木刀を作ろう
父様に認められた癒術院からの帰り道、その足で木工工房まで案内して貰えることになった。
剣を持つことは認めてもらえたが、援助があるわけではないので、当然製作費は儂が払う必要がある。
今のままでは無一文なので工房に依頼が出来るわけではないが、それでも工房に向かうのは、とりあえずの顔見せと、万が一に自作する事を考えて、どのような木が向いているのかの確認をしておく為だ。
樫の木が存在すれば話は早いのだが、この世界にあるかどうか分からないし、最悪伐採から始めなければならないのでこの機会に色々と相談するとしよう。
職人通りは、商隊の出入りが多い街の東門の近くに、東通りを挟んで二本あるとのことなので、一度城門まで戻ってから東門へ続く通りを下りる道を行く。先ほど出てきた癒術院が街の西側にあるので、街を横断する形だ。
今まであまりマギアシュタットの街を歩き回る機会は無かったが、今日一日で随分と歩いたものだ。
父様が気を使ってゆっくり歩いてくれるので、待たせない様に常に早足で歩き続けていたからか、大分疲れてきた。
年齢を考えれば仕方がないのかもしれないが、やはりまだまだ体力に難ありだ。
街の東側は商業区画とでも言うべき様相で、東通り沿いには様々な店舗が軒を連ねていた。
街壁の東門近くでは市場も開いており、時折母様に連れられて食糧を買いに来たこともある。
街によその商隊が訪れた時などは、閉門時間である日没まで、門の外に露店が並んでいることもあった。
そんな東通りから一本南に路地を抜ければ、そこが目的の職人通りだ。
「ずいぶん静かなのですね」
職人通りには鍛冶職人や細工職人など金属を扱う職人達の工房もあるが、前世で耳慣れた鉄を打つ槌の音は聞こえなかった。気になって鍛冶工房の看板を下げた建物を覗いてみるが、戸は閉め切られており、とても中で鞴を踏んでいるようには見えない。
金属の加工はもっと風通しの良いところでやるものではないのかと首を傾げていると、父様が当たり前のように驚くことを口にした。
「皆、工房に籠って作業しているんだろうね。日が沈む頃には酒場に繰り出す職人達でここも賑やかになるよ」
「籠ったまま作業するのですか?」
「金属を加工をするには土の魔術の繊細な制御が必要だからね。中には深夜じゃないと作業できない職人も居るらしいよ」
なるほど、金属の加工にも魔術を使うために、鉄を熱して槌で叩く必要が無いらしい。
恐らく他の工房も、作業の大半が魔術で行われているのだろう。親方の怒声や針子達の話し声が響く、儂がよく知る猥雑な職人通りの姿はここにはない。
しんと静まり返った職人通りに、なんとも座りが悪いものを感じた。
「では、土の魔術に適性が無いものは鍛冶職人や細工職人にはなれないのですか?」
「うーん、細工職人はもしかしたら一生見習いとしてならなれるかもしれないけど、鍛冶職人は無理だね。他にも適性によってなれる職業やなれない職業があるから、本格的に進路を考えるのは学校に入って魔術適性を調べてからの方が良いかもしれないね」
そう答えた父様の言葉に、ふと魔道具の存在を思い出した。
魔道具は対象の属性に適性の無い物でも、その属性の魔術を使えるようにするためのものだったはずだ。
地の魔術に適性が無い者でも、地の魔道具を使えば職人になれるのではないだろうか。
「魔道具を使うのでは駄目なのですか?」
「魔道具はあくまで生活を補助するためのものだからね、調整できる出力範囲が非常に狭いんだ。例えば家には料理用の風の刃を作り出す魔道具があるだろう? あの魔道具の出力を上げても石を切ることはできないし、逆に出力を下げたとしても木を削るだけの強度を保つことはできないんだ」
「微細な調整が出来るからこそ、職人と呼ばれるわけですか」
「もちろん、芸術品であればセンスも必要だけどね。おっと、木工工房はここかな」
父様の声に足を止めると、一見普通の家屋と変わらない建物の前だった。入り口の脇に掲げてられいる看板のおかげで辛うじてここが木工工房だと分かる。
入り口の扉を開けると、店内には森の中のような濃い木の匂いが充満していた。入り口の正面には勘定場があり、壁際には何種類もの木材が立てかけられている。その隙間を埋める様に、木組みの丸椅子や書物机が並べられてるのが見えた。
扉が動くのに合わせて、据え付けられていた小さい鐘の音が鳴る。すると、鐘の音で来訪を知った神経質そうな男が、店の奥からのっそりと出てきた。長身で、白いワイシャツに濃い緑のベストを着た、二十代くらいの男だ。
「らっしゃい。おや、先生じゃねぇですかい、こんなところに何の御用です?」
「こんにちはクラウトさん、あれから肩の具合はいかがですか?」
「お蔭さんで快調でさぁ。まあ、商売柄またすぐ悪くしちまうんですがね」
「定期的にほぐすようにしないといけませんよ。それと、今日は私は付き添いです。ほら、イリス」
父様に促されて一歩前に踏み出すと、クラウトと呼ばれた男は、居たのかというような驚いた眼を向ける。儂が小さすぎて視界に入っていなかったらしい。失敬な。
「なんだぁ嬢ちゃん、玩具ならここにはねぇぞ?」
「所望しとるのは玩具ではない! のう店主よ、ここで木刀を作ってもらうことは出来ぬか?」
「ボクトウ? なんじゃそりゃ……喋り方といい、随分変わった嬢ちゃんだな……まあいい。それよりもお前さん、組合の注文書は持ってるのか?」
「む、組合? 注文書?」
クラウトが、あーと呻きながら頭をかいて後ろに立つ父様を見やるが、父様は壁際に立てかけられた木材や家具を眺めており、口を挟むつもりが無いのが見て取れた。
困ったように眉根を寄せたクラウトは再び儂を見下ろし、子供を諭すようにゆっくりと口を開く。
「あのな、職人に既製品以外を依頼する時は、先に商業組合にどういうもんを作りてぇのかを説明して許可を貰わにゃいけねぇんだ。必要な技術や作業量によって、適した工房に仕事を割り振る必要があるからな。その上で、許可が下りた場合は組合から工房に客の書いた注文書が送られてくるもんだ。直接工房を指名すんなら、更に割増し料金がかかる」
「むぅ、そうなのか。寡聞にして知らんかった。すまぬ」
「あぁ、まぁ、分かりゃいいんだが……変な嬢ちゃんだな。先生の娘さんか?」
「うむ、リヒトは儂の父様じゃ」
「先生にゃ世話んなってっから、出来りゃあ便宜を図ってやりてぇとこだが……ほんとに先生の娘か?」
「くどいのう。この髪や眼の色など父様そっくりじゃろう?」
そう言って自信満々に胸を張るが、クラウトの眉間に皺が増えただけだった。
露骨に変なものを見る目を向けてくるクラウトを無視して、儂は少し考え込む。
先ほどのクラウトの話では、先に商業組合に赴いて木刀の製作を許可してもらい、商業組合から紹介された工房に製作依頼をするという手順を踏まなければならないらしい。
人の手を介せばその分金額が上がるのは自明の理だ。そもそも、木刀の製作許可が下りない可能性だってある。
一歩を踏み出したら後ろに二歩進んでいたような気分だ。
「ちなみに、仮に依頼が出来たとしたら代金はいか程になるのじゃ?」
軽く顎を撫でながら考え込んでいたクラウトが、右の手の平を広げて見せた。
「作るものにもよるが……貴族向けの寝台とかなら大銀貨五枚が相場だな。それに組合の仲介手数料が足されるから、必要になるのは大銀貨六枚と小銀貨五枚ってところか」
「んなっ!?」
儂は驚きに目を見開いた。
以前母様に連れられて市場に買い物に出た時に、高級食材である魚介が小銀貨一枚だったのを見た覚えがある。
大体の買い物が銅貨で済んでいることから、提示された金額が子供はおろか大人でもおいそれと手が出ない額であるのは間違いない。
流石に木刀ならそこまではしないだろうが、それでも小銀貨を下回るようなことは無いだろう。
とても子供の買える額ではない。
これは、本格的に自作を検討するべきじゃな……
「――あい分かった。もう一つ尋ねたいのじゃが、この店は樫の木を扱っておるか?」
「カシ? いや、んな名前の木は聞いたことがねぇな」
「そうか。では店にある中で最も硬い木はどれじゃ?」
「そんならイチェの木だな。ちっと待ってろ、持ってきてやる」
クラウトが店の奥に引っ込むと、代わりに父様が近づいてきて儂に声をかける。
「どうだい、出来そうかな?」
「いえ、依頼をするには商業組合の注文書が必要だと言われました」
「そうだね。職人が所属する工房は商業組合によって管理されているから、まずは商業組合に話を通さなくてはならない。何か新しいことをする時はまず上に相談をしなくてはいけないのは、どこの組織でも一緒だ。覚えておくと良いよ」
「はい、勉強になりました」
話しぶりから察するに、父様はこうなることを予想していたようだ。敢えて儂の意を汲んで先に工房を案内したのは、儂に学ばせるためだろうか。
まるで、子を庇護する親ではなく弟子を導く師のような対応に、少しだけ嬉しくなった。
本当に一人前と認めて下さっているのだな……
「さて、思った以上に遅くなってしまったね。僕は先に戻って母さんに遅れることを伝えようと思うけど、イリスは一人でも大丈夫かい?」
窓から差し込む日は赤くなりはじめ、既に夕暮れ時に差し掛かっていた。
日没まではまだあるだろうが、そろそろ帰途につくような頃合いだ。
市場までは何度か歩いたことがあるので道は分かるし、最悪迷ったとしても街の構造上、坂を登れば必ず城に着くので、そこから街壁の南門を目指せば家には辿り着けるだろう。
儂がこくりと頷くと、父様は優しく頭を撫でてから店を出ていった。
入れ違いに三本の角材を持ったクラウトが現れる。
「お? なんだ先生帰っちまったのか? ……噂じゃ過保護だって聞いてたんだが」
「儂はもう一人前じゃからな」
ふふん、と得意気に鼻を鳴らす儂を一瞥だけして、クラウトは勘定台の上に持ってきた木材を置き始めた。
全て六尺六寸ほどの長さで、赤い木材が二本、黒い木材が一本並んでいる。
「この濃い赤のヤツがイチェで、もう一本の赤いのがアイベ、そんで黒いヤツがクオウの木だ。どれも硬くて頑丈だが、加工がしやすいのはアイベだな。どうする? 加工はしちゃやれねぇが、材料を売るくらいなら目こぼししてやんぜ?」
「いや、生憎と素寒貧じゃ。自前で用意したいんじゃが、どれもこの辺りで採れるのかの?」
「はぁっ!? 嬢ちゃん、自分で木ィ切る気か!? まさかもう風の魔術が使えんのか?」
目を見開いて信じられないものを見るような顔をされるが、そんなに可笑しなことを言っただろうか?
クラウトの大袈裟な反応を不思議に思いつつも、儂はもう一度尋ねる。
「魔術は使えんが、木を切るくらいどうとでもなるじゃろ。で、どうなんじゃ?」
あっけらかんと答えると、クラウトは勘定台の上で頭を抱えて俯いてしまった。
何やらぶつぶつと「なに教えてんだあの先生は」だとか、「箱入りってのはみんなこうなのか」とかいう言葉が漏れ聞こえてくる。
大いに勘違いしているようだが、あえて口出しするのは止めておこう。
若者は大いに懊悩するとよい。
ややあってから顔を上げると、クラウトは非常に大きなため息をついて頭をガシガシとかきながら、実に不本意と書いてある顔でぶっきらぼうに答える。
「クオウは輸入モンだ、この辺じゃ採れねぇ。イチェとアイベは近くの森に生えてるが、硬くて質の良いモンとなると、どっちもそれなりに希少だ」
そこまで聞いて礼を述べようとした儂を遮って、クラウトが言葉を続ける。
「いいか? こういう情報は本来、職人の間でしか共有されねぇモンだ。今回は先生に義理を通したが、代わりに先生にゃでっけぇ貸しが出来たって伝えとけよ」
「そうか。いや、すまぬ。恩に着る。貸しについては父様は頼れぬ、儂がこの身で返そう」
「んだぁ? 学校を卒業したらウチに下働きにでも来てくれんのか?」
十歳で学校を卒業したら、それぞれの進路先で見習いとなるのが普通なのだそうだ。ランディが騎士見習いになる時にそう教わった。
しかし、中には見習いに満たない素養しか持ち合わせていない者もおり、そういった者がなおも希望を変えなかった場合、見習い未満の下働きとして雇われることになる。
もちろん待遇は見習いよりも悪くなるし、下働きで力をつけたとしても今度は長い見習い期間が待っているのだ。
普通の見習いと比べたら、一人前として認められるには長い時間が掛かるだろう。
当然、進んでなりたがる者はまず居ない。が、空手形しか切れるものが無い儂は、躊躇なく同意する。
「ぬしが望むなら、それも良かろう。もっとも、借りを返すまでじゃが」
「けっ、いらねぇよ。勉強代にしといてやらぁ」
この男、見た目は神経質そうだが、なかなかに人情味のある者のようだ。
かつて儂の愛刀を打った男も情に厚い奴だったが、技術は違えど職人というのは気質が似るのかもしれない。
「すまぬ。恩に着る」
一先ず礼を言って頭を下げると、気を取り直して、改めて自力で調達が出来そうなイチェとアイベの二本を見比べてみる。
触った感覚ではどちらも硬さに問題はなさそうだが、よく見ればアイベの表面には薄い溝のようなものがついているのが見える。
これが水を通すための道管ならば、きっとアイベの方が軽く柔軟性があるだろう。
持ち上げてみると、やはりイチェの方が重い。
加工はアイベの方がやりやすいようだが、訓練用の木刀にするならばイチェの方が向いているかもしれない。
よし、明日は森にイチェの木を探しに行ってみよう。
儂がそう心に決めると、黙って木を見る儂の様子をまじまじと見ていたクラウトが声をかけてくる。
「随分真剣に見るんだな。嬢ちゃん、木の目利きなんざできんのか?」
「ん、いや、所詮は素人の真似事じゃよ。馴染みのあるものしか分からぬ」
「ほぉ、多少は馴染みがあんのか。なぁ嬢ちゃん、もし風と地の魔術適性があったらウチの見習いになんねぇか?」
「確約は出来んが……まだ五つの幼子相手に随分と気が早いのう」
「五つなのか、見えねぇな。見た目だけならもうちょい幼く見えるが、話してっとなんつうか老成してるっつうか、じじむさいっつうか」
「いたいけな童女を掴まえてじじむさいとは酷いのう」
わざとらしくカッカッカと昔のように笑ってやると、引きつったような笑みを浮かべたクラウトが頬杖をついて呟いた。
「自覚してる分タチがわりぃ」
前世は自給自足が当たり前だったイリス。
普通の人は伐採業者から買い取ります。
自分で取りに行くのは早急に必要になった職人くらい。
次回はお母様にも報告します。