第1話 境遇と、出会い
今まで生きてきていいことなど殆どなかった。生まれに、才能。さまざまな形で価値を量られた僕は無碍に扱われてきた。
いや、産まれてきたこと自体はいいことだったのか?
※※※
僕、ヨハイム=ヴァルブルンは床に描かれた魔方陣を目にして暗い気持ちになりふう、とため息を吐く。
この世界では魔の存在の大本が産み出したとか闇の彼方から来たとも言われている魔物がはびこっていて非常に危険だ。
非力な人間の力ではまともに戦うことは敵わず、満足に狩りや採集もできない。
幸いかどうなのか魔物には人間を滅ぼそうという気はないらしく、増えるのを待ってから『収穫』し玩具や食糧にしている、と幼いころに聞いた。
自分で見聞きしたわけでも魔物の知り合いがいるわけでもなく、両親にそう教わったのだ。
これを思い出すと僕の存在にまだ価値が見出されていたころ、危ないからむやみに外に行ってはいけないよと強く言われていた記憶が脳裏によぎり、複雑な気分になる。
――今から500年ほど前に狂人、異端児、悪魔呼ばわりされてきた研究者ランケ=ゴーロは魔物に対抗する手段を確立した。
生命力がみなぎる多くのもの、己の血液、魔物の体液や体毛、そして魔法の才能。
それらを使って『従魔』と言われる自分に付き従う魔物を産みだして見せたのだ。
ランケは貴族や物好きなど金持ちに従魔が魔物に対抗しうるということを話し、実際にやって見せた。
狂った研究者は多くの出資者に抱えられ、研究をさらに進め一躍人類の希望、偉大な叡智と言われ歴史に名を残すことになったそうだ。
現在に至るまでランケの研究は進められ、多くの召喚士が輩出され研究職や護衛や前線で魔物と戦う傭兵のような仕事に就いている。
僕が今いるのは従魔を従えた者、召喚士を養成する施設『ロックニー学院』の儀式の間だ。
この学院は魔物、従魔、人類の闘ってきた歴史を学び、ランケの生み出した技術を習得し、実際に従魔を召喚する場所だ。
僕は魔力を行使する才能を持って産まれてきたが、その才能は微々たるものだった。
魔力は行使することで作物や植物の成長の促進、人や物の存在を感知し人探しや失せ物探しなど色々なことができるが、僕の場合は魔力の流れや精度が悪く殆ど役に立たなかったのだ。
召喚士の才能があるとわかって喜んでいた両親の期待の目がだんだんと落伍者を見る目に変わっていったのは、思い出すと非常に苦しい。
具体的には動悸が早くなり汗が出て口は回らなくなり、どもる。
家のことを話すと挙動不審になってしまう。
色々な要因が合わさってしまったのだろう。家柄、才能を勝手に期待された僕は、教師や同級生の期待を知らずに裏切ることとなった。
期待され妬まれてもいた僕は精神的に、肉体的に追い詰められることとなった。
「やあ、貴族様」
思案していた僕はそう言われて肩に手を回されながら強く押され、よろめいて倒れそうになってしまう。
相手はジェレミー=ヴィクトル。
僕に家柄、才能を期待して好青年の顔で近づいてきた彼は、僕に才能がなく家に疎まれてもいることを知ると途端に豹変し僕の尊厳を踏みにじってきた。
内心妬んでいたのだろう。彼の家が僕の家よりも一段低い家柄らしいと知ったのは、後のことだ。
僕自身の価値を諦めていた僕は常に孤独な精神状態だったが、孤独になることと孤立することは違う。
劣った人間として扱われる苦しみは僕の精神を苛み、さらに不安定にした。
何も言い返すことができず、視線も向けることができず僕は俯いた。
「無視か。家柄がいい人間は下の家の者とはやはり違うものだな」
言いながらジェレミーは大げさに肩をすくめて見せた。
ジェレミーは自分の立場を悪くせずに相手の価値を貶める技術に非常に長けていた。
まるで僕に非があり、僕の価値を貶めるのが自然でみんなの総意だと言わんばかりの振る舞いをする。
僕の周囲にはジェレミーと同じく僕を貶める者、僕に軽蔑した目を向けてくる者ばかりとなった。
「やめてくれないかな」
引き攣った笑顔で仕方なくそう頼んだ僕を彼は鼻で笑いこう言った。
「挨拶をしているのにこの返事とはね。家の価値を貶めているぞ」
言葉は丁寧に学友を注意する模範生のようだが、獲物を弄ぶような愉悦に満ちた目をしている。
僕は己の価値を諦めてはいるが、自分が育てられた家のことを言われるのはわずかに鈍い怒りが湧いた。産まれてきたことが間違いだったのか、家柄が良かったのが間違いだったのか、こんな世界が間違っているのか。
状況を打破できない倦んだ思考は暗い考えを生み出し、堂々巡りした。
怒りで表情が歪んだ僕の反応を楽しそうに見ているジェレミーは対照に活き活きとしている。
と、そこで儀式の道具を準備していた教師のマルスラン=ギュンスターがパンパンと手を叩き、静粛に、と呼びかけた。彼は戦場で魔物と戦う傍ら、この学園で従魔の召喚の儀式を担当している。
儀式は準備が大がかりで危険が付き纏うため、経験豊富で実績がある者が担当に選ばれる。
彼は極めて優秀だが魔物を従魔で倒す衝動だけが思考を支配しているような人物だった。
禿げ頭で体は鍛え上げられて引き締まり、目付きはギラギラとしている。
傍らにはコウモリの翼が生えた複数の魔物の体が合わさった合成獣のような従魔が控え、僕たちを観察している。
「早速だがお前たちに従魔の召喚の儀式をやってもらう。手順はわかっているな」
疑問形のようだが口を挟むことが躊躇われる断定的な口調だ。
「生命を封じた燈火石と召喚者の適正に合わせた魔物の体の一部を魔方陣の所定の場所に置き、自身の血液を魔方陣の中心に垂らし即座に魔力を発動する」
道具を手に取りながら説明をする。召喚士は得意な魔法によって扱う魔物に適性がある。
僕は一応水の魔物が扱いやすいと言われてはいた。
「知っての通り召喚は非常に危険な儀式だ。呼び出した直後の従魔は理性が無く召喚者に牙を剥いてくることがある。魔力が大きい者程この傾向が強い。魔力を正確に素早く扱うように気を付けろ。ジェレミー、お前は特に注意しろ」
名を出されたジェレミーは誇らしそうにハイと返事をする。ジェレミーは強い魔力を高い精度で行使する才能を持って産まれた。
家柄がよくイケメンで才能を持って産まれた彼にあやかろうと近づいてきた者たちの存在もまた、僕を貶めることに一役買ったのだろう。
「万が一のために戦闘が専門の教師が俺以外にも二人待機している。だが失敗すると命は無いものと思って儀式に臨め。では早速儀式を行う」
そう締めくくった彼は一人一人を呼びつけ、召喚の儀式を行い始めた。
※※※
――トラブルが起こることもなく僕の順番が回ってきた。
「ヨハイムか・・・儀式はできそうか?」
マルスランは難しそうなしかめ面で尋ねてきた。
従魔で魔物を倒すという役割を果たせる確率が低いであろう僕は、教師からの評価はやはり低い。
心配される羞恥心に顔が熱くなるが、ハイ、ヤリマス、と返事をして魔方陣の前に立つ。
できないと言ってもどうにもならないし、そんなことをしたら学校にはいられず帰る場所もなくなるかもしれない。やるしかないのだ。
深呼吸をするが落ち着かない乱れた気持ちのまま儀式を始めた。
魔方陣の所定の場所に燈火石を置き、用意された魔物の一部・・・腕の太さほどもある海の魔物の触手の先を魔方陣の中心に置く。後は血液を触手に垂らし、魔方陣に触れて魔力を操作すればいい。
手順はわかっているが、やはり手が震えてもたついてしまう。
僕にできるのだろうか、できるわけがないんじゃないか。
僕には負け犬根性が染みついており、幼いころにはあったポジティブさ、明るさというものはすっかり消え去ってしまっていた。
上手く働かない思考と手で道具を置き、ナイフで指の先を少し傷つけ血を出し、触手に垂らした。
上手くいってくれ、そう頼みながら目には見えないが重く不定形の魔力を操作すると魔力が一気に魔方陣に奪われる感覚を覚える。
他の人には魔力は軽く扱える物のようだが、僕の場合は集中が必要で嫌な汗が出てくる。
(もうやるしかないんだぞ!動けなくなってもいいから全部出し切ってやれ!)
そう自分に言い聞かせて気分の悪さを感じながらも魔力を操作すると・・・それに応えるように魔方陣が淡い光を放つ。
ここが正念場と全てを出し尽くすと、さらに光は強くなり・・・魔方陣の上にあったのは青い半透明でゼリー状の物体だった。