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梅雨のさなかの谷間にあたる、ひどく蒸し暑い日である。
夏は訪れるものではなく襲い来るものだが、その予兆がはっきりと出ているような薄明るい日であった。
こんな日はアイスでも食べないとやっていられない、というわけで、ヤミとメイはふたりして、栢都の母からもらったお小遣いを握りしめ、坂の上から汗だくになりながら降りてきたのだ。
アイス。
こんな日はアイスである。
アイスなのである。
ヤミとメイは駄菓子屋のアイスケースの前の踏み台に上り、それぞれが半分中に入りそうな状態で手探りしていた。そのまま中に入ってしまいたいが、そうしてしまうとSNSというもので晒されて駄菓子屋がつぶれてしまうらしいので、それは避けたいところだ。
と、アイスモナカを掴んだヤミの手が、メイとは別の小さな手とぶつかる。
「ぬっ、お主ナニモノじゃっ!」
見ると、ヤミと同じくらいの年恰好(1000歳という意味ではない)の幼稚園スモックを着た女の子。
「ん? こんな日はアイスじゃろう」
「ほお? 奇遇よのう……」
やけに時代がかった言葉づかいをする幼女ふたりである。
メイはひと足先に「あずきしぐれ」をゲットし、駄菓子屋の女主人に買い求めている。
ところで女主人……ばあ様なわけだが、名前はチノである。戦中派の女子の名前はむしろ今こそ使われるべきポップな名前と言っていいのではないだろうか。チノばあさんの新劇鑑賞仲間の名前は、チヤとリセとサヨである。も少し頑張れば甘味処を経営してよさそうなレベルだ。
「お主、ここらでは見慣れぬ顔じゃの?」
「そうだろうな」
ヤミはアイスモナカを掴んだまま首をかしげている。
早く精算してかぶりつきたいのだが。
そんなヤミに挑みかかるように、地面に降り立った幼女が朗々と名乗りを上げた。
「我は湖緒音十二神将が一、金剛の波夷羅と知らぬとは、愚か者め!」
幼女が仁王立ちで不敵に笑う。
きょとんとするヤミ。
「え……天部衆?」
「尋常に勝負じゃ!」
意に介さず勝負を挑む波夷羅に、ヤミは呆れている。
がっくりと膝をついた波夷羅の脇を通り抜け、ヤミは女主人にアイスの精算を済ませていた。
「はあい、ありがとね~」
「うむ」
早速フィルムをむしり齧り始めるヤミ。
既にメイはあずきしぐれを木の匙で崩しながら食べ始めていて、一気に頬張ったせいでこめかみを押さえていた。
そんなヤミとメイの様子を横目で見ながら、波夷羅は地面を叩きながら悔しがっている。
「チョキさえ、チョキさえ出していれば」
ヤミはアイスモナカのブロックをひとつ頬張り、こちらも頭にキーンとなっていたが、思い直したように波夷羅に声をかけた。
「もぐもぐ、何かよくわからんが、また買いに来ればいいじゃろ?」
波夷羅がキッと振り向いた。
「貴様、名は!?」
「もぐもぐ、えーと、えと、ヤミ」
「ヤミ、か……覚えたぞ! 貴様はすぐに思い知ることになる! 湖緒音十二神将を敵に回したことを後悔すればよいわっ!」
何か颯爽とした捨て台詞を残し、小走りにさっていく波夷羅をヤミはぼーっと見送った。
「なあ、あれ?」
「早過ぎる中二病なんですよ」
言いながら、あずきしぐれを砕くのに余念のないメイ。
☆
湖緒音高校でも、蒸し暑さに生徒がとろけるチーズ状態になっていた。
「若僧」も半ばとろけているような有様で、しかも呪文のような古代ギリシャ史をやっている。
「えー、オストラキスモスは古代アテナイで僭主ヒッピアスを追放した後、クレイステネスが始めたとされていましてぇ」
誰かがやはりとろけた声でツッコミを入れる。
「せんせえ、それダメなファンタジーのプロローグですかぁ?」
「んんむ、カタカナ語で誰の興味も引かない冒頭での設定の羅列は、読者に徒労感を植えつけるだけのものだけどもぉ、初心者にありがちな書き出しともいえましてぇ」
ポチがとろけた頭で脊髄反射的にツッコむ。
「漢字とか日本語だったらすんなり入るじゃないすかぁ?」
「若僧」も脊髄で応える。
「それも一長一短でありましてぇ、ハイファンタジーを謳うならばやはりカタカナで行くべき場合も多くありましてぇ、故に、漢字にカタカナのルビを振るという手法の確立は一種必然だったと考えるべき筋合いで」
「『新青年』とかってぇ」
「いい指摘ですねぇ、昭和中期の映画『南海の狼煙』と書いて「ありえないおはなし」とルビを振る、ハナから批評と芸を見せる手法はぁ、ルビの可能性を拡げるものでありましてぇ」
ハクだけがとろけていない眼でボソッと呟く。
「なんの話してんだこいつら」
ちょうどチャイムが鳴った。
「はあいここまでぇ」
「きりぃーつぅ、れいい」
全員がとろけたまま立ち上がり、互いに頭を下げる。
ハクは手早く荷物をまとめて部活に行こうと教室を飛び出したところで、校内放送が響いた。
「2年3組、橘栢都さん、ポチさん、大至急生徒会室まで来なさい」
ハクはあからさまに片眉をしかめて毒づいた。
「はぁ? なんでアタシが呼び出し喰らうわけ?」
ポチは教室の後ろ戸を開けるなりわめいた。
「なんで学校にまでポチてよばれてんだ俺!」
「それはしようがないでしょ。ありがちじゃん」
「ないよ! そんなの二次元だけだよ!」
「じゃあここ二次元なんだよ」
「お前妄想と現実の区別ついてないんじゃないの?」
ポチが胡乱げにハクを見下げた。
「あ? ポチの癖になんだその眼? お前なんか二次元で結構だ。平たくなれ」
「三次元人にニヤニヤしながら見られてるかっつーの!」
「三次元人は四次元人にニヤニヤしながら見られてんだよっ! またアイツらパン加えて走ってらて」
「ねえよそんなパターン」
「……そういや、パンを加えて遅刻遅刻て走るのってどこが出典?」
「手塚」
「うそ」
「じゃあ藤子か赤塚か石ノ森」
「読んでないでしょ?」
「大体そのどれかなんだよ」
「宮崎か富野方面かも」
「……そのくらいにしないとあちこち敵に回すな」
「……そうね」
校内放送が再び、今度は大音響で響いた。
「二年三組、橘栢都、ポチ両名は、くだらない話をしてないで可及的速やかに生徒会室に参上せよ。ASAP!」
ハイキーの透明と言っていい声が耳に心地よい。楽しげな調子が魅力を増している。内容が全部裏切っているが。
「なに今の? おっさんみたいな口調ね?」
「なんか扇子とか持ってそうだな」
「鉄扇とかね。ってそんな人リアルにいるわけないでしょ」
「だな。すげえ権力もってる生徒会とかないしな普通」
ポチとハクは首を傾げて心当たりを探しながら生徒会室へ向かう。
生徒会室は湖緒音高校全体を見下ろす位置にある。
教室棟と特別室棟の渡り廊下の三階にあり、窓からは校庭を一望できる。
が、そこに行くには、二階からいったん外に出て非常階段を登らなければならないという、どう考えても元は倉庫だったところを後付けで部屋に変えたとしか思えない。
その部屋の窓際、外を眺めている女生徒がいた。
逆光で扇子を広げているために顔が見えないが、長身の立ち姿、長い黒髪。全体に漂う鷹揚な雰囲気は、人に命令するのに慣れた高貴な何かを感じさせた。
生徒会長、神楽崎燕である。
「ふふ……橘栢都、ポチ……面白い」
パチンと音立てて、燕は扇子を閉じた。
ハクとポチは、教室棟から中庭を突っ切って、特別室棟の手前から渡り廊下の二階に上がる。
カコッ、カコッとピンポン玉の音が聞こえてきた。二階にある男女更衣室は名ばかりで、それぞれ男子卓球部と女子卓球部が専用に使っているのだ。
「前陣速攻は前に出ろ! 跳ね際で叩け!」
運動の盛んな湖緒音高校でも暑苦しさでは随一の男子卓球部、先輩らしきだみ声が指導と言うより雄叫びに近い。
……大変に残念なことだが、男子卓球部は基本一回戦負けの部である。努力が報われるとは限らないのが現世であるのだ。むしろ時々シャッ!という声が聞こえてくるだけの静かな女子卓球部のほうが上位、県ベスト四の常連だ。
ハクは聞こえていないくらいな無視っぷりで外階段のドアを開けた。
「えっと、あの卓球場の上か、生徒会室」
カンカンカンと脇の階段を上がっていく。途中、窓から男子卓球部が見えた。先輩らしき男子が竹刀を持って叫び、後輩らしき男子たちが汗をまき散らしながら応じる。
「卓球は気合と技術、戦術だ! 思考しろ! 戦士は常に思考するっ!」
「うぇやぁぁぁぁっっす!」
スゴい熱量である。
あまり他人に批判の眼を向けないポチですら、うんざりした顔になった。
ハクとポチがガラガラッと生徒会室のドアを開けると、部屋の奥に椅子に座って背中を向けたままの女生徒がいた。
「失礼しまーす」
ハクがよそいきの声をかける。
返事なし。
しばしの間をおいて、ゆっくりと椅子を回しながら凛とした声が響いた。
「待っていたぞ! 橘、そしてポチ!」
「は?」
あっという間にハクのよそ行きの仮面が落ちた。
ロングの黒髪をざわっと振り戻して女生徒が立ち上がる。
「私が湖緒音高校第五十二代生徒会長、神楽崎燕だ!」
同時に扇子を広げて自信に満ち溢れた微笑みを見せた後、すっと口元を隠す。
……なんというか、いちいちこう、少年漫画風というか、「劇画調」だ。
「はあ、そんでなんか用ですか?」
「そう緊張するな。こちらへ来て座るがよいぞ」
ポチとハクはまじまじと燕を見た。
基本長身スレンダーだが、メリハリのついたモデル体型。
手入れが行き届いた黒髪は、昨今珍しいほどの長さだ。若干姫カットぽい。
顔は細面で整っていて美人の範疇に入るが、全体に色素と線の薄いルックスの中に、睫毛はバサバサだが一重の切れ長、という特徴的な眼。
要は、家柄のよいお嬢様と言っていい風情なのだが、何かありありと中身が違う、残念な感じが漂っている。
「あー……そっちの人か……この学校多いのか結構?」
ハクがボソッと呟いて、ふたりは少しぐったりとソファに座る。
ハクの揶揄が聞こえた風もなく、燕は扇子をパチンと畳んでおもむろに話を始める。
「お前たちを呼んだのは他でもない」
その時、ガラッと勢いよくドアが開いて、細い眼鏡をかけた利発そうな女生徒が入って来た。
「かいちょー、昨日の資料見た?」
「うむ、見たぞ」
燕が首を向け、うむと重々しく頷く。
「じゃあサインしてよ、抜けてるよ?」
女生徒はひょいと書類を彼女の前に差し出す。
「なに? ハッハッハッ、すまんすまん」
「すまんじゃないでしょ。仕事止まっちゃうでしょ。私が怒られるんだからね」
「その通りだ。すまなかったな」
燕は鷹揚に頷いた。
「ほんと、しっかりしてよかいちょー。大体こないだも確認したじゃん」
「そうだったか? それはすまんな」
「見るだけじゃダメなんだからね。見たら責任持つってことだよ?」
「うむ。わかっている。だから今はちょっと」
「ほんとにわかってる? わかるのと理解するのは違うからね?」
女生徒はぐいぐいと攻め入ってくる。
「あの、ごめん。わかったから、ごめん」
燕は立ち上がり役員らしき女生徒をぐいぐいとドアから押し出し、ドアを閉めた。
ドアの向こうからなおも「今日中だよー!」という声が聞こえ、足音が遠ざかっていく。
ハクとポチが、若干の哀愁を漂わせる背中を見つめていると、再び笑顔の燕が振り返った。
「ハッハッハッ! 騒がせたな!」
「……メンタルつえーな、あの人」
ポチは聞こえないように呟いたつもりだったが、ハクには聞こえたようで、ポチに向かって眉間にしわを寄せて軽くため息をついた。




