第6話 女教師との密会
いつもなら闇の中目を閉じることも恐怖だった。
夜に見る夢は内容を覚えていないけれど酷く恐怖を感じて心臓が早鐘のように鳴り飛び起きて、その後は不快な気分が一日中続いていた。
睡眠が取れれば心は癒えるが、浅く質の悪い睡眠しかとれない僕の精神は昨日まで荒廃しきっていた。
朝の光と鳥の鳴き声に癒しを感じて、祝福されているように感じたのは初めてのことだった。
※※※
とてもいい気分で目が覚めた。いつもなら体に悪そうな激しい動悸を感じて凄く不快な目覚めだったが、生まれ変わったようにいい気分だ。鳥の*チュンチュン*という鳴き声も心地よく感じる。
実際に生まれ変わったのかもしれない。目を閉じながら眠るまでタオルケットの上からクラゲに手を置き撫でさすっていたが、娘か何か最愛の家族ができたような気分だった。
家族という精神的な支柱の一つが倒壊していた僕は軸がぶれて生きることがままならなかったが、この子が居てくれて人間の世界に戻ってきたようで幼いころ以来の幸福を感じていた。
クラゲの方に目をやるとタオルケットだけが残っており、頭にそっと手を持っていくとやはりクラゲはそこにいた。なんとなく予感はしていた。この子スキンシップが好きだし人の頭が好きっぽいんだよな。
ゆっくりと体を起こし抜き足差し足、衝撃がクラゲに伝わらないように歩く。
パンをトーストしベーコンの上に卵を割って焼く。朝は簡単に半熟のベーコンエッグとパンにすることにした。
昨日はクラゲが何を食べるか気が気でなくてあんまり味もわからず水で流し込んでしまったから味わって食べよう。
コーヒーを飲みつつ卵の黄身でパンを味わっているとクラゲが起きたようで頭にぷるぷるする動きが伝わってきた。
食事の手を止めおはよう、と声を掛けクラゲを膝に置き食事を続ける。一応ベーコンなど勧めてみたがやはり食べないようだった。
――朝食を食べ終わりクラゲに服の中に入って貰い学校に向かう準備をする。普段は授業が始まる時間を逆算してギリギリに登校していたが、今日は早々に出発する。レギーナ先生に聞きたいことがあったからだ。
授業が終わってからでもよかったかもしれないが、仮初めの平和な時間がいつまで続くかわからない以上、時間を少しも無駄にはしたくなかった。時間が余れば書庫に行って情報を集めることができるしどれだけ早く行っても無駄にはならないだろう。
家を出て少し歩くと生徒の姿がチラホラ見え始め、前に向かう意思が萎え始める。クラゲをお守り代わりに撫でつつ、どうかジェレミーや取り巻きに会いませんようにと願いながら歩く。
ジェレミーにも計画を立てて準備する期間があるはずなので昨日今日ではすぐには動かないだろうと思うが、しかし直接顔を合わせて彼の屈辱を刺激してしまうと衝動的に動かれる危険もそれだけ高まる気がする。
こちらの準備が整うまでできるだけ刺激はしたくなかった。明日からは昨日までと同じギリギリに登校しよう。
幸いジェレミーや取り巻きには会うことなく学校まで来れた。彼は明確に求心力が揺らいでいる状態で休むようなタマではないだろうからきっと今日も来るとは思うが・・・。
学校に着いて安心して休みたくなったが、クラゲを撫でながら医務室まで向かう。
医務室のドアを開けると、果たしてレギーナ先生はそこに居た。椅子に座って何か作業をしている先生が振り返り目が合う。
「おはよう。血色もいいようだし朝から医務室に来るのは感心しないぞ」
「あっ、おはようございますレギーナ先生。あの、実はこのクラゲの事で聞きたいことがあってきたんです」
クラゲを取り出しレギーナ先生に見せる。先生は腕組みをしてクラゲを見ており、クラゲもやはり興味深そうにレギーナ先生を見ているようだった。
「そういえばクラゲが偏食だと話したんだったな。あれから書庫に行ったり何か試してみたのか?」
「はい、小魚とか虫とか色々試してみたんですが駄目で、最後に血を飲ませたら飲んでくれました」
レギーナ先生は体勢は変わらないが何かショックだったのか驚いた様子だった。
「血か・・・それは予想外だったな」
「えっと、聞きたいことなんですけど、書庫で魔物やクラゲのことを調べてもクラゲの従魔のことは出てこなかったんです。先生は過去にクラゲを召喚したり、知り合いで召喚した人が居たのかが知りたくて来たんです」
「ああ、私の弟がちょっとな。クラゲを召喚したんだが何日食べなくても平気で動いていたんだ。何も食べない種類の従魔かと思ったらある日冷たくなっていた。弟は退学になり従魔を失ったショックで今もぼんやりと過ごしているんだ・・・」
「そうだったんですか・・・」
先生がトーンダウンするのに合わせて僕も暗くなってしまう。同じクラゲを従魔に持つ同士として、この子のような静かに寄り添う存在が居なくなる悲しみは人ごとには思えなかった。
「先生は弟さんから聞いたり見たりしてクラゲの能力については何か知りませんか?頭に取りついたりとか」
「頭に取りついて召喚者の心を癒し敵の意識を強制的に失わせる能力があるな。弟に喧嘩を売った奴が半笑いで全部垂れ流しになってたのは流石に直視に耐えなかった」
「心を癒す・・・あと全部って・・・」
「小さいのも大きいのも胃の中のも全部だ。そいつは卒業まで腫物みたいな扱いをされていたし弟に絡む奴はそれ以降誰もいなくなった。癒しに関しては身に覚えがあるんじゃないか?ここに運ばれたとき頭にクラゲが取りついていただろう」
それは壮絶だ・・・何も出てなかったジェレミーは運が良かったな。クラゲのパワーとかジェレミーの抵抗力みたいなのもあったのかもしれないけど。
頭には確かに取りついていたっけ。開き直って覚悟が決まったおかげで前を向けるようになったのかと思ったけどこの子のおかげだったんだな・・・不甲斐なさと感謝がごっちゃになって複雑な気分だ。
「それ以外ではエサが不明だったから全く成長せずでわからなかったな・・・だがエサもわかったことだし、与え続ければ姿も変わるだろう。血液は与えるのが大変かもしれないが」
「ええ、そうですね。頑張ります」
むしろ気持ちいいんだけどね。今日も帰ったらたらふく飲ませてやろう。
クラゲの新しい姿や能力が分かれば今から戦略が立てれると思ったけど自分で試していくしかないな。
「先生、参考になりました。ありがとうございます。そういえば弟さんってどんな人なんですか?」
「うん・・・心ここにあらずといった感じでぼんやりしているかと思ったら驚くほど思慮深くて、かと思ったら妄想にふけっていて・・・そんな不思議な子だな」
先生はしっかりやりなさい、と激励してくれた。何だか少し親しくなったし次回からはもう少し気楽に話せそうだ。先生もクラゲ仲間でいくらか気を許してくれているようだし。
ただ先生の弟さんの情報は集まったがクラゲに関してはそれなりだったな。まあ、なるべく早く成長するように頑張るしかないだろう。
「ありがとうございます。あの、授業が始まるまで微妙に時間があるので直前までここに居てもいいですか?」
「まあ、授業に出るんならそのくらいは構わないよ。私は書類を書いてるから、予鈴が鳴る前には行きなさい」
時間があれば書庫に向かおうと思っていたが、微妙な時間だったのでここに居させてもらうことにした。
クラスメイトとは顔合わせづらいしな。僕は授業が始まるまでの間、話しの最中退屈そうにしていたクラゲとしばし戯れるのだった。