4
からーんと透明な金属音を立てて、六本の首輪がばらまかれた。
その真ん中にポチがのけぞって飛んで――落ちた。ドシャッ。
ハクは左拳を美しく振り抜いた型をゆっくり解いた。今のは、ちょっと見られないレベルのレバーブローだ。自分でも納得の出来。
と、それどころじゃないことを思い出して、ハクは首輪を外そうとする。
しかし、先ほど結んだはずの結節点は爪に引っかかることもなく、空しく指は首輪の表面を滑るばかり。
「なにこれっ、取れない! なんで?」
焦っているハクに、ぶるぶる震えながら上半身を起こしたポチが、しゃがれ声で言う。
「ふふ、そういう呪をかけてあるからな。簡単にはずせると思うなよ」
まるっきり悪役である。
「中ボスみたいなセリフを吐いてんじゃねえわよっ! はずしてよっ!」
「いやさ、待ってくれ……ハク、これにはやむを得ない理由があるんだよ……!」
「理由? 言ってみなさいよっ! 女子高生に首輪つける合法的な理由があるんなら、今すぐ言ってみろバカっ!」
ポチの眼の前にハクは仁王立ち。「阿」のほうである。
「んむう。卑猥だなその言い方……」
ポチは左わき腹を撫でながら、地べたに胡坐をかいた。
「ハク、ちょっと」
「あーん?」
ハクは今度は右拳を握りしめた。ポチはビクッと身体を引く。
「い、いやちょっと待ってくれ、ハク。マグナムはともかくファントムはヤバイ……あれ逆? な、ちょっとだけ聞いてくれ。俺だって首輪つけたいわけじゃない。おかしいだろ普通。理由があるんだよ、理由が」
ハクはいつでも右拳を打ちこめるように、すこうし距離を取ってしゃがんだ。
どうやら少し聞く気になったらしい。
ポチは大きく息をついた。
「……いいか。今から言うこと、全部本当だからな? 嘘くさいとかバカっぽいとか言うなよ? ホントに、ホントにマジな話だからな?」
その間もハクの冷たく鋭い眼はポチを捉えている。少しでも何かごまかしを言おうものなら、ただちに処刑執行である。
ポチが少し間を取り――思いきったように話し始めた。
「ここ湖緒音町には、七人の大妖が封じられているんだ」
ポチは厳かに言った。
――「大妖」が「封じられている」。だそうです。
ハクの無表情が疑問に変わり、ついで困惑、そして憐憫になった。
「あの……ハク?」
「はい」
「……いやあの、だからな、七曜封縛つって、日月五星に対応した七人の大妖、な、つまりすごく強い化け物が封印されているんだ」
「はい」
「む……その封印が今、解けてしまっているんだ」
「ばけもの。ふういん」
ハクの眼は憐憫を超えて、道端の石ころを見る眼になっていた。
「な、なんだよ。その……その、そんな眼で見るなよっ!」
「うそっぽい」
ハクの眼は今や、ポチが本当にポチなのかどうか見極めるような、胡散くさいものを見る眼になっている。
「おいぃっ! 言うなって言っただろうがっ!」
「バカっぽい」
「そ、俺だって勇気いるんだよっこんなこと言うのっ!」
「アンタさ、大体高校にもなってそんな話信じてるわけ?」
「お願いだから言わないでえ……」
ポチは恥ずかしさから赤いを通り越して赤黒くなっていた。両手で顔を覆う。
「はぁ、なんだっけ? 中二病ってやつ?」
「中二って言うなあっ! お、俺のウチ知ってるだろ! 古い伝承とか色々あるんだってば!」
ポチは何とかハクに信じてもらいたいらしい。
ハクの眼は冷たいままだが。
「ふーん」
「ほ、ほんとなんだって! ほら、お堂の管理人だってさ、あれだってじいさんのじいさんのじいさんのじいさんの、とにかく先祖代々やってきたお役目なんだよ。お堂が湖の底に作られてた頃からの!」
何やらポチのセリフが悲鳴じみてきた。
「ふーん」
ハクはポチの必死さに反比例して白い眼になっていく。
「それで。それがなんなわけ?」
ポチが口を真一文字に引き結んでしかめ面をした。
「ぐぐっ……。いいか、大妖は憑代を求めるんだ。奴らは身体がないと本来の力を出せないからな」
「で?」
「いやだから……お前が、その、憑代なんだよ」
「なんで?」
「その……大妖は自分と同じ血が流れている者にしか憑りつけないんだ。要するに自分の子孫ってこと」
「ふーん。で?」
「ええと、その大妖の血筋てのが全部で七つ。つまり、大妖の憑代になるヤツが七人、この町のどこかにいるはずなんだけど、居所はひとりを除いてわからない」
「え、ちょっと待て。ひとりって?」
言いながらハクは自分を指差す。
ポチは軽く二度頷いた。
「ウチは七曜封縛の管理人で、七妖の末裔を探し出すてお役目がある。最も重要なひとつの家の真向かいに住んだわけだ」
ハクは自分の中でちょっと複雑な感情が芽生えるのを感じた。
なんて言えばいいのか……このもやもや。
予定調和は反発しか生まないのだけれど。
「七人の血筋は、湖に沈んだお堂に奉納されてたらしくて、その後何代にも渡って調べ直してきたんだけど、はっきりとわからないんだと。でも俺は急いでそれを調べなくちゃならない」
ポチは大きく息を吐いた。
「七人の血筋がこの町にあるのだけは確実なんだから」
ハクは我に返った。
「いや、そっちに話を進めないでよ。何背負っちゃった顔してんの一体? それと首輪に何の関係があんのよっ!」
「いや! だからさ、お前が大妖に憑りつかれないように、その法輪が必要なんだよ!」
ハクはポチを見つめ、やれやれといった風に首を振った。
「ポチ。アンタとは幼稚園からの長い付き合いだけど……そこまで現実と妄想を区別できないヤツじゃなかったと思うんだけどな」
「やっぱ信じてないし!」
ポチはがっくりとうなだれた。
ハクは呆れた顔で付け加える。
「……というかさ、設定甘くない? 大体なんでアタシなの? 姉さんも絢ちゃんも緖ちゃんもいるじゃん。アタシである理由がわかんないよ」
ポチは斜めに見上げた。
「いや、まあ、確かにそうだけど……理由は、まあ、あるさ」
「なに」
「怒らない?」
ハクの眼が無表情に戻る。
「怒る。絶対怒る」
「……まあ、い、いいいいよな。そのあたりはさ。ハクが選ばれちゃったわけだし」
「ポチ」
ずぅうんとポチに黒い影が覆いかぶさった。
「言え。怒るけど。絶対怒るけどさ。言わないと後悔するよ」
「……いや、待って待ってえ。俺じゃない俺じゃないよ。円樹さんから聞いたんだよ」
「だからなにを」
「いや、その……」
「あの問題児から何を聞いた」
すでにポチの上には禍津神レベルの黒い影が。
「……いや、あの、あのですね……憑代になるには条件がありましてですね、あの……」
「だから、なんだ?」
「いや、あの、つまり……処女じゃないと」
電光石火。
ハクの右拳が唸りを上げてポチの下あごに撃ち込まれ、哀れポチは再び宙を舞った。
ドシャッ!
と、なんともいい音をしてポチが落ちる。
ハクはぶるぶると震えていた。
……あの問題児め。ウチの姉はホント余計なことする。
円樹は自由人で、絢ちゃんも緖ちゃんも長い付き合いの恋人がいる。なので、確かにそういう意味ではそうなるだろう。
というか、なんでそんな個人情報をあの女は。
ぐぬぬ。ぬぬう。
――ちなみに、ハクほどの力を以てしても、円樹に勝てたことはない。ハクが愛宕山だとしたら円樹は富士山である。遥けき彼方である。
ちなみにもうひとつ言っておくと、ふたりの母はアンナプルナ連峰級である。ふたりとも勝てた試しはない。
いやはや、ぐぬぬ、である。
ふたりの強烈な「話し合い」がある種一段落したその時、ざわりと湿気を含んだ生暖かい風が校舎裏に吹き込んできた。少し強い風で、ハクの短めの髪までもざわめくほどだ。思わずハクは前髪を押さえる。
一瞬の風が収まって顔を上げると、4、5歳くらいの少女が唐突にふたりの前に立っていた。全体に不思議な文様があしらわれている白い和装を着こんで、年に相応しくない、鋭い笑いを相貌に浮かべていた。
ポチが驚きの声を上げる。
「お、お前は……お前か!」
ハクはポチと少女を見比べて、さっきの少女が脳裏をよぎった。
「知り合い? ……ていうか、さっき、校庭にいた?」
少女はハクを見つめ、満足そうに口元をなごませた。
「……やっと見つけたぞ、吾が裔」
少女はむしろにこやかに笑いながら、その実、明らかに威圧の雰囲気をまとって、ゆっくりとハクに向かって歩き出した。
「千年待った。長かったぞ」
訝しげに眉をひそめるハクに向かってゆっくりと歩を進め、ハクの前に立った。
ハクの身長が百六十を超え、少女の身長は百くらい。
明らかにアンバランスな対峙だったが、少女の全身から発する雰囲気のせいで、差はあまり感じられなかった。
ゆっくりと少女がハクの胸元に手を伸ばした。
「吾が裔よ。千年の復讐のため、その身体、憑代としてもらいうける」
ハクは戸惑ったまま、ポチと少女を見比べている。
少女の紅葉のような手がハクの胸に当てられて――。
「あれ?」
少女が自分の手を引き戻してまじまじと見た。
今度はハクを見つめ、また自分の手を見る。
「あれ?」
再びハクの胸に手を伸ばし、二度、三度とハクの胸をもにゅんもにゅんと揉みしだいた。