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地上ではポチが真言を唱えていた。
身体に力が満ちるのが分かる。
禁縛の儀式をひとりでやるのは初めて、対象がいるのも当然初めてだ。
シミュレーションしかやったことはなかったが、今までと違った力が感じられて、萎えていた自信がちょっとだけ戻ってきた。
大丈夫、できる。
「あと……二十秒」
宿曜計のベゼルを微調整、三十六禽の卦を合わせる。
陰行と水行、焦らず順番にやればできるはず。
「…………」
遠くから叫び声が聞こえた。大妖たちが戦っているのだ。
彼女らに恨みはないが(いやあるか。さっきボコボコに蹴られた)、これが自分の務めなのだ……それにしてもなぜ、ヤミは俺たちを助けたのだろう?
「…………!」
先ほどより叫び声が近い。
ポチは顔を上げて、ビクッと震えた。
ささやかな自信が消し飛ぶ。
「やめんかーっ! 小僧っ!!」
「それはっ! その術はっ!」
大妖がふたり、こちらにものすごい勢いで飛んでくる。切羽詰った形相。
「おおおおおおおっちょっ、早く早く早くっ!」
あまり意味がないが、ポチは宿曜計に叫んだ。
顔を上げると、ふたりはもうすぐそこだ。
視線が大妖と宿曜計を切ないくらいに往復、ポチはそれはもう悲しそうな声で宿曜計様にお願いする。
「たのむうー!」
カチリ、と宿曜計が時を告げた。
キリキリとバネを引き絞る音と共に、文字盤の内周から月縛が中心に寄り、ベゼルと隣り合った文字盤の外縁に黄道と白道を描き出す。
一瞬でポチは「宿」を見て取った。
宿曜計が星を描き出す音でポチのスイッチは入る。先ほどまでのおどおどとした高校生はどこにもいなかった。
大妖に向かって助走をつけてダイブする。明らかに自殺行為だが、ギリギリでふたりの飛ぶその下をすれ違った。考えてみれば、ふたりを避けるにはその方法しかない。
ポチは前回りで受け身を取り、片膝立ちで振り返った。
ヤミとメイが慌ててターンをして戻ろうとしている。
ポチは宿曜計を再び、今度は内周に水曜を寄せ、「宿」を確認した。
「陰行! 水行!」
ヤミとメイが何かに引かれたように急停止する。
ポチが金剛杵を持った右手を高く差し上げた。
「陰行! 室宿に発し、豺宮を経て、翼宿に至り黒月、天破を縛として禁ずる!」
「水行! 精は辰星、柳宿を発し、井宿、鬼宿を礎として禁ずる!」
驚くべきことに、ポチはふたつの禁呪を「同時」に発音した。
「おい! 小僧! やめろ!」
「ちょっと! お願い!」
ポチが金剛杵をまっすぐに振り下ろす。
宿曜計が動いてからここまで、ポチに似つかわしくない滑らかな動きだ。修業をした甲斐があろうというものである。
ポチの金剛杵が、空中を打った。
何もないはずの空中で何かを穿ったような音がした。黒い光と青い光の奔流が生じ、ポチに必死に手を伸ばしたヤミとメイを見る間に飲みこんでいく。
「おい! 小僧!」
「ちょ! いやん! やめてええ!」
☆
光の奔流には物理的な反作用があるらしく、ポチは吹き飛ばされた。
そしてあおのけにヘッドスライディング。
今度は後頭部が半分埋まった。
「むぎゅぎゅっ!」
起き上がって頭を振る。
盛大に泥をまき散らした。
「やった、のか……俺…………ってうわあっっ!」
座ったまま、ポチはずりずりと後ずさりした。
「またこれかっ! くそっ! お前も変態坊主かっ!」
「ちょっと、ほんとに……もういやぁ……」
「小僧! お前、封縛はできぬと言ったろうがっ!」
ヤミが怒りの叫びをあげ、メイが涙声。
ふたりは、ちょうどポチの眼の高さくらいの空中に浮いたまま、光の縄に捕えられていた。
ヤミの姿は……光の縄が、全身を六角形の結び目で覆い、腕の具足をつなげて後ろ手に縛りあげ、ふとももと両足を引き絞っている。すなわち「亀甲観音縛りM字開脚版」であった。
どういうことになっているのか、ヤミの脇には「旭日双葉」という豪勢な筆文字が浮いていた。角度を変えても文字は正面になっていて、そう読める。
両足を開き、恥ずかしげなヤミの顔がのぞいているその様は、まさに双葉の向こうより昇りくる朝日のようである。
うむ。
メイの脇には「下弦弧月」の文字。
光の縄によって両手両足を拘束され、少しきつめの逆海老縛りに締め上げられている。下弦の月のごとくに身体は反り、つんと生意気そうな双丘がぐいぐいっと張り出している。
うむむ。
衣服が計算されたかのごとく微妙にはだけ、むしろ裸であるよりもエロエロい。なんというか、「まー、エロっていうかさー」などと思わず照れ隠しに呟いてしまうレベルである。
「見るなっ! ばかものー! 殺すぞっ!」
ヤミの顔が真っ赤だ。
「こ、こ、これは……すげえ……」
「だから見ないでくださいっ!」
ポチの凝視に涙声で訴えるメイ。
「あいっかわらず、くだらない術を使いおって! 空賢の血筋は法力を無駄にするばっかりのバカどもか!」
空中でヤミがもがき、胸元がはだけそうになる。
「いや、あ、あんまり動くと……」
と言いながら眼をそらせないポチ。
「ぎゃああ! み、見るなっバカっ!」
「ごごご、ごめんなさいっ!」
ポチは思わず背を向けた。
どうやら自分のせいで役得、いや違う、辱めを与えていることに申し訳なさを感じる。どうしたら役得、いや違う、事態を収拾できるだろう。
ふと、先ほど外した法輪が眼に入った。
ハクの制服とともに無造作に落ちている。
「くっそ、もうやだこれっ! いっそ普通に封縛しろ。さあ今すぐしろ! なんで禁縛だけできるんだバカっ!」
「は、は…‥恥ずかしい……! これだから許せないんです……空賢め……! その子孫も……!」
ヤミとメイは、もがきながら真っ赤になって恨み言を重ねた。
なるべく見ないように、その実チラチラと見ながら、ポチはさりげなくヤミの後ろに回った。
「だいたい、空賢てのは…‥ん? お前、ちょっと! お前!」
ポチは法輪を開き、ヤミの首筋にあてた。
「(すごいな、F? それ以上?)これはほら…‥その……えっと……うん、やむを得ない」
「くそ! くそおっ! 覚えていろっ貴様!」
カチンと法輪がはまった。
ふっ、とヤミの姿がハクに入れかわり、ハクが地面に倒れ伏した。
「つっ、いたたた…‥」
頭を押さえて身体を起こすハク。
「ハク、大丈夫か?」
「んー、て、あ、ああっ? ポチ、ってなにこれ!?」
全裸である。
こちらもFかそれ以上である。
しかも首輪である。
破壊力抜群である。
……何かこう、その場にいるだけで「やり遂げた」感の溢れる光景であった。
「何なのよこれ!」
両手で色々と隠しながら丸まったハクに、ポチは手早くシャツを脱いで投げた。
「そ、それ着とけよっ」
やむを得ないとはいえ、薄手のシャツ1枚が「全裸で首輪」に加わった場合、むしろ破壊力が増すばかりである。
とは言え他に選択がないのでハクはシャツを身に着け、ポチを監視しながら自分の制服のところに横移動していく。
「向こう向いてて!」
「お、おお」
ポチは、ハクが持ってきてくれた自分のカバンを見つけ、その中からもうひとつ法輪を取り出した。水曜の法輪だ。
メイに向き直る。
「なんですか変態」
「へ、変態って……」
がっくりと落ち込んだポチだったが、気を取り直して立ち上がる。
「さっさと封印すればいいでしょう変態」
「え、そん……」
「法力を変態、自分の趣味に使うような輩には変態、地獄に落ちればいいんです変態」
「ぐぐ……俺じゃないのに」
最後は口の中で呟き、ポチはメイの首筋に法輪を結んだ。
メイの姿が女子高校生に入れかわる。
若干肉感的だが鍛えられた肢体、穏やかで優しそうな表情。
とりあえず上下を身に着けたハクが、遠目から驚愕の叫びを上げた。
「あ、アムっ!」
朝川歩が全裸で首輪で倒れていた。
ポチが驚きのあまり口を開けたままハクを見る。
ハクも驚いたままポチを見て、我に返って叫んだ。
「いいから向こう向いてろ、ポチ!」
「はいっ!」
美しく素早い、回れ右であった。
☆
温泉旅館の「たちばな」の大浴場。
午後二時であれば、お客さんはちょうど谷間である。
そのゆったりとした大浴場に、首輪をつけた女子高生がふたり、脱力した状態で唇の下まで温泉に浸かっていた。
「封印……大妖……はぁ」
「うん……アムもその子孫で、ヨリシロ?とかってやつなのね。なんだろうその設定、って感じだよね……」
ふたりは盛大にため息をついた。
「もうね……」
「うん……」
そのふたりの前を、すいーっと泳いでいく幼女。
ヤミである。
「お前ら、眼の前の現実を受け入れた方がいいと思うぞ?」
「あんたが現実とかいうなっ!」
ニヤニヤと笑うヤミに、思わず立ち上がって気色ばんだハクだったが、肩を落として再び浴場に沈み込んだ。
「もうね……」
「うん……」
と、がらりと入口の引き戸が開いた。
幼女がもうひとり立っている。
年相応の子と違うのは、キチンと前をタオルで隠しているところだ。
「メイ」
ヤミが面白げな調子で声をかけた。
「どうだ、魂魄の姿は」
「え? メイってこいつ? あいつ?」
幼女はまるっきり無視して、カランからお湯を注ぐ。
二回ほどかけ湯をして温泉に入ってきた。
ハクを興味なさそうに一瞥して口を開いた。
「そうですよ。五月蠅いから騒がないでください」
ツンとした幼女。
日本の一部限られたところに需要がありそうである。
女子高生ふたりが浴縁側、幼女ふたりがもう一辺の湯船のふち、何か微妙な沈黙が湯気と入り混じった。
「……あ、あんた、何でここに……?」
「別に。行くところがないもので」
ツンツンで素っ気ない幼女。
一部限られたところの、更に特別な方々に需要がありそうである。
面白くなさそうにメイが付け加えた。
「しばらくはこうして現世にとどまるしかないようです……」
……。
……。
ややあって、ぶるぶるメイは震えだした。
「……まったく……まったく、七曜封縛ができないとか、何なんですか。なんで禁縛だけできるんですか……っ!」
「阿呆なんだろ、あれは」
ぼそりとヤミが呟いた。
全員が眼を逸らして、
「うん……」
とうなずいた。
☆
「ぐしゅっ!」
ポチの盛大なくしゃみである。
「あー、ちきしょー埃がすげー」
ポチは、古文書をめくりながらはなをすすっている。
七曜について詳細に書き記した文書であるが、正直じじいがいないと古いものは残念ながらポチには読めない。
高賢は海外出張中で明日帰ってくる予定だ。仕事でいったはずなのに、SNSで送られてくるのは観光地まわりしている写真ばかり。
「……全然読めねえ……」
ポチは深々とため息をついた。
「人は過ちを繰り返す。幾度となく繰り返された争いと悲劇。不幸の連鎖は時代を超えて受け継がれ、決して止むことはない。人は生きるに値する種なのか。人ならざる者はそう人に問いかける。次回『マナ登場!バトン部存続の危機?戦う理由は憂さ晴らし?』人は問いに応えられるのか」
それでは第3話をお楽しみに!