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幼なじみに首輪をつけるのもやむを得ない……っ!  作者: 真野英二
第6話 「霞音<カノン>または自己犠牲について」
26/61

 六月、夏の宵である。

 温泉旅館たちばなの前庭は、父親の植物好きがこうじた結果、様々な植物の博覧会のようである。リンネの植物日時計も真っ青というか、折々の花と時間単位で咲き誇る花とで、美しい庭を彩っている。今も紫陽花の群生、そして月見草が夜目にも白く咲いていた。

 今日はあまりお客さんも多くなく、その前庭ではハクがバトンの練習をしている。

 「一、二、三、四、五、六、七、八……」

 口でカウントしながら器用にロールする。両足を広げ、バトンを背中で通しながらステップを踏んで、バトンを掴みとると同時に片足を軸にもう片足を縦回転する。俗に“もぐり”と呼ばれる、新体操などでイリュージョンに分類される技である。そこからバトンを投げ上げ側転してキャッチ、という流れだが、バトンを握ることはできなかった。すぐに拾って残りのシークエンスをつなげつつフィニッシュ。

 「ふうっ……」

 最後のポーズを決めてハクが脱力した。六月の夜は蒸し暑く、着ているTシャツもうっすら汗に濡れている。

 「ふうん。面白いな」

 縁側で見ていたヤミが声をかけた。湖緒音大福を頬張りながらなので「もおふぃおいな」と聞こえた。

 「なあ、私にもちょっとやらせてくれよ」

 湖緒音大福の残りをどぐんと飲みこんで、ヤミがひょいっと立ち上がる。

 顔の右半分を壮絶にゆがめて、拒否を表すハクである。

 「なんでよやだよ。邪魔しないでよ」

 「いいじゃないかちょっとくらい。な? ちょっとだけ」

 言いながらヤミはするするとハクに近づき、バトンの片方を掴む。ハクも何か意地になったように引き戻す。

 「やだってば。ホントやめてよ」

 「なんでだよ。ここまで来てそりゃないだろ?」

 「困るって。そんなつもりないし」

 「嘘つけ。眼の前であんなんやられたら我慢できないに決まってるだろ?」

 「何よそれ。あんたが勝手に興奮しただけでしょ」

 「いいじゃん頼むよ。ちょっとだけだから。減るもんじゃないし」

 何か不思議な押し合いをするふたりである。


 たちばなの前庭、縁側にはメイとマナもいる。

 「あーゆーの見たことあるなあ」

 「そうですね。お城のようなホテルの前ですね」

 メイが素っ気なく応える。

 ハクが渋々とバトンをヤミに渡し、ヤミは面白い玩具を受け取ったように喜んでいたが、やおら取りまわし始めた。最初はゆっくりと、しかし徐々にスピードを上げ、バトンを最速でまわし始める。そのまま、回転の速さに合わせてバトンを投げ上げ、下では器用に回りながら円を描き、落ちてきたバトンを掴んだ。

 複雑で、なめらかな動きである。

 眼を見張るハク。体幹が伴わない幼稚園児にできるわけがない。

 ヤミはバトンを回しながら、先ほどのハクを真似て、右にステップを踏んでから左に飛んでバトンを身体の前にかざしたまま深々と礼をして止まる。

 と、ヤミがニヤニヤした顔を上げてハクを見た。

 半眼になるハクである。


 「……やっぱり気になる?」

 「百合系は興味ないですね」

 マナとメイはお茶をすすりながらそぐわない会話をしていた。

 「やっぱり男子と女子のからみだよねっ」

 「男×男というのもやぶさかではないです」

 「そっち系の猛者は食いつかないでしょお?」

 「ふん、いっそ金剛杵×首輪という無機物カップリングなど」

 「ごめんもうムリ……姫様のこと気になるかって聞いたのに」

 「引っ張ったのは貴女でしょう? 気にならないわけはありませんよ。我らが姫の眷属であることは、姫がいない以上、もはや変えられないのですから」

 メイは重く区切るように呟いた。

 マナがこくん、と頷く。

 彼女らは千年を経て現世に舞い戻り、寄りどころも目的もない。ただ強烈な武力を備えた自身があるのみだ。

 ヤミ、メイ、そしてマナ。

 どこに行けばいいのか。どこか行くところはあるのか。

 彼女らの元を離れたキリとトウマ、ふたりも同じ心細さを抱えているだろう。

 我らは本当に必要なのか……?

 ――中庭ではハクが鶴の構え、ヤミが虎の構えをとり、互いの隙を狙って対峙していた。なんというか、バトンは脇に置かれたままである。

 「……過去を捨てて進める者ばかりではないですからね」

 メイが首を振って呟いた。

 「そうだね……次はたぶん、カノンでしょ?」

 メイが眉根に皺を寄せて、何も言わずに夜空を見上げた。

 中天にはほぼ満月が光っている。



          ☆



 湖緒音高校の昼休みは、一般的な高校の昼休みより長い。通常一時間程度だが、ここ湖緒音高校の昼休みは一時間半ほどある。

 理由は、運動部が盛んであるため、ということだ。確かに食事と運動は時間として切り離さない方がよい、とは最新の運動生理学などでも語られているし、負荷を分散することで成長期の少年少女の身体にはほぼよい影響しか与えない。五限で寝る者が多くなるくらいなんてことはない。

 そんなわけで、運動部のメンバーは昼休みでトレーニングをワンセットこなすのが普通になっていて、窓の外では朝練レベルで声が上がっている。ハクもバトンの自主練習に向かっている。

 文科省配下でそれほど自由なカリキュラムを作っている高校というのもちょっと不思議だが、まあ忘れられた地方の片隅だし、東大合格を目指して生徒を訓練するわけではないので黙認されているのだろう。


 ポチはというと、帰宅部なので単なる長い昼休みである。

 実際には“帰宅部”という言葉では語れないハードめな日課があるのだが、高校では部活に所属していない怠惰な生徒扱いだ。

 「ポチ、なんだそれ?」

 同じく帰宅部の松本が声をかけた。

 ポチは机に向かって、手元のノートに七つの丸と二つの少し大きい丸を書き、その周囲に七曜の真言を書いていた。封縛のヒントがないものか、基本に立ち返ってみようとしていたのだ。

 松本は小太りで刈上げ。クソゲー好きで、ポチが買ってしまったクソゲーはたいていあげることになる。逆にメジャーゲーは途中で飽きてポチにくれる。要はゲーオタの美しい補完をしてくれる同志である。

 自称“類まれな巨乳好き”で、ハクの胸元を見る眼が、最近では求道者が遥か彼方を望むレベルの眼をしている。

 「あー? 梵天火羅九曜」

 「ぼんて……あんだって?」

 「なあ松本。お前のじいさんってどんな人?」

 「は? 別に、初音ミクにはまってる普通のじいさんだけど」

 「それ普通なんか?」

 「そうなんじゃねえの? 町内会だとミク派が三割、ルカ派が三割、リン・レン派が二割なんだってよ」

 「それただのボカロ三国志じゃねえか。あと二割ってなんだよ」

 「神だよ」

 「あぁ、Pと同人作家ってことか。って知るかそんな話!」

 「てかお前が聞いたんだろ? なんだよいきなりじいさんて」

 松本が二重になりそうな顎を撫でながら応える。

 ポチは九曜を書いている手を止めて顔を上げた。

 「いきなりじいさんて妖怪にいそうだな」

 「さくらももこ的な? 九州南部あたり中学生限定だな」

 「いきなり現れていきなり去っていくじいさん」

 「それって人生じゃん」

 「それ言うと大体哲学になるな」

 ポチが飲み残しの牛乳のストローを加えた。もう少し身長が伸びて欲しいポチの必需品である。

 「そういや、じいさんてばあさんに萌えるのかな?」

 「じいさんじゃなくても、ばあさんに萌えることあるだろ」

 「うーん、確かにな。真宮寺さくらは現在百八歳」

 「だろ? 神谷薫は百五十四歳」

 「そうなると特異点である磯野一家か」

 松本とポチが考え込み、熟慮の末松本が口を開いた。

 「宇宙の因果律に影響があるだろうな」

 「そっちかよ。しかしそれを正そうとする意志も同時発生するはずだ」

 「うむ。しかし、それが我々に観測できる形態かどうかは疑問だ」

 「宇宙は対称を重んじる。重力だけが孤立しているのはおかしいだろう」

 「いや、森の奥で木が倒れた音を聞くものがいなかった場合、それは音がしたと言えるのか、と」

 「未知を不可知と断ずるのは思考の放棄だ」

 「では聞こう。我々にそれをそれと認識することはできるか」

 「大きなパラダイムシフトが求められるのだ。かつてないほどの」

 「その時は迫っているのだな。でお前、橘と付き合ってんの?」

 ポチがつんのめった。

 いつものシュレディンガー猫的なオタク話がいきなり生臭くなった。

 「話のつなぎヘクタソかお前! ねーよ!」

 「ふーん、じゃ朝川?」

 覗き込むように松本が訊く。

 「なんっでだよ!」

 「生徒会長の燕御前?」

 「ちょっ、なんなのそのチョイス!?」

 「それとも、マートヒーローショーのお姉さんとして、一部ヘビーユーザーに圧倒的支持を受ける藤代若葉嬢か?」

 「ピンポイント過ぎんだろっ!」

 いつの間にか後ろに立っていた痩せ気味の少年がポチの両肩に手を置いた。眼鏡をかけて理知的な男の子である。少し甲高い声で囁いた。

 「では、湖緒音町みんなのお姉さん、柚子乃葉看板娘、柏原雫さんかな?」

 「なんだ石川お前!」

 わめくポチを横目に、松本と石川は目配せし、ポケットから取り出した写真の束をポチの机の上にばらまいた。

 「こ、これは……いつの間に?」

 愕然とするポチ。

 写真の数々は、ハクを初めとした憑代たちの隠し撮りである。揃いも揃って首輪をしている……明らかにマズいスナップである(首輪している人の写真てどうしてああマズイのか)。

 被写体が全員普通に笑顔であるところが、不条理さを浮き立たせている。少なくとも昼間の高校で見られるものではない。週末、六本木の芋洗坂近くの地下の店で見るべきものである。

 「こ、これはっ!?」

 松本がポチの机に腕を乗り出し、低音でため息をついた。

 「なあポチ。俺らが裏も取らずに言っていると思ってるのか?」

 「……!」

 逆側に回り込んだ石川が同じく低音で話しかけた。

 「ポチ、彼女たちには共通点がある。何かわかるよな?」

 わざとらしく覗き込む石川。

 「そう、首輪だ」

 人差し指でぐいっと眼鏡を上げる。

 松本が頷き、上目使いで呟いた。

 「気づかない、と思っているのか」

 「誤魔化せる、と思っているのか」

 石川が下からめあげるように受ける。

 「ま、松本、石川、その、えっと、どうしたんだよ?」

 ポチはふたりの凍るようなオーラに冷や汗をだらだらとかいている。本来はオタ仲間として仲のいい三人である。

 「どうした、だと?」

 「ポチ、お前は今、全男子を敵に回した」

 「え、な、なにそれ?」

 松本がゆらり、と立ち上がる。

 「女の子五人飼うとか、てめえどこの将軍様だ!」

 「あれか、日替わり定食か。土日は複数か。そんなの認めんぞ羨ましい!」

 「ああ腹が立つ! 実に不愉快だこのハーレム野郎!」

 「首輪つけるとか、所有欲が尋常じゃないなお前はっ」

 「栄養ドリンク差し入れしてやろうか! 驚くほど精がつくような奴をっ!」

 「世継ぎをちゃんと作らなきゃなっ。いや、むしろ種馬として管理されてるのか? 逆か!? そうなのかっどうなんだっ! ふざけるなよ貴様っ!」

 互い違いに左右から怒鳴られ、ポチは小さくなるばかりである。

 実によろしい責めっぷりであった。

 なおもふたりが責めたてようとしたところで、教室の前の方のドアがばんっ! と音を立てて開いた。

 ハクである。

 バトン部の昼練が終わって戻ってきたのだろうが……。

 そのままつかつかと歩いてきて、松本のすぐ前に立った。

 「お、なんだ橘ご……!?」

 松本の脇腹に拳を密着させたハクが、グッと力を入れた。松本が呻く。ハクが拳を離すと、脇腹は小さな拳の形に陥没していた。

 「こ……こほう……」

 小さく呻いて松本が沈んだ。

 はっと顔を上げた石川の隙を逃さず、ハクがアームロックをかけながら肘を額に叩き込んだ。

 「ろうがっ!?」

 崩れ落ちた石川が、床でびくびくんっ!と痙攣した。

 「は、ハク……俺、チガウ……ヨネ?」

 ポチの声に応えず、石ころを見る眼で向き直ったハクが、ポチの腕を取って逆関節に極めたまま背負い投げを放った。

 突如天地が逆転したポチの眼に、一瞬ハクのスカートの下の白が焼きついた瞬間、後頭部に骨がズレるほどの衝撃が襲った。

 「いか……づち……」

 怖ろしくも美しい、三連撃であった。






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