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モンスターと人間が住む世界では人と人の戦争はないのか?その質問は愚問だ。なぜならモンスターとは獣の知能と大差ないからだ。大敵にならない以上人の天敵は人である。
そしてモンスターとはその世界で自然の天災と並ぶ魔の天災として受け入れられている。いや、受け入れるしかないのかもしれない。
地震台風を天災とし経験からの備えを怠る国の機関をよく知っている。人が"受け入れる"ということは、つまり"妥協"し"許容"するということだ。耳障りのいい言葉に言い換えるなら"共存"という言葉だろう。
・・・・・・
異世界生活―――14日目―――
魔領行軍開始から一日ほど経過した。重い荷物で息を切らしているのはボクではなくパートナーの女剣士アイナだ。
結界は目に見えて瘴気を防いでいる、けれどモンスターの侵入を拒むわけではないためこれまでに数度の戦闘を経験していた。
ゴブリンに特徴がにているためボクが勝手にそう呼ぶことにしたモンスターは素早くそしてずる賢い。
こっちが優勢になると結界の外へ向かい瘴気の中へと逃げていく。人間にとって瘴気ではないところがコロニーであるように、ゴブリンのようなモンスターにとっては瘴気漂う場所がコロニーなのだろう。
人間にとってモンスターは害虫だが、モンスターにとっては人間が天敵であるのということ、だから互いの知識は濃いということだ。
彼らも知っているのだ人間の弱い部分や強い部分を。
ボクこと"アインス"という本名の"ハグレ"という仮名を名乗る男は、紋章というこの世界で必須の能力が発動できない。つまりパートナーであるところのアイナの足を引っ張っているのではないのか?そう心配していた。
だけど、胸元に汗を滲ませて弱音を吐く事十三度、具足を脱ぎ捨て軍服を脱ぎ捨て肌着姿で「帰りたい!」と吐く事三度、そういう態度をとっていたのは彼女の方だった。
アイナは王国の名門軍閥の家柄で男子がいなかったゆえ、長女の彼女が家柄を背負って戦場へ向かうべくこうして下士官候補生へということらしい。
シャワー!スイーツ!っと口を開けば文句を吐くアイナに関して少しがっかりしていた。
それにしても外は肌寒いくらいなのに結界の中はとても暑い。彼女が上着を脱ぎ捨てているのにも納得する。
「ハグレ……あとどれくらい進めば魔領を抜けられるの?」
最初の印象では真面目な委員長タイプだったけど、なんてことはないアイナは間違いなくわがまま貴族系お姫様だ。
腰の二剣が泣いている、がそのギャップにボクとしてはかなり好感度が上昇した。無防備に揺れる胸もそうだけど、この体を預けてくる彼女は支えるにしても背負うにしても役得でしかない。
「どれぐらいだろうね、ボクとしてはもう少し続いていても問題ないけど――(色んな意味で)」
「…やっぱりアナタ変よ、こんなに熱いのに平気な顔でモンスターだってもう何十体も紋章なしで倒してるし、剣術なんてまるで素人なのに」
そういわれても、バハと比べるとやはりゴブリン相当、王都の初日に初めて人を殴った時と変わらない程度で剣を振るえば死んでしまう。
弱いというレベルではない、カンストしたステータスで初級者ダンジョンに潜っている感覚だ。
「アイナ氏、もう少しちゃんと掴まってくれないと歩きづらいだけど」
ついつい氏を付けて呼んでしまうが、もちろん彼女は疑問の表情でこっちを見てそれ以上は突っ込まない。
「私のことはアイナって呼んでと言ってるでしょ――もう」
ボクの言動よりも暑さと疲れが限界らしい彼女は、ニヤケ顔のボク顔にも気が付かないで体をさっきより密着させてもたれかかる。
不可抗力で胸を鷲掴みしても気が付かないだろうけど、そこはボクという人間の理性があまりに常識過ぎて行動に起こす事は120%ありえない。そういう部分はボクの男としてダメな部分なのかもしれないけどそういう性分なのでしかたない。
女体独特の香りに鼻孔を膨らませながら結界内を進んでいると、先行していた組らしき二人が倒れていた。それに加えてゴブリン数匹に一体のバハがそこにいた。
「バハウ!!どうして結界内にこんな獰猛なモンスターが?!」
アイナがそう言ったから気が付いたけど、たしかにバハとは似ているが違うモンスターだった。
彼女はボクから離れると二剣を構えるがその手は震えていた。
バハウはその大きな口に既に息のない候補生を運ぶと咀嚼し始める。そして構えたアイナは紋章を発動させる。
「剣を振るえ!我が名は!バーンシュツレイン!!」
彼女の言葉に背中と二剣に紋章が光る。彼女曰く、剣に紋章を付与し強化すると同時に背中の紋章で身体機能の全てをそれなりに上昇させるらしい。
そうして強化した剣に加え、強化した身体から繰り出される剣術は――いとも簡単にバハウの剛毛に弾かれてしまう。
「ウガァァア!!」
ボクの想定ではこの世界の人でも簡単にバハウ程度なら簡単に倒せるものだと思っていた。でも、アイナの剣はまったくもって目の前のゴリラもどきに傷すらつけられなかった。
つまり、コレを頭においてボクは行動しないといけないわけだ。ボクはこの国の人間ではない別の国のスパイかもしれない、その素性がボク自身分からない以上国に捕らえられる可能性もある。
圧倒してしまっても構わないゴブリンと違って、そこそこ腕の立つアイナが瞬殺できないバハウを圧倒してしまうのはまずいだろう。
「腕の一本も斬れない!さすがバハウの体毛…斬れるとしたら目か足の裏か手の平ぐらいね」
まるで二重人格な彼女は戦闘となると剣士としての質を表に出す。これは彼女の生きてきた環境がそうさせているんだろうけど、かなり甘やかされて育った姉妹を見て彼女自身の辛い幼少期の不満があのわがままな人格を形成されたに違いない。
「速攻!!」
汗を流しながら走り出した彼女は、掴みかかろうとする手の平を撫でるように斬るとゴリラもどきが痛みからか呻き声を上げる。
自分の思い通りに事が進んだアイナはその口元の端に笑みを刻む。でも、その笑みはゴリラもどきの"虫を手で払う"と同じ行動で消え去る。
「ッ!!」
受けた左手から剣が落ちて、その痛みから涙が滲む。もう一体のゴリラもどきを相手していたボクは、彼女が危ないと察してほぼ全力で足払いしてこっちのモンスターを転がした。
第一に結界に綻びがないのは確認できているため、彼女とボクがこのモンスターたちと戦う理由はない。第二にやはりこの任務いや試験というべきか、この命がかかっている感じは異常だ。
アイナを無理矢理に担ぐと、「何するの!ハグレ!!」と罵倒される。相手してたらキリがないよと意味で、「逃げるが勝ち!」と結界内を走った。
結界は魔領の南と北東を繋ぐほぼ直線の道で、距離にして一日程度なのだが結界の確認をしながらだと倍の時間はかかると推測される。
瘴気や植物系モンスターの毒を防ぐ結界もメンテしないといけないのは理解できるけど、普通に結界内にモンスターが入ってくるってのも不完全な感じがしないでもない。
そんな魔領行軍を無視して先行していた他の組の後を追うが、さっきの二人の死体以外は誰とも会うことなく出口付近へ到着する。
「待ってハグレ!」
そんなアイナの制止でボクは足を止め結界内の岩の裏に身を隠した。
「何?ひょっとして左手の話かい?それとも置いてきた剣の話かな?」
心当たりのある彼女が足を止めさせた理由を口にするけど、クビを振って「アレよアレ――」と視線で奥を見るように促されてボクは視線を向けた。
そこにいたのはボクやアイナと同じ候補生の軍服に身を包んだ二人組み、それに同じ軍服に身を包んだ一人がなにやらもめている様子だった。
「どういうつもりだ!結界の中にわざとモンスターを呼び寄せるなど!キサマ!まさか!ご兄弟の手の者か!」
「さー、何の事だか分からないな。私は単にライバルを減らしたいだけなのだよ」
巨漢の男の問いにヒョロッとした長髪の男はそう答えた。そして巨漢の後ろに隠れるように小さい少年のような男が立っている。
「ならキミはそのためだけにモンスターを結界内に招いて相方を襲わせたのかい?!」
少年は女のような声でそういうとアイナがようやくその二人の正体に気が付いた。
「あれはクラレスとドライオね…、軍閥の一つロードスクライの四男で兄弟の中で一番紋章の才があるらしいわ」
紋章の才?紋章は血統で引き継がれるものじゃなかったっけ、なんて疑問は口にせずとも彼女が直ぐに補足してくれた。
「ロードスクライは男系…でも、4人の子どもの母親はそれぞれ違っていて、より良い紋章を持って生まれた者が現近衛隊長の地位を継ぐことになってるらしいわ」
つまり、才能のある弟に嫉妬した兄が刺客を送ったわけだ、ヤダヤダこの感じ、家柄云々は他所でやってくれっての。
隣で左手を押さえているアイナは、「いざこざは外に持ち込まないでよね」と通じるものがあった。
「迂回しようにも面倒だし、よく見るとあの大きな男――クラレス?ドライオ?どっちかしらないけど怪我してるみたいだし簡単に済みそうにない」
ボクの言葉に、「ドライオよ」と補足したアイナは溜め息混じりに「シャワーしたい、ベットに横になりたい」と呟く。
「ドライオ今治すから!癒せ!我が名はアラトリア!」
クラレス――改め"男の娘"がそう唱えると右手から紋章が浮き出てドライオ改め"石像"の傷を癒す。あれがクラレスが次期近衛隊長たる所以よ、とアイナが言うが、確かに王の近くに治癒を持つ者がいるのは心強いよな。
「クラレス様!すみませぬ!」
主従関係というやつだけど、護る対象に護られていては本末転倒だぞ。
そう内心思いながら不可抗力からの乳揉みが唐突に発生してドギマギするボク。アイナの顔が赤い、額に手を当てるが正直分からなかったため額と額を当てて確かめるとやはり酷い熱だ。
「足手まといとモンスターがいる中で生き延びられるなんて思わないで下さい!」
ヒョロイロンゲ略してヒョゲが颯爽と剣を抜く、そして男の娘も腰から剣を引き抜き互いに紋章を唱える体制に入る。
そんな二人の後ろでゴブリンと戦う石像もかなり消耗している様子だった。
「我がぁんっ!」
おそらくは"我が剣よ"的なセリフだったのだろうけど、ヒョゲの言葉を遮ったのは顔面にめり込んだブーツの底だった。男の娘と石像もその光景に口を開けて「は?」と目を疑う。
ヒョゲの顔面にめり込んだブーツの主はボクのものであり、その背にはぐったりとうな垂れるアイナの姿。緊迫した雰囲気をぶち壊すその行動に取って付けたようなセリフをボクは吐き捨てる。
「痛かったらごめんよ!」
風邪で死ぬということもあるため、アイナの意識が朦朧としていると分かった瞬間ボクは直ぐに行動にでたのだ。
踏みつけたヒョゲはその場に倒れこみ、走り抜けるついでに蹴り飛ばしたゴブリンは結界外へと吹っ飛んでいた。その場に残ったのは戦闘態勢で止まった石像と臨戦態勢で停止した男の娘だけだった。
今回の魔領行軍は死者7名、懲罰対象者1名が出たがそれで話題になることはなく、少し話しの種程度に広まった噂があったけどそれは"ゴブリンを一蹴りで倒した候補生がいる"という話だった。
剣で一撃というのでも稀なことである世界で、蹴り一発で倒してしまったらそりゃ話題にもなるとボクも思ったけど、まさかその話に出てくるゴブリンがついで蹴り飛ばしたゴブリンのこととは知らず、つまりその話題の人物が自分であることも思いもしないことだった。
急転直下の出来事というのはこういうことだろうか。
魔領行軍で到着した街は北東の国境用外壁に面した場所で、居住者の内の7割は兵士であり商業として開かれている店は酒場と食事出す店に偏っていた。
兵舎はどこも満杯でボクとアイナは一人用の宿舎に押し込められたのだけど、ベットは一つであり薄布一枚では寒いこの季節で過ごすには少し力不足であり、暖房器具の概念が暖炉だけの世界ではやはり寒さが堪えられない。
病人のアイナをベットに寝かせて衛生兵を要請したけど、「あ~明日にしてくれないか?今から飲み行くから」と断られた。
仕方なく服を脱がせて裸にした行動は汗で濡れた服では逆に体に悪いという理由から。
しばらく、そうしていると今度は彼女が「寒い」と言い出す。が、現状暖めるための手段がまったくないと気が付いて"どうやったら体を温められるか"を考えた時、ボクが思いつく方法はとてもシンプルで原始的なことだった。
裸の女性と添い寝なんて経験がない、そういうことに興味はあっても相手にそうそう出会える前世ではなかった。
一応体裁というやつを立てておくため、「暖めるためにベットに入るけど構わないかな?」と耳打ちする。
すると、「さんざん胸揉んどいて今更なによ」と苦しそうに言う彼女に、"あ!ばれてたのね"と思ったボクは体裁など既に立たない事実に納得し、毛布の中に入るのだが「服が湿ってて気持ち悪い」と彼女が言うためシャツを抜いでそっと彼女を抱きしめた。
「お願い…もっと―――優しく抱いて」
もう、顔真っ赤にして鼻の穴ヒクヒクさせてるボクを殴って落ち着かせたい、と思うぐらい彼女の言葉に興奮してしまった。
勿論、その興奮をベクトルとして行動に移すだけの行動力はボクは持ち合わせていない。
向かい合わせで寝れないだろうと思っていたけど、思ったより精神が疲れていたのかボクはいつの間にか熟睡していた。