第3話 不思議な生き物
運命という物は理不尽だ。僕は僕の肩書き、少しだけ持ってしまった才能と、それに重きを置いた世界に精神をズタズタに引き裂かれた。
そして僕に向けられていた悪意は僕の分身で新しい力にも牙を向けようとしてきた。
ついカッとなってやってしまった。仕方がなかった。
※※※
「すると、なんだ、その従魔のスライム?クラゲ?を奪われて逆上したお前が一人でジェレミーとその従魔を倒したっていうのか?」
僕の教室の担任教師のシドニウスは僕のクラゲを訝しげに見ながら僕にそう聞いた。
「はい、そうです。仕方なかったんです・・・」
なるべく殊勝な態度でうなだれ、肯定する。
クラゲは僕の手元で、緊張が伝わるのかキョロキョロと辺りを見回しているようだ。
ジェレミーのことは同じ人間として共感できる部分はあるにはあるが、それでも散々痛めつけられたのだ。彼にやったことはやられた分の利息分を返して貰った程度のものだ。悪く感じる必要もない。
が、彼にやった事で不利益になることはできるだけ避けたい。これで退学にでもなったら最悪だ。
ここでは卒業することで先輩の召喚士とのコネができ、ここを卒業したという経歴もできると授業でさんざん言われてきた。
なんとしても教師への印象をこれ以上悪いものにはしたくなかった。
「状況としてはわかるんだがな・・・お前がジェレミーを倒したって言うのがにわかに信じがたいんだよな」
腕を組み懐疑的な目を向けるシドニウス。
僕だってそう思う。本来ならあのまま状況を打破できずに、いつも通りどこか遠巻きに自分の状況を見て、能面のような表情で早く終われと願いながらジェレミーの嗜虐心が満たされるのを待っていたはずだ。
――ジェレミーが座り込んで意識がどこかに飛んだあと、ふと周りを見渡すとクラスメイトの視線はこちらに集中して教室は静まりかえっていた。
いつもはジェレミーに倣って僕を痛めつける取り巻きも動けないでいるようだった。儀式の片づけやらなんやらで遅くなったこの教室の担任、シドニウスが来たのは、そのすぐ後のことだ。
「まあ、お前の言い分はわかった。他の者は状況をあまり喋りたがらないからな。きっと本当なんだろう。追って沙汰は伝えるから、それまでは今まで通り学校に通うように」
シドニウス先生は一応納得したのか、そう締めくくった。教師の間で会議にでもなるのだろうか。
クラスメイトの目がある教室での出来事だったし、みんなジェレミーを恐れて真相を話さないことから教師も察してあまり悪い結果にはならないとは思うが・・・
ジェレミーとその取り巻きが結託して僕に不利な証言をすることも考えられたが、おそらく彼は彼自身の認識の中では正しいことをしている人間になっているはずだ。
きっと彼の屈辱を雪ぐ「正当な報復」をするまでは僕の退学を助長するようなことはしてこないはず。
そう考えて、ありがとうございました、どうかよろしくお願いしますと言いながら深く頭を下げた僕は職員室を後にして、教室に向かった。
※※※
教室には、もう誰も残っていなかった。他の者が事情を聞かれたあと、僕が呼ばれて最後だったのだろう。
手元でおとなしくぷるぷるしているクラゲを見る。
可愛いやつだ。本当にそう思う。
僕には才能あふれ、人を貶めることに躊躇が無いジェレミーに抗うことはできなかった。
精神的に、肉体的に自尊心を穢され、彼を前にすると話すことも難しくなり悪夢にもうなされた。
思考が鈍くなりその因果関係に今日まで気づかなかったが、ジェレミーが原因だったのだろう。
僕にとって抗えない悪夢の象徴にもなっていたジェレミーを一撃で倒してしまったこの小さい相棒が、本当に可愛くて仕方がなくなってしまった。
この子となら、変われる気がする。僕の弱さをこの子に補って貰える気がする。
――多分だが、努力が必要だ。今までと同じ生活をしていたら、きっと周到に準備された悪意にこの子と分断されて酷い目にあう。最悪どちらか、もしくは二人とも命を奪われるかもしれない。
この子と共にその悪意に備えなければならない。
一度はジェレミーを降したが、この子のあの技がまた通じるとは思えない。あれは一撃で戦闘力を奪う強力な技のようだったが、二人同時に襲われたらどうにもならないし召喚士を無力化しても従魔がいる。
それに帽子か何かで簡単に無力化される気がするのだ。
ジェレミーとその取り巻きを・・・その命をいざとなればどうにかすることも考えておかないといけない・・・かもしれない。
なにか・・・何か備えられる物はないのか?
ふと見ると心配そうに僕を見ている(気がする)手の上でぷるぷるしているクラゲ。
クラゲを持っていない方の手は強く握りこみすぎて白くなって痛いくらいだ。
深呼吸して手を広げたり握ったりしてリラックスする。
なんとはなしにクラゲを頭に乗せてみる。乗せるのは二度目だが嬉しくてなんだか落ち着く。
クラゲもそこはかとなく嬉しそうだ。
「そういえば、この子何か食べないと死んじゃうんじゃなかったか」
ふとレギーナ先生の言葉を思い出しさしあたっての目的を得た僕は、さっそく書庫に行くことにした。
この学校の授業は最低限の魔物の知識と歴史、卒業後の身の振り方を主に教えている。
書庫には魔物の生態について書かれた本がそれこそ無数に置いてあり、各々が従魔を召喚したあとはここで自主的に調べる流れとなっていた。
書庫は本が日焼けしないように地下一階、窓のない大部屋になっていた。ここは暗くて静かでなんとなく荘厳なふんいきがあって僕は好きだった。
司書さんに目当ての本のおおまかな場所を教えて貰い、クラゲや水棲生物や海の魔物の本を探すと、果たして本はそこにあった。
・・・あまりにも本の数が膨大すぎる。本棚一つでは収まらないくらいの膨大さだ。一つ一つ調べていたらいくら時間があっても足りないだろう。
範囲を決めながら調べていった方がいいな。まずは一番の目的のクラゲについて調べてみよう。
図鑑にはどんな技術かクラゲの挿絵が載っており生態についてもこと細かに書かれていた。しばし調べていた僕は、クラゲの不思議な在り方、美しい見た目に圧倒されていた。
まるで人を映す鏡のような生き物だ。ただただ癒されると感じる人もいれば、畏怖したり恐怖する人もいるかもしれない。
その特殊な生命に頭が空っぽになるか哲学的な何かを感じるかはその人のそれまでの半生が影響していて、クラゲ自体は何も考えず漂っているだけなのかもしれないと、そう思った。
ただ、僕のクラゲって図鑑で見るクラゲみたいな姿はしてないんだよな。クラゲは何段階にも分けて成長していくみたいだから、この子もこれから成長してこんなどでかい姿になるんだろうか。
想像したら妖精のように華奢で可憐だった娘が、逞しく成長しすぎて複雑な気持ちになる親心みたいな感傷にふけってしまった。
実際この子は僕の娘みたいなものだしな。性別はなさそうだけど。
好奇心で図鑑を見ながら僕のクラゲを弄り倒していると嫌がって離れてしまった。
地味にショックを受けつつ何を食べるのかを調べていくと、目に見えないくらいに小さな生き物を食べているらしいことはわかった。
海のクラゲはエサが豊富なので放置で心配いらないかもしれないが、僕のクラゲはそもそも陸に居るしな・・・どうしよう。
放置しているとレギーナ先生の言う通りいずれ死んでしまうかもしれない。
この子が居ない生活を想像して胸が掻き毟られるような疼痛に襲われた僕は、何かヒントがあるかもしれないと思い他の水棲生物や海の魔物についても調べてみることにした。