第8話 薬屋での備え
学校を出た僕は一度帰ろうと家に向かって歩きだした。荷物を置いて釣り餌を取ってこよう。
今日も空は夕焼けを塗りつぶすようにに夜の帳が下りかけているところだ。急いで帰って急いで出よう。
今日も全てを調べ終わらないうちに司書さんにか細い声で閉館を知らされて、慌ただしく書庫を出ることになった。
今日はクラゲに癒されて精神的に余裕があり、帰り際に司書さんの顔をチラッと見たが瓶底のような眼鏡をしていた。
歩きながら服の中のクラゲを優しく撫でる。授業が終わって服の中から出たこの子は僕を労わってずっと僕の頭の上ででぷるぷるしてくれていた。
あれから魔物、従魔について調べていたが狼自体が割とレアな種族で、さらにジェレミーの黒い狼は滅多に召喚されないもののようだった。
狼の魔物、従魔は全身のばねが強力で一息に飛びかかり、爪で相手を捉えてこれまた強力な顎と牙で獲物の急所を食いちぎるそうだ。
あの黒い狼はレアな奴だから通常の奴よりもさらに強力で素早いだろう。
僕のクラゲはお世辞にも素早いとは言えないので正面から行ったら勝てる要素はない気がする。
正直に言ってしまえば可愛さと癒し以外では大体負けている。狼に限らず素早い奴がこの子の鬼門になるだろう。
ジェレミーの従魔を調べ終わった後、僕は誘惑に負けてクラゲの図鑑を眺めていた。
儚くも悠然として美しい見た目のクラゲを目で感じながら僕のクラゲを指先で感じる時間は至福だった。
嫌な視線を送られパーソナルスペースを陵辱され、もはや疲れ切って擦り切れていた精神はこの子と図鑑でほぼ癒されていた。
取り巻きのあいつの従魔の情報は完全には集めきれなかった。
ざっと見た感じ器用でできることは多いようだが、召喚士が悪い意味で脳筋の力馬鹿だからそこまで脅威にはならないはず。
ジェレミーが司令塔になったら脅威だが、僕は脳なしと認識されているから警戒されずきっとあいつは独立して動くはずだ。
わかってはいたが僕とクラゲだけでは抗う手段が現状では無い。来るのはジェレミーと取り巻きのあいつだけってこともないだろう。
闇が深すぎて現場に立ち会った奴はジェレミーにドン引き確実とはいえ全部で3、4人は来そうな気はする。
戦闘員で処理の人員で露呈した時の犯人役。奇策とプラスアルファを駆使しなければきっと打開は難しい。
思案していると家に着いていた。クラゲを無意識に撫でていたが自然と一定のリズムになっていたようだ。
クラゲは身じろぎせず身を任せてくれていた。
おかえり、と言いながら一度クラゲを取り出してまた服に入って貰った。
釣り餌がどんな状態か確認すると虫は弱ってはいるけど生きてる・・・のか?
練り餌とエビは多分大丈夫じゃないかな。引き取り拒否されたら捨てればいいし。
餌を片手に持ってクラゲを撫でるスタイルになり釣具屋に向かう。
帰りが遅くなってしまうが他の店に寄ってアイデアが出ないかを考えてみよう。
考えられる物は魔道具だろうか。魔道具は魔法と同程度の力しか出ないのにかさばるが、使い方次第では何かできる・・・だろうか。
ジェレミーたちは従魔だけではなく魔法も脅威だ。侮ってくれれば使ってはこないかもしれないが、ジェレミーの炎の魔法はかなり強力だと聞いた。
魔法は魔力を精密に操作して何らかの結果を導き出す力だ。
同じ結果でも属性ごとの過程の複雑さや最終的に発揮されるパワーによって向き不向きはあるそうだが、基本どんな結果でも全属性で導き出せるらしい。
炎は生命に関する魔法に特に効果を発揮するそうだ。植物でも動物でも生命力の源は炎に関係していて、植物の成長や人探しや運命を占うには特に高い効果を発揮すると聞いた。
ジェレミーは生命の源の炎を視認できているレベルで炎の魔法が強力だと教師に絶賛されていた。
魔法の授業は思い出したくない辛い時間だったが、ジェレミーに関する話は嫌でも聞こえてきたのだ。
思い出しながら歩いていると人ごみに入り込んだため、ぶつかってしまわないように、クラゲを撫でることに集中しながら視線を下げて人々の靴を見て歩いた。
客引きはやはり恐怖だったためなるべく離れて歩いた。
釣具屋に着いた。そっと扉を開け中の様子を伺うと、やはり人はあまり居ないようだった。客層に学生は居ないのかもしれない。
実際自由になる時間がある人じゃないと厳しそうだしな。
「あの、すいません。昨日買ったこのエサなんですが、余ってしまったのでよければ使って貰えたらと思ってきたんですが・・・」
何かしら作業をしていた色黒の店主のおじさんは僕の声にこちらを向く。
「おう、昨日ぶりだね兄ちゃん。・・・昨日は山ほど買ってったけどこれ全部いらないのかい?」
おじさんがしかめ面で聞いてくる。
「えっと、すいません。うちの子が食べる物も見つかったので・・・」
「そうかい。兄ちゃんは釣りはやらねえのかい?」
「はい。魚とか海の生き物は綺麗だとは思うんですけど・・・」
特にクラゲとか。
「そうか・・・もし釣りを始めるんなら俺に聞きなよ。しっかり教えてやるから」
「あっ、はい。もし始めようと思ったらここに来ますね」
なんだか心配されてしまった気がする。時間ができたら釣りもいいとは思うけど現状時間がないんだよな。
もっといえば僕自身やクラゲの命の危機かもしれないから今は本当にどうしようもない。
もしかしたら余裕が無くて失礼なことをしたかもしれない、という意味も込めておじさんに頭を下げて店を出た。
それじゃあ他の店も回ってみよう。ふと気になったので真っ先に薬屋に回ってみることにした。
薬屋の中をそっと覗くと、ここにも学生の姿は見えないようだ。
多くの学生は召喚士の店に行って他の店にはあまり行かないのかもしれない。
「使えるものは・・・ないかなあ・・・」
ざっと薬屋の中を見繕ってみたが、僕の知識では戦闘で活かせる物はないようだ。
とりあえず少し吸い込むと頭の働きが鈍くなる痛み止めと完全に音をシャットアウトする耳栓を買うことにして、後は適当に薬を買い込むことにした。何かしら僕にも使えるものが見つかるかもしれない。
痛み止めの効能については幼少期に知った。幼いころ、まだ自分の価値を疑わずポジティブで外に繰り出すのが普通だった僕は一度大ケガをしたのだ。
その時にこの痛み止めが当時の僕にとって色々と助けになり、その効果を今も信頼しているのだ。
「お前さん、血色がいいし健康そうだがなにか病気でもしておるのか?」
「あっ、いえ、病気になったらうまくないと思ったので、備えをしておこうと思って・・・」
薬屋の主に話しかけられる。痛み止めと耳栓以外にも薬を色々と買おうとしていたからか不審がられたのかもしれない。
店主は長髪を後ろで結えて髭を胸元まで伸ばしている老人だ。
髪も髭も伸びているが整えられており、全体的に身綺麗でさっぱりしている。
以前にも釣具屋で店主のおじさんに突然話し掛けられて困惑して余裕がなくなってしまったが、やはりいきなり話しかけられると余裕が無くなってしまう。
「備えるのはいいが、使わないで置いておくと薬の効果が無くなるんだが大丈夫か?」
「はい、近いうちに何か使う機会があるかもしれないので・・・」
難しそうに聞いてくるお爺さんは薬が無駄になるかもしれないからか、金銭面を心配してくれているのか質問をしてきたが、何が必要になるかわからないし何を備えればいいか手探りの状態なのだ。
色々買いすぎだとは思うがここは妥協するわけにはいかない。
お爺さんはまだ何か言いたそうだったが、しぶしぶ薬を売ってくれた。
薬屋を出た僕は、片手に薬が入った袋を持ち片手でクラゲを撫でながら家に帰ることにした。