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面白いかどうかは分からない


 幸せとは?そう聞かれて"お腹いっぱいご飯を食べられること"と答える人は、加減に差はあれど空腹に飢えたことがある人だろう。"水を毎日気にしないで使えること"と答えた人は水に困る環境で生きてきたに違いない。

 "お金を気にせず使えたら"と答えたならそれに困った人生なのだろう。"平和ならいい"と答えたなら争いに、"痛くなければ"と答えたならそういう環境で。

 そして、"退屈しないなら"なんて答える者がいたなら、平和に胡坐を掻いて欠伸をしているようなそんな馬鹿者だろう。そういう点ではボクも"それ"に当てはまるのかもしれない。


 異世界生活――1日目――


 木々が揺れ、闇が日陰に変わり、動物たちが顔を覗かし始める。ごちゃごちゃした頭を整理していたらすっかり辺りは夜明けを迎えていた。

 "ゲームではない"それが分かってしまった以上ボクの思考はシンプルだった。まず、思い出した記憶に基づいて自身の体が何をできるのか。

 身体機能は常人の数倍、筋肉質で鍛え上げられていたのは実際そうしていたからだ。紋章に関して言うならそれは皆無で、思い出した記憶が確かならボクであるところのアインスはどこかの軍に所属していた。


 紋章の有無が軍に入ることに深く関係してくるとバルサが言っていた以上、アインスであるボクは他国の出身でありその国には紋章で優劣が左右されないということになる。

 記憶で分かることはその程度、現状に対して"何故?どうして?"と思うことに関するならそれは記憶外のこと。ただ、他国の軍人であるアインスが記憶を無くしてここにいる事実、戦闘から記憶を失った可能性が高い。

 つまり、アインスという名前や思い出した記憶について他言はしない方がいいということだ。


 元の世界でも――いや、前世でもと言うべきか、他人に自分のことに関する情報を開示するのには抵抗がありあまりしてこなかった。

 どうやら、一度生まれ変わっても人という生き物はその実変わらないのかもしれない。

 理解するのと納得するというのは違うと言うけれど、まさに今のボクがそれであり、理解していても"現実だ"ということにはまだ納得しきれていない。


「ボクが今しなきゃいけないこと、するべきこと、してはいけないことそれらを踏まえた上――」


 前に進まなければならない。立ち止まっていても、過去は過ぎ去った時間で今この瞬間は求める明日に繋がる。


「異世界転生――ゲームと捉えるにはリアルすぎる」


 あえて言うならフィクションは好むがノンフィクションは好まない性格だと言えばボクはそれであり、この世界はノンフィクションであるはずなのだけど感覚では今もフィクションに捉えてしまっている。

 感情を飲み込んで失礼にもNPCだと思い込んでいたバルサの元へ行き御礼を述べなければならない。ついでに図々しくもこの空腹を治めるため食事もいただかなくてはいけない。

 伊達に三十年も――いや実質約五十年くらいなのだけど生きてはいない。


「だ!だれかぁー!!」


 悲鳴が聞こえたらそこから連想されるのは悲惨な状況であるか、もしくは少し困る程度の問題がある状況だ。しかし、この世界でのそれは常に悲惨な状況だった。

 声を頼りに走っていくと森を抜けてバルサたちの集落に着いた。


「――なっ」


 視界に入った光景は18禁と記されているゲームで描かれるような人が魔物に襲われる光景のそれだった。

 バルサのお隣の家の老婆が胴で半分になって倒れている。視界に広がった赤い水溜りのようなそれは間違いなく血溜まり。


「リュシャ!逃げなさい!」


 中年の男が妻らしき人を逃がそうとモンスターの前に立つ――が、男は丸太のようなもので潰され、妻らしき人は一瞬で上半身が噛み千切られる。

 その光景に前の世界での記憶が元になっているボクは後退りしてしまう。

 一瞬物陰に人がいるのを認識して、それがバルサだと分かると逃げようとした自分の中に後ろめたさが湧いてくる。


 しかし、バルサは"逃げろ!"とボクに叫んで周囲のモンスターを引きつけようとした。その行動の差は心構えの差だと思う。

 ゴリラのようで人の上半身を丸かじりできる顔の大きさ、体毛が硬いのか木材の家を体当たりで粉砕していく、名も知らぬモンスターが一斉にバルサの方へと向かっていく光景を立ち尽くして見ている。


 ボクは物語の主人公の立ち位置でそれに見合わない心を持ってしまった男なのかもしれない。例え、その肉体がモンスターと戦う事に特化していたとしても、だけどその記憶はっきりしてない上に記憶中の戦闘訓練が認識では行き過ぎたトレーニングだと勘違いしているのだからもう。

 でも、そんなボクでも異世界やゲームの世界を夢想し仮想の世界で日々を過ごすほどの男であり、男とは時に心と体がめちゃくちゃでとんでもない行動をとってしまうこともあるのだ。


 いつかニュースで見た"電車のホームから転落した人を助けて轢かれてしまった人"、そんな人のような事ができたらと思わずにはいられない。英雄になりたいか?と聞かれたらそれに対してYESを即答できない世界、そんな世界で生まれて育ったボクでも。

 微かに点った心の炎が刹那の運命を変え、飛び出してみると武器もないのも忘れて振り抜いた右手はモンスターの背中に命中する。

 拳が体毛に触れるとまるで枕でも殴ったかのように右手がモンスターに埋まる。呻き声を上げるモンスターの声で他のモンスターもボクへと向かう。


 MMOでいうヘイトがボクへ向いた。この戦いでは人を助けるのがベストであり、ボクとしてもそうしたいのが…。


「ウガウ゛ゥゥウウ」


 ゲームとは違う、モンスターが扇状に展開し左右から回り込む動きをしている。組織的な動きはAIとは違うし殺気がまさに直接向けられている、こういうことが初めてすぎて冷や汗が止まらない。

 殺気だけならまだいいけど、この思考の混乱がどうにかならないと戦う事も上手く逃げることもできない。


「お兄ちゃん!がんばれ!!」


 名前も知らない少女の声援はボクにとっての一つの点であり、その点と心にある点が一本の線になりこの世界でのスタートラインにようやく辿り着いた瞬間だったのかもしれない。


「おう!」


 ボクは掛け声とともにかつて授業で習った空手の構えをする。破れかぶれでも素手の経験というものはこれしかない。アインスの記憶は今も曖昧で戦いにおいてもそれは一緒だ。

 一匹のモンスターが突進してきたのを確認し、それを避けて最初の一撃とは違う地に足の着いた突きがモロに腹にめり込んだ。

 感触からして相手の腹部の内臓や骨までがグシャグシャであることが理解できた。


 漫画やアニメのようにパンチで対象が吹き飛ぶのはないのだと分かって、これ以上の威力で殴ると間違いなく体を突き抜けるだけ。その行き着く先は間違いなく殴った部分が周辺もろもろ粉微塵になってしまうのだろう。

 草木で腕を怪我したボクの体がどういう法則で怪我しないで済んでいるのかは謎だが、素手で戦っても勝てると判断できれば戦えない相手ではない。

 ただなんとなく思い出した記憶の中で、体内に"気"ないし"それに近い力"がボクのこの身にあることは分かっていたので、それが唯一の法則ではないのだろうかと思う。


「集中――そして、それを使うイメージ!」


 蹴りを横一線でモンスターの前で空を切る。それは空振りではなく記憶していた攻撃方法の一つを試したのだ。

 体内に留めていたそれを蹴りと同時に放ち、モンスターたちに浴びせた。結果は、ジリジリと囲おうとしていた奴らを吹き飛ばす事に成功した。

 目で見えないものに弾き飛ばされたモンスターたちは顔を見合わせて一目散に逃走し始める。ボクはそれを見届ける間、頭痛と目まいで視界がぼやけてモンスターの姿が視界から消えると地面に倒れこんだ。


 ・・・・・・


 世界はやさしくない。生まれた瞬間から全てのステータスが一部ランダムで設定され、自身の生成が精神面で不完全に行われ、教育というなのステータス向上でそれを獲得することが法則だ。

 他者は完全に独立した考えで動くが時に一つの生命体のように集団の徒と化す。考えの違いで少数を多数で差別するのは仕方ない、それが人であると理解しているからそれについては"仕方がない"と受け入れるしかない。

 だけど、違う考えを強制して押し付けるのには耐え難い苦痛のようなものがある。そういった意味で世界はやさしくない。


「……――っ」


 意識を取り戻した瞬間鼻を通る匂いに気が付く。体を起こすと右手側の部屋の扉が木材の擦れる音を立てながら開きバルサが姿を現す。


「お!起きとったかハグレ――」


 鍋のようなものを丸椅子のような小さいテーブルのようなそれに置くと、もう一つそれと同じテーブルに置かれた皿を手にし中身を移し始める。


「薬草士の話では倒れたのは空腹が原因だそうじゃ」


 唐突にそう言うと、「口に合うかも分からんがコレでも食うといいじゃて」とバルサは皿と匙を差し出してきた。

 見た目具のないビーフシチューだけど、口に入れたら野菜のスープだと理解できた。うす味だが今のボクには丁度いい加減だった。


 空腹で倒れるってのは物語だけの話だと思っていたけど、実際に遭って見ないと分からない事もある。

 それから死んだように寝て起きるとバルサたちは死んだ人の葬儀もそこそこに家などの修復をしていた。


「こんなことは慣れておるんじゃ…ワシの息子夫婦も数年前に"バハウ"という今回ワシらを襲ったモンスター"バハ"の亜種に襲われてのぉ」


 バルサの家がその広さに見合っていないのもおそらくその事が原因だろう。


「しかし、今回はお前さんがおってくれたおかげで被害も少なかった…もしかしたらお前さんが森にいたのは守護精霊のアレンの仕業かもしれんのぉ」


 また精霊、よほど精霊の信仰が深いのだろうか。


「でも、そんなにモンスターがウロウロしているようには見えないですが――近くにテリトリー…いや、住みかでもあるんですか?」


「住みかのぉ…どうなんじゃろうか、紋章のない者の住む辺りはどこもこんなもんじゃろうて」


 国の防衛、兵隊は何をやっているのだろう?という疑問をバルサに聞くと彼は「首都の防衛と他国侵攻しかお偉いさんの頭にはないようじゃからのぉ」と言った。

 ボクに声援を送った少女が視線の先で大人に混じって片付けをしている。あの子も大切な人を失ったのだろうか。


 それからボクもその村の修復を手伝い、体を動かしているとまだ迷いや戸惑いを忘れる事ができた。この世界への順応ができてきたのかこの世界への見る目が変わった。

 最初は偽物や仮想の物という色眼鏡でしか見ていなかった。でも、今では見たこともない植物や生き物たち加えて自身の体の特殊間が何ともいえない。

 どうせ生まれ変わるなら巨大ロボットがある世界がいい、と夢想したこともあったけど、実際それがある世界は何かと戦い続ける世界で巨大ロボ自体兵器なのだから当然なんだけど。


「まだ、モンスターと戦う方がいいか――」


 なんて考えもこの世界を見ると本当のところどうだろうか?


「バルサに言われたことをそろそろ考えないと」


 呟いたそれについては村の復興が完了してこの村に馴染み始めた頃の話だ。


「のぉーハグレよい…お前さんもうそろそろ身の振りを考えた方がよいじゃろ?このままこの村にいてもお前さんのためにならんと思うんじゃ、での、これを持って王都へ出向いてみんか?」


 手渡された紙には文字が刻まれていて、記憶を取り戻したおかげでそれらを読み取ることがボクにはできた。

 それは軍の下士官訓練校への召喚状だった。


「ワシの孫の召喚状じゃ…まー数年前に息子夫婦と一緒に死んでしもうたがの」


 寂しそうな目でバルサはそう言う。この国では成人となると下士官訓練校へ誘われて、それを受けることが紋章の能力が低い者無い者の唯一の軍へ入る手段。

 バルサの孫が死んでもそれが届くあたりは国家体制の地域へ干渉が少なく、地域の役場的な業務担当者がサボっているのが窺える。

 この世界での個人の確認は雑であり、それを確認する手段もたいして無い。つまるところ偽装や成りすましがどうにでもなるし、それを覚られることもまずない。


「お前さんのあの力は紋章とは違う物なんじゃろう?モンスターを素手で倒せる紋章はこの国にはないからの、つまりお前さんはどこか別の国からの旅人なのかもしれんな」


 ボクの"すみません"という言葉だけでバルサは察してそれ以上は詮索しなかった。


「ともかく、ワシはお前さんを養えるほど裕福でないし、この村もこの有様じゃしのぉ…若い娘は王都へ若い男ものぉ――だからの、村の者もエリンをお前にあてがって村に留めようと考える者もおる、ちなみにエリンはお前を応援していた子じゃ、村で一番若く若い者の中で一番年長じゃ」


 あの小学校高学年ぐらいの少女がエリン…ま、異世界だからおかしくは思わないけどボクの常識ではかなり抵抗があるのは元の世界の常識の所為だ。

 まー確かにあの子は六年もすれば美人になるだろう、きっとボクも一度説得されたら悪い気はしないかも。別に使命がある訳でもないこの世界での生き方は自由だろうし。

 でも、バルサのように家族が殺されてそれを受け入れて生きていけるほどこの世界には染まれない。


「実はボクもやりたいことが見つかったんですよ、こんな記憶の半端なボクですけどね」


 そう、ボクはこの数日でボクなりにそれを探していた。記憶を取り戻すことも勿論考えたけど、それよりもしたいことができた。


「この国を知ること、紋章を知ること、この世界を知ること、そして自分を知ること――まだまだ今は知ることが大切だから」


 こんなことを言うと笑われるかもとか考えたけど、バルサは"そうか"と笑みを浮かべて空を仰ぎ見て言う。


「お前さんならまだ夢を見ることもできるじゃろうて、ワシのような老いぼれは今のことだけで精一杯じゃからのぉ」


 異世界とは――夢想するだけでいい世界であり、現実にはないからこそ人が想い焦がれる場所である。もし、そこに行けてしまえたとしたらそれは"ただ"の――リアル――でしかない。



面白くしたい

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