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幼なじみに首輪をつけるのもやむを得ない……っ!  作者: 真野英二
第6話 「霞音<カノン>または自己犠牲について」
27/61

 中庭ではバトン部の部員たちがウォーミングアップしている。軽く走った後、入念なストレッチ中。神谷コーチが組み立てたメニューで、四十五分かけて身体中の拮抗筋に少しずつ負荷をかけていく。

 運動部を体験している者ならばたいていわかるだろうが、人の身体は前後からより左右からの衝撃に弱い。

 バトン部は他の運動と違い、左右の動きがメインの立体的な曲げ伸ばしを繰り返すので、膝や足首には相当に負担がかかる。動きに耐えうる体幹、そしてその力を分散して吸収するバランスのよい筋肉と柔軟性が不可欠なのである。

 自身の足首を悪くして引退した神谷コーチならでは、ストレッチと体幹メニューはその道のオーソリティに薫陶を受けたもので、選り抜きのプラクティスメニューなのだ。

 それに従って、ノアとアムが様々な角度から健康的女子高生の筋肉を伸ばしながら、なぜかノアが難しい顔をしていた。

 「はあ……たいよう……よりしろ……しょっ」

 「信じ、らんないだろうけど、そういうこと、なんだってっっ」

 「ふーん……ふ、ん」

 「……信じて、ないでしょっ?」

 時々息切れがするのは単にストレッチをしているからである。

 「いや、うーん、その、えっと」

 「いいよ、信じなくても」

 「ノアが身体を起こしてふう、と息をついた。

 「いや、その、ちょっと相当猛烈に、アレだね」

 アムががくっと首を落とす。

 「そ、ね、うん。……あ、ハク、こっち」

 昇降口から降りてきたハクに、アムが軽く手を振った。

 「何やってたのよ、遅いじゃない」

 「ごめん。ちょっと騒いでいた男子たちを注意してたら遅くなっちゃった」

 てへぺろ。

 先ほど三連撃を瞬きの間に繰り出した女子には、まあ見えない。

 ノアが悪戯っぽく笑った。

 「しょうがないなー、ハクは。厳しい注意だろうなあ」

 「そんなことないない。穏やかにさ」

 アムも笑っていたが、少し真面目な顔に戻って言った。

 「ノアには簡単に話しといた」

 「うえ? あの一次選考の下読みで落ちそうなしょーもないアレを?」

 「……なんか思ったよりダメージがデカいんだけど、それ」

 ノアが面白そうに二人を見比べる。

 「なんかさ、これで私もヨリシロだったら超ご都合だよねーあはは」

 思わず笑いかけたハクとアムだったが、笑いにならずため息になる。

 「いや……ないない。ないよね」

 「そうそう。いくらなんでも。いくらなんでもそんなさ」

 七妖というからには七人。ただいま五人。あと二人。

 そう、あと二人もいるのだ。どうしようホント。

 ふとその時、ストレッチを終えた部長の本宮が、副部長の有田と歩きながら話をしているのが聞こえた。

 「なんかね、ケータイもつながんないのよ」

 何となく顔を見合わせるハクとアムとノア。

 「参ったわね。そろそろ大会のメニュー通さないといけないんだけど」

 「どしたんだろねコーチ。珍しい」

 ハクが斜線を入れた顔でアムを振り返った。アムの顔にも斜線が入っていて、上目づかいに口を開いた。

 「……ハク、このパターン」

 「いやいや、まさかね。まさかまさか」

 応えながら微妙に冷や汗をかいているハクである。



          ☆



 湖緒音高校の一階の保健室で、ポチが寝込んでいた。

 さすがのポチといえども手加減なしのいかづちでは、しばしの休息を取らねばならない。手を宙に伸ばしながら、うーん、と唸っている。

 「……てめえは、修羅だ」

 目覚めたのは、自分の寝言のせいだったかそれとも人の気配のせいだったか、ポチはパチッと起きた。

 「眼が覚めた?」

 「は、はい、ってええっ?」

 異装の美女が、ベッドの脇にあるパイプ椅子に座っていた。

 細身の身体にぴたりと貼りついたような白いワンピースを着ている。

 ポチには知る由もないことだったが、彼女の服はこの国で古くに飼育されていた「小石丸」という品種のかいこにより吐き出された絹糸でできている。感触がないほどに細い絹糸で織られたサテン地は、白ではあるが光の加減で銀色にも玉虫色にも見えるほど美しい光沢を放つ。

 髪は薄く金色が混じったアッシュブロンド、瞳はすみれ色と、この国ではついぞ見ない姿だったが、切れ長の眼はまぎれもなく東洋系だった。そして服と同じくらいぬけるような白い肌、胸元は大きく開き、例によって……こぼれ落ちそうな双丘が盛り上がっている。

 こちらもまた例によって、腕、肩、腰には、鈍く光る銀の具足が大妖であることを示していた。具足には他の大妖と違って、意匠が施されていない。恐らくそれ自体が意匠、すなわち“金”を象徴しているのだろう。

 「お、お前っ、大妖かっ!?」

 ポチが驚きのあまり、ベッドの逆側からずり落ちながらわめいた。

 「カノン。静かに」

 ぼそりと名乗った彼女は、掌ほどの大きさの黒い金属の箱をポチに示しながら、ポチをじっと見つめる。

 「彼女は修羅でも、あなたは鬼じゃない」

 「知ってるよ!? わかってるそんなことっ! て、なんで知ってんのそんなの!?」

 若干涙目になっているポチである。確かに、幼なじみに会心の一撃を決められ、起きたら眼の前の大妖に挑戦者失格の宣告をされる。ポチでなくても涙目になる。同情である。

 カノンは無表情のまま立ち上がり、黒い箱に眼で「気合」を通した。

 先ほどまで座っていたパイプ椅子が吸い込まれる。

 「なっ!?」

 パイプ椅子が瞬時に小さな丸い金属の塊になって、ごと、と落ちた。

 「これが、私の法具」

 ゆっくりとカノンは窓に向かって歩き、保健室から中庭を眺める。

 バトン部を初め、様々な部の生徒が部活に励んでいる。

 カノンが振り返った。

 「騒げば、あの人間たちがこうなる」

 じわじわと顔色を蒼くするポチ。


 実際には、カノンの能力はそれほど便利ではない。

 ファーストアプローチのブラフである。

 彼女の能力の本質は「対象物の密度の圧縮と開放」だが、圧縮できるのは一度触った物だけである。敵方に仕込む事前準備が必要になるのだ。もっとも、触れば距離に関わらず圧縮できるので怖ろしいものには変わらないが。

 対象に触れない場合は、黒い箱に無尽蔵にストックされた武器その他を開放して戦う。敵方にはまるで狂った花火のように暴力が降り注ぐことになる、先鋒向きの能力である。


 自分の言葉の影響を確認したカノンは、わずかに満足そうにうなずいた。

 「取引」

 「なに?」

 「人間たちの命と引き換えに、七曜封縛を解いて」

 「ふ、ふざけんなっ! お前らを野放しにするわけにはいかねえんだよっ!」

 「なぜ?」

 カノンにとって驚きをもたらす答えだったらしく、彼女はきょとんと小首を傾げた。

 意外な反応にポチも狼狽える。

 「そ、そんなの当たり前だろうが。お前らは大妖じゃねえか」

 「あやかしなんて、いるわけがない」

 「え、えぇ~、そこ否定?」

 「私たちは、人間。法術が使えるだけの、ただの人」

 カノンはどことなく不思議そうなニュアンスで、ポチをじっと覗き込んだ。

 「あなたと、同じ」

 「……」

 ポチは息を飲んだ。

 カノンが続ける。

 「立場が違うだけ。あなたは朝廷にくみし、私は姫様に与した」

 カノンがポチに向かってゆっくりと踏み出した。ポチは後ずさり、ベッドに座り込む。

 「朝廷は姫様を殺した。だから、朝廷を許せない」

 ポチの眼の前にカノンが立った。ポチを覗き込む。

 ……ムリだ。これは負けだ。

 ポチは観念した。

 封縛は解けないし、解く方法も知らない。禁縛の時間もまだ先だ。ここには誰もいない。

 「お、俺を殺せばいいんだろ。さっさとしろよ……!」

 「……胸ばかり見ないでほしい。遺憾の意を表明する」

 「みっみみみみ見てないよ何か根拠があんのかよコノヤロー!」

 死ぬ寸前だというのに胸ばかり見ている主人公のポチである。

 残念である。

 「……あの小賢しい空賢のこと。封縛の要の人柱に、何の策も施してないわけがない」

 す、とカノンが左手を上げ、大したスピードでもないまま、いきなり貫手でポチの左胸を貫いた。

 ぞりゅっと肉を裂く音が響く。

 左手がポチの背中に突き抜ける。

 「! げ、げほっ!?」

 通常であれば、筋肉が瞬時に痙攣して刃物でさえ抜けないはずだが、その抵抗も気にせず、カノンは左手を抜き取った。二の腕までぬらりと血にまみれている。

 咳き込んでベッドに仰向けに倒れるポチ。

 「……やっぱり」

 ポチがかすんだ眼でカノンを見る。眼を細めてポチを見下ろしているカノン。

 「……エロい視線を感じた」

 「ちょ……ツッコミ……キツすぎ……」

 「普通、今のは致命傷。でも、あなたは死なない」

 「え? ……あれ?」

 ポチの胸には傷がなかった。カノンの手刀は先ほどまで血に濡れていたはずだったが、今は白く細い指先に黒い瘴気が漂っているだけ。

 「あれ?」

 「たぶん、時相否定。あなたの魂は、この世の流れではない、独自の流れにある。肉体が急激に傷ついても、時間律がその出来事自体を否定する」

 「え? じゃあオレ不老不死?」

 「空賢は神じゃない」

 「じゃ、まだ背伸びるのか」

 「空賢は神じゃない」

 死にかかって最初に心配するのが身長である。ポチ十七歳。

 「……だから、俺死なないのか。主人公だからじゃないのか」

 「主人公補正、とも言う」

 「言うのかよ!」

 「あなたを殺せない以上、封縛は解けない。あなたが解かない限り。だから」

 仰向けのポチにカノンが乗り上がった。

 シャツを引きちぎって上半身をむき出しにする。

 ポチの胸には九曜の真言が浮き上がっていた。


 保健室のドアががらっと開いた。

 「ラ・RA・RA・ラッキースケベ~」

 「きょ・キョ・KYO・巨乳~」

 腹にサポーターを巻いた松本と頭に包帯とネットを巻いた石川であった。

 言うまでもなく残念な友人たちである。

 カノンはそちらを一瞥もせず、ポチに囁いた。

 「私を、解き放って」

 松本と石川は、ポチとカノンの体勢を見て、衝撃のあまり凍っていた。残念な男子高校生に、保健室での騎乗位は致命的である。

 かろうじて石川が、眼の幅の血の涙を流しながら叫んだ。

 「とりあえずだな……! イカせてやれよっ!」

 「ちっげぇよっ!」

 思わずツッコミ返すポチだったが、ふっと身体の上から重さが消えた。

 カノンの姿が消えかかっている。

 幻のようなその顔が軽くうなずいた。

 「すぐに、また来る」

 カノンが消えた。

 「……また大妖か……なんなんだよもう……」

 ポチが情けなさげに呟き、肩を落とした。

 その脇で、よくわからないことを呟きながら、体育座りをして殻に閉じこもっている松本と石川である。



          ☆



 左側の壁一面を覆う十六面のマルチモニターには、今はオーケストラの演奏風景が流れている。音はない。何を示しているのか、時折指揮者の指揮棒、表情に赤い丸がついては消える。

 正面には長い机があり、その上に大型モニターが三面ずつ三階建てで九面並んでいて、どこかの記者会見場、アメフトリーグの試合、刻々と変動する株価などが写っている。

 その机の前、一人の男がリズミカルにプログラムを打っている――ようなのだが、キーボードはない。

 実は、独自に開発したタッチセンサーによって、彼はコードを打ちこんでいる。ワークステーションが位相を計算してコード変換するという代物だ。なので、この部屋では空中でコードを打ちこむことさえ可能。

 明らかに技術者の部屋だったが、どこか異常な何かを感じさせる部屋だった。

 この部屋の主はもちろんそこでコードを打ちこんでいる男、裏サイトでは相当に有名なクラッカー・久保本正美である。三十八にしてバツ五。

 「……くふ、七曜、七妖、くふ、くふふふ、くふふふふふっ!!」

 モニターの照り返しを受けて、彼は無邪気なまでに満面の笑顔である。






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