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その9

「ふうん。じゃあ彼女はもうすぐ嫁ぐってことかぁ。若くてかわいいのに残念だなぁ」

「冗談言わないでくださいって。それも、相手は名のある武家らしいんすよ。けど、親が決めたらしいですし、会ったこともない相手でしょ? 絶対にそれが原因ですって」

 甘斗は帰ってすぐに、鈴代に昼間の話をした。こういう時には判断を仰がざるを得ないのがなんとなく悔しいが、特に男女の仲については師に相談するのが一番というのが理由のひとつ。

「うーん」

 口角泡を飛ばす甘斗に、乾燥させた薬種――樹や草の根や葉、実に、時には動物の皮や石も含めたもの――を鉢で砕きながら、鈴代は曖昧に返事をした。

 鈴代は砕いた茶色の物体を指でつまむと、ひとくち口に運んで、ちょっと顔をしかめた。部屋中に甘くて辛い匂いが広がっていて、離れた場所にいる甘斗もくしゃみしそうだった。

「いまいち理由として弱いんだよねぇ。だいたい、見ず知らずの相手に嫁ぐくらいは武家や商家の娘だったら当たり前のことだし――って、甘斗の身の回りではそういうことはなかった?」

「いや、特には……」

 甘斗は気まずそうに頭を掻いた。たしかに実家は武家だったが、家の事情で教育に関してはほとんど放任だった。だから、武家の習慣はあまり詳しくないのだ。

「落ちぶれ気味だけど名門の武家と、金はたくさんある商家の婚礼なんて、特にありふれた話だよ。片や持参金目当て、片や家柄目当て。双方合意で八方よし。めでたしめでたしなんて三文草紙の艶話じゃあるまいし」

「でも、綾目さんは乗り気じゃなかったですよ。それに、す――好きな人はいるかって聞かれたし」

 ごにょごにょと口ごもった甘斗に、鈴代はきらりと目を輝かせた。

「はっはーん。甘斗、さては恋をしてるね?」

「な、なに言ってるんすか!?」

「隠してもムダさ。こう見えても僕は色恋沙汰に関してはちょーっと詳しいからね。その反応を見れば一発でわかる。うんうん、この初々しい反応は、さては初恋かな?」

「『ちょっと』? むしろ、あんたに関して艶聞しか知らないんすけど……って、ナニをニヤニヤしてるんですか!? 違いますって!」

「いやー、照れなくてもいいよ? 僕には全部お見通しさ」

「絶対勘違いしてるでしょ!? 違うからな、マジで!」

 賑やかな声は夕闇を吹き飛ばして、どこまでも騒がしい。まるで、本物の家族であるかのようだった。

 おかげで、心に積もった不安も澱も、感じている暇などない。

 甘斗が鈴代に相談した理由の二つ目は――まぁ、どうしようもなくなったら、師ならばなんとかしてくれるのではないかと思ったからであった。



「甘ちゃんったらひどいの! だって、今日遊んでくれなかったんだもん!」

「はぁ、そうだったのですか。とんと知りませなんだな。もし、私がその場に居合わせましたら、真っ先に輪廻さんに助太刀したことでしょうに。残念な事この上ありませんな」

 気炎を上げる輪廻に、楽浪はもっともらしく頷いた。けれど、聞いていたというのに助太刀しなかった彼にも責任の一端があることに、輪廻は気づいていない。

 とんとんとん、と小気味よい旋律を紡ぎ、楽浪の手元で根菜がたちまちに細かく切られていく。屋敷神を名乗っているだけあって、炊事や洗濯などは全て彼の仕事である。今日の献立は川魚の朴葉焼き、季節野菜の煮物と米、そして自家製の香の物だった。

 楽浪の作る食事だけは反抗期らしくあれこれ何かと文句を付ける甘斗も黙って食べる。それが何よりの楽しみだった。

 輪廻は土間の上がり口に腰掛けて足を振り回し、まだ頬を膨らませている。楽浪が食事の用意を始めてから出来上がりかけた今まで、ずっとである。

「あたしの方がお姉ちゃんなのにー! 甘ちゃんはナマイキだよ! もっとケーイをはらうべきじゃないの!?」

「それはそれは。災難でしたねぇ……坊ちゃんも」

 輪廻に聞こえない程度の声でぽつりと付け加え、内心で苦笑した。恐らく、敬意の意味もわかっていないだろうに。

世話は焼けるものの、輪廻と甘斗の面倒を見るのは楽浪も嫌いではない。

輪廻はもちろん、大人ぶっている甘斗もまだまだ子供で、可愛らしくて仕方がないのだ。

「それで輪廻さん、何故夕餉の支度をしている私の元にいらっしゃるので? 坊ちゃんなら、ヌシ様と何やら折り入って相談されているようでございますから、ご意見ご感想は是非そちらへ――」

「ん。年長ならそれらしくしろって甘ちゃんに言われたの。なら、あたしがお姉ちゃんぽいことをすればいいんでしょ? だから楽浪さん、あたしにもお仕事ちょうだい!」

「は?」

 見当違いの方向から飛んできた流れ矢に、楽浪は手を止めて思わず聞き返した。

「ああ、ええと、そうでございますなー、ええ……」

曖昧に濁しながら、さて困った。輪廻に手伝ってもらった方が圧倒的に仕事は増える。だが、ここで無下に断り機嫌を損ねてしまうのもまずい。手伝ってもらって仕事が増えるというのも訳がわからないが、それはそこ。輪廻ならばあり得ることだ。

ので、出来る限り簡単な仕事を見つくろって厄介払い――もとい、手伝いをしてもらえばいい。

「はぁ。では、裏から水を汲んでいただけますか? ちと忘れておりましたが、これこの通りに今は手が離せませぬゆえ、是非とも輪廻さんに解決していただきたいかと」

「うん、わかった!」

 元気よく答えて駆けていく輪廻を、楽浪はほほえましく見送った。たまにど派手に転んだり水を溜めた瓶をひっくり返している彼女だが、これくらいならば安全だろう。

 と。

「だーかーら、違いますって! 綾目さんはただの患者さんです! それ以上でも以下でもない!」

「へええええ、じゃあかわいいとも思わない? それはちょっとおかしいんじゃない?」

「そりゃ、か、かわいいとは思いますけど……って話をすり替えないでください! おかしいのはあんたのアタマでしょーが!」

 どたどたと廊下を走り回る師弟二人を、輪廻はぽかんとしたまま見送った。傍から見ると、猫がじゃれまわっているようにしか見えない。

 そのまま、楽浪の方を向く。彼もまた、呆気に取られた様子である。

 そして、どちらともなくつぶやく。

「あやしい……」


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