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幼なじみに首輪をつけるのもやむを得ない……っ!  作者: 真野英二
第1話 「椰魅<ヤミ>または橘 栢都について」
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 もっくもくの森である。

 人境に近い森とは思えないほど鬱蒼うっそうと木々が覆っている。地面にも様々な草が生い茂っていて、歩くのもひと苦労だ。

 ポチはお堂への最後の坂を注意深く登っていた。

 六月も半ばを過ぎれば山の通り雨も多くなるから、家では降っていなくとも、山の地面は思ってるよりずっとぬかるんでいる。

 膝上ほどの熊笹をかき分けながら、かろうじて獣道ほどの細さがある「スペース」を登る――登山道なんてあるわけもなくて、自分が小さなころから踏み空けて作った「道のようなもの」だ。

 途中でふきを見かけて、しばし思案した後、十本ほど根元から折り取る。手早く葉を取り去って、大きい筋をついっとむしる。ついでに近くにあったみょうがを何本か抜き、爪で茎をちぎって、まとめてバケツに放り込む。

 いつか植物学者という人が言っていたが、この山は植生がおかしいらしい。

 確かにみょうがが何ヶ月も取れるのはおかしいが、ポチは好物なので問題はなく(忘れ物が多いのはこれのせいなのだろう)、むしろ一年中取れてほしいくらい。その他にも山菜やらキノコやら、ポチだけが知る場所に長い期間群生しているのだが、そういうものだと思っていたし、今もまあ、そう思っている。

 おかしいったって、しようがないじゃん。


 ――本当かどうかわからないが、ポチの家にはこの森の作り方が伝承されている。

 じい様によると、この森は三代前の宗家が作った森だということだ。最近教えてもらったのだが、お堂がある場所は湖だったらしい。

 森林資源というのは、実は人にとっての最も有用な役割は保水である。

 それは時間をかけてみ出し、飲み水や作物に欠かせない流水になり、陸の栄養を蓄えて河口に注いで、最終的には「恵み」の海を作り出していく。沿岸の海洋資源は山から作られるものだ。

 ポチは神道系のじい様に仕込まれて育ったため、それなりに自然のありように詳しかった。

 そうしたシステムの構築には、年という単位ではなく千年単位が必要であるにもかかわらず、たかだか三代で出来上がっている森。

 明治神宮のような綿密に計画された林ならまだしも、何の計画もなく誰の手も加えず、わずか百年ほどで原生林になっている。

 そして、人に都合がよい植生、すなわち豊富な山の幸が手に入るわけだが、この森には、人の敵になるような大型の獣がいない。

 むしろ獣たちにとってメリットが大きいはずだ。熊、鹿、猪、その他もろもろ。

 でも居つかない。

 ふむ。

 覆い隠された人工的な何かがほの見えるたび、もしかしたら宗家が作ったのも嘘じゃないのかもしれない、と適当なポチでも思うことはある。


 お堂が見えてきた。

 最後の急な坂を、灌木に手をかけて登りきる。

 「おうふ」

 じい様の口癖のようなため息が漏れ出る。

 朝っぱらからここに登るのは結構な苦行だ。

 ポチはお堂を挟んで朝日の方角に向きなおり、時計に眼を落とした。

 時計は相当ごついクロニクルモデルに見えた――が、よく見ると普通の時計ではない。手首全体を覆うほどの大きさで、盤面には小さな文字盤が内周に九つも並んでいた。

 星の運行を刻む「宿曜計すくようけい」である。

 昔は文字盤と共に紙に書いていた(一応ポチも書ける)が、新し物好きのじい様が特注で作って、ポチの十二歳の誕生日に贈られたものだ。

 日月五星、計都けいと羅喉らごうの九曜に対応していて、中央には北斗七星と如意輪にょいりん観音かんのんの真言がデザインされている。中央に仏様のお姿を刻まれても仕方のないところだったが(デザイナーが反対したそうな)、全体メカメカしい感じになっていて、ポチの厨二心にかなうものだった。決めセリフ付きで掲げたら変身できそうなところがよい、とは本人の弁。

 問題は時間を見ようと思っても、すぐに時間がわからないところか。

 文字盤をひとつ選んで中央に寄せて、二十八宿が刻まれているベゼルをあわせれば、その時点での星の宿が全てわかり、さらに外側のベゼルは三十六禽が刻まれていて、地上で対応する卦もわかるようになっている。ちなみにこちらは右回り。

 すなわち、ポチは理解していないのだが――これがあれば、宿曜の奥義「如意輪にょいりん星供しょうく」がその場でできるものなのだ。本人には特注のオモチャ以上ではないようだが。

 豚に真珠、猫に小判、ポチに宿曜計。

 嗚呼。


 ポチは角度を合わせるために、お堂から二歩、左に歩いた。

 「えーと、あと一分」

 時間を合わせて「普星伝ふしょうでん」の決められた文言を唱えるいつもの作業だ。

 が、違和感。

 ポチは顔を上げて眼をこすった。

 違和感は消えない。

 お堂?

 お堂だ。扉の上。

 ポチはお堂に駆け寄って、思いきり眼を見開いた(と言ってもあまり大きくならないが)。

 「ちょ、これ、まさか……」

 風雨にかすれた文字で「月縛」と書いてあり、紙であるはずなのに決して破れない封錠。

 それが刀で両断されたように、縦に綺麗に割れていた。



          ☆



 朝の体育館はバトン部の専用だ。

 放課後では全体の動きをする広さが取れないから、まあ朝しかないわけだ。

 湖緒音高校にはマイナーな町なのに運動能力の高い生徒が多く、県ベスト四の男女バスケ部とベスト八の女子バレー部と共同で使うことになっている。バトン部が使えるのは、一回戦負けの男子バレー部と同じくらいのスペース。

 バトン部の実績がないわけではない。三年前には全国大会にも出場している(もともと部がある高校の数が少ないのは見ないように)。

 要は、おいしくないのだ。

 甲子園だの、春高バレーだの、インターハイだの、わかりやすくアピールできるものがある部活と違って、バトン部には地元紙がインタビューしにくるような大会が、まあない。なので、残念ながらあまり尊重されない。顧問以外にコーチがついているだけで他と比べて破格の扱いである。

 と言われても、ハクは納得してないけど。

 玉転がしごときが。

 こっちはパスもできないしバトン地面に落とせないんだぞ?

 百八十度開脚すんだぞ?

 まったくさあ。

 「たちばなっ! 気ィ抜いてんなっ!」

 神谷コーチのハイキーの声が響いた。

 一瞬見ると、長身の神谷コーチがこっちを睨んでる。長いポニーテールがゆらん、と揺れた。

 「はいっ!」

 課題曲が終盤にさしかかり、バトンの取り回しが加速する。

 全員がシンクロして回転、バトンを投げ上げる。

 最後、中央の四人が集まって片足を膝立ちした上にチーフが乗り、全員が左右からバトンを振り上げて静止。

 じゃじゃじゃん。

 お? そこそこできた感じ?

 「はいお疲れー」

 神谷コーチが両手を大きく一度叩くと、全員がポーズを解き最初の位置に素早く戻る。

 コーチは先ほどまでの演技を反芻はんすうするように頷きながら、部員たちの前を一往復した。片手を顎の下に入れて、歩くたびに胸元が上下にぶるんと揺れる。部員たちは神谷の言葉を待って注視する。

 中央で神谷が立ち止り笑顔で、

 「全然ダメだな」

と言った瞬間、全員の顔が引きつった。

 この笑顔はヤバイほうのヤツだ。

 「んふふふ~」

 神谷の笑顔が大きくなる。部員は小さくなる。

 「そこそこできたのに、て顔だな。全員バーレッスン一週間コースやるか、もう一回?」

 部員たちが眼に見えて首を引いた。どうやら地獄の代名詞らしい。

 神谷は笑いを収めて厳しい顔に戻る。切れ長の目が細められた。

 「つま先伸ばせ。見ないでも隣と同じだけだ。フリーハンドが汚い、揃ってない。トスのリリースと高さをあわせろ」

 「はいっ!」

 部員全員が勢いよく応える。優雅にバトンをふっているイメージがあるかもしれないが、バトン部は体育会系という意味合いでは下手をするとトップクラスだ。徹底的なチームプレーを要求される部活は、実はそうそうない。

 「たちばな、おまえ足、直らないな」

 「すみませんっ」

 「きっちり八分の一拍ズレるてのもある種スゴイんだけどな」

 「いえっ、すみませんっ」

 神谷は軽く口を尖らせて苦笑すると、片手に持った書類入れから何枚か紙を取り出して部長を呼んだ。

 「本宮、これがこの一週間の放課後のメニュー。特別メニューは六人。よろしくな」

 「はい、コーチは?」

 「朝しか来られないからな。次に放課後来られるのは木曜。頼むぞ」

 「承知しました」

 部長が解散の声をかけると、先ほどまでの勢いはどこへやら、部員たちはすごすごと更衣室に去って行った。


 蒸し暑い更衣室の中、部員たちがスポーツウェアから制服に着替えている。

 ……あまり色気は期待しないでほしい。

 この年頃の女子は、男子の眼がないところでは、「女ではない何か」である。

 「あー、練習きっついなあぁもう!」

 半裸のハクが愚痴と言うには大きすぎる声で言う。周囲の女子の「だよねー」「痩せていいじゃん」など適当に受け流す声。ねー、とか言いながら、ハクはタオルをスポーツブラの中に潜り込ませ、ガシガシ拭き始める。

 「おおー、ハク、アンタいいね。相変わらずぽよんぽよんだね」

 スカートだけ履いてブラを脱ぎかけたまま、でれんと座っていたノアが起き上がり、いやらしい手つきでわきわきと揉みしだくマネをしてみせる。

 「動きすぎるからツラいんだよね。スポブラでも固めておけないしさ」

 とハク。左を拭き終ってタオルを持ち替えて右。

 「いやー、アタシは胸かたいからさ。どしたらハクみたいに柔らかくなるん?」

 「温泉はいれ」

 「うそん」

 「だって、ウチの一族全部そうだもん。絢ちゃんも緒ちゃんも」

 ハクは右を拭き終ってそのまま右脇の下。

 「そうなんか~。アタシ調べによるとさ、ぽよんぽよんなマシュマロ系は全体の二割、アタシみたいな餅系が八割なんよね。橘一族は奇跡のマシュマロ族だな」

 「おい。って、アタシ調べってなにそれ?」

 「アタシの実地調査」

 「一体なにやってんのノア」

 「ちょっと! 早く着替えなよ。今日結構ギリまでやってたから、遅刻するよ?」

 アムがほとんど着替え終わってふたりに声をかけた。

 ノアが時計を見て、お、と声に出さずに口だけ形にして、着替えを再開する。

 「あれ、ハク、下着変えないの?」

 「うーん、忘れた。放課後用しか持ってきてない……」

 「アタシのじゃ入らないだろうしな……」

 「いや、下着の貸し借りはするなとばあ様の遺言で」

 「ばあ様生きてんじゃん」

 「あそっか、アタシの心のばあ様」

 「バカ言ってないで早く!」

 「はいはい」


 結局、着替え終わるのは一番ハクが遅くなった。

 ロッカーをパン、と小気味よい音で閉める。

 ハクはこの音が好きだ。何だか一日の区切りができるような気がする。

 待ってくれていたふたりと連れだって二年の教室に向かう。

 栢都はくとあゆむは三組、乃蒼のあは隣の四組。体育館から近い校舎の二階だ。

 「今度さー、どっか遠征して遊びに行こうよ。気晴らし気晴らし」

 ハクは先頭で歩きながら後ろのふたりを振り返った。

 「いいねえ」

 ノアが受ける。ノアはたいてい賛成する。

 「『RED』なんてどう? サーカスやってる劇場。松島雪子が出てるヤツ」

 「バトンの世界チャンピオンチームの? へえ~」

 「そそ。アムも行くでしょ?」

 アムは一瞥したが黙ったまま応えない。

 「アムってば。怒ってんの? 遅刻しないよ?」

 「別に。怒ってないわよ」

 「もしかしてコーチの言ったこと気にしてんの?」

 「違う」

 「じゃナニ?」

 わざとらしく首を傾げたハクを、ノアが軽く押しとどめた。

 アムは顔を伏せ気味にしていたが、少し切り口上に応えた。

 「……もうちょっと真面目にやったらどう? サブチーフになったんだから」

 「アムはくそまじめだなあ」

 「悪い?」

 ハクの揶揄やゆにかぶせるように、アムが顔を上げた。少し目がけわしい。

 「悪くはないけどさ。でもちょっと硬すぎかな」

 「アンタがゆるすぎなの。もっと真剣にやんなよ」

 「いやいや。真剣だよ?」

 「練習が嫌だって始終言う人が?」

 「いや、そんなの普通でしょ」

 「アンタはそうでも、こっちはやる気を削がれるの。レギュラーになりたい人はいっぱいいるんだよ」

 「はいはい、そこまでー」

 少し熱くなりかけたふたりの間をノアがさえぎった。

 「ね? ケンカはダメでしょ?」

 向かい合ったふたりに、ノアは交互に必要以上に笑顔を近づける。思わず身を引く距離。

 「ね?」

 満面の笑顔に毒気を抜かれたふたりは、ぼしょぼしょと詫びの言葉を口にした。

 「さ、行こ行こ。ホームルーム始まっちゃう」

 ノアがふたりの背を軽く叩く。

 さすがに群がる後輩ちゃんたち(女子)をさばく能力が高いだけあって、小さなもめごとはたいてい彼女が着地させる。

 三人はてってけ、と教室に走り出した。


 ――たぶん自分だけがわかっているのだ、とノアは思う。

 もちろんアムはハクを大事な友達だと思っているけれど、ハクに対抗してしまう理由があるのだ。もしかしたらアム自身にもわかっていないのかもしれない。

 バトンでの対抗心なら、むしろ自分に向けられるべきだろう。ノアの方がハクよりも評価は高い。

 アムが時折ふっと目で追う男の子。中肉中背であいまいな造作で、目立たず、年相応に幼く、そしてハクに一番近い高二男子。モテて仕方のないアムが、よりによって選んだのがなぜあれなのか?

 さてさて、どうしたものやら。






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