2
何事もなかったように、燕はソファの対面に座った。
ゆっくりと足を組んで、手に持った扇子をざっと広げる。ひらりひらりと振った後、少し斜めに顔を傾けた。
あー……これルーティンなんだ……。
ポチは口には出さず、生徒会長を観察している。既にハクは半眼になっていた。
「さて、お前たちを呼んだのは他でもない。事の真偽を図るためだ」
燕はふたりの葛藤など知る由もなく、楽しげに口を開いた。
机の上にあったクリップボードを手繰り寄せ、二、三枚めくる。
「はぁ」
ハクが棒返事をする。
「つい先日、ホームルーム中に突然早退したそうじゃないか。慌てふためいて」
「早退……あー、まあそうなってんじゃないすかね?」
再びハクの棒返事。
「その時連れ出したのが、ポチ君、君だと聞いているが」
ポチ君、のところで、燕はカキッと首を回してポチを見る。
「あー、確かにそうですね、客観的に見れば」
「主観的も客観的もないだろう」
愉しそうに燕が笑う。
と思いきや、ずいっとポチに向かって乗りだし、眼をむいて覗き込んだ。
「いったい何があったのかな?」
美人にいきなり顔を近づけられてどぎまぎしているポチを、燕は自分の言葉が衝撃を与えたと勝手に見定めて、満足そうに顔を引いた。
「いえ、その……何と言われても……」
「翌日から橘は首に何かつけているようだね?」
橘、のところで、燕はカキッと首を回してハクを見る。
「あ、いやこれは」
蒸し暑い日なのにハクは首回りに薄い布を巻いていた。
燕が軽く扇子を振る。
「いやいいんだいいんだ、我らが湖緒音高校は男女交際にはだいぶゆるいからな。まあ、首輪というのはな、思春期の男女の独占欲がかなりなものだとはいえ、ちょっとやり過ぎな感はあるが」
「違います」
断乎としてハクが否定する。
その強い調子に燕はややひるんだが、気を取り直して続けた。
「気にしなくていい。詮索などしない。幼馴染というものは当然のごとく、近いがゆえの相剋があるだろうとも。そしてやがては何も言わずとも『そっか』などと理解し合える時が来るものだ」
「マジ違います」
ハクの眼が据わっている。
ポチは慌てて割り込んだ。
「あの、そっちは置いといて、どういうわけなんですか」
「ん、お前たちも知っているだろう? その日商店街で連続爆発事故が起きたことを?」
クリップボードをさらさらとめくり、こちらに返してみせた。
大きくヒビが入ったパン屋のショーウインドー、半壊したクリーニング屋の写真が挟んである。
「そして、その商店街の顛末の真ん中に、お前たちが目撃されているそうだ」
クリップボードをゆっくりとソファの間のテーブルに置き……髪が乱れるほどの勢いで顔を上げた。
「これは偶然だろうか!?」
「すっげえ偶然ですね!」
待ち構えていたのか、食い気味にハクが否定した。
「え?」
きょとんとする燕。
「偶然です、思いっきり。たまたま。巡り合せ。ややもすれば。そういうことってありますよね」
続けざまに否定を載せるハクに、燕は困った顔になった。
「あの、いや、なんか関係があるだろ?」
「ないですね。心当たりもないです!」
「うそだぁ~! だって普通関係あるだろこーゆー場合。だって、普段変なことしないふたりが突如注目浴びる真似して、爆発して、首輪つけてきて」
燕が口を尖らせて言い募った。
「ないですね。ぜんぜん関係ないです」
もはやハクは眼を閉じている。無の境地である。
「えーそんなぁ…………」
燕はがっくりと肩を落としていた。
新展開がスタートしたのに、十週打ち切りである。
残念である。
「会長さん、そんな落ち込まないでください」
ポチがなんとなく取りなすように声をかけた。
「あのさ、アタシ早く部活行きたいんだけど。ステップ直さないと。アタシのこの一週間はステップ直すためにあるんだよ」
「うーん、もうちょっと柔らかく否定してやんなよ」
「ア・ン・タにそんなこと言う権利はない」
落ち込んでいた燕が、バッと首を上げた。ふたりを交互に見る。
「……そうか。すまなかったな。私はてっきり、お前たちが町の平和を乱す悪と密かに戦いを始めたのだ、微力ながら助力をせねばならぬのだ、と思っていたんだが」
「会長も中二なんですね」
再びハクは半眼である。
「やめろ中二ってゆーなただ生徒会に憧れてるだけだ!」
「……でしょうね」
「まあ、勘違いならしょうがない。行っていいぞ」
燕が口をへの字にして軽く手を振った。
バッとハクは駆け出して行った。
ポチはその反射神経にちょっと感動しながら見送る。
……まあ無理もない。
栢都という女の子は、地に足を着けた生き方を望んでいる。
往々にして、今日の続きが明日ではないことがあり、その程度に応じて人は右往左往せざるを得ない。
栢都は姉の円樹の影響か、自分で積み上げて達成することにこだわっている。自分で選び取った日常をことのほか大事にしているのだ。
その彼女がよくわからないオカルトに巻き込まれている。自分の存在意義を否定されているに等しい。
「ごめんな……」
「いや謝る必要はないぞ? 気にする必要はない」
燕の不思議そうな声でポチは我にかえった。
「あー、いやその、あいつも悪い奴じゃないんですけど。部活ひと筋つーか、直情径行なところがありまして」
「いいさ、好ましい性格だと思うぞ」
穏やかに応える燕に、ポチは苦笑いした。
会話が噛みあっていないようで、噛みあう感じ。
燕は立ち上がって自分の机の向こう側に移動した。先ほどの女生徒が持ってきた書類を処理するのだろう。
ポチも立ち上がって、挨拶して部屋を出ようとする。
燕が書類から顔を上げて、微笑んだ。
「ああ、それとな、ポチ君。何か困ったことがあるなら相談に乗るぞ。生徒会長として、生徒たちの助けにならねばな」
話しながら燕はじっとポチを見つめる。視線を逸らさないタイプの人だ。
ポチはドギマギして眼を逸らした。
この人は自分の影響力を間違ったほうに認識してるみたいだ。
「例えば右腕がうずくとか、片目だけ色が変わったりとかしたら、すぐに相談してくれ」
「…………ええ。……ありがとうございます」
うん、やっぱり正義の味方の生徒会なんだ。
必要以上に腰を曲げて、ポチは生徒会室を出た。
☆
今後のことを考えながら、生徒会室の階段をゆっくりとポチは降りていた。
ヤミとメイ。
どうあっても、結論としては、じじいに教えてもらって封縛するしかない。
ヤミはメイに襲われたところを助けてくれた。メイも(最初は変態扱いで辟易したが)いきなり街を壊すことはなかった。彼女たちはあまり語らないが、仕えていた「姫」の無念を晴らしたいだけのようだ。
――もちろん、巨大な力はそれ自体が「悪」だ。
正確に言うと、「悪」に分類されざるを得ない。
なぜなら、その力の持ち主は自分に都合のいいように使うはずだ、と「全員が思っている」からだ。
知らないものは恐怖である。
夜道でチンピラがアサルトライフルを抱えて走ってきたら、とりあえず悲鳴を上げるものだ(いや、逃げたほうがいいけども)。チンピラが実は天使のようにいい人であるかどうかは関係ない。
力は、誰もが知っているアナロジーに落とし込まれ、しかも時間をかけて初めてそれはニュートラルになれる。
夜道で自衛隊員がアサルトライフルを抱えて走ってきたら、何か事件でもあったのか? となるわけだ。彼がどんな人間であるかは関係ない。
その意味で、ヤミとメイは知る人が知ったら……あまり考えたくない結末が生じる。温泉旅館「たちばな」には、想像を絶する鉄槌が下されるだろう。累が及ぶ、という程度では済まない。
ポチは頭を振って、今更ながら問題の大きさに顔をしかめた。
まあ、封印するんだ。そのためにいるんだ、自分。
思案に沈み込んでいて、ポチは無意識に階段を上がってきた人をよけた。
ずいぶんと小さい人で、高校生ではないだろう、と頭の隅で思う。
ポチは中庭まで下りて、ふと違和感から生徒会室を見上げた。
「しかし、なんなんだろうな、あの人……まあ、悪い人じゃないんだろうけどな……アホそうだけど」
呟いて、足を止めた。
「今、すれ違ったのって……」
高校生にしては小さい、ではない。
明らかに子どもだった。
湖緒音高校にはいないはずの幼女。
ポチは振り返って、走り始めた。
生徒会室では、燕が書類整理をしながら、眉をしかめてクリップボードを取り上げていた。
「ふう。しかし、これはどういうことなのだろうな?」
「教えてほしい?」
突然、正面から声がした。小さな女の子が立っている。アイヌ風の衣装、魚皮衣のようなまだらに茶色の衣装を着ている幼女だ。
「なんだ君は? 校内は関係者以外立ち入り禁止だぞ? 御母堂はどこかにいるのか?」
「うふふ。私はマ……」
「ふんぬらば!!」
生徒会室のドアを低い姿勢で駆け抜けてきたポチが、勢いのまま幼女に背中からタックルした。
もろともにごろんごろんと転がる。
燕の執務机にぶつかり、ポチと幼女は右側に飛び出た。ポチが幼女に馬乗りになっている。
「いたたた……もう何よあなた!」
「させるかこのやろうっ! 今すぐ縛り上げてやるっ!」
幼女は先ほどまでのふてぶてしさから、突然動きを止めて、怯えたように瞳を潤ませた。
「痛い……」
「……えっ?」
ひるんだポチの側頭部に、バネを利かせた燕の下段蹴りがめりこんだ。
「何をしとるんだ君はぁっ!」
「さべーじっ!」
奇声を発して白目をむきながらポチが吹っ飛ぶ。
心得があるのかないのか、こめかみにつま先がめり込んでいた。恐るべき足刀である。
「こんな幼子に狼藉を働こうとは……正義の戦いが聞いてあきれる」
ふんっ、と鼻を鳴らした燕に、白目のままのポチが泡を吹きながら応えた。
「こ、これは、やむを得ないことで……」
「ふう……」
胸元の乱れを直しながら、幼女が燕を見上げた
「まったくひどい目に遭ったわ」
「大丈夫か」
思わず燕が手を差し出し、幼女が一瞬にっこり笑ってその手を握り返した。
「会長離れてっ! そいつ!」
「さすが私の裔ね」
ポチがわめくのも届かず、幼女は立ち上がり、そのまま空いた手で燕の胸に手を当てると、その手がほとんど抵抗なく燕の胸に吸い込まれた。
燕が言葉にならない声を上げる。
「えひゃっ!」
遅れて、耳に痛い高音と共に光が溢れる。
「くっ……!」
ポチが呻く。止められない。
ゆっくりと光が収まると、異装の美女が現れた。
魚皮衣のようなまだらに茶色い衣装、手足と腰には、あるいは聳え立つ山、あるいは切り立った崖、精緻な土の意匠を施した具足がついている。
長身で黒髪ロング、濃い茶か濃い緑に見える髪飾りの布でまとめて、若干姫カット。睫毛バサバサの切れ長一重。
驚くほど印象が燕に似ている(美人だ)が、違うところがあった。
「ふう」
美女は軽く息をついてポチに微笑んだ。
「名乗れもしないとはね。マナよ、空賢。憶えてるでしょ?」
言いながら、胸元をはだけさせた。
「現世は暑いわね」
軽く身をゆすると、ぼよよんという音と共に、燕にはない巨大な胸が揺れた。
「……乳揺れ要員か。あざといな」
「嫌い?」
マナが小首を傾げた。
「いいぞもっとやれ」
「相変わらずスケベなんだね空賢は」
「俺は空賢じゃないが、男はみんなおっぱいが好きだ。時代も国も人種も超えて、おっぱいはボーダレス」
「そう。じゃあよく見た方がいいよ。最後なんだし」
何か変なスイッチが入ったポチを、半ば呆れて笑ったマナは、明るい口調のまま不吉を宣告した。




