させまいとした。ユウキは全く距離感を感じさせないので、随分前からの知り合いに思えてしまうが、実際には昨日初めて会ったばかりの相手だ。つい何でも話してしまいそうになるが、そういうわけにも行かない。そもそも、[新人]の悩みは[防人]にしか分かってもらえないだろう。
「ふぅん・・・。なら、いいけど。」
[新人]の愛想笑いは、実際にはかなり不自然なものだったが、ユウキはそれ以上踏み込もうとしなかった。無遠慮な感じがするが、そういう配慮は当たり前にできるらしい。
「一旦、上に戻ろうか。まだ昼間だから直接は行けないんだけど、畑を見せてあげる。」
ユウキは、そう言うと屈託の無い笑顔を見せた。
戻る時、[新人]はやはり、改札口で滞在許可証の提示を求められたのだが、相変わらずユウキは顔パスだった。
「ねぇ、ユウキ。・・・ユウキって、もしかして、何か特別なの?」
不思議に思った[新人]は、軽い足取りで先行するユウキに尋ねてみる事にした。
「ん?特別って?」
振り向いたユウキは、不思議そうな顔をする。
「さっきもそうだけど、改札のところを通る時何も言われなかったから。あたしは当然としても、他の人もみんな、身分証みたいなのを見せていたでしょう?」
「ああ、それね・・・。」
そう言うと、ユウキは、少し照れた様に教えてくれる。
「私ね、実は、ここだと結構、有名人なの。[共同体]は、あちこちからたくさんの人が集まってきて、それでできた場所なんだけど、私はその中でもうんと遠くから来たし、[共同体]が出来上がる時にいろいろお手伝いをしたから。それで、みんな私の事を知っているの。私はね、山がたくさんある内陸で生まれて、そこからずーっと歩いてここまで来たの。途中で死にかけたり、[亡霊]から逃げたりもしたよ。我ながら、大したものだと思う。」
「内陸?・・・って事は、もっとたくさん、人がいるっていう事?」
[新人]は驚いた。[共同体]という人間の街がある事でさえ驚きだったのだが、ユウキの話によれば、もっと遠くにも生き残りの人間がいたという事になる。
「うーん、それは、無いと思う。」
だが、ユウキは、残念そうに首を左右に振った。
「確かにね、生き残ってる人達は、少ないけれどいたよ。けれど、今の[共同体]みたいにたくさん人が集まっている場所は無かった。[共同体]だって、五年前までは影も形も無くて、みんな、あちこちにバラバラに隠れて住んでいたの。[新人]ちゃんはよく知らないだろうけど、人間ってね、一人だけで生きて行くのはすごく大変なの。いくらか人が集まって、お互いに役割分担をして協力しないと上手に生きられない。だから、こうやってここに集まる前は、何もかもが足りていないし、ほんのわずかな事を巡って争ったりしたの。それじゃいけない、何とかしようって思ったいくらかの人が集まって、[共同体]の芯が出来上がっていった。何年かかってようやく今みたいにしっかりしたものが出来上がった。・・・ここはね、例外なんだよ。私もここに来るまでに何人か生き残った人達に出会ったけれど、その人達はみんな・・・、亡くなったわ。」
「でも・・・、ユウキが生まれた場所は?そこには、人間がいるんでしょう?」
[新人]のさらなる質問に、ユウキは再び首を振った。少し悲しそうだった。
「みんな、死んじゃった。・・・五年前までは何とか隠れていたんだけど、[亡霊]に見つかってね。・・・さっきも言ったけど、人間はね、一人だけじゃ、上手く生きてはいけないの。できる人もいるのかもしれないけど、私にはとても無理だった。だから、私は、何としてもここに、人のいる場所に来なきゃいけなかった。みんなで集まって生きていける場所を作らなきゃいけなかった。・・・私はね、どうしても、生きていたかったから。」
[新人]は、興味本位で質問した事を後悔した。
「ユウキ、ごめんなさい。」
「んーん、気にしないで。大変だったけど、素敵な事もあったもの。」
しかし、ユウキは、一転して、底抜けに明るい笑顔を見せた。
「ここには、たくさんの人がいるでしょ?だから、私はちゃんと生きていられる。・・・私が来た頃はね、[共同体]も、大した事なかったんだよ?最初はここも他と一緒でただの廃墟だった。みんなバラバラで、生き延びるためにはどんな事でもしなきゃいけない様な状態だった。今でも贅沢ができるわけじゃないけど、当時はもっと、ギリギリだったの。お互いに争って、お互いに憎んだり、恨んだりもしていたんだよ。それが、いろいろあって、今みたいに大きくなって、みんなで手を取り合って一つになって、にぎやかになった。とても素敵な事だと思わない?いろいろ頑張って、本当に良かったと思うの。」
[共同体]というのは、思ったよりも最近、出来上がったものの様だった。具体的には分からなかったが、[共同体]が出来上がるのに当たって、ユウキも何らかの貢献をしたのかもしれない。それなら、[共同体]の中でユウキが特別扱いされているのにも納得がいく。
「さて、それじゃ、上に行くよ。」
ユウキはそう言うと、頭端式ホームから上に向かう階段を上って行った。
階段を上った先は、少し不便な構造をした通路になっていた。上部構造を支えるための柱と梁が大きく陣取っており、移動をする際に頭をぶつけない様に気を使う必要があり、邪魔だった。[新人]はあまり背が高くないので問題は無かったが、背の高い人間にとっては不便だっただろうと思い、人間は何故こういった構造を作ってそのままにしたのか不思議だった。恐らくは何かどうしようもない理由があったのだろう。横に幅の広い通路からは、さらに上へと上る事ができる、エスカレータや階段、エレベータが設置され、かつては売店などとして使われていたらしい設備もいくつかあった。
上に続いている階段が幾つもあるのだが、その多くは補強されたシャッターで封鎖されていた。唯一出入りできるようになっている場所には人間の警戒所が置かれていて、警備の人間が数人、配置されている。
[新人]が滞在許可証を見せ、ユウキが相変わらずの顔パスでそこを通ると、その先には空が見えた。
階段を上りきると、そこには島型のホームが幾つも並んでいた。雨除けの屋根と線路への転落防止のための柵が整備されている。戦争前はいくつも路線が並走していたらしく、電車の車両が幾つも残っている。
だが、それは下で見たものほど、状態が良くは無かった。破壊の痕跡がまざまざと残されており、多くの車両は潰されたり何らかの爆発で抉られてひしゃげたり、火災の痕跡を残していた。比較的無事な車両も野晒しのせいか汚れていて、中には苔やカビが生えているものもあった。ホームも、[新人]とユウキが上って来たもの以外は、屋根が崩落したり、ホームのコンクリートが砕かれて崩落していたり。[共同体]として使われている下の区域がかなりしっかり残っているのと対照的だった。もっとも、下の区域は、[共同体]ができる際に、人間達が補修したのかもしれない。
周囲の市街地も、[新人]が今まで良く目にしてきた廃墟と変わらなかった。一応の原形を留めている建物もあったが、安全に使えそうな気配は無く、多くの建物は傾いたり倒壊したりしていて、元気そうなのは瓦礫の合間から植物の類だけだ。
何で上は手つかずのままなのだろうと、[新人]は疑問だった。
「ああ、これね。カモフラージュって奴だよ。」
[新人]を案内して前を歩きながら、ユウキが説明する。
「地上にあるものをあまり動かすと、[亡霊]から見つかるかもしれないでしょ?いっつも、空を飛んで見回っているからね。だから、空から見える部分は何もしないで、そのままにしているの。・・・まぁ、綺麗にするだけの余力が無いっていうのも、本当だけど。」
よく見まわすと、二人が上って来た階段の反対側は、他のホームと同じ様に破壊されていた。下の通路から伸びる階段の多くが封鎖されていたのは、出入り口をなるべく少なくしようという防衛上の都合もあるが、そもそも上側が壊れて塞がっているためらしかった。
少し日が陰り始めた中を歩いていくと、今度はホームから上に向かう階段があり、上側に線路をまたぐように大きな建物があって、それと並行する様に一本の橋が架かっていた。
「この上側の建物を通ると、この左手側に出られるの。そこはね、昔は大きな公園で、聞いているかもしれないけど、今は畑になっているの。」
ユウキが指し示した方向は、少し小山の様になっていて、木々で覆われていた。[新人]はてっきりそこも市街地の廃墟で、そこだけ特に植物が繁殖しているだけかと思っていたのだが、どうやら、元々自然豊かな場所だったらしい。
「まだ夜じゃないから、畑の方には行けないんだけど、この先からちょっと見えるから、見せてあげるね。」
ユウキはそう言うと、ホームから上に行く階段を素通りし、さらに奥へと向かった。
[新人]としても、畑というものがどんなものか全く分からなかったので、実際に目にできるのは有難い話だった。
「さて、着いたよ。ここからだと、下から見上げるからちょっとしか見えないけど、あの辺りが畑になってるの。」
あれやこれやと、見た事のある植物や景色で畑というものを想像していた[新人]だったが、実際にユウキの指し示した方向を見て、少しがっかりした。
本当に、少ししか見えないからだった。しかも、見えるのは茶色い地面ばかりで、植物がぎっしり育てられている光景を予想していた[新人]にとっては肩透かしだった。
「・・・思っていたのと、違う・・・。もっと、こう、何か、もっと、いっぱい生えていると思っていたのに。」
「あはは。ゴメンね、ここから見える畑、ちょうど収穫を終えて、今は休耕中なの。」
「きゅうこう?何、それ?」
「作物を育てないで、畑を休ませるの。私も農業の事は良く知らないんだけど、あまり欲張って同じ畑で繰り返し作物を育てようとすると、土が痩せて作物が上手く育たなくなるんだって。だから、敢えて何も植えないで、土を休ませるんだって。後は、育てる作物の種類を変えるとか。おかげで何とかみんなで食べて行けるだけの収穫が出ているの。私も、作物の種を探すのを手伝ったりしたけど、上手く行って本当に良かった。」
「うーん・・・、そうなんだ?」
[新人]にはよく分からなかったが、しかし、それで納得する他は無かった。
残念そうに畑を見渡していた[新人]だったが、その隅で、気になるものを見つけた。
それは、大きな人間の形をした金属の塊だった。[亡霊]との戦争の影響で損傷はあるが、戦前の姿をよく留めている。
「ユウキ、アレ。あの人間みたいなやつ、何?」
[新人]が指さす先にあるものに気付いたユウキは、笑顔で説明する。
「ああ、あれはね、銅像って言うんだよ。何でも、大昔、[亡霊]との戦争があったのよりもずっとすっと昔に生きていた人を懐かしんで、これまた大昔の人が、像にしたんだって。よほどたくさんの人に好かれたり尊敬されたりしていたんだろうね。・・・実はね、金属の塊だから、溶かして何かに使っちゃおうっていう話もあったんだけど、昔が分かるものが何か残っていた方がいいっていう意見もたくさんあってね、そのまま残す事になったの。私は賛成。だって、あの像の人、何だかとっても優しそうな感じがして、見守ってくれている様な気がするもの。」
「へぇ・・・。ちょっと、分かる様な気がする。」
[新人]は銅像を眺めながら、感心した様に頷いた。その像は一見すると強面で、少し恐ろしげな印象もあったが、どっしりと構えた姿は力強く落ち着いていて、それでいて愛嬌がある様な気さえしてくる。
同時に、[新人]は、人間と言うのは不思議な事をするものだと思った。その像を作ったからと言って、実利的なものなど何も無い様な気がしたからだった。
何とも理解しがたかったが、人間は面白い事をするんだなとも思った。
「おや、ユウキちゃん。像を見ているのかい?」
像を眺めている二人の後ろから、少し枯れた感じのする声がかかった。
二人が振り返ると、そこには、年を取った人間の女性がいた。継ぎはぎだらけのセーターの上にカーディガンをはおり、丈の長いスカートを履いている。首の半ば程まで伸びた髪は白く、顔にはいくつもの皺が刻まれていた。外見からして、年齢は六十以上だろう。
「おばあちゃん!おばあさんは、いつものお参り?」
ユウキはぱぁっと瞳を輝かせると、嬉しそうに女性に抱き着いた。[新人]にも何となく分かって来たのだが、ユウキには常に、誰かに抱き着きたいという衝動があるらしい。
「うふふ、ユウキちゃんは相変わらず元気ね。こんなしわくちゃのおばあちゃんに喜んで抱き着いてくれるのは、もう、貴女くらいなものよ。」
女性は嬉しそうにユウキを抱きしめ返した。
一度抱き着くと中々離れようとしないのがユウキだったが、どうやら抱きしめ返された事で彼女の内なる欲求か何かが満たされたらしい。嬉しそうな様子で女性から素直に離れるユウキの姿に、これが年の功という奴かと、[新人]はどこか的外れな感心をした。
「そちらの[防人]さんは?」
「昨日来た[小隊]の、[新人]ちゃん。他の子はともかく、この子は[共同体]が初めてだから、私がいろいろと案内してあげていたんです。」
[新人]の事を尋ねられたユウキは、何故か少し誇らしげに答えた。
「へぇ、そうなの。[小隊]の子達の。」
[新人]を眺めながら何度も頷いている女性に、初めまして、と挨拶をすると、[新人]は今の会話の中で気になった事を尋ねた。
人間の事は、何でも知りたい気分だった。
「あの・・・、失礼ですが、お参り、というのは?」
「あらあら?貴女、[おじいさんとおばあさん]を、知らないのね?」
女性は、少し驚いた様な顔をした。
「これから紹介しようと思っていたんだけど、せっかくおばあさんがいるんだし・・・、今から案内するね。」
ちょっと考えてから、ユウキは[新人]を手招きし、ホームのさらに先へと歩きはじめる。
女性もユウキと一緒になって歩き始めたので、[新人]もそれに従う事にした。
三人は、ホームの端の方まで歩いた。そこには簡単な小屋の様なものが建てられていた。木材を組み合わせて作られた小屋で、戦争以前のものには見えない。割と最近になって、恐らくは[共同体]の人々が建てたものらしかった。
小屋の一面には壁が無く、そこから小屋に出入りする事ができた。
小屋の手前で立ち止まったユウキと女性の隙間から小屋の中を覗き込んだ[新人]は、ぎょっとして身体を強張らせた。
小屋の中には、二体の骸があった。
二体の骸は、木製のベンチに並べて座らされていた。二体とも落ち着いた色合いの服を着せられ、お互いに寄り添う様にして置かれている。骸の周囲には、鳥の形に折られた紙細工を連ねた飾りや、蝋燭、香を供えるための器があり、水の入った湯呑や、いくらかの食料、戦前に使われていたらしい硬貨等が、供物の様に置かれている。
[新人]は、今までに幾度も人間の遺体を目にしてきた。[小隊]では人間の真似をして遺体の埋葬も行っていたので尚更だったが、それでも、その光景は異様なものとしか思えなかった。
「これはね、[おじいさんとおばあさん]。私達がこの二人にした行いを忘れない様に、どんな風に生きるべきかを忘れない様に、道を踏み外さない様に、お祭りしているのよ。」
[新人]が驚いているのを見て取り、女性が口を開く。
「遺体を祭壇に祭っているのなんて、おかしいわよね。でも、私達には、生き残った私達にはそうする必要があるの。・・・私達はね、この二人に、おじいさんとおばあさんに、とてもとても、酷い事をしたのよ。[防人]さん、貴女も知っていると思うけど、今から何十年も前、人間は[亡霊]との戦争に負けたの。生き残った人達は少数だった。それまで存在した社会の制度や仕組みはみんな無くなって、助け何て望めなかった。どこにも逃げる事もできなかった。世界は、[亡霊]に支配されてしまったから。・・・私は、たまたま生き残る事ができた内の一人だった。このおじいさんとおばあさんも、偶然生き残る事ができたの。・・・当時は、みんなみんな、生き残るのに必死になっていたわ。下水道に隠れたり、瓦礫の中に隠れたり、ほんの一欠けらの食べ物や、戦前は何でも無かったはずの物を巡ってお互いに争っていた。その上、[亡霊]に見つけられては、容赦なく殺されてしまった。だから、誰も、おじいさんとおばあさんの事何か、気にも留めなかったのよ。」
女性は沈鬱な表情を浮かべると、社に祭られた骸に、祈る様に手を合わせた。
「おじいさんとおばあさんはね、今の私みたいな年寄りで、おばあさんは病気だった。大事な事を少しずつ忘れてしまう、徐々に自分が自分で無くなって行ってしまう病気。二人は、この駅のホームで、ずっと、並んで座っていたわ。来るはずの無い避難の電車を待っていたのかもしれないし、他に行く当てが無かっただけかもしれない。ただ、二人で座っていわ。少しずつ何かを忘れて行く、いつの間にか、自分の事も、おじいさんの事も忘れてしまったおばあさんの手を、おじいさんはずっと握って、寄り添っていた。そんな二人がここにいる事を、二人がここにいる事を、この辺りで生き残った人達はみんな知っていた。けれど、誰も二人に手を差し伸べようとはしなかった。おじいさんとおばあさんには助けが必要だってみんなが知っていたのに。みんな、自分が生き残る事で必死だったから。その内、おばあさんが亡くなった。それでも、おじいさんはずっと、側を離れずに、おばあさんの手を握ったままだった。世界が終わってしまったから、おじいさんにとって、自分の居場所はもう、おばあさんの隣にしか無かったのだと思う。それで、おじいさんも、間もなく亡くなったわ。誰かの助けが無ければ生きられなかったのに、最後まで、誰からの助けも得られなかったの。当時は、みんな、自分が生き残る事しか考えられなかった。私達は、みんな、おじいさんとおばあさんを見殺しにしてしまったの。そして、弔う事さえ、しようとはしなかった。あまつさえ、その遺体から、何もかも、私達は奪って行った。・・・生き延びるために仕方が無かったと言う事は簡単ね。けれど、私達は、人として間違った事をしてしまったの。人間としてほんのわずかに残った誇りや尊厳を、自分から捨ててしまったの。だから、[共同体]を作って、何とか暮らして行ける様になった時、おじいさんとおばあさんにしてしまった事を忘れないように、二人をこうして祭る事にしたの。生き残る事ができた私達が、自分達の罪を忘れず、人間としてもう一度生きるために。それが、責任なんだって。・・・実はね、おじいさんは、身体が頑丈で、意識もしっかりとしていたの。おばあさんが亡くなった後、どうしてそのまま同じ場所に残っているのか、若かった頃の私には分からなかった。年を取って、自分にもやっと、おじいさんの気持ちが少し、分かる様になったわ。きっと、おじいさんだけは、最後まで、人間でいる事を諦めなかったのね。自分の歩んで来た人生、大切な人と過ごした時間、大切な人との間に交わした約束を、決して破らなかったの。」
[新人]は、じっと、並んで祭られた二人を見つめた。
[新人]には、人間達がこの二人を祭っている理由が、完全には理解できなかった。恐らく、人間の持つ複雑な感情のためなのだろう。それを、[新人]は想像する事しかできない。
ただ、二人の間に、特別な絆があった事は理解できた。だから、おじいさんは、おばあさんが自分の事も、おじいさんの事も忘れてしまっても、そこを離れなかったのだろう。
「[防人]さん、貴女は、愛ってご存知?」
[新人]は、正直に首を振った。
[防人]にも、感情はある。喜怒哀楽、様々に変化する。[新人]にもそれはある。だが、その愛という感情は、[新人]は知らない。
「愛と言うのは、特別な絆の事。この二人、[おじいさんとおばあさん]の間には、確かに愛というものがあった。それはね、人間にとってとても大事なものだと思うの。・・・私はね、二人を助け様としなかった事を後悔しているし、申し訳ないと思っているけれど、・・・本当はね、羨ましいの。」
「・・・羨ましい?」
「そう。・・・二人は、最後まで愛を貫いたの。私も、最後はそんな風に迎えたいものね。自分の大切なものを守って、最後まで人間として生きて、死ぬの。・・・[亡霊]との戦争で、世界は滅んでしまったわ。昔は、本当に、何でもあって、全員では無かったけれど、ほとんどの人が食べる事や寝る場所の事で心配する必要が無かった。今日の心配ではなく、明日の事を、その先の事を考える余裕もあった。全てが変わってしまった。悩みが無かったわけじゃない。辛い事、嫌な事、悲しい事、たくさんあったけれど、戦争になる前は、少なくとも生き延びるために、獣になる必要までは無かった。・・・その昔に戻る事はもうできない。だからせめて、私は、人間らしく生きたいと思うの。そのために、私達は[共同体]を作った。・・・私達はここで、人間として生きているの。それが、生き残る事ができた私達の責任であり、・・・[おじいさんとおばあさん]への償いなの。ここでもう一度、人間らしい生き方のできる世界を築き上げるの。」
[新人]は、難しい顔で考え込んだ。
人間というのは、思っていたよりもさらに複雑な生き物だと思った。
女性の言う、人間として生きるという事も、そもそも、女性の言う人間らしさという事も、[新人]にはよく分からない。
「貴女達にも、[おじいさんとおばあさん]みたいな絆が見つかると良いわね。」
女性は、ユウキと[新人]を、穏やかな笑顔で見つめた。
その姿は、[新人]にとって忘れられないものとなった。
「人間って、複雑。」
社のあったホームから、[共同体]の内部へと戻り、ユウキから[共同体]の感想を聞かれた[新人]は、難しい顔をしてそう答えた。
「複雑?」
ユウキは、[新人]のその反応を予想していなかったらしく、不思議そうに首を傾げた。
「うん。・・・何か、分かった様な、分からない様な、変な感じ。でも、いい勉強にはなった、と思う。ユウキ、ありがとう。」
[新人]には、人間の事が完全には理解できなかった。だが、その実際の姿を知る事ができたのは、大きな収穫には違いなかった。人間とはどんな存在なのか、それは、これから自分でゆっくり考えながら、理解して行けばいい事だ。
「どういたしまして。・・・それで、後は、どうする?まだ、夜になるまでもう少し時間がありそうだけど。」
ユウキは微笑むと、それから、建物の壁面の高いところに掲げられた時計を見て、[新人]に尋ねた。
「うーん・・・、どうしようかな・・・。」
[新人]は、自身も時計を見て時間を確認し、考え込む。
[中尉]は夜には戻って来る様にと言っていたが、まだ時間に余裕はあった。せっかくの機会なので、[新人]としては、まだ[共同体]について学びたかった。
「他に、見せてもらえるところは無いの?」
「めぼしいところは大体回っちゃったかな。ここも、広い様で狭いから。・・・そうだ、マーケットに行ってみる?」
「でも、マーケットは、今日はやっていないんじゃ?」
「うん。だから、マーケットが開く場所だけ。それから、私のうちに来てみる?」
「えっ?いいの?」
「いいよ。別に、見られて困る様なものもないし。お茶くらいは出すよ?」
[新人]は少しだけ悩んだが、すぐにユウキの好意に甘える事にした。
「それなら、そうさせてもらおうかな。」
「うん。それじゃぁ、ついて来て。」
ユウキは頷くと、再び[新人]を先導して歩き出した。
二人が向かった場所は、ユウキが最初の方で案内してくれた、[共同体]の主要な居住区域だった。[共同体]の運営組織がある窓口の前を通り過ぎ、一度出入りした事のある改札口を、滞在許可証を見せて通り、今度は階段を一回下った。
「一度目は素通りしたけど、ここが、マーケットを開く場所ね。」
ユウキはそう言うと、居住区域のあるホームの一つ上、不自然にがらんとしたままの空間を指し示した。
「・・・なんて言うか、何も無いね。」
[新人]は残念そうに、広々とした空間を見渡した。そんな[新人]の様子を見て、ユウキは苦笑する。
「だから、最初に下に降りた時は素通りしたの。見てもらってもつまらないと思って。マーケットが開かれる日は、下からたくさんの人がここに上がってきて、いろいろお店を開いたりするんだよ?すっごくにぎやかになるんなんだけど・・・、普段は、ここは何も置かない事にしているの。」
「それは、どうして?」
「えっとね、広場って言って、分かるかな?」
ユウキはそう言うと、ある方向を手の平で指し示した。
「あそこでね、子供が遊んでいるでしょ?」
言われてみると、確かに、小さな人間が何人か集まって、何かをしていた。広々とした空間を走り回り、楽しそうに声を上げている。
「地下の生活だと、どうしても場所に限りがあるから、思いっきり走って運動したり、身体を伸ばしたりする場所が必要だったの。[亡霊]がいるから、地上を走り回るわけにも行かないでしょう?だから、この場所は、マーケットを開く日以外は、こうやって運動をして楽しむために使っているの。」
眺めてみると、子供以外にも、大人の人間達が広場を歩いていたり、何人かが集まってストレッチをしたり、トレーニングをしていたりした。
[新人]は納得したが、しかし、やはり人間は不思議な事をするなとも思った。[新人]もトレーニングで身体を動かしたりはするが、それは必要だからやっているだけで、楽しいと思ってやっているわけではない。
「あっ![運転士]ちゃんだ!」
その時、走り回っていた子供の一人が、唐突に大声を上げた。
声を上げた子供が[新人]を指差すと、子供たちは一斉に[新人]の方を見た。
それから、一斉に、[新人]に向かって駆け出した。かなりの勢いがあった。
「うわっ、なに、なにぃっ!?」
あっという間に子供に取り囲まれた[新人]は、子供らにもみくちゃにされながら悲鳴をあげた。
「こら!みんな、一度離れなさい!」
だが、子供達はユウキに一喝されると、素直に[新人]から離れて行った。それから、子供の一人が、不思議そうな声を上げる。
「あれー?このひと、[運転士]ちゃんじゃないよ?」
途端に、子供達は戸惑った様にざわついた。どうやら[防人]の見分けがつくらしい。
「この子はね、[新人]ちゃんっていうの。[運転士]ちゃんと同じ[防人]で、[運転士]ちゃんのお友達。」
そのざわつきは、ユウキの説明で収まった。
「ねぇ、ユウキおねえちゃん。[運転士]ちゃんは?」
「[運転士]ちゃんは、今はお仕事中なの。またみんなと遊んでくれるようにお願いしてあるから、それまで我慢してね。」
どうやら、子供達は[運転士]の事を知っていて、[新人]を[運転士]と間違えていた様だった。
人違いだったという事で、[新人]は事態を理解してほっと一安心したが、すぐに、子供達の視線が自身に向いている事に気付いた。
「ねえ、[新人]ちゃん、あそんでよ!」
一人が言い出すと、子供らは口々に賛同の声を上げ、再び[新人]を取り囲んだ。
「ぅわっ、ちょ、ちょっと、やめてっ!ユウキ、助けてっ!?」
子供に容赦なくもみくちゃにされた[新人]は、再び悲鳴をあげた。
「こーら![新人]ちゃんもお仕事の途中なんだから、邪魔をしないの!」
助けを求められたユウキは、慣れた手つきで子供達を引き離して行く。子供達は蜘蛛の子を散らす様に離れて行った。
「はー、助かった。」
[新人]はほっと一安心したが、身体が少し軽くなっている事に気付いた。
「ねーねー、[新人]ちゃん、これなーにー?」
その時、子供の一人が、手にブリキ缶を掲げながら質問をした。
[中尉]が[新人]に渡した缶詰肉だった。
「あっ、こら、返して!」
[新人]は慌てて取り返そうと子供にとびかかるが、子供はすばしっこく、ひらりひらりと[新人]の手を逃れた。[新人]から逃げた子供は、ユウキの背後に素早く隠れる。
「もー、勝手に他人の物を盗ったらだめだよ!」
「とったんじゃないよ、おちたのをひろったの!」
ユウキに叱りつけられるものの、子供はどこ吹く風だった。
「それで、おねえちゃん、これはなーに?」
「それはね、食べ物だよ。お肉の缶詰。」
ユウキの言葉に、子供達は再びざわめいた。
「おにく!」
子供達はそう言うと、瞳を輝かせ、[新人]の事をじっと見つめた。
「なっ、何・・・?」
[新人]は一斉に注目されて、たじろいだ。
「おにく!ね、おにく、ちょーだい!」
一人がそう言うと、子供達は口々に、ちょーだい、ちょーだいと合唱した。
だが、その缶詰は、少女についての情報の見返りに渡す様にと、[中尉]からもらったものだった。だから、おいそれと差し出すわけにはいかない。
しかし、渡さない事には、子供達は引き下がらない雰囲気だった。強引に奪い返すのはかわいそうな気がするし、説得できそうな感じはしない。
困り果ててしまった[新人]は、助けを求めてユウキの方を見たが、ユウキはすまなそうな顔を[新人]に向けるだけだった。
「ぁぁ、もうっ、分かったよ。ただし、その持っている缶詰だけ。独り占めしないで、みんなで分けて食べてね?」
後で[中尉]にどうやって説明しようかと思いながら、[新人]は缶詰を諦める事にした。
子供達は嬉しそうな喚声を上げると、一斉に走り去っていく。
「はぁ・・・、取られちゃったなぁ・・・。」
「ごめんね、[新人]ちゃん。[共同体]だと、お肉ってすごい御馳走だから。お野菜とかお芋なら、十分作れる様になったんだけどね。家畜はまだなの。」
がっくりとうなだれる[新人]に、ユウキが申し訳なさそうに謝った。
「仕方ないよ。あげないと引き下がってくれそうになかったし。まぁ、食べ物なんだから、おいしく食べてもらえれば本望でしょう。」
[新人]は、溜息交じりにそう言うと、肩をすくめて見せた。
「ありがと。[中尉]さんには、私からも事情を説明したげるね。後、私のうちで、何か御馳走するよ。」
「本当?ぜひ、お願いするよ。」
ユウキの提案に、[新人]は気を取り直す。普段、人間がどんなものを口にしているのかも、気になっていた事の一つだった。
それから二人は、[共同体]の居住区域に戻って来た。
相変わらず、たくさんの人間達がいる。一度目は辺りを見回すだけだったが、今度はその中へ、二人はどんどん進んでいった。
何人もの人間とすれ違いながらホームの端まで来ると、そこから、段差を埋めるスロープを通って線路の上に降りる。ホームから前後に伸びるトンネルの中央、列車と列車の間には歩きやすい様に木の板が敷かれて通路が設けられており、そこを歩いて行く。
家として利用されている車両は、車内の座席を取り払い、そこに仕切りと通路を設けて部屋として使える様に改造されていた。車窓からは明かりが漏れ、車内で暮らす人間達の様子が見て取れる。一人当たりに割り振られたスペースは最低限で、家具の類も充実しているとは言い難かったが、人々の表情には笑顔も見る事ができた。
ほどなくして、二人はユウキの家に辿り着いた。ユウキは車両の乗降口に足元の台を使って身軽によじ登ると、[新人]を振り返った。
「えっと、部屋の中をちょっと整理するから、少しだけ待っていて?」
「分かった。」
[新人]が頷くと、ユウキは車内に姿を消した。
[新人]は、ユウキの部屋がどんなだろうと想像しながら、人間達の暮らしを観察しようと周囲を見回した。
そこは居住区でも外れの方らしく、ホームの周辺の様に人は多くは無く、閑散としていた。それでも車内には人の気配があり、部屋から漏れる明かりに照らし出された人影が、ゆらゆらと動いている。様々な話声、生活の音があちこちから聞こえてくる。
とても、不思議な感じがした。
[新人]は、製造される過程で、[シェルター]こそが人類の最後の都市であり、砦であり、絶対に死守しなければならない場所だと教え込まれていた。だが、実のところ、[新人]は[シェルター]にいた頃、人間の姿を見た事が無かった。それは、[新人]が生産された施設が、[防人]によって稼働されていたためだった。人間はそんな場所には来ないものなのだと、そう教えられた。それでも、シェルター]の内部には何万人もの人間がおり、地上に生き残りなどいないという説明を、[新人]は信じて来た。
[新人]は、人間は守るべき存在だと考えていたし、今でもそう信じている。だが、その思いにはこれまで、漫然とした部分があった。
[共同体]に来て、実際に人間達を目にして、考えが以前よりもはっきりした様だった。
人間は[新人]が想像していたのよりも複雑な生き物であり、[新人]には理解できない様な事も行っていた。だが、それは[新人]にとって興味深い発見だった。
何より、[新人]は、[共同体]がそれ単独で今日の姿になった事に感銘を覚えていた。詳しい事はまだこれから[共同体]で行動している内に分かって来るだろうが、[共同体]は数年前までは影も形も無く、そこに集まった人々が力を合わせ、徐々に発展させてきたという事は理解できた。
人間は、[シェルター]の中でしか生きられない。そんな弱い存在だから、守らなければならないのだと思っていた。だが、実際には、人間は[防人]に守られずとも、自力で生きて行く事ができる存在だった。
考えてみれば、当然の事かも知れなかった。[亡霊]との戦争が始まる以前には、この世界に[防人]はおらず、人間は、人間それ自身で文明を築いていたのだから。
[新人]は、人間は弱いから守るべきなのではなく、その存在自体が面白いから守るべきなのだと思った。人間はきっと、これから、新しい文明を築き上げるだろう。[共同体]がその例だ。人間はその自身の力で、自らを復興していくはずだと信じられる。
だとすれば、[防人]の存在意義は、人間が新しい文明を築く時まで、その未来を形にする時まで、その存在を守る事なのだろう。その未来を、[新人]も見てみたかった。
[新人]は、ふと、[中尉]に、地上に人間がいたらどうするか尋ねられた時の事を思い出した。あの時、[中尉]は当然、[共同体]の事を知っていて、それを尋ねたのだ。
今思い返せば、[中尉]自身も、あの時の[新人]が答えたのと同じ様に、地上の人間でも守るべきだと思っていたのに違いない。だからこそ敢えて[新人]にこの問いを投げかけ、地上にも人間が生き残っている事と、[防人]は[シェルター]を守るためにいるのか、それとも人間という種を守るために存在するのかという疑問とを示唆したのだろう。
[新人]はそうに違いないと思った。
[新人]が物思いにふけっていると、唐突に、車両と車両の隙間、連結器のある辺りから影の様なものが飛び出して来て、[新人]にぶつかった。
「うわっ!?」
[新人]は衝撃で一瞬よろめいたものの、すぐに体勢を立て直した。飛び出してきた影は、素早く駆け抜けると、トンネルの奥の方へ、ホームとは反対の方へ走り去っていく。
「・・・・・・、あっ!!!」
[新人]は、慌ててその影を追った。
[新人]のポーチから、ぶつかりざまに缶詰をすり取られたからでは無かった。
逃げて行く影が、少女が着ていた、薄汚れた外套を身に着けていたからだった。