新たな覚悟
両親に報告を済ませると、自室に戻って二日間着た切りだった服を着替える。
その際に首から下がっている正騎士の証に気付いて、儂はそっと首飾りを外した。
今度から任務の時以外は着けない様にしよう。
着替えが終わるころには昼の鐘が鳴り、一階へ下りれば既に母様が昼餉の支度を済ませていた。
久しぶりに一家三人揃っての昼餉だ。
話題は専ら儂の寮生活に関することで、母様はさっそく寮の部屋を飾り立てる計画を立てていた。
一度母様とは質実剛健の素晴らしさについて語り合った方が良いかもしれない。
「それで、教会を辞めることになるので、この後で挨拶に行こうと思っています」
食事中の会話の中で、儂はこの後も出かける旨を伝えた。先ほど怒られたばかりなので、言い忘れてうっかり外出する訳にもいかない。
すると、儂の言葉を聞いた父様も思い出したように口を開いた。
「あ、それじゃあ城門まで一緒に行こうか。僕もこの後癒術院に顔を出すつもりだったんだ」
「あら、復職は明日からじゃなかったかしら?」
母様が首を傾げて尋ねる。確かに、父様はさっき明日から復職だと言っていたはずだ。
儂も疑問に思って父様の方を見ると、父様は若干言いにくそうに苦笑いを浮かべた。
「実は、同僚たちから早く帰って来いって怒られちゃってね……今日は様子を見るだけだけど、経過観察の途中だった患者さんの事も気になるし、一度顔を出しておこうかと……」
どうやら父様が抜けた穴は父様が思っていた以上に大きかったらしい。
もしかしたら儂が余計なことをしなくても、父様は復職出来たのかも知れない。そう考えると、直情的に家を飛び出した自分が滑稽に思えてきて頭を抱えたくなる。
ああ、副団長の「それ見たことか」という顔が脳裏に浮かぶ……
そんな仕事の事を気にする父様に対して母様はご立腹の様子で、少しだけ頬を膨らませた。
「もう、またそうやって……せっかくの休みなんだからゆっくりしていれば良いのに。イリスの寮生活が始まったらまた仕事人間に戻っちゃうのかしら?」
「そ、そんな事ないよ。ちゃんと休みの日は休むさ。今回はほら、突然で何の準備も出来ていなかったから気になっちゃって……」
「本当に……? 家族より仕事の方が大切なんじゃないかしら?」
「まさか。僕にとっては家族が一番の宝物だよ。仕事とは比べられないさ」
そう言って父様は母様の頬に手を添えると、二人は熱のこもった瞳で見つめ合った。
あまり儂の前で愛を囁くようなことはしない両親だが、偶に母様が不満を漏らしてはこうして甘い雰囲気を作ることがある。
その度に儂は居たたまれなくなって顔を両手で覆うのだが。
仲が良いのは良いことじゃが、睦言は寝所でやって欲しいものじゃ……
二日ぶりに教会を訪れると、祭壇の前で真面目な面持ちをしたノーネが熱心に祈りを捧げていた。
祭壇へと続く通路は司祭の魔術によって滅茶苦茶に荒らされていたはずだが、今では綺麗に均されていた。しかし所々石畳が剥がれて地面が剥き出しになっていることから、修復前の凄惨な状況を窺うことが出来る。
儂は一昨日の夜の様に、祭壇へ向けてゆっくりと歩みを進めた。
今はもう、ここに司祭とデグナの姿は無い。
祭壇の前まで辿り着くと、儂はノーネと同じように片膝をついて顔の前で手を組んで女神像に祈りを捧げた。
相変わらず信仰心はまるで無いが、今回は女神のお膝元である教会を血で汚したのだ。謝罪の一つくらいはしておいた方が良いだろう。
ノーネは隣で祈りを捧げ始めた儂に気付いてちらりと目をやると、再び黙って目を閉じた。
暫くそのまま二人で祈りを捧げた後、どちらからともなく立ち上がる。
「イリスさん……ありがとうございました」
「え……?」
突然ノーネから告げられた礼の言葉に驚いて隣を見れば、彼女は安心したような笑みを浮かべていた。
「イリスさんが子供たちの為に色々と動いていてくれたことは聞いています。今回の司祭様の事も……これできっと、デグナも肩の荷が下りたでしょう」
「デグナが……? それは、どういう……?」
デグナは今、城の地下牢に投獄されているはずだ。
従属の魔術の効果も切れたし、今頃は事情聴取を受けている事だろう。
無理やり従わされていたのだとすれば情状酌量の余地があるかもしれないが、かと言って決して安堵していられる状況ではないはずだが……
儂が疑問に首を傾げていると、ノーネは少し寂しそうに目を伏せて呟く。
「彼も元々ここの教会の孤児でしたから、人減らしを行うことにも抵抗があったみたいで……それでも養父である司祭様の手前、強くは反対できずに苦しんでいる姿を見たことがあります。だからきっと、今回の件はデグナにとっても良かったんだと思いますよ」
そう言って、ノーネは寂しさを押し込めた顔で柔らかく笑った。その言葉はきっと、司祭を摘発した事になっている儂に対する慰めの言葉だったのだろう。
養父を摘発した事について、デグナはきっと恨んではいないはずだ、と。
デグナ本人がどう思っているかは分からないが、ノーネの言葉を聞いて少しだけ心が軽くなった気がした。
「その……新しい司祭についてはどうなったんじゃ?」
「それが、中々決まらないみたいです。司祭様不在の間は大聖堂から司教様が様子を見にいらっしゃるみたいです。お忙しい方なので週に一度くらいしか来られないそうですが」
司教というと魔力登録の儀の時に会った黒ずくめの男だったか。
あの男が子供たちをどう扱うかは分からないが、代理の間はそう大きく動くことも無いだろう。
一先ずは今すぐに子供たちがどうこうと言う話では無くなった事にほっと息をつく。
「ところで、イリスさんは騎士になられたと伺いましたが……本当ですか? やはり、教会は出てしまわれるのでしょうか?」
「うむ。勤めが始まるのは来週からじゃが、既に学校も卒業しておる。ここに修道女として来ることは、もう無いじゃろうな」
「そうですか……喜ばしい事ですけど、やっぱり寂しくなりますね」
「……すまぬ」
一人残るノーネの負担は大きいだろう。仕方がない事とは言え、世話になった者に迷惑を掛けてしまう事に心苦しさを感じて儂は頭を下げた。
「いえ、お気になさらず。ぜひ子供たちにも会って行ってあげて下さい。あの子達、随分イリスさんに懐いていましたから」
「うむ、そのつもりじゃ」
ノーネと別れて子供部屋の方へ向かうと、儂の姿を見つけたミディアが真っ先に飛びついてきた。可愛い。
その後ろから、グリニスとレイエスが歩いて来る。
結局、ヨンナとはあまり打ち解けることが出来なかった。彼はデグナに懐いていて、儂やノーネの前では殆ど口をきかなかったからだ。
何か修道女に思うところがあるのだろうか。
「おねぇたん、おはな!」
抱きとめたミディアが儂の前髪を留めている髪飾りを指差した。形は変わってしまったが、自分の贈った花だと分かったらしい。
儂はミディアによく見えるように屈むと、指先で軽く髪飾りに触れた。
「ああ、ミディアのくれたお花じゃ。ありがとうな、大切にするぞ」
「うん!」
元気いっぱいに笑うミディアの笑顔に癒されながら、儂は同時に寂寥感を覚えた。もう、こうして子供部屋で会うのも最後になるのだ。
教会に来れば会うことは出来るだろうが、今までの様に一緒に食卓を囲むことはもう無いだろう。
そう考えると、あれだけ出たがっていた教会にも離れがたいものを感じてしまうのだから、全く人の心はままならないと思う。
「イリス姉ちゃん、騎士になるんだって?」
ミディアの後ろに立ったグリニスが、真剣な表情で聞いてきた。見れば隣に立つレイエスも同じ表情をしている。
この顔は見たことがあった。以前儂に、教会を出るために助力を請うた時の顔だ。
それの意味する所は、つまり。
「そうじゃ。新設部隊の隊長を任されることになった。部隊と言ってもまだ儂一人じゃがのう……」
「だったらオレ達も――!」
食いつくように身を乗り出した二人を、手の平を差し向けて留める。
「足手まといは要らぬ」
「え……?」
拒絶されるとは思っていなかったのだろう。
二人は何を言われたのか分からないという様にその場に立ち尽くした。そして、すぐに顔を赤く染めると、グリニスが気勢を上げて掴みかかってくる。
「な、なんでだよ!? この前良いって言ったじゃんか!」
確かに、この間二人には教会を出るための協力を約束したし、本人が望むのならば儂だって出してやりたいと思う。
しかし、事は二人だけの問題では無いのだ。
部隊である以上、個人の力量は全体の生死に関わる。
儂には己の身すら満足に守れない者に自分の背中を預けるつもりは無いし、ましてや他の仲間の命を任せる事など到底出来やしない。
曲がりなりにも隊長になる以上、隊員の命の保証は儂の責任になるのだから。
「無論、ぬしらが望むのであれば儂は反対せん。じゃが、騎士である以上相応の実力は示して貰わねばならぬ。よもや神の恵みの様に黙っとれば救い上げられると思っとった訳では無いじゃろう?」
「それは――」
「……」
儂の言葉に二人は押し黙った。
そもそも二人の目的は教会を出る事であって、その為の手段は何でも良いのだ。
仮に儂が仏心を出して騎士団に迎え入れたとしても、その時点で満足した者にそれ以上を目指す気概があるかどうかは疑わしい。
そして、そんな者達を周囲の人間は快くは思わないだろう。
実力も無いのに騎士に取り立てられた無駄飯喰らい。
そんな後ろ指を指され続け、やがては解雇か戦地で命を落とすことは目に見えている。しかもその時に落とす命が自分一人で済むかどうかも怪しい。
「儂らは人より劣っておる。それは覆しようがない事実じゃ。じゃからこそ、それ以上の実力を持って認めさせねばならん。分かるな?」
「お、オレだってできる!」
「わたしも、わたしも出来ます!」
「うっ……えっく……」
懇願するように詰め寄る二人の意気に怯えたミディアが、小さく嗚咽を漏らす。
「ぬしら、ちと庭に出よ。その言葉が本当かどうか儂が試験をしてやろう」
儂はミディアの差を撫でてあやしながら、二人に向けて外に出るように促した。そしてミディアが落ち着くのを待ってから子供部屋で待つように言い聞かせると、二人を追って儂も庭に出る。
庭には、グリニスとレイエスが並んで立っていた。
なんだか、昔ベックとランディを前に並べて稽古をしていたことを思い出す。確かあの時の二人もこんな緊張の面持ちをしていたはずだ。
儂は木刀を取り出すと、正面に立つ二人に向けて構えを取る。
「ぬしらが踏み込もうとしている世界がどういうものか体験させてやろう。何もせんで良い、そこで立っておれ。立ち続けられたら合格じゃ」
訝し気な表情を浮かべる二人を前に、儂は静かに深く呼吸を整える。
程なくして体内に気が満ちたのを感じた瞬間、二人に向けて強烈な殺気を放った。
「っ!」
鬼斬一刀流 発気
流派によっては剣気と呼ばれる、相手を威圧する技だ。
威圧するだけなので場慣れした者にはあまり効果が無いが、刹那の攻防が明暗を分ける剣の世界において一瞬でも怯むことは即ち死を意味する。
そしてそれは魔獣を相手にした場合も同じことだろう。
恐怖に飲まれた者はその場で死ぬ。
「あ、ぁぁ……」
「ひっ……」
小さな悲鳴を上げた二人は、あっという間にその場に崩れ落ちた。
門兵の様に場慣れた訳でもなく、ベックやランディの様に戦いに身を置くという覚悟も無かったのだから当然だ。
今の二人には、己よりも背丈の低い棒切れを持っただけの小さな儂の姿が、何倍もの大きな体躯を持った肉食獣の様に見えているのだろう。
歯の根はガタガタと音を立て、足元には湯気の立つ水溜りが広がっている。
儂は構えていた木刀を下げると、放っていた殺気を収めた。二人はまだカタカタと震えているが、じきに恐怖も薄れるだろう。
「怖いと思うなら止めておけ。司祭はもう居らぬし、或いは生涯を教会で穏やかに過ごせるやもしれぬ」
無論本気でそう思っている訳では無いが、それでも望まぬ死地に赴いて若い命をあたら散らすよりは、不自由だろうと生き永らえていて欲しいと思うのは、多分儂の我儘なのだろう。
それでも、最後に決めるのは本人だ。
儂はへたり込んだままの二人に近付くと、呆然とこちらを見上げるグリニスに向けて木刀の柄を差し出す。
「じゃがもし再び門を叩こうと思うのであれば、せめて強くなれ。誰に憚ることの無い立派な一人の剣士となった時、儂は喜んでぬしらを迎えよう」
暫く顔を見合わせていた二人は、やがておずおずと手を差し出すと、しかし、しっかりと木刀の柄を掴んだ。
彼らはやる気だ。
その意思を確認して、儂は一つ頷いた。
木刀はそのまま二人にあげました。
次回、お泊り会




