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剣豪童女の転生記 ~魔法の世界に生きた侍~  作者: あきなべ
第一章 無刀の剣豪
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クラウトの頼み

 森を抜けてマギアシュタットの街に戻ってきたのは、既に昼中の鐘が鳴り終わった後だった。

 騎士団への討伐依頼をランディに任せると、表通りで別れてそれぞれの家に戻る。

 

「ただいま戻りました」

 

 玄関の扉を開きながら帰宅を告げると、居間に居た母様が血相を変えて駆け出してきた。


「イリス! 無事だったのね!」

「お、お母様!?」


 突然抱きすくめられた儂は、驚いたまま立ち尽くしてしまう。


「リヒトの置手紙にイリスが森へ行ったって書いてあって、心配していたのよ。昼の鐘が鳴っても戻ってこないし、ランドルフがついて行ったって聞いたけれど、お母さん、心配で心配で……大丈夫? 怪我は無かった? 一体何があったの?」


 一度体を離した母様は、矢継ぎ早に質問しながら体のあちこちを触って怪我が無いか確認している。

 随分と心配させてしまったらしい。


「だ、大丈夫です。怪我はありません。森の中で魔獣が現れましたが、ランディが守ってくれました」

「まぁ、魔獣が!? ああ、怖かったでしょうに……」


 再び、母様に抱きすくめられてしまった。


「大丈夫です、お母様。大丈夫ですから、落ち着いて……」


 いきなりイェグタンの話を出したのは失敗だったかもしれない。母様が落ち着くまでされるがままになっていると、ぐぅと儂のお腹が鳴った。

 その音に気付いた母様が身体を離してきょとんとした顔を浮かべると、相好を崩して立ち上がる。


「お腹、空いたわよね。待っててね、今お昼のスープを温めるから」


 小走りに台所へと向かう母様を見送って、手洗い場で軽く体の汚れを落とすと、食卓に着いて大人しく待つ。程なくすると、温め直した昼餉を持った母様がやってきた。


「食べながらで良いから、詳しく教えてちょうだい。森に木を採りに行ったって本当なの?」


 暖かい昼餉を食べながら、儂は森に行くことになった経緯と、森で起こった出来事を簡潔に話した。

 木刀を作るには大金がいること、自作するために材料の植生地を聞いたこと、たまたま家に居たランディを誘って森に行ったこと、木を切るための道具を作ったこと、帰ろうとした時にイェグタンに襲われたことなどだ。

 黙って聞いていた母様は、儂の話が終わると真剣な眼差しを向けてゆっくりと問う。


「イリスは、どうして戦う力が欲しいの? 危ない目にあってまで、こんな……」


 母様はそこまで言いかけて言葉を飲んだ。多分、否定するような内容を言いかけたのだろう。

 同じように儂も言葉を飲んだ。今の母様に掛けるべき言葉が見つからなかったからだ。


 剣を取ったのは生きるためだ。生きるために剣を取り、剣を取った結果、強くなることを求めた。それは生まれ変わったとしても変わらない。ただ、その剣を取る切っ掛けを知らない母様は、儂が強さを求める理由が分からないのだろう。


 そして儂も、母様になんと答えたら良いのかが分からない。

 何故なら、儂にはそれが当たり前だったから。母様に問われるまで、強さを求める理由に疑問を持った事すら無かったのだ。


 食卓に満ちた気まずい雰囲気を払拭するように、母様が手を叩いて殊更明るく言った。


「そういえば、イリスのために髪飾りとかお洋服とか色々買ってきたのよ。後で着合わせしましょう」


 その言葉に、儂は雷に打たれたような衝撃を覚えた。


 また、あの着せ替え人形という名の地獄のような苦行が始まるのか。それともこれは、母様なりの言うことを聞かない儂へのお仕置きなのだろうか。

 背筋を凍り付かせたまま、何とか逃れる方法が無いかと頭を巡らせると、ふと木工工房のことが浮かんだ。

 そういえばあの場所はクラウトから聞いたのだ、ならば、今あの場所が危険であることを先にクラウトに伝えておいた方が良いかもしれない。


「お、お母様、わたし、これから木工工房に行こうと思っているので、その後でも良いでしょうか?」

「木工工房? まだ何かあるの?」


 露骨に不満そうな母様の声音にちくりと良心が痛むが、口から出まかせというわけでもない。早めにクラウトに事情を伝えた方が良い理由も、ちゃんとあるのだ。


「いえ、森のことはクラウトさんに聞いたので、今森に入るのは危険だと騎士団から通達がある前に伝えておこうかと思いまして……入れ違いになるかもしれないですから」


 騎士団に討伐依頼が持ち込まれてから、斥候が事実確認を行い、そこから街中に通達が出ることを考えれば、騎士団の通達は早くとも明日の朝一だろう。

 今はもう昼中の鐘が鳴り終えた後だが、入れ違いになる可能性は十分にある。


 母様は頬に手を当てて少し考え込む素振りを見せると、一つ頷いた。


「……そうね、お世話になったんだもの。お礼も兼ねて、先に教えてあげた方が良いわね」


 儂は心の中で良しと握りこぶしを作った。

 工房まで往復すれば、戻る頃には夜の鐘までさほど間が無い。苦行の着せ替え人形役も、夕餉を理由にさっさと切り上げられるかもしれない。


「着合わせはお夕飯の後にしましょう」


 笑顔で手を打つ母様に、儂は乾いた笑いを返すのが精いっぱいだった。



 身支度を整えてから家を出ると、裏路地を通って東通りの方へと向かう。

 市場の喧騒を尻目に裏路地側から職人通りに入ると、迷うことなくクラウトの木工工房の前に辿り着いた。


 そのまま入り口の扉を開けると、以前と同じように来訪を告げる小さな鐘が鳴り、見たことも無い子供が姿を現した。

 夜空の様な青みがかった黒髪に、成人前の幼さが残る顔立ち、伏し目がちな瞳には深い海の色に染まっている。顔立ちの幼さの割に体格は大人とあまり変わらないほど大きく、その体を黒いシャツにサスペンダーに釣られた茶色のズボンという、いかにも見習いといった格好で包んでいた。


「いらっしゃ……どうしたの君、迷子?」


 出迎えた客が店内に見当たらず、顔をきょろきょろとさせたところで勘定台の影に隠されていた儂の存在に気付いた小僧は、儂を迷子と判断した。

 まぁ、子供が一人で職人工房を訪ねたら、普通は客とは思わんよな。


「いいや、クラウトに用があってきたんじゃが……今は留守か?」

「親方なら奥に居ますけど……」


 黒髪の小僧はそこで言葉を濁して儂を見る。その目はありありと、なんだこいつはと語っていた。初対面の人間の大半が向けてくる視線だが、もう慣れた。


「呼んできてくれるかの?」


 儂が取り合わずに要求を告げると、黒髪の小僧は怪訝そうな顔をしながら店の奥へと引っ込む。ややあってから店の奥で「馬鹿野郎!」という怒鳴り声が響くと、程なくして神経質そうな顔を忌々し気に歪めたクラウトがのっそりと姿を現した。


「ったく、細けぇ仕事してる時に……なんだよ、嬢ちゃんじゃねぇか」

「すまぬな、邪魔したかのう?」


 口振りから察するに、集中して作業しているときに小僧に呼ばれて邪魔されたのだろう。待つように言われなかったため呼びつけたが、儂も間が悪かったのは確かだ。

 儂が謝罪を口にすると、頭をガシガシと掻きながら反対の手でひらひらと手を振ってクラウトが答える。


「いや、嬢ちゃんのせいじゃねぇよ。あのバカのやり方が悪ぃんだ。ったく何年見習いやってると思ってんだ……」

「あの小僧はここの見習いなのか?」

「そうだが……ああ、いや、悪ぃが立て込んでんだ。要件だけ済ましてくんねぇか」


 苛立った様子を隠そうともせずに、クラウトが言い放った。

 どうやら忙しいらしい。いよいよもって間が悪い。

 世間話をするために来たわけでもないので、さっさと要件を伝えることにする。


「今日、森にイチェの木を採りに行ったんじゃが、そこでイェグタンが出た」

「イェグタンだって!?」


 突然、弾かれたように勘定台に身を乗り出したクラウトが、大声を上げた。

 驚いた儂と目が合うと、ハッと口元を手で押さえてから、店の奥をちらりと見て、親指で指して促す。奥へ行けということだろうか。


 先行するクラウトについて店の奥へ入ると、応接室の様な部屋に出た。

 部屋の一角に背の低い机を挟んで二脚の長椅子が並んでおり、部屋の周囲には暖炉や書棚、簡素な調度品などが飾られている。部屋の端には左右にそれぞれ、奥へと続く扉があった。

 

「おい、マガン!」


 クラウトが大声で呼びかけると、右奥の扉が開いて先ほどの黒髪の小僧が出てくる。どうやらマガンという名らしい。


「俺ぁこれからこの嬢ちゃんと大事な話がある。来客があったら不在で追い返せ。いいな」

「は、はいっ」


 クラウトの鋭い視線にぴっと背筋を伸ばすと、マガンは小走りに店の方へ駆けて行った。

 森の出来事を報告するだけのつもりが、何やら妙なことになっていないだろうか。


「どうしたんじゃ、血相を変えて。忙しいのではなかったのか?」

「忙しいさ。クソ忙しい。だが、それが嬢ちゃんの話でどうにかなるかも知んねぇ」


 ドカッと長椅子に腰を下ろしたクラウトに倣って、儂も向かいの長椅子に座る。すると、クラウトがやや身を乗り出してから話を切り出した。


「そんで、イェグタンを森で見たってのは本当だな? 群か?」

「群れではなく、はぐれじゃな。今連れがイェグタンの爪を持って、騎士団に討伐依頼に行っとる所じゃ」

「はぁ!? 爪!? ……折ったのか?」

「折ったが……なんじゃ?」


 またもや、目を閉じて頭をガシガシと掻き出したクラウトは、胡乱な視線を向けた。


「そう簡単に折れるようなもんじゃねぇんだが……まぁ、良い。騎士団が動き出すなら真実味が増すな」

「本当じゃと言うに、疑り深い奴じゃのう。信じられぬなら後で爪でも持ってくるぞ」

「いらん。大事なのはそこじゃねぇ」


 一旦言葉を切ると、クラウトは一度大きく息をつき、膝に手をついて顔を寄せた。


「嬢ちゃん、一つ頼まれちゃくんねぇか」


 クラウトの真剣な面持ちから、簡単な頼み事ではないことは分かった。しかし、クラウトにはイチェの木の植生地や特徴を教えて貰ったりと色々借りがある。

 本人はいらんと言っていたが、世話になった分くらいは返しておきたい。


「良いぞ。ぬしには世話になったし、借りも返しておきたいからのう」

「それは……いや、助かる」


 クラウトが苦笑いを浮かべて頭を軽く下げた。


「して、儂は何をすれば良いんじゃ?」

「今から、ある貴族の屋敷に同行して、森でイェグタンが出たことを証言して欲しい」


 貴族と、森にイェグタンが出たことがどう関係してくるのだろうか。

 要領を得ずに首を傾げる儂を見て、クラウトが事のあらましを説明してくれた。


「今、ある貴族から寝台の制作を依頼されてんだが、こいつが馬鹿みてぇに短期の依頼でよ、今日が納期なんだがまだ出来上がってねぇんだ。おっと勘違いすんなよ、端から無理な日程だったんだ。奴さん、金さえ出しゃあ何でも叶うと思ってやがる」

「それは……難儀じゃな」

「でよ、その寝台はイチェで作ってんだが、まだ完成してねぇってのにうちの工房に置いてある在庫の材木が足りなくなっちまうんだ」


 足りなくなりそう。ではなく、足りなくなってしまう。と言い切ったクラウトの言葉に違和感を覚えると、目が合ったクラウトはニヤリと悪い笑みを浮かべる。


 なるほど、言わんとしていることが分かった。


「それで、使いの儂が森にイチェの木を探しに行ったところで、イェグタンに遭遇すると。哀れにも材木は手に入らず、騎士団によって森は封鎖され、寝台は完成せず、か。つまり、騙りじゃな?」

「話が早えな嬢ちゃん、その通りだ。嬢ちゃんは貴族に説明を求められたら話すだけで、あとは口裏を合わしといてくれりゃ良い。どうだ、やってくれるか?」


 嘘つきの片棒を担がせることに若干の躊躇いがあるのか、改めて協力を確認された。

 無論、儂の答えは変わらないが、今の話では嘘に無理があるのではなかろうか。


「他の工房から材料を買い付けられたらどうするんじゃ?」

「その辺は行く前に根回ししておく。なぁに、あのボンボンにゃ職人連中全員が参ってんだ。口を揃えて『うちは在庫切れ』だ」

 

 なるほど、被害にあっているのはクラウトの所だけではないらしい。これも因果応報ということか。


「儂とぬしの関係はどうするんじゃ? 儂はここの見習いでもなければ、ぬしの娘でもないぞ」

「それはそのままで問題ねぇ。嬢ちゃんは変わらず先生んとこの娘さんだ。ただし、嬢ちゃんは木工職人に憧れてウチに出入りするここの見習い候補で、俺が特別に目をかけてることにする」


 対外的な関係を変えず、内輪の立ち位置だけを誤魔化す程度ならば、外から見ればまず嘘だと分からないだろう。儂は納得して頷く。


「では、ぬしのことは親方と呼んだ方が良いかのう」

「それもあるが……その喋り方はどうにかなんねぇか? もうちっと見習いっぽくして欲しいんだが」

「仕方がないのう……分かりました、以後、口調を改めます。これで良いでしょうか、親方?」


 改まって話すと、クラウトが苦虫を束にして噛みつぶしたような表情を浮かべた。


「できんじゃねぇか……色々言いたいことはあるが、嬢ちゃんには何を言っても無駄そうだな」


 心底疲れ切ったような溜息をついて、飲み込んだ言葉を振り捨てるように頭をガシガシと掻き出す。

 そろそろクラウトの頭皮が心配になってきた。


「親方、嬢ちゃんではなくイリスです。そんな扱いでは、目をかけていると言っても信用されませんよ?」

「……違和感がすげぇ」


 誰のためにやっていると思っておるんじゃ、失敬な。


腹黒クラウトさん。

イリスは証人として貴族の館への同行を求められます。


次回、貴族の館

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