第2話 レア?なクラゲ
ぼんやりした意識が覚醒する。消毒液の独特の匂いがする・・・ここは医務室だろうか?
産まれて初めて、と思うくらいに全てを出し切った感覚があったから、気絶してしまったのかもしれない。
体はだるいが頭がとてもすっきりとしていて気分がいい。普段寝ている間は、内容をよく覚えていない嫌な夢を見て寝汗が酷かったり不快な気分で目が覚めるのだがそういった症状は無かった。少し気分が上向きになっている気もする。
召喚の儀式はもう終わってしまったのかな・・・医務室の教師を見つけてどうしたらいいでしょうかって聞いて指示を貰った方がいいかな?
どのタイミングで動き出すか逡巡していると、ふと頭に違和感を感じて手をやってみた。
「えっ!?なんだこれ!」
手に伝わってくる感触はブヨブヨとしていて普段触り慣れないものだ。軽くパニックになりその物体を頭から引き剥がして確認すると、わずかに明滅してかすかな光を放つ半透明の青い物体だった。
そういえば儀式の時に最後に見た光景はこいつだったような・・・こいつは僕の従魔だろうか?
リスなどの小動物を掌に閉じ込めているときに無理やり指の間をこじ開けて這い出そうとするような、軽くこそばゆい抵抗を感じる。
手の隙間から見るその姿は普段全く見慣れない、書物で見たスライムに少し似ている気がする。うねうねと蠢いているが、透明感と内側のかすかな光の明滅がある種幻想的で、不快な感じはしなかった。
ぬめぬめしていそうな外見だが、濡れた感じはせずほんのり温かいため触り心地は悪くない。
「よーし暴れるなよ・・・よーしよしよし・・・」
最初は驚いたが落ち着いた僕は、もがく小動物感に溢れるスライムっぽいのを宥めながらそっとベッドの上に置いてみた。
乱暴されたことへの抗議をするようにピカピカと光が強く明滅し、プルプル震えている。不快じゃないどころかちょっと可愛いかもしれない。
「閉じ込めて悪かったよ。謝るから仲直りしよう」
ちょろい僕はそう言いながら指先をスライムっぽいのの前に差し出してみた。
スライムっぽいのも落ち着いたのか明滅と震えを止めて少し逡巡したあと、指に身体を擦り付けてきた。僕と同じでこいつもちょろい性格みたいだ。
しばしスライムに触って呼びかけてコミュニケーションを取っていると、ドアを開けて入ってきた女教師と目が合った。
「起きたのなら教室に戻るなり、私を探すなりしなさい。」
ベッドから起きた僕をじろりと一瞥しそう言われ、僕は縮こまってしまう。
「すいません・・・従魔が見慣れなかったものでつい・・・」
「クラゲに似た種類の従魔のようだな。海の魔物と適性が高い者も珍しいが、この種類を召喚する者はもっと珍しい」
そう言って彼女は腕組みをしながらクラゲを見ている。そうか、お前はクラゲだったか。クラゲを見たことが無いので想像できないが、こんな神秘的なものが住んでいる海に興味と憧れが湧いてきた。
「お前はそのクラゲを召喚した直後に気を失って倒れたそうだ。ここには待機していた教師が運んできてくれたから、会ったらお礼を言っておきなさい」
僕が倒れた時の状況を説明してくれた。ありがたいけど残念ながら僕はその教師とあの場所で面識も無かったし誰だかわからないんだよな・・・。
もっと言えば一見厳しそうだが実際は優しそうなこの先生の名前も知らないんだ・・・。
「えっと、すいません。その先生の名前を教えて貰ってもいいですか?」
「その教師の名前はハリーで、私の名前はレギーナだ。ヨハイム、体調は問題ないか?」
レギーナさんの名前を知らなかったことを見透かされていたようでばつが悪く、僕はさらに縮こまってしまう。
「はい、大丈夫だと思います」
体はまだだるいが、とても気分がいい。普段感じている精神の重圧が軽くなっているのが大きいようだ。
「そうか、それならいい。では儀式はもう終わっているから教室に戻れ。お前の従魔も忘れずにな」
そう言われ、興味深そうにレギーナ先生を見ている(気がする)クラゲにさあ行くよ、と一声かけて持ち上げる。仲直りしたからか特に抵抗は無かった。
「それと、その従魔だが何を食べているのかよくわかっていない。全く食事をとらないように見えて何日も放っておくと餓死する・・・らしい。水は空気中や主人や敵から奪っているから問題ないらしいが。近いうちに書庫でクラゲや水棲の魔物の情報を調べて色々試してみなさい。相談は受け付ける」
先ほど召喚されるのが珍しいって言ってたっけな。実はかなりレアで情報が出回らない魔物なんだろうか?そうだったら嬉しいんだけど。でも死んでしまったら退学になるのかな・・・この子のためにも僕のためにも頑張って調べないと。
「ありがとうございます!何かあったらよろしくお願いします」
僕は気を回してくれたレギーナ先生に礼を言って医務室を後にした。
※※※
僕が在籍する教室は喧騒で溢れていた。従魔を従える召喚士の学校という性質上、あらゆる部分がかなり大きめに、頑丈に作られている。
そして現在は各々が召喚した従魔をべたべた触ったり、見せ合いっこしているようだった。
僕も自分の席に着いた。すると――
「体調はどうかな?貴族様」
肩に手を置かれ、見上げるとそこにいたのはジェレミーだった。
「心配したよ。儀式に他の者の3倍も時間をかけた挙句、無様にも倒れてしまったのでね」
僕が戻ったことに他の生徒も気づいたのか、遠巻きにクスクス笑ったり嫌悪感を露わにしていた。
「見ての通り皆も心配していたよ。・・・僕や皆に何も言うことは無いのかい?」
僕が何も言えずにいると、語気が少し荒くなり肩に力が籠もる。
医務室では気分が軽くなっただけでなく、ジェレミーや他の生徒のことも何故か忘れてしまっていた。今ははっきりと思い出し、思考がぐるぐると回り言葉は出てこない。
「おや、そいつは君の従魔かい?ちょっと見せてくれないかな」
そう言いながら手首を指で押され、手の力が抜けてしまいクラゲを取り上げられてしまう。
「ああっ!駄目だ、返してくれ!」
そう言って近づこうとすると、ジェレミーの前に立ちはだかる黒い狼のような従魔に吠えられて委縮してしまう。
今存在に気づいたがこいつがジェレミーの従魔だろうか?その凶暴な外見に前に進めないでいると周りから前に出ろヘナチョコ、とヤジが飛んでくる。
羞恥心と悔しさで涙が出そうになる。先生は何をやっているんだ。早く来てこの状況を何とかしてくれ。
「君に似て何とも貧弱そうな従魔じゃないか。これはスライムの亜種かい?」
クラゲをねっとりと弄びながら僕の反応を見て楽しんでいる様子のジェレミーに近づくことができない。僕はジェレミーに向かい合いながら、頭の片隅でどうなればこの状況が打破されるかをぼんやり考えていた。
と、そこで今まで空気だった僕の従魔がブルルンッと震えて脱出してジェレミーの頭に乗り、猛烈に上下運動をしながら強く明滅し始めた。
そういえば僕が目を覚ました時もこのクラゲは僕の頭に乗ってたっけな。
そうぼんやり考えながら見ていると、ジェレミーはヒッヒヒヒッ・・・と妙な声を上げながら痙攣し始めた。呆気に取られて動けずにいると、痙攣はさらに強くなりジェレミーは膝から崩れ落ちた。
主人の異変に気付いた狼型の従魔は、主人の頭に取りついているため手出しができないクラゲに吠え立てている。
「邪魔だ!どけっ!」
ふいに感情が戻ってきて強い反動でカッとなった僕は、主人の方を向いて隙だらけの狼の土手っ腹を衝動のままに全力で蹴り飛ばした。
本来魔物は人間の力ではどうにもならない強力な存在だが、召喚されたての従魔というのはか弱い存在だ。
狼はギャインッと鳴きながら吹っ飛び、僕はジェレミーに近づく。
半笑いで白目を剥いて座り込んだジェレミーは口から泡を吹いており、素直に汚いと思い嫌悪感を感じた。
「手を離してしまってすまない・・・もう心配ないよ・・・」
怒っているかのように身体を震わせて明滅してジェレミーの頭で何かをしているクラゲをそっと手で包み、奪われる前と同様に手元に引き寄せた。
クラゲは満足したのか、無抵抗で僕の手に乗ってきたのだった。