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幼なじみに首輪をつけるのもやむを得ない……っ!  作者: 真野英二
第1話 「椰魅<ヤミ>または橘 栢都について」
3/61

 ハクはHR直前の教室に滑り込んだ。

 廊下の向こうに「若僧」と四組の担任が何か話していて、見咎みとがめられないですんだのでセーフ。

 なんでかHR前って、みんな短い時間につめ込むように話をしたがる気がする。ほかの休み時間よりも騒々しい。昨日夜にも電話してさんざん話したハズなのに、みんなとりとめのない話題をかぶせあって笑いあっている。

 ハクはその喧騒けんそうって、窓際から二列目の自分の席に着いた。

 一日の始まり。

 ハクは三回、深呼吸した。

 何となくのジンクスだ。

 今日もうまくやれるように。

 ハクは斜め後ろの女子を振り返った。

 「ポチは? 来てない?」

 ポチは斜めふたつ後ろの席だ。さっき見た時にはいなかった。

 「ポチ君? そういえば見てないね?」

 ノグッチがすごい勢いで一限の数学のノートを写している。コピー機さながら、いや瞬間風速的にはコピー機を超える。

 「ふーん?」

 「また修業じゃない?」

 ノグッチが一瞬だけ顔を上げ、残像を残してノートに向き直った。いや、それ、顔上げなくていいよ。

 「いや、そうじゃないと思う。朝普通だったし」

 ノグッチはもはや返事をせずコピーにいそしんでいた。

 ……なんというか、クラス内でのポチの扱いが知れる。


 「おーい、席つけー」

 「若僧」が声を上げながら入ってきた。あだ名と裏腹に、若い角刈りでガタイのいい担任だ。本当は松本先生。

 教科は世界史、見かけによらず驚くほど博学で、三内丸山遺跡の諸説から大砲王クルップの性癖まで、たいていの歴史上の話に余計な話を付け加える。そしてそっちの方が面白いので、皆の世界史の成績はあまり上がらない。

 なんで「若僧」かというと、自己紹介の時に緊張して「まだまだわかじょうで」と噛んで、言い直してさらにもう二度噛んだから。ちなみに、バカな男子が間違えて書いたせいで「若憎」が正式表記になってる。

 「若僧」はHRの時間が短くなってるので、「中間テスト期間中の諸注意」のプリントを前列に配りながら、今日の連絡事項を口早に伝え始める。


 ふとハクは、強い視線を感じた。

 物理的に圧されたような錯覚を起こすほど、それは強い視線だった。

 思わず窓の外、校庭を向く。

 トラックの向こう側の木立に、四、五歳くらいの女の子が目についた。

 ?

 少しあたりを見てみるが、他に誰もいない。

 ……あの子? 今の?

 両眼を細めて少女に焦点を合わせる。

 眼が合った。

 え?

 距離にして百メートル以上、顔の輪郭さえ定かではない向こうにいる女の子と、確かに眼が合ったことが「わかった」。その子がうっすらと笑ったのも「見えた」。少女は間違いなくハクを見つめていたのだった。

 そして、少女はゆっくりとハクに向かって歩き始める。

 ……え? なにこれ?

 「あと、たちばな頼むな~」

 「はいっ?」

 思わず身を引いたハクに、「若僧」の呑気な声がかかる。

 「なんだコラ、聞いてなさいよ。世界地図、係だろ。……おい、どうした?」

 「いえ、あの、小さい女の子がいて……」

 ハクが「若僧」の言葉を理解していないまま、校庭を見やる。

 少女はいなくなっていた。

 「あれ……? さっき確かに……あれ?」

 「おい、朝っぱらから幽霊でもないだろ。ちゃんと話聞け」

 「は、はい」

 わずかの間、またたきの間に、少女はどこかに行った。

 木立から学校の外周までさらに三十メートルほど、身を隠す場所もない。

 そもそも、少女はハクを見つめたまま、こちらに歩いていたのだし。

 ――奇妙な確信があった。

 幽霊なんかじゃない。そんなもの見たことないし、「こわっ!」という生理的な恐怖じゃない。

 それどころか、昔の友達に会ったような懐かしい感じ……でもなんだか、それがかえって違和感というか。

 だって、ありえない。

 見たこともない、幻のような少女に親和感を持つわけがない。

 にもかかわらず、なにか近しいような納得。

 ――つまり、不条理だ。

 たぶん、あれは幽霊みたいな簡単なものじゃない。

 もっとマズイものだ。もっともっと。


 バッターン!

 教室の前のドアが大音響と共に開けられた。全員が虚を突かれて声を上げる。「若僧」まで。

 白いスポーツバッグをかついだポチが、ドアに手をかけたまま肩で息をしていた。

 かつて見たことのないほど真剣な眼で、呼ぶと言うか、わめく。

 「ハクっ! いるかハクっ!!」

 いつも目立たないポチが、常ならず大声を上げながら教室に入ってくる。クラスメイトも「若僧」もガン無視。

 「ハクっ!」

 「……ポチ?」

 「ハ、ハク! お前、大丈夫か?」

 ハクも含め教室中の人間が、乱暴な寸劇すんげきにきょとんとしている。

 「ハクだよなっ!?」

 「何言ってんの?」

 「え、えーと、お前、名前は? 生年月日は?」

 「いやだから、正気に戻んなよ」

 「ハク……おお、ハクだ。よかった」

 ポチは彼的にはきっとなった顔で、ハクの腕を取る。

 「行くぞ!」

 「え、ちょ、なになにっ?」

 ポチはハクの腕をがっちりとつかんだまま走り出した。

 「なになになになにっ?」

 「いいから! あ、すんません、俺たち早退します!」

 ポチは初めて「若僧」に気づいたらしく、挨拶しながら堂々とサボる宣言をした。

 「お、おお」

 「若僧」がとりあえず頷く。

 廊下から響いてくるふたりの声が階段の方に消えるまで、教室の面々は首を傾げたままあっけにとられて静止していた。



          ☆



 ポチはあたりを見回しながら、人気のない方へと走る。

 ハクは腕をがっしりと掴まれ、たまたまなのか、ひじ関節が極まったようになっていて、必死についていく。

 ……実は、運動部でもないのに、ポチの足の速さは折り紙つきだ。陸上部のトップと張る。曰く「じい様から逃げるために足を鍛えた」らしく、ハクも追いつけない。

 そのポチが、いつもは周りを推し量ってばかりのポチが、なぜかハクの様子も見ずに、辺りを見回してひたすら何かから逃げるように走っていた。

 「ちょっと! ホントなんなのっ?」

 息が続かない。肺に残った最後の息で叫んで、左手でポチの手を叩いた。

 その手が一瞬ビクッとして、ポチは唐突に立ち止まった。

 「すまん。とりあえずここでいいか」

 通用口近くの校舎裏、正門からちょうど敷地内の対角線あたり。めったに使わない焼却炉があるような片隅だ。

 ポチはハクをじっと見つめて、いきなり頭を下げた。

 「いきなり悪い。でも、すげえ大事な話があるんだ」

 顔を上げると、見たことのないような真剣な顔をしている。こんな顔は……見たことがない。長い付合いだが、ポチはいつも眠そうな眼をしているのだ。

 「な、なんなのよ急に……」

 ハクは自分の頬が赤くなるのを感じた。

 ん?

 違う違う。

 学校の敷地をずいっと走って横切ってきたので、上気しているのだ。ただでさえ朝練で疲れているのに。

 なんとなく、ポチを見られないけど。

 当のポチはハクの様子を意に介さず、傍らのスポーツバッグをごそごそと探っている。

 「これじゃない、これでもない、あ、これだ」

 ポチが真剣な顔のまま向き直る。

 「これ、受け取ってくれ」

 「え……」

 それは銀色をした、複雑な装飾が施された一センチくらいの厚みがあるリング状の物体だった。

 んー……指輪……にしては大きいけど。

 ハクはちょっと場違いな感想を口の中で呟いた。

 「はい」

 「うん……なにこれ?」

 ハクは様子が分からないまま、とりあえず受け取って、まじまじと見た。

 軽く上下して重さを感じてみる。

 一キロくらいか。銀にしては重い。

 「あのさ、説明すると長いんだけど、とにかく着けてもらわないと困る」

 「は? ポチ? 着けるってどうやって?」

 「そこ、外れるようになってるだろ? こうして……」

 ポチが器用にリングの一部をいじって、リングの半分をひねった。

 「こうなったところで……」

 ポチがハクの斜め後ろに回って、リングを首に当てた。

 「こんな感じだよ」

 リングの半分を戻して、カチッと音がするまでリングをはめ込んだ。

 「………………ポチ……これ、えっと、首輪?」


 美人で、顔が小さく、巨乳で、ルックスもいい、手足がすっと伸びて、健康的で、麻雀だったらハネ満くらいな女子高生が、朝っぱらから、男子高校生に、シルバーの首輪をはめられている。

 何かこう、見る人が見れば崇拝を始めかねない、背徳的な絵面だ。


 「そうだな。まあ、首輪みたいなもんだ」

 ポチは眉根に皺を寄せたまま、ボソッと応えた。

 「あと六つか……近くにいるのは確実なんだけどな……多いなちきしょー」

 ポチは眼の前の事態に気づいていない。

 呑気としか言いようがない。

 眼の前で、ハクがマンガのような黒いシルエットになってるのに。

 ハクの髪の毛が歪んだ曲線を描いて天をいているのに。

 「首輪……な?」

 「おう。それさ、しばらく着けてく……」

 ふ。

 ふ。

 ぶしゅう、とコンプレッサーが圧縮空気を吐き出すような音がした。

 「ふふふふふふっざけんなあぁぁぁああああ!!」

 魂切る叫びと共に、世界フェザー級王者もかくやとばかりの、ほれぼれとするステップ・イン。

 ハクの足首を中心として靭帯じんたいの限界までひねりこんだ踏込み。

 次いで、左から天に届かんばかりのレバーブローが、猛烈な速度でポチの肝臓に突き込まれた。

 文字通り、右回りにきりもみしてポチは吹っ飛んだ。

 縦に二回転、右回りに三回転。

 E難度である。






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