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「ちょっ、なにすんのよっ!?」
ハクが赤くなって少女から離れる。
眉根に皺を寄せて、引き戻した手を少女は握ったり開いたりしている。
「ちょ……? なんだこれは? 霊穴がふさがれている?」
眼を見開いて訝しげな風で、少女は再び顔を上げた。
ハクを視界にとらえて、ずいずいと向かっていく。
「ぎゃあっ! なになに、なんなのこの子?」
ハクは立ち上がったポチの後ろに隠れるが、意に介さず少女はなおもハクに迫ろうとする。
ポチが立ちふさがった。
右左右、左右右。
ポチがおっかなびっくりの割には、ナイスディフェンスで進路をふさぐ。
「邪魔だっ! どけっ!」
少女の気合にビクッと動きを止めたポチが、ごくりと喉を鳴らし、少し震え声で問いかけた。
「お、お前……まさか、大妖だよな?」
「……貴様?」
少女はまじまじとポチの顔を見上げた。
一瞬少女の中を何かが通り過ぎたようだったが、気を取り直して胸を張った。その悔しそうだった顔は、す、と悪辣な笑顔に変わる。
「ふん。大妖とはまたずいぶんな物言いだな。我が名は椰魅」
「ヤミ……やっぱりそうか」
少し距離を取ったハクが双方を覗き見る。
「あの……なんなのこれ? ちょっとさ、ポチ?」
ポチはハクを軽く制して、上ずった声で叫んだ。
「残念だったなっコノヤローっ!! むはは! ハクの霊穴は法輪でふさいだからな! 憑りつこうったってそういかねえぞ!」
ヤミはわなわなと肩を震わせる。
「この……人間風情が……!」
「なんで七曜封縛が解けたのかしらねーけど、憑代がなきゃ大妖だって手も足も出ないだろ!! むはは!」
「貴様……この小虫が……!!」
ポチとヤミは睨みあったまま少し品に欠ける罵り合いをしている。
幼女を本気で罵倒している幼なじみ(男子高校生)は、なんというか、こう、哀しいものがあった。
「ちょっとさ、ねえ、なにこの展開?」
ハクはどちらにともなく言ったが、どちらも聞いてないのを見て、「帰ろうかな」と呟いた。
一方、膠着状態に脂汗をかいているポチが、ゆっくりと、じりじりと、上着のポケットに右手を伸ばして、鈍色のものを取り出した。
金剛杵。
ビクッとするヤミ。
ん?
あれは……。
あれは確か、まだ小学校六年だったポチが、自慢げに学校に持ってきて先生に取り上げられたヤツだ。先生に拳骨を食らい、どうやら家でも持ち出したことを叱られたらしく、翌日のポチは顔が二倍になってた。
それ以来、ポチはそういう「イケてる」ものを持たなくなったのだったが……まだ持ってたんだ。
うわあ。
マジか。
マジだ。
なんかあれ。
超合金で遊んでいるオトナというか。
ああ。
痛い。
痛いよポチ。
痛すぎる。
なんでこう、男どもはああいう武器っぽいもの好きかね?
むしろ、マテリアはめたロングソードじゃないだけいいんか?
……うーん。ねえ、やっぱりアタシ、帰っていいかなこれ?
そういうハクの脱力と関係なく、ポチとヤミの戦いの火ぶたは切って落とされた。
「おとなしく封印されやがれっ!」
「小賢しいわっ! 身の程を知れ!」
叫ぶなり、ヤミはポチに踊りかかった。
「えいっ! てりゃっ!」
「……ん」
「でぇいっ! くぬっ! このっ!」
「……」
ポチに殴る蹴るの暴行を加えるヤミだったが、いかんせん四、五歳児の身体ゆえ、ポチの足をぺしぺしぶっているようにしか見えない。
「ふーっ、ふーっ、はぁ……はぁ」
ひとしきりやってみたものの、なんら痛痒を与えられないことに気づき、ヤミはポチから離れる。
ポチがおずおずと声をかけた。
「あの……大妖なんだよね?」
「うる……さい……。暫時……待て……」
ヤミは息を整え直して、それからラジオ体操的な深呼吸をした。ポチとハクは呆然とヤミを見ている。
と、ヤミが向き直ったのを見て、ポチが金剛杵を構え直した。
「と、とにかく封印してやる! 悪く思うなよ!」
体力回復がまだできてないらしく、少しよろけながらヤミはポチを睨みつけた。
……。
…………
ポチが動かない。
「ポチ、どうしたの?」
ハクが気遣わしげに声をかけた。
「どうすりゃいいんだ……?」
「は?」
ポチはさっきの倍ほどの汗をかいていた。
「封印とか、習ってないし……」
ハクはポチを見て、それからヤミを見て、またポチを見て。
愕然とした声で呟いた。
「……ここは中二病ばっかりか?」
ポチはガックリうなだれる。
「ホントやめてくれ……」
☆
湖緒音商店街。
地方の小都市にありがちなシャッター商店街だが、駅からつながっているここは歩行者専用、高い天蓋が覆っている。この天蓋はなぜかステンドグラスで組まれていて、お天気の日は鮮やかな影を歩道に落とす。
もともと盛んだった林業が落ち込んだ時期、商店街の会頭が一念発起して作ったそうだ。当時有名だったスペイン人作家・フェリペ・ロドリゲスを招き(日本人だったら鈴木一郎くらいか?)、名古屋あたりからも取材に来るなり結構にぎわったとか。
そのシャッター商店街には不釣り合いに豪華なアーケードの真ん中、ポチとハク、ヤミの三人が歩いていた。
ポチは先頭、ハクはそっぽを向いて続き、最後にヤミが怒った猫のように肩をいからして歩いている。
通行人はこの時間ほとんどいないが、わずかばかり遭遇する客、そして商店街の人々はのきなみ二度見して、次いで眼をむいていた。
……。
……。
ヤミがなわとびの縄でぐるぐる巻きにされている。
その縄の片方をポチが持って、いやがるヤミを力ずくで引っ張っていた。
4、5歳児を縄で縛って引きずりながら、首輪をつけたキレイな女子高生を脇にはべらせ、人目も気にせず薄ら笑いを貼りつかせた男子高校生(そう見える)。
これはもう、週刊誌が「日本の地方の闇」的なタイトルで短期集中連載するべき事案である。中吊りに載せれば、部数も一割増くらいいけそうである。
「ほんとにもー、なんなのよ……」
ハクが何度目かの深い深いため息をついた。
「封印でも何でもいいからとっとと解決してよマジで」
「わ、わかってるよ」
「頼みますよ霊能力少年ポチ。ご町内の平和守ってくださいよ」
「うっせーなもうっ!」
さすがにポチも若干気色ばんでいる。相当ハクに言われ続けたのだろう。
「怒んないでよ。そんなんで正義の味方がつとまんの?」
「だー! うっせえっ! あと霊能力少年やめろ」
「なんでよ。そーゆー設定なんでしょ?」
「設定とかゆーなああっ!」
ポチがうんざりした顔で振り返ると、ヤミと眼が合った。
ヤミはその姿であっても眼の力は強い。
睨まれて、ポチは思わず首を引いた。
「ふん。ひとりでは封印術もできん未熟者め」
「く、くっそ」
「まったく忌々しい。小僧、貴様、空賢の裔だな?」
ポチは首をすくめた。返事はしない。
「は? 誰それ?」
ハクが面倒くさそうに訊く。
「千年前、私を封じた変態坊主よ。一寸刻み五分試しにしても飽き足らんわ」
「ふーん、アンタ、子どもなのに難しい言葉知ってんのね?」
「……子供ではない! 憑代がないから、この姿にとどまっているだけだ!」
「設定盛ってるわね~」
「お前、私のことをただの子供だと思っているな?」
ハクはちょっと考えて首を振った。
「いや、ヒーローショーと現実の区別がつかない子供だと思ってる」
「んむうう」
ヤミが地団駄を踏んだ。
何だか可愛らしい。
見守っていた商店街の人たちが、腕を組んでうんうんとうなずく。
「なんか、イメージしてたのと違うんだよな……」
ポチがしかめ面で頭をかいた。
「もっとこう、さ、何て言うか、大妖だろ……それなりに俺も覚悟をね……」
合点がいかないといった顔のポチに、ハクは気だるげに声をかける。
「あのさあ。いつまで付き合えばいいのこの遊び。アタシ部活行きたいんだけど」
「遊びって……まあいいや。えっと、ウチの蔵に行けば、こいつの封印の方法が分かる、と思うから、それまではちょっと頼む」
「封印……? って監禁するとか? 蔵に? マジで?」
ハクは自分で言っておいてドン引きする。
さっきまで幼なじみだった高校生が、ロリコンの性犯罪者に豹変したのだからしょうがない。しかも監禁である。哀れ、社会復帰はほぼ不可能だ。
「ポチ」
ポチがうんざりした顔で上目づかいにハクを見た。
「あのな」
「いくらなんでもそれはダメだよ。ヒーローごっこはまだいいけど、監禁はマジ犯罪。ね? わかる?」
「ちげえよっ! 誰がするかそんなことっ!」
「しかも幼稚園児じゃん。ロリコンにもほどがあるよね? クジラックス作品のような結末を迎えたいの?」
「本気で言うな! いちいち傷つくわっ!」
ポチがわなわなと震える。
「だからさ……」
なおもハクは言い募る。
「君、ちょっといいかな?」
制服を着たにこやかな男性がふたり、ポチたちの間に割って入った。
「わ、あの、え、その」
「うんうん、ちょっとね、お話しさせてもらいたいんだけどね」
警官である。
にこやかだが、眼が笑っていない。
めったに事件も起きない地方の小都市に、突如高校生が幼女を縛ってひきずっていく事案が発生。挙動不審の男子高校生と、無気力な女子高校生と、縄でぐるぐる巻きにされた女児。
これはもう、おまわりさんの力の見せ所である。
たまには活躍したいのである。
不審者をふんじばって、署長賞などをものしたいのである。
「とりあえず、名前と学校と住所、教えてくれる?」
警官ふたりは友好的ながら一行を眺めまわし、そしてポチから眼をそらさずに手首をつかんだ。
「え、ええと、その、違うんですこれ……」
突然、大音響と共にステンドグラスが天蓋から落ちてきた。
割れた破片が地面に落ちて、透明な音を響かせる。
一拍遅れて皆が見上げる。
視線を一身に受けたまま、彼女は降りてきた。
重力加速度が嘘のように、ふわりと地面に降り立つ。
そして、ポチを見つめ、小首を傾げるようにして華やかに笑った。
「見つけました」
少し異様な和装だ。
薄く蒼を刷いたような着物、たすきがけにして袖丈をくくり、足元はたくし上げて、帯は綺麗な片蝶結び。若い娘のスポーティな着物姿である。
が、手足、肩、腰には――明らかに具足がついていた。谷間を流れる清い渓流のような、寄せて返す激しい波のような、精緻な水の意匠が施されている。
それが、割れた天蓋から差し込む日光を反射した。
「見つけましたよ」
ポチが声を絞り出した。
「お、おまえ……」
「冥と申します」
「……え?」
「冥です」
微笑む彼女。
輪郭は細いが少し垂れ目で、こういう状況でなければ「ゆるふわ」と言っていいかもしれない、柔らかな微笑を湛えたかわいらしいメイは、面白そうにポチを見つめる。
ポチの視線がメイを、そしてヤミを往復する。
「空賢の裔、さん。見つけましたよ」
言った途端、彼女は一転して、笑顔を悪辣な色に染め直した。
ちりん、と鈴の音がした。
「なにこのタイトル? 幼馴染に? 首輪をつける? 馬鹿じゃないの。は? 内容を見てもらえれば? 何甘ったれたこと言ってんの? 見なくったってゴミカスだってわかるでしょ。はい規制規制。とにかく規制。次回『メイ強襲!宿曜道の奥義炸裂!? 括目せよ七曜封縛!!』単純所持で捕まれよお願いだから」
それでは第2話をお楽しみに!