マギアシュタット
ベックと別れた後、両親に手を引かれながら南通りの緩やかな坂道を上る。
ここマギアシュタットは、なだらかな丘の上に作られた街だ。
街の中心となる丘の頂上には領主の城があり、城の周囲を囲むように貴族の邸宅が並び、更にその周囲を平民の住居や職人の工房などが囲んでいる。
裾野に近い外周は堅牢な街壁で覆われており、街道が延びる街の南と東にはそれぞれ街壁門が設えられていた。
儂の家は南街壁門がある近くに居を構えていたため、街の中心部に行くのはこれが初めてになる。
少しずつ南通りの坂を上るにつれて、周囲の建物もその様相を変えていくのが分かった。
「随分と庭が広い建物が多いですね」
通り沿いの門から奥の建物までの間に、我が家が庭ごと丸々入ってしまいそうな広大な前庭を持つ邸宅が立ち並ぶ様を見て思わず声が漏れる。
街の中心部の方が敷地が狭いのだから、もっと手狭な家が立ち並んでいるのかと思っていたが、そんなことはなかった。
もしかして貴族の数自体が少ないのだろうかと首を傾げていると、父様が疑問に答えてくれた。
「貴族は魔力の多い者がなるからね。こうして広大な敷地を持つことで、自分たちの力を誇示しているんだよ」
素っ気なく答える父様だが、その語調からあまり快く思っていないことが伺えた。
自分よりも力ある者に対して、嫉妬と羨望があるからだろうか。
前世の儂も、己より強いと言われる相手に食って掛かっては力試しをしていた記憶があるのでその気持ちはよく分かる。男の義侠心というやつだ。
しかし、この広くも閑散とした庭を見ると些か風情に欠けると思う。
狭くとも細やかに母様の手が行き届いた我が家の庭の方が、よほど優美に感じられた。
「わたしは、暖かみが感じられる家の庭の方が好きです」
「ああ、僕もイリスやモルトナの居る我が家が一番だよ」
思ったことを率直に告げると、相好を崩した父様に頭を撫でられた。
父様にも雅の心が理解してもらえたようで何よりだ。
程なくして丘を上りきると、城を取り囲む巨大な城門に辿り着いた。
城門の奥には跳ね橋が掛かっており、城壁に囲まれた城の周りが堀になっていることが分かる。
門前の左右には門兵が立っており、城の中へ入る通行人を確認しているようだ。
父様は儂らをその場に待たせて門兵の一人に何事か話しかけると、ややあってから戻ってきた。
「大聖堂は西門の方だ。さ、行くよ」
城壁に沿って左回りに進むと、やがて先ほどと全く同じ形をした城門が姿を現した。
こちらの門にも門兵が立っていたが、父様が軽く右手を上げると一つ頷いただけで特に引き留められることもなく中へ入ることが出来た。
大聖堂の入り口は大きな石造りの扉で出来ており、その扉が観音開きに大きく開け放たれていた。
聖堂の中に足を踏み入れれば、少し冷やりとした空気が頬を撫でる。
奥の正面に見える祭壇には長杖を抱えるように持つ女神像が祀られており、その足元には若木を模した石像が女神を囲むようにいくつも並んでいた。
祭壇へと向かう通路には赤い敷物が敷かれ、その左右に複数の長椅子が並べられている。
長椅子の更に外側に並んだ石柱に取り付けられている燭台には、蝋燭とは違う淡い光を放つ魔石が載せられており、堂内を照らすように等間隔で並んでいた。
信心に乏しい儂でも、この場の空気には息を呑んでしまう。それだけの雰囲気が大聖堂にはあった。
魔術などという人知を超えた御業が存在するのだ、この世界では神仏が実在することもあるのかもしれない。
馴染みの無い神聖な雰囲気に、儂は柄にもなく緊張して握る手を固くする。
僅かに握り返された手を両親に引かれたまま祭壇の前に辿り着くと、祭壇の脇には夜の闇を集めたような漆黒のローブに、胸の前の飾りを中心に交差するように飾り帯を掛けた若い男が立っていた。
前世で見慣れた黒い髪を持つ男は、両手に小さな箱を抱えたまま、目を細めて微笑むような表情で佇んでいる。
まるで忍びの者を想起させる黒ずくめの様相に驚いた。神殿というのはもっと白い装束を纏うものではないのだろうか。
そんなことを考えていると、父様と母様が揃って膝をついたので儂も慌ててそれに倣う。
「これより新たなマギアシュタットの子の誕生を祝し、魔力登録の儀を行います。イリス、立ちなさい」
呼ばれるまま立ち上がり、ふと疑問を感じた。
初対面で名乗った覚えもないが、なぜ儂の名を知っているのだろう。
頭の中で首を傾げる儂をよそに、黒いローブの男は手に持った小箱を差し出してくる。
小箱を受け取ると蓋が勝手に開き、中に仕舞われた飴玉くらいの大きさの透明な宝石があらわになった。
それを見た黒いローブの男はぴくりと眉を動かすが、すぐに何事も無かったように表情を戻し、言葉を続ける。
「箱の中の魔晶石を取り出し、それを飲み込みなさい。そうすれば儀式は完了です」
「はい」
言われた通り箱の中の魔晶石を手に取り、口に含む。
口内でコロコロと転がしながら、ふと思う。
これ、噛み砕いたらいかんのじゃろうか……
正直、丸呑みするには少々躊躇われる大きさだ。
幼いこの身では、喉につかえるかも知れない。
暫く口内で転がしてみたが、一向に溶ける様子が無い。
仕方なく意を決して飲み込もうとすると、するりと水に溶けたように崩れてあっさりと飲み下すことが出来た。
丸呑みする必要が無いのならば、先に説明して欲しかったんじゃが……
心の中で毒づくと、嚥下した様子を見て取ったのか、黒いローブの男が再び口を開いた。
「イリス、君の魔力は無事にマギアシュタットに登録された。魔晶石が身体に馴染むまでは時間がかかるので、学校で習うまでは魔術を使わないように気をつけなさい」
「はい」
気を付けるも何も儂にはまだ魔術は使えないのだが、何を気をつけろというのだろうか。
疑問には思うが、大方独学で魔術を習得しようとする悪童に向けての定型文句なのだろうと納得しておく。
儀式が終わり、父様が胸に手を当てて軽く頭を下げると、母様も裾を摘まみ上げて軽く膝を曲げた。貴族相手の辞去の礼だ。
儂も母様に倣って軽く膝を曲げると、来た時と同じように両親に手を引かれて大聖堂を後にする。
跳ね橋を渡る途中、儂と同じくらいの年頃の綺麗な銀の髪を携えた女子を連れた親子が向かいから歩いてくるのが見えた。彼らもこれから魔力登録の儀を行うのだろう。
傍から見ても分かるくらい緊張しきった女子と目が合ったので、父様がよくしている風に軽く微笑んで返すと、女子は驚いたような表情で目を瞬かせた。
すれ違うまでずっとこちらを見ていたが、あれは何だったのだろうか。
そのまま歩いて城の西門を抜けると、母様は「遅くならないようにね」と言い残してから一人で家路へと歩いていく。
母様と別れた父様は、儂の手を引いたままなぜか西通りの方へと歩みを進めた。
「お父様、どこへ行くのですか?」
「前に騎士団の訓練場を見たいと言っていただろう? せっかくここまで来たからね、少し遠回りになるけど寄ってみないかい?」
そういえばいつだったか街の警護を務める騎士団という存在について知った時、騎士ならば剣を持っているのではないかと期待してそんなことを言った覚えがある。
実際は剣など使わず魔術で戦うのだと知って失望したので、すっかり忘れてしまっていた。
「本当ですか!? ぜひ見てみたいです! ありがとうございます、お父様!」
良かれと思って気を利かせてくれた父様に、もう興味はありませんなどと言えるはずもなく、儂は大袈裟に喜んだふりをしながら精一杯の引きつった笑顔で感謝を述べた。
父様に連れられて訪れた騎士団の訓練場は、城からさほど離れていない、貴族の邸宅が立ち並ぶ一角に存在していた。
位置的には城の北門と西門の間くらいだろうか。
城壁よりはやや低い壁に囲まれた訓練場は、内部が円形の広場を中心に、周囲をひな壇のような高台で取り囲まれている。
広場の一角は大きな建物に隣接しており、その建物が騎士団の詰所兼宿舎となっているようだ。
騎士やその見習いはこの宿舎を寮として利用しているらしい。
そういえばベックの兄ランドルフも、見習い騎士として今年からこちらに移り住んだと言っていた気がする。
詰所の受付で来訪を告げてから高台の上に上ると、訓練場の広場の様子を見下ろす形で見学することが出来た。
ちょうど今は訓練時間だったらしい。鎖帷子の上に、赤い糸で三叉の逆さ槍が刺繍された白いサーコートを着た騎士達が列を作って並んでいるのが見えた。
そして、列から外れて隊に指示を出していると思われる騎士が腰に下げているものを見た瞬間、儂は儂を抱え上げていた父様の襟首を掴んで強く揺すった。
「お、お父様! あれ! あの騎士が腰から下げているものはなんですか!?」
「おぉ? お、落着きなさい、イリス。頭が揺れて見えないよ」
「す、すみませんっ」
慌ててぱっと手を離すと、襟元を正して一息ついた父様が事も無げに答えた。
「ああ、あれは儀礼用の剣だね」
「剣! 剣があるのですか!?」
なんということだろう、既に無い物と諦めていた騎士団に剣が存在したのだ!
刀とは違う異国でよく見る直剣だが、そんなことは些末な問題だ。
なんであれ剣があるのだ、これが喜ばずにいられようか。
しかし剣を下げているのが一人だけとはどういうことだ。
そもそも騎士は剣を使わないはずだし、父様は先ほど儀礼用と言っていた気がする。
「儀礼用ということは、戦う時には使わないのですか?」
「そうだね、儀式を行う時しか使っていなかったはずだよ。ずっと昔は剣で戦うこともあったらしいけれど、魔術が確立されてからは廃れてしまったと聞いたことがある。今でも儀式の際に剣を用いるのは、かつての名残なのかもしれないね」
「あの……あの剣に触れさせていただくことは難しいでしょうか?」
恐る恐る尋ねると、父様は困ったような笑顔で軽く首を傾げた。
「うーん、剣を持っているのは騎士団の中でも特別偉い人だから、難しいだろうね」
「そう……ですか」
後ろ髪を引かれる思いで、剣を下げた騎士を見つめる。
しかし儀式に使うような剣ともなれば、おいそれと部外者に貸し出すことなど出来ないのだろう。
結局、未練を残しながらも諦めるしかなかった。
こうして、久方ぶりに剣を目にした興奮は、現実の壁の前にあっさりと霧散したのだ。
ふん、儀礼用の剣ならばどうせ刃を潰され軽くなるよう削られた張り子のような紛い物に決まっとる!そもそも儂が欲しておるのは芸術品と名高い日の本の刀じゃ!あの様な直剣ではない!
……決して悔しくなどないわ!
刀は無かったけど剣はあった、でも手が出ません。
色々と伏線の多い回