木刀を作るための材料を取ろう
泣き腫らした目蓋は一晩ですっかり治ったが、冷静になった心は一晩では直らなかった。
「号泣て! 儂、号泣て!」
あまりの気恥ずかしさに、寝台の上に寝転がり枕で顔を覆いながらバタバタと悶え転がる。
「母恋しの童じゃあるまいに、何をやっとるんじゃ儂は!」
前世では悔しさに打ち震えることはあっても、声を上げて泣いた記憶はとんと無かった。物心がついてからは生きるのに必死で、もしかしたら悠長に泣き腫らしたことなど一度も無いかもしれない。
それが、昨夜のあの様である。
「ぬぅ……よもや精神まで幼児退行しとるんじゃなかろうな」
一つ気合を入れようと、顔を上げて姿見の前に移動し、気迫を込めて眼前を睨み付ける。
鏡の中で、金髪碧眼の幼女が不満そうな顔をしていた。
儂は力なく項垂れて寝台に戻る。
「戦場では剣鬼と恐れられた男がなんたる様じゃ」
妙に涙もろくなっているのは、きっとこの体が幼いせいか、もしくは女の身だからだろう。
そうに違いない。
違いない。
軽く頭を振ってから頬を叩くと、萎えた心に喝を入れる。
いつまでもうじうじしている訳にもいかない。今日は森に木を探しに行くのだ。
寝間着を脱いで、水色のワンピースと白いエプロンドレスという格好に着替えてから居間に下りると、父様が食卓の上で書き物をしていた。
「おはよう、イリス。よく眠れたかな?」
「おはようございます、お父様。ええ、はい、まぁ……」
若干の気まずさに言葉を濁すと、父様は苦笑で返した。
視線を逸らして食卓の上を見ると、一人分の食器が残っている。気を使って儂が落ち着くまで呼ばないでいてくれたことを察して、気恥ずかしさに顔を伏せた。
台所に作り置きされていた野菜のスープをよそい、食卓の上にあるパン籠からパンとバターを取り出して朝餉を食べ始める。
初めのうちは未知の味や食感に驚いたりしたものだが、毎日のように食べていれば流石に感動も薄れてくる。今では、食べ飽きたと思っていた麦飯とみそ汁が恋しくてたまらないのだから不思議なものだ。
朝餉を終えて片付けを済ませると、台所から風の魔道具と水の魔道具を取り出しエプロンドレスのポケットに収める。森での採集に使う予定だ。
出掛ける準備を整えると、未だに食卓で書き物を続けている父様に声を掛ける。
「お父様、今日は森に行ってきます」
「森? どうして急に?」
「はい、イチェの木かアイベの木が使えそうなので、それを探そうかと」
「もしかして、木を採ってくるつもりなのかい?」
儂が黙って頷くと、目を見開いた父様は暫く儂を見つめてから、やがて腕を組んで何事かを思案した様子で、少しだけ顔を険しくした。
「森に行くときは必ず誰かと一緒に行きなさい。この前、騎士団の討伐隊が巡回したばかりだから大丈夫だとは思うけど、森には魔獣が出ることもあるからね。今日は僕もモルトナも用事があって行けないから、ベックを誘ってみるといい」
「あれ? お父様やお母様は手を貸さないという約束ではないのですか?」
癒術院からの帰りに、確か父様はそう言っていたはずだ。
その事を指摘すると、父様は困り切った顔で曖昧に微笑んだ。
「買えないと分かれば諦めると思っていたからね……諦めないにしても、お金を貯めるとか、街の中で済む方法で努力するだろうと思っていたんだ。まさか剣を作る前から、いきなり危険なことを始めるとは思わなかったよ」
「うっ、すみません……」
そう言われては謝る他なかった。
しかし額が額なので、真っ当に稼いだとしてもいつ手に入るか分からないのだ。都合よく大金が稼げる手段に心当たりがあるわけでもないし、大人になるまで待っていたのでは遅すぎる。
やはり今すぐ手に入れるには、自作するしかないだろう。
そんな事を考えていると、そっと頭に手を乗せられて優しく撫でられた。
「一度良いと言ったんだ、思うようにやってみなさい。でもね、森に限らず、危険なことをする時は、必ず慣れた人に側について貰いなさい。いいね?」
「はい」
心配そうに見送る父様に手を振って応えながら家を出る。
南通りを渡れば目の前がベックの家だ。
今まで何度も誘われて遊びに行ったことがあるので、迷うことなく門扉を開けて玄関扉についている叩き金を叩く。すると、玄関を開けて出てきたのはベックではなく、その兄のランドルフだった。
予想外の人物の登場に軽く驚く。
ランディは今年から騎士団寮で暮らしていたはずだ、なぜ実家にいるのだろうか。
「なんだイリスか。ベックならお使いに出てていねぇぞ」
騎士団の制服ではない、簡素なチュニックにレギンスという見慣れた格好をしたランディは、扉を開けたままベックの不在を告げた。
昨日見たときに血を滲ませていた額は、薄っすらと後を残すだけで、ほとんど癒えていた。父様の言っていた通り、大した傷ではなかったらしい。
「なんだとはご挨拶じゃな。ぬしこそ騎士団はどうしたのじゃ? もしや、早くもお役御免か?」
「ちっげぇよ、今日は休息日だから家に戻ってきただけだ!」
ランディに、頭の上に軽く手刀を落された。痛い。
前々から思っていたが、ランディは儂に対して妙に当たりが強い気がする。
昔一度だけ本気で叩かれて以来、決して本気で叩くようなことはしなくなった為甘んじて受け入れているが、見た目童女に対する対応ではないのではないか。
本物の童女なら泣くぞ、たぶん。
それとも昔はランディの名前が上手く言えず、らんじぃらんじぃと呼んでいたことを未だに根に持っているのだろうか。
「ベックはすぐに戻らんのか?」
「どうだろうな、市場の方に行ったから昼までかかるかも知んねぇ。とりあえず上がるか?」
戸を開けて招き入れようとするランディを見て、少し考える。
父様は必ず誰かと行けと仰っていたが、別に必ずベックを誘えと言われたわけではない。
「うむ、ランディでもよいか」
「は? なんだよいきなり」
「ぬし、今日は休息日と言うとったな。ならば森に行くのに付き合ってくれんか?」
「森ぃ? 俺、連日の訓練で疲れてんだけど……」
あからさまに嫌そうな顔をされた。
きちんと体を休めることも稽古には大切なので、残念だが仕方がない。
「そうか、ならば無理強いはせぬ。ベックが戻ってくる昼過ぎに出直すとしよう」
「あー、いや、昼までくらいなら付き合ってやるよ」
儂があっさりと引き下がると、ランディは少し慌てた様子で言葉を返した。
「良いのか? 疲れとるんじゃろう?」
「いいんだよ、ちょっと着替えてくるから待ってろ」
そう言ってバタバタと踵を返したランディは、程なくして汚れてもいい服に着替えて出てきた。
せっかく付き合ってくれるというのだ、ありがたく同行して貰おう。
ランディと連れ立って街壁の南門を抜けると、街道沿いを少し進んだ先に森が広がっていた。昨日木工工房でクラウトに教わった通りだ。イチェの木やアイベの木はこの森で採れるらしい。
街道から外れて森へと近づけば、遠目から見ても明らかに人の手が入っていると分かるような道が出来ていた。獣道よりは多少まともといった程度だが、それでも大分歩きやすいだろう。
「なぁ、それで、なんで森に来たんだ? 俺なんも聞いてねぇんだけど」
下草を踏み分けながら森の中を進んでいると、先行していたランディが前を向いたまま声だけで問いかけてくる。
そういえば森に行くとしか言っていなかったか。
「ん、おお、そうじゃったか。なに、ちとイチェの木を探しにのう」
「ああ、あの家具とかによく使うヤツか……ん、なんでそんなもん探してんだ?」
「採るためじゃ」
「はぁっ!? おま、はぁっ!?」
振り返って二度聞き返された。クラウトよりも驚きの度合いが上だったらしい。
森に行って木を切るだけのことが、それほど異常なのだろうか。五年間過ごしたが、未だにこの世界の常識はよく分からないことがある。
ランディは何かを言おうとしては逡巡するのを何度か繰り返した後、諦めたようにわざとらしく溜息をついた。
「採るのは良いけど、どうやって? 俺、風の適性なんてねぇぞ?」
「それについては儂に考えがある。まぁ、任せておれ」
胸を張って答えるが、ランディの視線は冷たい。
「イリスの考え? ほんとに大丈夫かよ……」
どういう意味じゃそれは。
森の中ほどまで踏み込むと、周囲の木々の様子が少し変わってきた。入り口に生えていた木と比べて、背が高く、幹も太いものが増えている気がする。
あらかじめクラウトから聞いていたイチェの木の特徴として、樹皮が剥離していて、楕円形の大きく厚い葉がついている木という情報を頼りに二人で手分けして探して歩くと、暫くして離れたところに居たランディが声を上げた。
「イリス!これじゃねぇか!?」
声の方に急ぎ駆け寄ってみると、ランディが聞いていた特徴の通りの木に手を添えていた。
恐らくこれがイチェの木だろう。十分に成長しており、幹の太さも申し分ない。
思っていたよりあっさり見つかったことに安堵する。
「恐らくこれじゃろう。でかしたぞランディ!」
「んで、こいつをどうやって切るつもりだ?」
「そうじゃな、無理だとは思うが……」
儂がポケットから調理用の風の魔道具を取り出すと、ランディに黙ったまま頭を小突かれた。
思わず手を頭にやると、その隙に魔道具を取り上げられてしまう。
「あのなぁ、こんなんで切れるわけねぇだろ。常識……はねぇのか、イリスだしな」
「うるさいのう、じゃから、無理だとは思うがと言ったじゃろうが!」
手の中でくるくると魔道具を弄ぶランディから、どうにか取り返そうと手を伸ばすが、それを見たランディに魔道具を持った手を高く上げられてしまった。こうなると身長差のせいでどうやっても届かない。
何度か飛び跳ねて取ろうと試みたがまるで届かず、終いには空いてる方の手で頭を押さえつけられてしまった。
ええい、悪童か!いや、悪童か。
儂は力ずくで取り返すのを諦め、父様に倣って説得して返して貰う方法に切り替える。
「何事もやってみなくては分からんじゃろう。ぬしはそれで木が切れなかったところを見たことがあるのか?」
「そりゃ……ねぇけど」
ランディの視線が少し泳いだ。
正直、儂のはただの好奇心で、皆が無理だと言っているのだから初めから切れるとは思っていない。しかし、こう言われて納得してしまう辺り、ランディは案外、根はとても真面目なのかもしれない。普段の素行からはとてもそうは見えないが。
「ほれ見い、やってもおらんのに何故無理だと決めつけるのじゃ。先人の知恵は確かに大切じゃが、単にやり方を誤っていただけの場合も多々ある。よいか、何事も――」
「分かったよ、やってみりゃいいだろ、やってみりゃ」
説明に熱が入ってきたところで、それを遮るように魔道具が投げ渡された。
乱暴に投げて寄越されたそれを慌てて受け取る。
やはりきちんと説明すれば納得してもらえるのだな。うむ。
取り戻した魔道具の宝石に指を這わせると、筒の先から六寸(18センチ)ほどの薄緑の細い棒のようなものが現れた。
これが風の刃だ。刃などどこにも見えないが、刃なのだ。
儂は空いている手で剥離しかけた樹皮を剥がすと、幹に風の刃を突き立てた。
すると幹に当たった部分から、するすると風の刃が解けて霧散してしまう。
手を引けば再び風が集まり棒状の刃を形成するが、何度押し当てても幹には傷一つ付かなかった。
試しに横から当てるようにしたり、刀のように引き切るように当てたりしたが、どうやっても刃が幹に触れた時点で霧散してしまう。
これが、強度が足りないということなのだろうか。
「うーむ、やはり無理か」
「やはり無理か。じゃねぇよ! だから無理だって言ったじゃねぇか!」
「うるさいのう、確実に無理だと分かったのじゃから、良しとせんか。それに儂とて初めから都合よく切れるなどと思ってはおらぬ。ちゃんと次善策は考えておるわ」
「次善策ぅ?」
物凄く胡散臭いものを見る目が向けられている気がするが、努めて見えない振りをする。本当は最初から次善策の方で行くつもりだったのだ。魔道具を使ったのはただの興味本位だ。
なにせ、次善策は実体験に基づいたものなのだ。今度は確実に切れる。
「うむ、やはり木を切るには斧じゃろう。前時代的なのがちと癪じゃが、次は石斧を作るのじゃ」
どんどん木刀から遠ざかってる気がしますが、これでも進んでます。
次回は石斧作り