盗まれピエロ
俺の名はアルフォード・フィッツジェラルド。
みなアルと呼んでいる。職業は怪盗。あいにくだが、名前の最後に三世は付かないし、銭形のとっつあんは追いかけてこない。怪盗と聞いて君たちの期待したかと思う。君たちの気持ちを裏切ってしまい申し訳ない。
今、仕事は開店休業状態である。
なぜか。
もう盗むものが無くなったからだ。大量の宝石と絵画、札束、数多の美女の心、そして、世間の注目を盗んだ。楽しかった。みなが俺をハリウッド俳優のようにあがめた。俺はスターだった。
俺は後ろを見ず駆け上がった。いつの間にか怪盗の頂点に立った。そして、それ以上の頂は存在しないことに気づいた。君は目指した山を登り切ったらどうする。下山するだろう。俺は凡人と同じように下山した。すると達成感と焦燥感が襲ってきて、もう山に登りたくなくなった。
ここはとある地方都市の古民家。俺の秘密基地だ。多くのお宝を隠しているが、見つかることはないだろう。俺を追っている警察は間抜けだ。恥の上塗りという言葉は彼らのために存在するのだろう。
俺は街に出た。昼時の街はとても賑わっていた。人でごった返す市場を抜け、広場についた。そこに数人の路上パフォーマーたちが自身の思いを表現していた。大道芸、パントマイム、手品、話芸。俺は立ち止まって、彼らの表現活動を見た。出来が良いとは言えない。俺の方が観客を魅了することができる。しかし、派手に活動して警察に顔が割れては困る。俺は有名人なのだ。俺は市場で食べ物を買い、家路についた。
俺は最近、料理にはまっている。やることがなく家にこもる人間は本を読むか、料理をするか、セックスをするか、三択しかない。俺は料理を選んだ。セックスはいつでもできる。女はいつでも手に入るからだ。
俺はメインディッシュに下平目のムニエルを作り、特製ソースをかけた。高いワインを開ける。ムニエルとワインを交互に口にした。ある程度食欲を満たしのち、残りのワインと一緒に濃厚なチーズをつまんだ。本を開いた。つまらない。心の空洞。新しい事象への心のきらめきが足りない。
俺は壁に立てかけた絵画を見た。かの有名な美術館から盗んだ名品である。時価数億はくだらない。しかし、憂いを帯びた表情をする美女は、絵画という狭い枠内にはめ込まれて、つまらなそうだった。盗んだ当初はその美貌に惚れこんだものだが、今となっては、酒の肴にもならない。
次の日、俺は新しいことを始めた。路上パフォーマーだ。顔にピエロの化粧を施し、街に出た。これなら目立っても顔が割れることはない。
「さあさあ、みなさん、手品師アルの不思議な世界にようこそ」
俺は自信を込めて言った。
広場のみんなが俺に注目した。その時、一瞬、電気のような快感が走った。そう、これだ、俺が求めたものはこれだよ。
俺は観客が見やすいように椅子の上に立ち、様々な手品を披露した。
老若男女が喜んでいる。拍手をしている。指笛を吹いている。
投げ銭は微々たる額だったが、俺は満足していた。この感覚は、盗み終えた時の快感に似ていた。
俺はそれから毎日のようにパフォーマンスをした。人気は高まり、広場は俺の観客でいっぱいになった。演じ始めて1週間が経った頃。俺の眼にひとりの少女が止まるようになった。どこにでもいそうな少女は一心不乱に俺の手品を見ていた。驚いたり、笑ったり、たまに俺へ向けてウインクをした。それがたまらなくキュートなのだ。俺は幼い子供に興味はない。しかし、熱い思いを送るかわいいファンを無視することはできない。
ある日、俺がパフォーマンスをしていると、急に雨が降り出した。俺はすぐさま手品を中止し、道具を片付け、近くのカフェの軒先に避難した。
「急に振り出しやがって、まったく」
俺はハンカチで顔を拭う。
その時、あのキュートな少女が俺の隣に来た。かなり濡れている。
「やあ、キュートなお嬢さん、このハンカチでも使うかい」
少女は嬉しそうにハンカチを取った。
「ありがとう。ピエロのお兄さん」
おじさんと言われなくて良かった。
「いつも観に来てくれてありがとう」
「お兄さん、やっぱり気づいていたのね」
少女は飛び上がりそうなくらい喜んだ。
「そりゃあ気づくさ。君のウインクにメロメロだよ」
「うふふ、だってお兄さんの手品おもしろいんだもん」
将来、数多の男を魅了することだろう。
「そうかい。それはうれしいよ」
「お兄さん、いつまでこの街にいるの? 他のピエロさんみたいにまたどこかの街に行っちゃうの?」
「それはどうかなぁ。君が俺と結婚してくれて、いつまでも俺のファンでいてくれるなら、この街に残ろうかな」
「本当? でも、私、まだ小さいよ」
冗談が過ぎたかな。
「冗談だよ、冗談」
「うふふ。わかっていたよ」
と少女は舌を出して笑った。
「私ね、レイナって言うの。お兄さんは?」
「アルだよ」
「アル! とっても短い名前ね!」
レイナが笑った。雨がだいぶ弱くなってきた。
「また明日も観に来てくれるかな?」
「うん。お兄さんがとてもハンサムなのがわかったから」
俺の顔は雨に濡れて、ハンカチで拭ったため化粧が落ちていた。
次の日、レイナは広場に来なかった。昨日、雨に当たって風邪を引いたのかもしれない。俺は手品をしながら、レイナのことを考えた。そして、時折、あたりを見渡した。彼女のウインクがどこからか飛んできそうだった。胸が締め付けられる。昔、彼女にフラれた時のことを思い出した。レイナがいないと、俺のモチベーションがあがらないよ、だから観に来ておくれ。キュートなカワイ子ちゃん。
それから数日間、俺はレイナを待った。しかし、彼女は来なかった。
その日も俺は手品をしながらレイナを待った。そして、俺の手品を見る素敵な女性と目が合った。彼女はウインクをしなかったが、真剣なまなざしを向けている。俺のファンだろうか。でも、まなざしは熱を帯びていなかった。視線は俺を飛び越え、さらに遠くを見ているように感じた。
手品を終え、片づけていると、その女性が俺に近づいてきた。
「レイナの母です」
彼女は挨拶を挟まず単刀直入に名を告げた。
「レイナちゃんのお母さんですか。いつもありがとうございます。レイナちゃんは元気ですか?」
「はい……少し体調を崩して、入院しています」
少し体調を崩しただけにしては、母親は神妙な面持ちをしていた。
「それは大変だ。たぶん私の手品を見ている時に雨に当たって体調を崩したのでしょう。良ければお見舞いに行きたいのですが、よろしいですか?」
「それが……今は面会謝絶でして」
「重い病なのですか」
「いいえ……そんなことはありません」
レイナの母親は泣きだしそうだった。レイナに病状のことは伝えるなと言われているかもしれない。それがレイナ親子の俺に対する優しさなのだ。しかし、俺は親子の気持ちを理解しつつ、納得できなかった。
「レイナちゃんに会わせていただけますか」
「それが……すいません……できないのです」
母親は顔を覆って泣いた。
俺はその姿を見て、レイナに面会することを諦めた。
「わかりました。レイナちゃんに、元気になったらまた観に来てよ、と伝えてください」
「はい」
母親は数秒泣いた。
「レイナに頼まれたことがあるのです。お借りしたハンカチです」
母親は僕がレイナに貸したハンカチを渡してきた。
「いいえ。あなたが使ってください。ハンカチは女性の涙を拭くためにあるのです」
母親はハンカチで涙を拭った。
俺は母親と別れた。
俺は酒の力を借り、この晴れない気分を変えたいと思った。バーに入る。マスターが作ったカクテルはまずかった。それは俺の気分を反映したためなのか、本当にマスターの腕が悪いのかわからない。しかし、まずいのは確かだった。
「お客さん、飲み過ぎですよ。そろそろ閉店ですから帰ってくださいな」
マスターが言った。
俺はバーを出た。千鳥足だった。いつの間にか広場に戻ってきていた。
俺は泣いた。レイナのキュートな顔が脳裏を過ぎった。
俺は走った。そして、家に飛び込んだ。
俺は今まで集めたお宝をすべて壊した。古代の壺を投げた。石像を叩き壊した。陶磁の皿を下に投げつけた。宝は簡単に壊れた。あっけないものだと思った。こんなもののために俺は盗みを続けていたのか。くだらない。俺は息を切らしながら、壊し続けた。
最後に壁にかけた名画を見た。俺が盗んだものの中で一番高価な代物だ。俺は椅子を持ち、絵画にたたきつけた。絵画に大きな穴が開いた。気持ちが少しだけ晴れた。後悔はない。
俺の手が止まった。息を切らしながら、俺は思った。
またレイナに会えるかわからない。しかし、俺の心はレイナに盗まれたままだ。取り返しに行こう。怪盗家業を復活させ、レイナに届くように、世間をにぎわせてやる。
そして、レイナにこう言わせてやる。
「やっぱり、お兄さんはおもしろいね。とってもワクワクしちゃった」
俺はピエロの化粧を施したまま怪盗家業を復活させた。
レイナが俺の存在に気づいたかどうかはわからない。でも、いつか、どこかで、レイナが見ているような気がした。盗まれたものを取り返すのは、当分先の話になりそうだ。